第31話
八月一日、体育館での全校集会が行なわれた深夜。高等部寮に存在する『
「おおー。普通に見える!」
高等部三年ペガサスである『
「〈魔眼〉との同調、きちんと成功して良かった」
この仮面を製作した高等部一年ペガサスの『
「愛奈先輩。仮面を被ったまま〈魔眼〉を発動してほしい。仮面越しに効果が発揮されるか確認したい」
「分かったよ……〈
愛奈は自身の〈魔眼〉である、感覚的に“物体に当てられる”かを理解する〈
「ていっ」
軽い力で投げられたボールペンは、弧を描いて飛んでいき、こつんと壁に跳ねて落下。夜稀が後で片付けようと思って、忘れていた空のアルミ缶の中へと綺麗に入っていった。
「視力自体もちゃんと強化されているし、ばっちりだね!」
「戦闘耐久度が気になるところだけど、それはおいおい……よしっ」
まだまだ不安な所はあるが、全ての機能が正常に作動できたのを確認した夜稀は小さくガッツポーズを取る。
「──しかしすげぇな。強く首振っても、くっ付いて取れないかと思えば、手で引っ張れば簡単に取れる。それに被ってる感覚が、ほとんど無いから邪魔に感じねぇし」
愛奈と同じく、仮面の機能を確認して感嘆の声を上げたのは、二年高等部ペガサスの『
「このまま被ってるの忘れて生活しちゃいそうだよね」
「忘れないで、ちゃんと確認してね……本当に確認してね?」
使用目的からして、日常使いは困ると夜稀は念入りに注意するが、先日
「必要電力は内部の『プレデターパーツ』同士の『接続反応』で充分賄えるから、活性化率は上昇しないよ。仮に電力が足りなくなった場合、『ペガサス』体内の『P細胞』とは反応しないよう、設定しているから安心して」
「電力が無くなったらどうなるの?」
「吸着機能が無くなって仮面が外れる。真嘉先輩……故障の原因になるかもだから、あんまり付け外しを繰り返さないで」
「あ、すまん……」
夜稀に窘められて自分の行動を自覚した真嘉は、顔を赤らめながら謝罪する。
「そういえば、『プレデターパーツ』を使っているってことは、これも『ALIS』なの?」
「違う。分類的には単なる『プレデターパーツ』を使った機械になる。カテゴリーで言えば都市や学園でも使われている日常的な電化製品と同じ」
さらに細かく言えば、『ALIS』は『ペガサス』が装備して初めて性能を発揮する兵装品に分類されるものである。この仮面は『ペガサス』の『P細胞』が無くても動き、常人が装備しても機能が発揮されるため、夜稀が言うように分類上は『ALIS』ではなく、単なる装備品である。
「できれば、ズーム機能や明度調整機能とか入れたかったけど、技術と材料と機械不足で、そこまで盛り込めなかった……ごめん」
「謝ることねぇよ。これだけでも充分いいものだぜ」
「……実戦テストも行なえていないから、もしかしたら不具合が起こるかもしれないし、他にも気になるところがあるから充分とは……わっ」
完成品と銘打ったが、実戦データは皆無であるため、もしもを数多く考えてしまい夜稀は不安から抜け出せなかった。そんな彼女の頭を、真嘉は荒っぽく撫でた。
「心配すんなって、お前が作ったもんだ。絶対にいいものに決まってるさ」
真嘉は、ほぼ毎日『街林調査』に同行。また、学園近辺に『プレデター』が現われたさいの駆除を
連日連夜、様々なものを開発、発明、それに屋上の畑をはじめとした新たな施設作りなどを行なう夜稀を、後輩ながら真嘉は尊敬しており、大きな信頼を寄せていた。
「……コホ……そんなことないよ。この間だって……」
「そんなに考え込まないで、私はこうして無事なんだし……ね?」
「……うん」
強い信頼を受けた夜稀であったが、“このあいだの大失敗”を思い出し、自虐的な態度を見せる。しかし、その関係者であり“被害者になりかけた”愛奈が、すかさずフォローを入れた事で、夜稀の喉の渇きは、ジュースを数口飲んだだけで治まった。
「……つーか、今更だけどよ。この仮面って何の目的で作ったものなんだ?」
仮面の存在を今日はじめて知った真嘉はどういう目的で作られたものか知らなかった。機能は凄いが、防具としては顔を庇う面積は少ないし、そもそも『プレデター』との戦いにおいて、面具系はそこまで効果を発揮しない。そのため製作した意図が読めなかった。
「ひと言で言うなら秘密結社用仮面」
