第24話



 ──七月中盤も終わりにさしかかる中、寒暖両用炬燵こたつで涼みながら書類整理をしていた夜稀よきは、まさか自分たち高等部一年ペガサスが全員集まれる日が来るなんて思ってもみなかったと、隣に眼を向ける。


「ふんふーんふんふんふーん!」


 見た目こそ成人並みではあるが、自分たちと同じ歳である金髪金眼の『縷々川るるかわ 茉日瑠まひる』は、上機嫌に鼻歌まじりに画用紙とクレヨンにてお絵かきをしているが、その絵は二階の“アレ”らと同じく狂気的である。


 ──中等部最後の戦いにて引き起こされた惨劇、そのショックのあまり幼児退行した現在の茉日瑠の精神年齢は自己申告が本当であれば五歳児ほどであり、事実、天真爛漫で気分屋、アスクの事をパパと呼んで甘える姿は幼い子供そのものだ。


「──できたー! 見てよきー! めっちゃいいでしょー!?」

「んー、グッドだね」

「ぐっどー!」


 アスクヒドラたちが『街林調査』に赴いている間は『すずり研究室』にてお留守番で一緒に過ごすようになった。当初は絶対グズる。そうなったらあやさなければいけないのか、どうやってすればいいのかと夜稀は不安に思っていたが、茉日瑠は行儀よくアスクを送り出し、どれだけ遅くなっても不満ひとつ言わず大人しく待っていた。


「パパにも見せよー! 褒めてくれるかな?」

「絶対に褒めてくれるよ」


 ただ、アスクヒドラが帰ってきたら離れていた分甘えるところを見るに平気というわけではなく、我慢しているのだろう、彼女はそういう人だった。


 ──いずれは彼女のこともしっかりと考えないといけないと、夜稀は思う。それが自分の傷口を致命的なまでにほじくる行為であったとしても。でも、今はもうひとりの同級生──『蝶番ちょうつがい 野花のはな』の方が先決だろうと、夜稀はそちらに顔を向ける。


「…………野花。そろそろいい?」


 放置していれば勝手に話し始めないかなと思って待っていたが、このままでは今日が終わりそうだと、炬燵に突っ伏したまま動かない野花に声を掛けた。


 野花がこうなっている理由こそ聞いたら教えてくれたため夜稀は知っているが、どうしてここまで悩んでいるのかは分からないでいた。


「……『鉄道アイアンホース教育校』からの転校生についてなんだけど、どうするつもり?」


 ──独りで悩むぐらいなら相談してくれればいいのに、そういう約束じゃなかったっけ? そんな愚痴を内心で吐きながら夜稀は声を掛ける。


 他校からの転校生。それはアルテミス女学園の歴史を紐解いても初めての事態であり、話を聞いたときは夜稀だけではなく、高等部ペガサスのみんなが、どうしてと疑問を抱いたものだ。


「アスクヒドラに隠れてもらうのは当たり前として、それを別にしても受け入れ準備をしないと……“逆”の事をするにしても早めに動かないと間に合わなくなるよ」


 理由はどうであれアスクをはじめとして“自立”を目指している高等部区画は現在、外に決して漏れてはいけない秘密だらけとなっており、外部からの人物を招き入れること自体、極めて忌避するべきものである。


 ──だから野花がどんな判断をしても仕方ないと思った。どんな答えでも従うと夜稀は覚悟を決めていた。


「──分からない──わかりません──マジでどうしたらいいのか分かんないですけど!?」

「分かんないって、転校してくる理由が?」

「そうです! ──なんでだほんと? ──これっぽちも理由がうかびませーん!」


 受け答えはしてくれるようで、ひとまず話が通じないという事にならなくて良かったと夜稀は安堵する。


 ──学園長からFAXで送られてきた連絡文には、夏の大規模侵攻に備えるためにと書かれてあり、その紙を皆に見せた野花がそれを見ていないわけがない。それを踏まえて理由が分からないという苦悩する野花に質問を重ねる。


