第6話



 東京地区を守る『ペガサス』たちが在籍する『アルテミス女学園』へと入学してから二ヶ月間の日々は、正直言えば東京で暮らしていた時よりも充実していたと 『上代かみしろ兎歌とか』は思う。


 家族と離れて暮らすのは寂しいけど、学園のご飯はとても美味しくて、入学祝いの時先輩から奢ってもらったチーズケーキは、今もお気に入りで毎週一度は食べている。服も可愛いものが多くて友達と商店街区画に行くとついつい買っちゃって。おかげで毎月支給される電子マネーはいつもカツカツだ。


 戦闘訓練は苦手だけど、プレデターと戦って生き残るためと思えば苦じゃなかった。むしろシミュレーション施設での仮想戦闘は全身を動かすゲームみたいでちょっと楽しかったりする。こう思うのは不謹慎だって分かっているから誰にも言ったことはない。


 そんな生活の中で初めての実戦も経験した。全国どこでも現われる蟹型プレデター二体と戦う事となり、同級生や先輩を交えたわたしを含めた九人で戦闘。攻撃が当たれば最悪死ぬ実戦に、すごく緊張したけど訓練通りに動けたおかげで、全員が怪我も無く倒すことができた。


 ただ、帰還しているさなか中等部二年の先輩に〈魔眼〉を余分に使いすぎて活性化率が2%も上がってしまったことを注意されてしまい、ちょっとだけ落ち込んだけど、わたしの事を心配してくれる優しい先輩や、一緒に戦った事で仲良くなれたクラスメイトに出会えて良かったと思えた日になった。


 ──そして、東京に住んでいる時から憧れだった喜渡愛奈先輩に出会えた。


 偶然商店街区画で見かけたその姿は月刊ペガサスに載っていた写真そのままで、友達曰く、感情的になるとブレーキが壊れるという性格診断通りに何も考えずに話しかけてしまった。


 喜渡先輩はわたしにとても優しくしてくれた。質問すれば何でも答えてくれて、『ALIS』の扱い方や、実戦で戦ったことがあるからこそ知っているプレデターの情報など、分かりやすく丁寧に教えてくれた。


 そんなわたしをずるいと友達も一緒に会うようになり、気がつけば初の実戦を乗り越えた8人全員が愛奈先輩の勉強会に参加するようになった。


 流石に大所帯で迷惑じゃないかと尋ねた時、全然構わないよ、むしろありがとうと泣きそうな笑顔で感謝されたのが心に残り。思えばあの時から憧れの先輩じゃなくて、ひとりの人間として愛奈先輩を見るようになった気がする。


「…………」


 ──ただの訓練で終わる筈だった。プレデターの侵攻によって住人全員が避難し捨てられた街であり、『アルテミス女学園』に在籍する『ペガサス』の主戦場となる場所──『街林』。


 マップを見てもどうしても覚えきれないわたしたちが愛奈先輩に、なにか良い方法はないですかと聞いたのがはじまりだった。


 地図の見方とかを分かりやすく教えてくれたが、わたしを含めた数人が聞いてもピンと来なくて頭を抱えた。それを見た愛奈先輩は何事も慣れだと『街林』の浅い場所を実際に見て回ろうと提案してくれた。


 ビルが並び、アスファルト道路が先の先まで続く街の風景は東京を思い出させる。だけど至るところに戦いの爪痕があり、人の管理から解き放たれた自然が人工物を侵食していっている。わたしたち新入生組は勿論だが、巡回や戦闘以外で『街林』を回るなんて滅多にないと中等部二年生組も物珍しそうにしていた。


 だからみんな油断していたんだと思う。敵が見えないだけで危険な戦地であるのは変わらないのに、これならお弁当作ってくればよかったなんて言って、みんなで笑い合っていた時だった、プレデターたちが奇襲を仕掛けてきたのは。