「……秘密結社用……ああ、月世先輩が言っていたやつか?」
「
愛奈など高等部三年ペガサスは、公式では既に“卒業”しているため、彼女たちや『プレデター』であるアスクヒドラが表立って活動するには正体を隠す必要がある、それならいっそ“卒業”扱いとなったペガサスたちの偽装用組織を作ると以前、聞いていたのを真嘉は思い出した。
「設定……で合ってる? それも考えたんだよね?」
「うん。……とある目的のために世界各地で活動している秘密結社。どうしてか『ペガサス』という戦力を保有しており、前線で戦う彼女たちに何を問い掛けても、“ヘビのため”としか応えない」
「なるほどな。いいじゃねぇか」
夜稀なりに楽しそうに語り始める秘密結社の設定。さらにそれを聞いた真嘉はどこかわくわくした様子となり、愛奈は内心で好きだねぇと後輩たちに生暖かい視線を送る。
「その組織の名は『
「もしかして、私が投げたやつ?」
「あ」
夜稀はアルミ缶からペンを取り出し、メモ帳に“叢雲”の漢字を書いて真嘉に見せた。
「本来の意味は群がって動く雲って意味だけど、組織名に採用した由来は、この国の神話に出てくる武器の
「それでヘビのためってか……ん? そのヘビってアスクの事か?」
「え? そうなの?」
アスクヒドラは人型の『プレデター』であるが、蛇の頭のような触手が八本から生えており、そのため“蛇”の印象も持つことができる。
「うん、月世先輩曰く、今の高等部ペガサスは
「そうだったんだ!」
まったく気がついていなかった愛奈は感心する。思えば仮面もどこかアスクに似ているようで、愛奈は嵌めると、えへへと嬉しそうな笑い声を零した。
「……あー、でも、それっていいのか? ボカしているとは言え、アスクの事を遠回しに言っているようなもんだろ?」
「完全に秘匿するよりも、ある程度存在を匂わせることで発生するメリットを選んだって……でも、別の理由もあるってのが、野花の考察」
「別の理由?」
「
高等部三年ペガサスである
そのため多少察しのいい関係者であれば、『叢雲』は久佐薙財閥と何かしら繋がりがある組織だと“勘違い”するだろう。そういった嫌がらせ具合が、なんとも月世らしいと、愛奈は苦笑を浮かべる。
そんな反応を見せる親友とは別に、後輩たちは月世の相変わらず具合に苦虫を噛んだような表情となる。
「……ちなみに、カモフラージュ用っては言っているけど、自分の組織作って何かやりたいんだろうとは思ってる」
「……それはいいのか?」
「分からないけど、野花が放っておこうって決めたから……新しい組織作るぐらいなら生徒会長になってくれてもいいのにね」
「月世が生徒会長になる事はないよ」
同級生で生徒会長である
「『叢雲』を使って何かしたいのは間違い無いと思うけど、私たちの指導者にはならないって断言してたから」
今でもかなり自由にやっている月世ではあるが、あくまで野花など他者の補佐や補助に回っている立ち振る舞いは愛奈から見て“らしさ”と“らしくなさ”を感じて居た。そのため、どういうつもりなのか尋ねた事がある。
──愛奈、貴女の願いを叶えるには、わたくしが組織の
みんなと生きたい。そんな愛奈の願いを叶えるために月世は動いていると言う。しかしながら、自分が組織を運営してしまうと、その性格や考え方から願いと相反する事しかできないため、今の立場に居ると愛奈は本人から聞いていた。
「……愛奈先輩が言うならマジっぽいな。なに考えてるかは分からねぇままだけど」
「色々と考えてるんだと思うよ」
「それは分かる……けど内容が問題……あの人は他者に苦痛を与えることに躊躇いが無い、というか進んでやる」
結果的には自分たちの為になるのかもしれないが、趣味も兼ねて動く月世は他人の心を弄ぶ傾向がある。なので利益さえあれば、自分たちのトラウマを抉ることだって彼女は遠慮無く、むしろ率先してほじくり返すだろう。
──久佐薙月世という『ペガサス』は誤魔化しようのない味方なだけの悪である。
「……聞いておきたいんだがよ。あの体育館の出来事は、月世先輩が考えたことか?」
大規模侵攻の説明のさいに起きた、全校集会における猫都を筆頭とした中等部三年ペガサスの暴走。最終的には真嘉が介入して騒動を止めたのだが、実は体育館に行く前、自分を待っていたであろう月世に、野花を助けてやってくださいねと言われていた。