「……この転校に裏がありそうなのは、あたしでも分かるけど……そんなに悩むこと?」

「その裏を思うからこそ意味不明なんですよ──なんでこのタイミングなの?  ──理由、これが分からない──あちら側で判断事故が起きたとしか思えませんが!? ──それなら自分の考えすぎで終わる──いや絶対になにかありますってっ!」


 頭を抱えながら“野花”と“生徒会長”の側面を交互に出して自問自答しはじめた野花。コミカルに見えないこともないが、追い詰められて精神が不安定になっていることの現れであり、そこまでして何を悩んでいるのか夜稀は理解できなかった。


「野花……いったいなにで悩んでいる? ……何事も正直で話し合う……そう決めたよね? 説明して野花。なにを知ってるの?」

「──知っているわけではありません。──これから自分の話すことは予想の範疇ではあります。それでもよろしいですか?」


 確証は無いという前置きに夜稀は頷いて了承する。すると野花は少し悩んだ素振りを見せたあと理由を話し始めた。


「──このアルテミス女学園は運営主である東京地区の行政。そして日本政府から疎まれています──だから、在籍する『ペガサス』には絶滅してほしいと願われています!」

「…………話が飛躍しすぎ…………」


 まずは結論を先に話したのだろうが、聞いた夜稀は意味が分からなさすぎて困惑するしかなく、どうにか最初のひと言を絞り出した。


「アルテミス女学園は東京地区にとって、大規模侵攻の防波堤そのもの。自分たちが絶滅することは、『プレデター』を止める壁が無くなって東京地区が崩壊する……ということじゃないの?」


 野花の意味不明としか言えない発言を理解するために、夜稀は、アルテミス女学園が居なくなったら東京地区だって困る理由を上げる。


「大規模侵攻は半年ごとにあります──逆に言えば半年間は猶予があるんです──準備さえ先に完了しておけば、新しい学園でも作れるぐらいの時間はありそうですね! ──仮に、大規模侵攻時の『プレデター』を殲滅しきれずに自分たちが絶滅したとしても東京地区は“一回”ぐらいは防衛できる手段は用意しているとボクは考えています──それこそ他校に頼んだりとか!」


 大規模侵攻時、そしてここ一帯の周辺の定期的な『プレデター』の掃討はアルテミス女学園が担っているものの、だからといって都市防衛をアルテミス女学園に全振りしているとは夜稀も思っていない。多少なりとも装備を持った自衛隊も在駐しているだろうし、それこそ野花の言うように、自分たちアルテミス女学園に何かあれば代わりに他校から『ペガサス』を呼び寄せるだろう。


 ──もし、野花の話が本当であれば、自分たちが全員“卒業”しても東京地区はどうにかできる手段を持っている。だからこそ、そうなって欲しいと願われている。話を聞いて実感のようなものが出てきた夜稀は肌寒さを感じて、こっそり炬燵の冷気を弱めた。


「でもなんで?」

「現日本政府は『ペガサス』を兵器として扱う思想の持ち主が優勢です。それだけでも、アルテミス女学園のあり方は邪魔でしかないでしょうし、自分たちに与えられている富裕層並みの生活。最新鋭の装備とか、──現状、東京地区を大規模侵攻から防衛する“だけ”にしては──税金が掛かりすぎている防壁を見直したくてたまらないのでしょう!」


 日常を守るためには必要であるのは分かっている。でもそれにしたって費用が馬鹿にならない。そんなアルテミス女学園の現状を改革したい大人たちの気持ちは、いちおう管理者側である野花にとって分からないものではなかった。