 奇襲によって死者こそでなかったが友達が、先輩が重傷を負ってしまう。痛いと苦しむ彼女たちに頭では分かっていても、体が竦んでしまい中等部勢はみんな動けなくなっていた……動けていたのは愛奈先輩だけだった。だからわたしは先輩に言われた通りに撤退することしか出来なかった。


「愛奈先輩……月世さん……」


 ふと高窓から曇り空を見ると空が暗くなっていた。あれから数時間は経ったようだ。愛奈先輩が帰ったという知らせはまだ来ない。


 現在、高等部区画にある建物内部、元はなんだったのか知らないけど、今は円形状の広い病室にてベッドで眠り続ける女性の人と一緒に居た。


 三本ほどのくだで人工呼吸器と繋がって眠っている彼女、久佐薙 月世くさなぎ つくよ先輩。愛奈さんの相棒であり、たった二人しかいない高等部三年生の片割れ。


 彼女がどうして眠っているのかは愛奈先輩から聞いていた。まだ勉強会が開かれる前、一緒にランチを食べているとき、それがどれだけ辛い質問かも知らず他の三年生はどうしているのかって聞いてしまった。


 愛奈先輩はわたしと月世先輩を会わせてくれて、静かに語ってくれた。わたしが入学する前に知っていた先輩たちは二年の時に愛奈先輩と月世先輩以外全員“卒業”してしまったことを、そして月世先輩は今、活性化率を抑えるために薬を使って眠っている事を。愛奈先輩の身に何かあった時、月世先輩もそのまま“卒業”する事を。


 いつか目を覚ますことができるんですよねと躊躇いがちに聞くと、愛奈先輩はそれ以上何も話さず静かに首を横に振るった。


 後になって知ったが月世先輩の現状は中等部では、わたしだけが知る事実だった。


 ──愛奈先輩はまだ帰らない。あの時、月世の事をよろしく頼むねと、わたしだけに聞こえるように言った意味を考えてしまう。


 しかし、悪いことを考えるのがあまりにも恐ろしくて、とっさに首を振るう事で無理矢理気分を変えて、愛奈先輩なら無事だと何百回目かの言葉を心の中で唱える。


「……そろそろ、寮に帰らなきゃ」


 とは言うものの部屋に戻る気分になれなくて、今日は月世先輩と夜を明かすことを決める。同室の子たちに連絡を入れないと、この施設には電話室はあるかどうか分からず探しに行こうと立ち上がった。


 ──そんな絶妙なタイミングで、部屋の自動ドアが開く音が背中から聞こえてきた。もしかしてと振り向いた。


「愛奈先輩っ! ……あ」

「……悪いな愛奈先輩じゃなくて」

「い、いえ。すいません……」


 てっきり愛奈先輩が帰ってきたのかと思ったが違った。初対面であるが私は一方的に彼女の事を知っていた。


 深い土色をメインに数束の黄色が混じったセミロング。私たち中等部の白と赤とは真逆と言っていい黒と紺色の学生服は彼女が高等部の先輩であることを表わしている。


「制服が白いって事は中等部の生徒か」

「は、はい! 上代 兎歌かみしろ とかと言います……その、土峰 真嘉つちみね まか先輩ですよね?」

「ああ、オレの事知っているのか、会ったことあるか? 忘れていたら悪い」

「いえ、直接は……なんどか遠目で見たぐらいです」


 高等部に入学を果たした時の六人のまま、誰も“卒業”することなく全員で進級を果たした『偉業の二年』。そのリーダー的存在である土峰先輩は、中等部でも有名だった。中等部二年生の中には彼女に憧れる先輩もいて、仲良くさせて貰っている先輩方もそのひとりだった。


 本当のところ、入学前から愛奈先輩と同じく電子雑誌で見たことがあるから知っていた。だけど愛奈先輩から雑誌関係の話は高等部では殆どタブーに近いということで本人には言わなかった。