言われずとも、大事な後輩を傷付けようとする猫都を黙っている事は無かっただろうが、月世の言葉通り、野花を助けないとまずい場面が出てきたため、真嘉は体育館の出来事は、月世が計略した企みだったのではないかと疑った。
「いや、あれは多分……」
「……やっぱ何でもない。悪かったな」
「……うん」
愛奈に問い掛けたつもりの質問であったが、心当たりがある素振りを見せたのは夜稀だった。真嘉は、その反応から答えさせないほうがいいと判断して、話を終わらせた。
「……愛奈先輩、無理を承知で頼みたいことがある」
だけど、体育館での事件が話題に上がったことで、夜稀はある問題について思い切って愛奈にお願いすることにした。
「
中等部一年ペガサスである『
そんな後輩である兎歌が、この数日で急速的に極まっている事には気付いていた。自分たち高等部の秘密に加えて、別の要因が彼女の心に影響を与えてしまったのか、疲労で意識が飛んでいるわけでもなく、落ち込んでいるわけでもない、弱々しい生気のまま、何かを悟ってしまったように赤い瞳が濁っているように見えた。
せめて大規模侵攻が終わるまでは我慢してもらうしかないと、夜稀は心配の回答に大丈夫という兎歌の意思を優先することしかできなかった。そうしなければ成らない立場であるのも無論理由に入っている。だけど、先ほど体育館の舞台裏で覗いたときに兎歌を見て、同級生で……友達である野花と同じ雰囲気を纏っていた彼女を見て、ひどく後悔した。
「超えてはいけないラインを超えてしまったようで……あたしは人の心は専門外だから……できれば、愛奈先輩……学園の外に移動する前に声を掛けて上げて欲しい。きっとそれだけでマシになると思うから……」
「……ごめんね」
愛奈も、兎歌の様子には気付いていた。なので会うたびに心配や提案の言葉を掛けていたのだが、兎歌は大規模侵攻が終わるまでの我慢だと、それなら頑張ると拒否し続け、愛奈はそれ以上踏み込むことを“しなかった”。
「大規模侵攻が終わってからじゃないと……どうする事もできないの」
──そして、わたくしが上に立ってはいけないように愛奈、貴女は“救わないこと”です。これから辛い顔をする彼女たちを大規模侵攻が終わるまで、どうか見て見ぬ振りをしてください。
月世の言葉に愛奈は怒った。キレたと言ってもいい。自分はアスクに出会うまで、苦しんでいる後輩を見て見ぬ振りをしてきた。自分にも何かできた事があった筈なのにと後悔していた。だからもう後輩たちを見て見ぬふりをしないと誓った。そんな誓いを反故する事はできないと、月世に訴えた。
──もちろん、愛奈のしたい事をわたくしは尊重します。ですが愛奈、貴女は“救える才能”はあっても、“助ける才能”はありません。その事をきちんと自覚してください。自分自身の願いのために。
そして愛奈もまた、大規模侵攻が終わるまで“なにもしない”ことを選んだひとりとなった。
「だからごめん……ごめんね」
「……こっちこそ、ごめんなさい」
自分たちの状況は、決して甘さを出していいものではない。人型プレデター、“血清”に“自立”。たったひとつの外部流出によって、いま自分たちが得ている幸せ全てが瓦解してしまう危険性が付き纏う。そのため下手なことが出来ないのは、誰もがそうであるため夜稀は無理を言ってしまったと謝り返す。
「……その、だ。この仮面が正体を隠すためなのは分かったが、これだけでいいのか? 制服とかがこのまんまだと意味なくないか?」
「……月世先輩曰く、顔を隠しているだけでも先入観さえあれば問題ないみたい……あたし個人としては、折角だし戦闘用の服を作りたかったんだけど、素材が無かった」
「素材って、普通の布じゃなくて?」
真嘉は気まずい空気を払拭するため強引に話を戻し、夜稀と愛奈は、それに乗っかった。
「うん。防具タイプの『ALIS』は『プレデター』相手だと効果が薄かったし、装着しているだけで活性化率を上げてしまう事からどの企業でも造られなくなっちゃったけど、あたしたちには“血清”があるから、試しに作ってみようかと思って、設計図を作ったまでは良かったんだけど……」
「素材が無かったってか?」
「うん……流石に深海プレデターの皮膚は学園に無かった」
「どんなもの作ろうとしたの!?」