「──壁はケーキを食べないんです──なんてね! ──謝りますのでそんな顔で見ないでくださいごめんなさい」


 明るい口調では言うが、冗談でも笑えないと夜稀は渋い表情で批判した。ひどく萎む野花にやりすぎたかなと申し訳なさを感じつつ夜稀は聞いた話を頭で整理する。


 ──しかし、自分たち高等部だけではなく、アルテミス女学園の存続、そして在籍する『ペガサス』全員の命に関わる事になるなんて、話が壮大になりすぎて夜稀は呆れればいいのか、ショックを受ければいいのかつい悩んでしまう。


 ──まあ、今更かとアスクヒドラの事を思い出しながら、夜稀は気になった部分を掘り下げる。


「だからって、自分たちアルテミス女学園ペガサスを絶滅させようとするのは何故?」

「政治です!」

「……こんな周りくどいことをするのはなんで?」

「政治です!」

「政治めんどくさい」

「ボクも心のそこからそう思います! ──ほんとめんどくさい」


 野花は自分たちの生活が守られているのも大人たちの勝手な都合であるのだと正解を導きだしていた。


「東京人の思惑はどうであれ、少なからず自分たちの命──正確にはアルテミス学園のあり方をどうしても守りたい大人たちによって守られています」

「……“せめて、最後まで人間らしく”」

「──他の学校事情について深くは知りませんが。少なくともこうやって炬燵に入ってジュースを飲みながら、こんな話をできるのは、そのちんけな一文のお陰だと思います!」


 海外にて『ペガサス』が生まれて、そんな彼女たちを運営する機関が次々と建てられた時代。日本は『ペガサス』を兵器の一種として育成することを前提とする海外の教育方針に反発し、あくまでも人権第一を掲げた『ペガサス』の専門学校を計画。そうして生まれた最初の二大ペガサス校のひとつがアルテミス女学園だった。


 あの時代の日本は、そうしなければ成らなかったのか、それとも未成年を兵器扱いするのは忌み嫌ったのか、その時の世論や政治家の考えを野花たちが知れる機会はもうやってこないだろう。ともあれ、この学園が建設されたさいに立ち上げられた“せめて最後まで人間らしく”という信念コンセプトのおかげで、アルテミス女学園に在校する『ペガサス』は、腐った人権とは別にして、生活に関するものは上等な物が与えられている。


「──それが邪魔でこのアルテミス女学園に対して自由に手を加えられないのが、ペガサス兵器派たちの──日本の現状です──だから奴らは自分たちが手を加えても仕方なしと納得される状況を作りたいのでしょう! ──奴らが望むはボクたちアルテミス女学園の全員、もしくは復帰が不可能なまでの大量“卒業”──」


 野花が得られる情報は酷く限定的である。東京地区や日本政府の主な情報源は酔った学園長の愚痴や罵詈雑言から発せられたチグハグなものしかない。しかしながら、真面目で不器用だからこそ野花は、本などで得た政治学や政治家に関する知識を元に、それらを繋ぎ合わせて、顔も性格も、なにもかも分からない政治家たちの思考をトレースした。


「理想としては大規模侵攻が終わった後、ついでにゴルゴン化して暴れて数を減らしてくれればいいと思ってるんじゃないですかね? じゃなければ自主“卒業”なんて──放置しておくわけがない」


 ──平凡でしかなかった少女にとって、安定を求める政治との相性が良かったというのもあるかもしれない。細かな部分こそ抜けている所は多いが──野花は確かな正解を導きだしていた。


「……正直なんでそうなるか、あたしには分からない」


 夜稀にとって、政治的思考というものは完全に専門外であるため、野花が語った内容を理解できても、そこに至るまでの過程や理由が理解できない。社会の複雑さに関して経験が乏しい夜稀にとっては、どこまでもまわりくどく無駄が多い話でしかなかった。


「だから野花の言うことが事実であることを前提して話を進めるけど、大人たちは、ここをどうしたいの?」

「他校みたいに、『プレデター』に対する戦力以外の利点を加えかつ、予算の削減──つまりは今の人間らしい暮らしの排除ですね! ──『鉄道アイアンホース教育校』や『北陸聖女学園』は、まさにそんな感じみたいで──ああいう風にしたいんだと思います!」