「そ、その……それで、愛奈先輩は……」

「まだ学園には帰っていないそうだ……上代はどうしてここに?」

「別れ際に愛奈先輩に月世先輩のことを頼むって言われたので様子を見ていたんです」

「……そうか」


 短い返事のあと、土峰先輩はじっとこちらを見つめてくる。


 ──正直怖いと思った、光が無く闇に染め上げられたような目を見てしまい、思わず視線を逸らしてしまう。わたしが雑誌で見た彼女は好戦的な笑みを浮かべて、目は輝いていた。一体何があったというのだろうか。


「……中等部の寮は、そろそろ門限じゃないのか?」

「そうですけど、今日はここで泊まろうと思って」

「バカヤロウ。ここは高等部区画だぞ。中学生のお前がこんな遅くまでいていい訳ないだろ……あとはオレに任せて帰んな」


 土峰先輩の言うことは尤もだ。特に間違った事を言っている訳ではない。愛奈先輩は心配だが、月世先輩の傍にいたって何か変わるわけではない。それなら今はしっかりと休憩して、明日改めて外出の許可を貰って探しにいったほうがいいのは分かっている。


「──なにをするつもりですか?」


 ──でも、土峰先輩の発言に違和感を持ったわたしは気がつけば尋ねていた。


 土峰先輩は答えない。いや、むしろ沈黙が答えを言っているようなものだった。


「ま、まだ愛奈先輩はシ……“卒業”したわけじゃないんですよね? ……そうですよね!?」

「……ふぅ。なんだ愛奈先輩から話は聞いていたのか」


 こちらを振り向かず深いため息を吐く土峰先輩、なにも気付かずに病室を出て行った未来を想像して気分が悪くなる。


「土峰先輩……ここに……何しに来たんですか?」

「──月世先輩を卒業させに来た」


 もう一度尋ねると、今度はハッキリと断言した。


「どうしてですか!? 愛奈先輩はまだ生きてるかもしれないんですよ!?」


 ──土峰先輩は、月世先輩を“卒業”させに来た。確かに自分の身に何かあったら月世先輩は“卒業”させるという話は聞いていた。だけど愛奈先輩はあくまでまだ行方不明で生きているのか死んでいるのか分からない状態。土峰先輩の判断はあまりにも速すぎる。納得なんてできるわけがない。


「それとも……見つかったんですか?」

「いや。報告にあった地点周辺に愛奈先輩は発見できなかった」

「だったらっ……っ!」


 自分が感情的になっていることに気付いて、いったん心を落ち着かせる。


「……わたしたちを襲ってきた『プレデター』は、小型種が数機です。愛奈先輩が後れをとるとは思えません」

「オレもそう思う。オレはあの人が独立種を単身で圧倒したのを間近で見たことがあるんだ。だけどな上代……愛奈先輩は〈魔眼〉を使っていたか」

「そ、それは……」


 『ペガサス』が必ず保有する特殊能力〈魔眼〉。それは強力ではあるが、その強さの代償にP細胞の活性化率を飛躍的に上げてしまう代物。


 最後に見た愛奈先輩の瞳が人工的な光によって輝いていたのを思い出す。それはつまり愛奈先輩が〈魔眼〉を発動していた証だ。


「使っていたんだな……ならもう喜渡愛奈という人間がなんにせよ“卒業”したと考えたほうがいい。オレが最後に見た愛奈先輩の活性化率は【93%】だった。〈魔眼〉を使っての戦闘だ。抑制限界値である【95%】を超えていたっておかしくない。“卒業後の姿”を見ないのは『ゴルゴン』になってどっかで彷徨っているから……ってのもおかしくないんだ」


 ──最悪の事態が起きた。そう言う土峰先輩は正しいと現実的なわたしが肯定する。だけど夢見がちなわたしが、あの愛奈先輩が『ゴルゴン』になっているわけないと、たまたま怪我をして助けがくるまでどこかで隠れているだけだと言う。