地上のとは比べものにならないほど巨大で、強大な力を持つとされている海に生息する『プレデター』。陸上の『プレデター』と違い『生物部位』を守る外殻が存在しない代わりに、深海プレデターの皮膚は『機械部位』となっており、確率で溶解せず『遺骸』として残ることがある。
夜稀はその深海プレデターの皮膚を使いたかったが、さすがにアルテミス女学園のどこを探しても見つけることはできなかった。
「というわけで代案を考えるだけの時間も無かったし、仮面だけになったよ」
「まあ、どっちにしてもオレは今回の大規模侵攻では着れなかっただろうし……あ、そういえば、このヘビの面も、オレは使えないのか……」
「気に入ったんだねー」
『ヘビの仮面』は、表では“卒業”した『ペガサス』が正体を隠すために装着するものであるため、まだ存命中の真嘉は、むしろ付けてはならない。実は先ほどからずっと仮面を被りっぱなしだった真嘉はその事に気づき結構本気で項垂れる。
「……そろそろ、もう一つの本題に移るよ」
夜稀はテーブルの上に置いてあった頑強そうなケースを持つと、愛奈たちの前で蓋を開けた。中に入っていたのは白と黒の二種類存在する金属状の細い筒。片方の先端は透明のプラスチックとなっており、筒の中に液体が入っていることが視認できる。
「これが“血清”入り注射器の完成品」
「外側は金属で出来ているのか? 結構物々しいな」
細い筒の正体、それは世界で唯一『ペガサス』の“寿命”と呼ぶべき活性化率の数値を下げられる事ができる、アスクヒドラが精製する毒、通称“血清”が入った夜稀開発の注射器だった。
「一度に投与しなければならない量も関係しているけど、戦闘がある中で持ち運ぶものだから耐久性と使いやすさを妥協した結果こうなった……途中で何が正解か分からなくなって、もうできないかと思った……」
「本当にお疲れ様」
注射器自体、AIの力もあって幾らでも作れたのだが、自分の命を左右する“血清”を戦いの場に持って行くものであるため、戦闘の中で壊れてしまったら、戦闘の邪魔になってしまったら、そもそもちゃんと動作しなかったらという不安。そして、シンプルだからこそ奥底が見えないと、夜稀は沼に嵌まってしまい、針の太さすら選べなさすぎて、喉が渇くようになってしまったぐらいに悩む事になる。
野花が妥協点というゴールを作ってくれなければ、ずっと迷子だっただろう。ふたりで話し合って妥協点を設定したおかげで、ギリギリで用意することが出来た。
「確かに、これぐらいでかい方が握りやすいな」
「こっちの平らなほうに針が入ってるんだよね?」
そういって愛奈は、念のためにガラス部分とは反対方向の端を指を差して夜稀に確認を入れる。
「うん、体のどこを刺しても効果は発揮されるけど、骨とか固いところは避けて打ってね」
全身どこを打っても効果が現われるのは、夜稀が自らの体でテストしてチェック済みである。なお、余談であるが〈魔眼〉を乱発して、注射を何度も自身に打つ少女という絵面が危なすぎて、アスクは止めさせたほうがいいのではないかと“血清”を貯蔵タンクに入れながらとても悩んだ。
「白色が降下率2%で出来れば毎日1本打って欲しいほう。目立った副作用が無いけど、1時間以上経過しないまま再び打つと効果がでないから気を付けて」
「あ、ちゃんと“毎日用”って書いてる」
「抜かりなく、色だけだとちょっと不安だったから」
「毎日打つ……毎日打てるものか……とんでもないな」
何もしなくて生活した場合、平均的な活性化率の上昇数値は30日で1%ほどである。それを考えればたった一本打つだけで、寿命が60日伸びるのだ。なんにせよ現状、他に活性化率を下げられる方法がないため、この注射器は『ペガサス』であれ人間であれ、その価値は金塊に匹敵するものと言われても過言ではないだろう。
そんな金塊に匹敵する“血清”を毎日消費し、大事な『ペガサス』たちと生きていけるという環境に、真嘉は改めてアスクヒドラに信仰的な感謝を送る。
「数は揃ってるの?」
「そっちも抜かりなく、大規模侵攻分に必要となる“血清”は既にタンクで貯蔵しているし、15日以上劣化しないことも確認済み。注射器も人数
「使った注射はどうする?」
「リサイクル装置に入れれば材料を再利用できるから持って帰って欲しいけど、戦闘中邪魔になるようなら捨てていいよ」
「わざわざ一回リサイクルするんだな」
「さすがに再利用は危ないから」