 ──夜稀は他校に関して、あまり深い知識はない。しかしながら自分が考える『ペガサス』の兵器運用を、自分に当て嵌めたのを想像すると気持ち悪くなった。そんな思考を変えるために、改めて話の原点を振り返る。


「……ここまでの話を聞いて疑問に思ったけど、なぜ鉄道アイアンホース教育校から転校生が来るの?」

「それがマジでわかんないから頭抱えてるんですよ!?」


 アルテミス女学園を、いちど滅ぼしたいのなら、わざわざ大規模侵攻に対しての増援を送るという行為は矛盾している。明らかに何かしらの思惑があり、野花は幾つか候補を思い浮かべるが納得できるものがなかった。だからこそ頭を抱える。


「──下手に干渉してボクたちが劣勢になれば立場が危うくなる──そうなれば本末転倒になるため余計なことはしないと思います! ──思ってました!」


 過去形で言い直したことから、野花にとって完全に予想外だったことが窺える。それゆえ夜稀に相談する以前に


「この転校にどういった意味があるのか分からないと、対処のしようがないんですよ!」

「対処?」


 何気ない聞き返しであったが野花はスッと感情が抜けた顔となって、はっきりと告げる。


「──転校生をどう扱うかです」

「……ケホ……どうするつもり?」

「人手が足りない現状できれば、本当の意味で転校してほしいという気持ちはあります──だけど理由によっては障害となりえるならば──生徒会長として対応するよ。ただ、内容によってはこっちのほうがトラブルが増える危険性もあるから──もう、どうしたらいいのか分かりません!」


 そういう野花に、転校してくる『ペガサス』の事を味方に引き入れる事を視野に入れているからこそ悩んでいるのだと分かって夜稀は少しだけ安堵した。


「──本当になんで転校してくるんですかね?」

「つくよに聞けばー」

「「……月世先輩に?」」


 ──野花の疲れたぼやきに答えを出したのは、我関せずと炬燵を出て横になりながらひとりチェスをしている茉日瑠だった。夜稀と野花はきょとんとした顔で見つめ合ったあと、ほぼ同時に拳を掲げた。


「──じゃーんけん! ほい! ──負けた!?」

「勝った……」


 +++


 高等部三年ペガサスである久佐薙くさなぎ月世つくよ先輩は、野花と夜稀にとって、ひと言で言うなら怖い先輩である。悪い人では──誤魔化しが利かないほどの悪い人ではあるが、味方であるともの凄く頼もしく、他人の利もちゃんと考えてくれる部分もある。


 とはいえ、ヒヤッとする突飛な行動が目立ち、茶目っ気では片付けられないほど他人をもてあそぶのが大好きで、三年ペガサスの片割れである愛奈えな先輩が傍に居なければ決して近づきたくない、そんな感じの先輩だった。


「──というわけで、鉄道アイアンホース教育校から転校生がやってくる事について何か心当たりがあれば教えてほしいんですが──あ、いや、なにもなければ別にいいんですけど──」


 夜稀のパーの前に敗北した野花は、夕方となって『街林調査』から帰ってきた月世に話しかけた。汚れた制服を洗濯機に入れた彼女は黒いレース下着姿のままソファの上で寛いでいる。


 醸し出される妙な妖艶さに、近づいたら食べられそうと、少し離れて見守っている夜稀は本人に聞かれたら虐められるネタにされそうな事を思う。


「知ってますよ」

「そうなんですね、知ってるんですねぇ──うわぁ──」


 野花は複雑な感情が籠もった声を出す。そんな後輩の様子を肴に月世は、コロコロと笑いながらグラスに入ったほうじ茶をこくりと飲む。


「ふふ、あとはお風呂入って就寝するだけと思いましたが、楽しい日になりそうですね」

「そういうのは思っても言わないで頂けると──泣きますよ!?」


 そういう反応するから、余分に構われるんだろうなと夜稀は他人事のように思う。


 因みに愛奈は、茉日瑠とアスクと一緒に風呂へと入りに行っている。──色々と諦めた空気を漂わせて脱衣所へと行くアスクはすでにみんな見慣れたものである。さらに付け加えるなら、茉日瑠の泣き落としに水着必須で妥協した。髪を洗うのが上手いらしい。