「いいからお前はもう帰れ……人が血塗れになる姿なんてわざわざ見るもんじゃねぇ」

「まってくださいっ!」


 必ずいかなる時でも絶対に所持しているようにと言われた、“卒業”用の小瓶を取り出したのを見て、私は咄嗟に叫んだ。


「も、もし生きていたらどうするつもりなんですか? 明日にでも愛奈先輩が帰ってきたらどうするつもりですか!?」


 自分が脅しに近いことを言っているのは自覚している。だけどショックで倒れそうになるのをなんとか踏ん張って、何も考えたくないと拒絶する頭を無理矢理動かしているから、言葉を選べる余裕なんて無かった。


「それに、どうして土峰先輩がこんなことするんですか!?」

「……中等部の校舎ってすげー煌びやかだろ? 日光がきちんと室内に差し込むように設置された大窓。お洒落な家具が立ち並ぶ中、紅茶やジュース片手にふかふかのソファに座ってランチタイムをしているかのような緩やかさでAIによる授業を受ける時なんてまさにお姫様になったようだ」


 なにを言っているんですかという言葉を声に出す前に、土峰先輩はこちらを振り向いた。


 ──雑誌で見た彼女は、とても凜々しくて格好良くて、そう希望に満ちあふれていた。それとは対照的と言ってもいい絶望しきった顔に、わたしは一瞬呼吸を忘れる。


「そんな中等部に比べて高等部を見て、お前はどう思った?」

「それは……」


 正直に言ってしまえば、なんて寂しい場所だと思った。まず最初に違和感を持ったのは高等部校舎の壁だった。


 まるで何かに壊されそうになることを前提とした灰色の分厚く頑丈で作られたコンクリート製の壁。そして校舎の作りと言うべきか、置かれている家具たちも、どこか安っぽくて、最低限の設備しかなかった東京の小学校を思い出させた。


「高等部はな、まだ人間扱いしてくれる中等部と違って、完全な『ペガサス化け物』の隔離施設なんだ。だから金の掛けかたが中等部とまるきり違う……中学生のお前たちと違って、活性化率が高いオレたちは大規模侵攻の時に消費するダイナマイトと同じ扱いだ。そんな危険なものを傍で管理しようとする大人たちなんて居ないのさ」

「え? だ、だって……」


 授業から商店街の運営まで、この学園はその殆どをAIによって管理されている。だから『ペガサス』に比べて、普通の人間は少ないが学園長を始めとした数人は住んでいるのを見たことがある。それなのに管理されていないとはどういうことだろうか?


「この学園で生活している大人たちはみんな中等部寄りの区画で生活している。もしオレたちがうっかり『ゴルゴン』になった時に巻き込まれないようにな。干渉だって最低限だ。生徒会長は毎週一回定期連絡で話すらしいが、少なくとも高等部に進学してからオレは大人と話したことなんて一度もない」


 そこまで言って土峰先輩は薄ら笑う。それが彼女にとって泣き顔だという事に嫌でも気がついてしまった。本当はここまで言うつもりはなかったんだろう。それでも漏れてしまった土峰先輩の本音。


「高等部に進学して入学式の後、中等部とは全く違う教室でみんな自覚するんだ。私たちもプレデターと同じ化け物なんだって……守ってきた人間や同じ『ペガサス』から突き付けられるんだ……」


 強いショックに頭が真っ白になる。『ペガサス』の未来が決して幸せなものではない事は知っていた。『ゴルゴン』に付き纏ってくる恐怖もあった。でも強い憧れもあって、『参人壱徴兵法』によって、三姉妹の中で誰かが『ペガサス』にならないといけなくなった時。自分の代わりに行くと最後まで反対した姉や、私にすごく懐いてくれる妹、優しいお母さんを守れるならと、明るい気持ちで『ペガサス』になったんだ。