ちなみに夜稀の言う危ないは、プラスチック部分や針の耐久性の事である。『ペガサス』は感染症を気にしなくてもいい事もあって、最初は水で洗うだけで、そのまま再利用するつもりだった。
「あと一応、活性化率が下がると身体能力も数値分下がるから、どのタイミングで打つかは各々で判断してほしい」
「分かったぜ……オレは毎日打つことになりそうだな」
「真嘉、“血清”があるからといって無理しちゃダメだからね」
「分かっていますよ。……俺だけじゃなくてあいつらの事もあるからな。だけど今年は暴れさせてもらうぜ」
活性化率を気にせず戦える。経験した『ペガサス』全てに言えることだが、大規模侵攻は真嘉にとっても大きなトラウマだ。後悔だってたくさんある。そんな過去にリベンジするという意味と、もう2度と大切なものを失わないという気持ちが溢れて、真嘉はやる気に満ち溢れていた。
「──それで黒い注射器だけど、“緊急用”って書いてるし……もしかしてアレ?」
「うん、アレ」
自ら試験に協力すると申し出た愛奈は、量や濃度を変えた“血清”を幾つか試しており、黒色の注射器に入っている“血清”に心当たりがあった。
「黒の注射器の降下率は6%。主に抑制限界値近く、あるいは達した時に打つ緊急用。でも気をつけて。この“血清”は副作用がある」
間接的投与の場合、量を増やすか、濃度を上げるかで効果数値を多くする事が可能である事が分かった。だが量を増やすとなれば、その分注射器も大きいものを用意しなければならず。そうなれば運用方法にも影響がでてしまう。
そのため夜稀は濃度を変える事に着目。しかしながら、本質はやはりアスク本人が言うように毒なのか、濃ければ濃いほど、活性化率の降下数値も下がるが、その分『P細胞』の機能を麻痺、およびパニック状態にさせてしまう副作用があった。
「数時間におよび身体能力の極大低下、強い倦怠感、嘔吐、目眩の症状が発生。また〈魔眼〉も一時的に使用できなくなるから戦闘中は絶対に使用しないで」
「話には聞いていたが、そんなに酷いのか?」
「酷いとしか言いようがないよね……」
「病気というものを、久しぶりに思い出したよ……」
あの時は酷かったなと、夜稀と愛奈ふたりして遠くを見つめる。5%の時点で体に少しばかりの異常をきたしていたが、抑制限界値に達した時に使用することを考えれば余裕を持って6%は下がって欲しかったのが全員の考えだった。
なので意思疎通の制限がありながら、全力で渋るアスクを説得して数日後、もっと濃い“血清”を精製してもらい試した結果、惨状が起きた。
“血清”を打った愛奈と夜稀は目標である6%下がったのを確認して喜んだ瞬間、口から虹色に加工するものを吐き出した。そのあと数時間に渡って気持ち悪さが戻らず、丸一日なにも出来なくなった。
「でも、あの時はアスクが看病してくれて嬉しかったな」
「……」
「真嘉先輩、緊急事態以外で使っちゃダメなやつだから、羨ましいなら別の方法を試してもらって……」
「わ、わかってる! あと別に羨ましくはねぇよ!」
誰が見ても羨ましそうに注射器を見ていた真嘉に、夜稀が念のために注意すると顔を真っ赤にして反論する。
「……ちなみにだ、月世先輩すらもダウンさせたっていうのはマジか?」
「マジ」
「……なんでだろうな。どんな説明聞くよりも、副作用の怖さが頭に入ってくるぜ」
「わかる」
「あはは……」
ぶっ倒れた夜稀は気持ち悪さや不安よりも、一緒に打った月世が、近くにあったゴミ箱に顔を埋めてしばらく棒立ちで動かなかった事が怖くて仕方がなかった。
──協力すると言ったのはこちらのほうです。そんな理不尽で怒りませんよ。とは後から言ってくれたが、正直信じられなかったので愛奈に真偽の確認をとってようやく夜稀は安心した。
「黒色のほうは、大規模侵攻に行く前にひとり一本配るから、何度も言うようだけど本当にもしもの時にしか打たないこと、それと白色と間違って打たないように気をつけて」
「わかったよ」
「ああ」
「それと真嘉先輩。あたしはこれから明日に向けてのチェックとかしたいから、他の二年先輩に今日話したことを伝えてもらってもいい?」
「あー……分かった。あいつらに伝えておく」
他の高等部ペガサス二年にいま説明したことを伝えて欲しいと頼まれた真嘉の反応が、嫌ではないが、どこか気まずく思っているもので、また不安や心配などの感情を愛奈は敏感に察知する。