「今回の転校に関しては『鉄道アイアンホース教育校』や『新日本鉄道』というよりも、さらにその上の奴らが発案したものですね」

「その上──ですか?」


 国内物流を一手に引き受けているだけあり、『新日本鉄道』は、日本最大といっても差し支えは無いほどの大企業であるため、どこか別の企業の傘下とはイメージできず夜稀は首を傾げる。


「この転校に崇高な目的はありませんよ。東京地区、日本政府に対しての示しというべきでしょうか、自分たちの準備は完了しました。このように自分たちはいつでも飼い馬を動かせますと暗に伝える。それぐらいのものですね」

「──アルテミス女学園の事情に、“その上”の人たちは関わっているんですね?」

「正確に言えば。まだ関わる予定でしょうか。約束していたのに、あまりにも進まない事に対しての我慢の限界を示す意味もあると思います」


 ──月世は、今回の鉄道アイアンホース教育校からの転校に関しては、東京地区などが何かしたというよりも、むしろ東京地区などに対しての、アピールが目的だと語る。また話を聞いた野花は、アルテミス女学園が廃校となったあと、月世の言う“その上”の人たちが介入し、新たなペガサス学園を作るつもりなのだと、はっきりと理解した。


「──転校生自身に関しては?」

「もうすぐ“卒業”するならせめて、最後に平地での試験運用に使おうぐらいじゃないですかね。何かを含まれてくる可能性は考え無くてもよろしいかと……彼らは腐っても商人ですから利益を出す事と同じぐらい、リスクの回避を何事も最重視します」


 『ペガサス』に成る前、こちらを上座から見据えていた青年の顔を思い出す。政治家たちと同じく下手な干渉をしたくないのは“奴ら”も同じ事であり、転校させるだけでも大胆な行動と言える、老害共はさぞ慌てた事でしょうと思わず出てしまった笑みを茶で濁す。


「──転校生について、さほど考える必要はないと?」

「はい、そうですね。理由は後ほど話しますが、大人たちが介入してくる事も無いでしょう」

「大規模侵攻で何かしら手を打ってくる可能性は?」

「ありませんね。終わった後なら分かりませんが、今は考えるだけ余計ですよ」


 『アイアンホース』の転校以上の介入は絶対にしてこないと断言する月世。自分の断片的な情報と妄想を繋ぎ合わせた推論ではなく、ただ知っている事実を語っているだけと言った様子に、野花はすんなりと信じることができた。


「──わかりました──月世先輩の言葉を信じて大規模侵攻に関わるものだけに集中します──月世先輩。鉄道アイアンホース教育校に関して、知っていることを教えてくれませんか?」


 しかしながら、鉄道アイアンホース教育校、新日本鉄道、そしてそれらの上に居るという奴らに関して知らないままでは行けないと、野花は覚悟を決めて頼み込む。


「もちろん構いませんよ。ただ、そろそろ愛奈たちがお風呂から上がってくる頃です……どうですか? まだ入っていないのならば、ご一緒しませんか?」


 ──あ、今回の狩場は風呂か、流れが変わった事を察知した夜稀は巻き込まれたくないとジリジリと『硯開発室』に向かって後退する。


「え、嫌です──ではなく、そうですね! 話が長くなって月世先輩がお風呂に入れなくなるのも申し訳ないですし裸の付き合いといきましょう!」


 とりあえず本音が溢れるも、野花は気合いで了承する。断わっても情報は教えてくれると思うが、もっともたちが悪いことを求められるのは確実で、そんな野花を見ながらゆっくりと離れる夜稀は骨は拾って上げると合掌する。


「あ、二度手間になるのもアレですし夜稀もご一緒してもよろしいでしょうか?」

「もちろん構いませんよ」


 ──野花ぁ!? 


 逃がしませんよと、こちらに向けてニコニコ笑顔を向けてくる野花に、夜稀は心の中で思いっきり叫んだ。


 +++


 高等部寮の共同風呂は、中央にUの字の浴槽が設置されており、その周りに十ほどの洗い場がある構図となっている。青タイルの床と頑丈さを優先した壁は、体を温める場でありながら寒さすら感じる。そんなデザインから夜稀は遺体安置所と比喩していたが、上級生達が引っ越してきたさいに、壁設置型のランプなどを駆使して、とにかく明るさを足した。するとなんということでしょう、陰鬱だった空間が、洒落た闇風呂のようなものへと様変わりした。


 劇的に変化した風呂場を、夜稀はかなり気に入って多用し始めた。もっとも作業に没頭して入らない事が多いのだが、最近の流行は風呂上がりに持ってきた甘いジュースを一気飲みすることである。


 ──肩まで湯に浸かる夜稀、暖かさに心が絆されて、いつもなら気が抜けるのだが、今回ばかりは緊張でそれどころではない。


「どうしました? 離れていては聞き逃してしまうかもしれませんよ?」


 髪を結い、のびのびと手足を伸ばして湯に体を預ける月世が、端によって距離を取る野花と夜稀に声を掛ける。


「『ペガサス』の聴覚なら問題ありません!」

「風呂場だから反響するし十分聞こえ……ます」


 完全に怖がられている状況に、月世は楽しそうにクスクスと笑う。


「……月世先輩は、どうして『鉄道アイアンホース教育校』に詳しい……んです?」


 野花の質問待ちだったが百面相をしつづけるばかりで言葉を発しないため、夜稀は仕方なく問い掛ける。


「複雑な事情は特にありませんよ。先ほど言った『新日本鉄道』よりも上の奴らと関わりがあるだけです」

「上の奴ら……って?」

「調子に乗って“財閥”なんて古カビた名前を復活させる恥ずかしい連中。本当でしたら名前すら呼びたくない奴らです」


 さっきから名前を呼ばない理由を聞きながら、夜稀は月世に関してある事を思い出した。


 ──久佐薙くさなぎ月世つくよは、名字で呼ばれることを嫌う。


「──主に西日本を牛耳る企業たちの親玉とも言うべき一族……“久佐薙財閥” ……わたくしは、そんな久佐薙の一人として生まれました」

「…………あー」


 元から月世先輩は、明らかに生まれの違う人とは思っていたので、財閥のお嬢様だったという事実を聞かされた夜稀は、まあ、そうだよねぐらいの反応になった。そして同時に、定期的に冗談のように口ずさんでいる月世のひと言の捉え方が大きく変わってしまった。


「久佐薙死すべし」


 財閥の名を持っていること、知っているだけでも『新日本鉄道』を保有している。これだけでも久佐薙財閥がどれほどの権力を持っているのか想像に難くない。


 ──それだけの立場で生まれたのならば『参人壱徴兵法』を回避できる手段は幾らでもあるだろう。それなのに『ペガサス』となって、さらには久佐薙の名前が浸透していないアルテミス女学園へと入学した月世。時々隙あらば冗談染みて口にする“久佐薙死すべし”が、突然、重々しい言葉に聞こえて、知るのが怖い何かを感じる。


「さて、鉄道アイアンホース教育校についてですが、残念ながらわたくしもアルテミス女学園へ来る前までの事しか知りません。大元は変わらないと思いますが、多少の齟齬はあると念頭に置いてください」

「あ、はい」


 ──というか、なんで自分が話し相手になっているのかと野花を見ると、しっかりと肩まで浸かって何食わぬ顔で聞き役に徹しており、自分がされたように躊躇いなく巻き込んでやろうと決意する。