「どうしたの? またみんなと何かあったの?」
「あ、いや、いつも通りっていうか……だからこそ、大規模侵攻でなにかやってしまうんじゃないかって、ちょっと不安で……」
決して高等部二年ペガサスたちは仲違いしているわけではない。それとは別で個々の考えによって発生した問題を持て余しており、それを解決できないでいた。
「──心配しなくても大丈夫だよ。真嘉たちなら絶対に上手く行くから!」
そんな真嘉に、愛奈が送ったのは第三者から見れば、とくに根拠の無い励ましにしか聞こえないものだろう。
「……そうですか? ……それならいいんですが」
──どうあっても自分たちの問題でしかないのは分かっていて、最後には自分がどうにかしなければならないのは分かっていた。だから相談したつもりもなければ、何か意見が欲しかったわけでもない。自分を含めた二年ペガサス全員が、大規模侵攻でも、それが悪い結果をもたらしてしまうのではないかと言う不安を聞かれたから零してしまっただけ。
そんな真嘉の心に狙い撃ちしたかのように放たれた。また、真嘉は目上の人に対しての賛辞や評価にとても影響を受けるタイプだ。解決に導いていないのにも関わらず、不安がスッと軽くなった。
──こういう所なんだろうなと、彼女があの月世の親友である理由を、夜稀は垣間見た気がした。
「ああ、と……もうひとつ、アスクって咲也のことどう思っているんだ? ここ毎日、変態だとか馬鹿だとか言ってるけど、なんか落ち込んだり、怒ったりしてないか?」
咲也は、アスクの事を罵倒するようになった。この行為が咲也にとって救いであり、アスクが認めたコミュニケーション方法であることは、真嘉も知っているのだが、念のためにもっともアスクの思考を理解しているであろう愛奈に聞いておきたかった。
「全然平気みたい。というか私からしたら嬉しそうに見えたかな?」
「嬉しそう?」
「うん。それに最近だと一緒に音楽鑑賞しているし、咲也に至っては時間が経つにつれて段々と心を開いているように見えたよ」
咲也は自前のクラシック音楽を持ち込んで、アスクと一緒に聞くだけの時間を作るようになった。その時の咲也は、誰が見ても心の底から安らいでいるように見えるので、愛奈たち常にアスクに引っ付いている勢も、できるだけ邪魔しないように過ごす。
「そうか……いい加減、真面目に借りを返す方法を探したほうがいいかもな」
“血清”の事だけじゃ無い、色んな所でアスクに助けられていると、恩義が積み重なる現状に真嘉は申し訳なさを感じる。
「それなら大規模侵攻が終わったら誘ってみなよ。真嘉の好きなことでもいいし、やりたいことでもいいからさ」
「い、いいのか?」
「うん! アスクは私たちと一緒に過ごす時間が好きみたいだし、なによりもお礼になるんじゃないかな?」
「……そういう意味じゃなかったんだが、じゃあその……誘ってみます!」
勝手ながら遠慮の原因にしていた張本人から許可がでたことで、それならと真嘉はアスクを誘うことにした。
「アスク、筋トレ好きですかね!?」
「動くのは好きみたいだから、たぶんそうじゃないかな」
『プレデター』だし、する必要はないと思うけど、そう愛奈と夜稀は考えたが黙っておくことにした。
「──ひらけーごま!」
「……
突如として扉の奥から呪文が叫ばれる。まったく関係無しに扉が開いて入ってきたのは、中等部と見間違うほど小柄な見た目の、真嘉と同じく高等部二年ペガサス『
「
「……おう、全校集会の後、居なくなったと思えば月世先輩のところに居たのか? それに、なんか夜稀に用事なのか?」
「……真嘉先輩、もしかして何も聞いてないの?」
「なにがだ?」
──まさか高等部二年ペガサスたちのリーダー的存在である真嘉先輩に何も言っていないなんてと、夜稀は気まずそうにする。説明していいのだろうかと悩んでいると、響生が意味ありげに笑い出した。
「ふっふっふ。まかまか。きょうちゃんは大規模侵攻が終わるまで白銀響生ではなくなるのだ!」
「……なんだって?」
響生の言っていることが本気でわからず、真嘉は反射的に問い返すも、響生はどや顔で笑うだけだった。
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