 +++


「──ゴクゴクゴク! プハァ! お風呂上がりのフルーツジュース最高……」


 事前に外の自販機から買って脱衣所の冷蔵庫へと入れておいたフルーツジュースを気持ちよく一気飲みする夜稀。風呂に入るようになってから発見した最高の一時ひとときであり、節約しないといけないのは分かっていても、こればっかりは許してと、心の中でみんなに弁明する。


 月世先輩は既に部屋に戻っており、『鉄道アイアンホース教育校』や『新日本鉄道』、そして久佐薙財閥について話すだけ話したら、さっさと風呂から上がっていった。


 ──話を聞く中で髪を洗うのを手伝わせたり、サウナの中でうちわを扇ぐ係をやらされたり、本当に自由な人で他者を使うことに躊躇いがない人だなと、改めて月世という先輩に対して畏怖の念を増やす。


「人の上に立つのが当たり前な人とは常々思って居たけど、生まれからしてか……なんだか凄く納得した」

「あ゙──っ──しんどい──熱い──」

「サウナの入りすぎだよ。『ペガサス』と言えど人間と変わらない部分も多いんだから気を付けて」


 話を聞いている最中、サウナの中で何かを考え込みはじめてしまった野花は長時間ぶっ通しで入り続け、完全に逆上のぼせてしまった。


 長椅子に横になってダウンする野花に、仕方ないなと夜稀は二本目のフルーツジュースを頭横の床に置いた。


「……『アイアンホース』……首輪……か……」


 体を冷ます中で考えるのは、月世から得られた情報の中でもっとも気になった事について。


 鉄道アイアンホース教育校の『ペガサス』──あちらでは『アイアンホース』と呼ばれる彼女たちには、まるで家畜のように鋼鉄の首輪が嵌められており、その鋼鉄の首輪には遠隔操作によって喉を刺し、食道から直接胃に毒を流し込む針が内蔵されていると言う。


 ──『アイアンホース』をこちら側に引き込むには、まずこの首輪をどうにかしなければならない。そして、それができるのは機械に強い自分だけなのだろうと分析する中で、夜稀の頭に過るのは失敗の文字。


「……できるかな」


 ──出来はするはず、だけど自信は無かった。もしなにかあれば『アイアンホース』が“卒業”してしまうものを弄る。それはつまり自分の行動に対する成否が、他者の命の生死に関わる事で、夜稀は弱音を吐いた。


 そもそもの話、サンプルがない以上。実物を見てからじゃないと何も始められないのだ。手が付けられないものだったらどうしよう。外部からは決して干渉できないものだったらどうしよう、弄れば毒針が作動する仕掛けだったらどうしよう、見たこともない機械に夜稀は心底脅える。


「──夜稀。もしも失敗しても──」

「やめて」


 ──だからこそ、妥協は許されない。


 野花の甘い言葉を静止させる。技術者は発明するだけで、責任は使ったものや命令したものにある──そんな、なあなあな気持ちで生きた中等部。何があったのか忘れてはならないのだ。


「……あたしは、もう二度と自分の技術で『ペガサス』を……“卒業”させたくない」

「──これは、降って湧いたチャンスです。転校生三名が“自立”に参加してくれる事になれば、余裕が生まれます──だから、『アイアンホース』に──翼が見えたのなら──頼みましたよ──ボクも頑張るから──」

「……分かった」


 ──やれることをやろう。『硯開発室』に戻ったら、自分が考える『アイアンホース』の首輪の構造を考えて、何度も何度も飽きてもシミュレーションを繰り返そう。夜稀は、自分が必要になった時に備えるための準備を始めることを決めて、二本目のフルーツジュースを飲み始める。


「──それ、ボクのジュース──だったのでは?」

「あ……あたしを巻き込んだ罰」

「ぜったい、うっかりしていただけのやつ──」


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