 だけど、現実は私が知るよりも絶望に満ちあふれてて、希望なんて無くて、闇しか存在しなかったようで……。


「……それが、どうして月世先輩を“卒業”させる理由になるんですか……。愛奈先輩を諦める理由になるんですか……」


 もう自分が誰のために反抗的な態度をとっているのか、わからなくなってきた。それでもここで黙って月世先輩を“卒業”させるなんて出来なかった。


 そうだ。こんな残酷な世界で愛奈先輩は優しくしてくれた。それがどれだけ辛く苦しいことか今になってよく分かる。そんな先輩から月世先輩のことをよろしく頼むって言われたんだ! 


「……抑制限界値が超えたら“卒業”するようになってるって聞いてます。それなら別に土峰先輩が今“卒業”させなくても……愛奈先輩を待っていてくれてもいいじゃないですかっ! ──あうっ!?」


 土峰先輩がわたしの襟を掴み、引っ張られる。間近で見る土峰先輩の顔には色んな感情が交じり合っていた。深い深いため息が顔に当たる。それがわたしを殴る代わりだとは理解出来た。だけどここで引いたらだめだと、視線を合わせる。


「……月世の現状は今まで前例がない。人工呼吸器に無理矢理取り付けられた毒を飲ませる機械は、高等部一年の後輩の手作りで誤作動を起こしたって不思議じゃない。だからオレの手で毒を飲ませるのがもっとも安全で確実なんだっ……! ああそうだ! オレは『ゴルゴン』になった月世先輩に襲われるのが怖い! 怖いから毒を飲ませる!」

「だからってそんな辛そうなら……先輩たちに……土峰先輩だって……」


 近くで大声を聞いたことによる影響か呂律が回らなくなる。だけど土峰先輩はわたしの言いたいことを理解してくれたらしい──。


 ──彼女は感情を爆発させた。


「……ああ、そうだよ! 中等部の頃からたくさん世話になった! 命を助けて貰ったことだってある! 『街林』で取り残されてもう駄目だと思った時、月世先輩と愛奈先輩が助けに来てくれたんだ! 今でも鮮明に思い出せる。一緒にご飯も食べにいって勉強しにも行った! 素敵な先輩だった!! ずっと先輩で居て欲しかった! そんな先輩をオレは今から──殺す! 『ゴルゴン』になって大事な仲間が殺される前にっ! たとえ一分一秒しか変わらなくても生きて欲しいからオレが先輩を殺すんだ!!」


 私はきっと脅えた顔をしてしまったと思う。それに気付いた先輩はハッとして手を離してくれた。


「……悪い。お前の気持ちも死ぬほど分かるから……はやく帰れ。血だらけになる月世先輩なんて見るもんじゃねぇし、誰にも見せたくない」


 ──本当はもの凄く優しい人なんだろう。面倒身のいい人でもあるかもしれない。この人は自分ではなく仲間が殺される前にと言った。咄嗟に出た本心なのは間違いなくて、仲間のために色々なものを背負う覚悟でここに来てるんだ。


 夢や希望があるという妄想を押しつけるどうしようもないわたしを、気遣ってくれるほど優しい土峰先輩に月世先輩を殺させる──愛奈先輩はそれでも帰ってこない。


 あまりの現実に打ちのめされてしまい体に力が入らなくなる。月世先輩の顔の横に立った土峰先輩が毒入り瓶のキャップを開けた。壊れたように止めなきゃと思う。だけどもう黙って見ていることしか出来ない。


──ビ────ー!!


「……貴女はいつだって、オレを助けてくれるんだな……」

「──あ、数字が……」


 マスクを取ろうとした時、人工呼吸機の画面に表示されていた活性化率の数値が【95%】になった。緑のランプが赤くなり、けたたましい電子音が室内を反響する。


 抑制限界値の95%へと達してしまった。それは『ペガサス』の誰もがいずれ迎えることになる最期。つまりもうなにをしても月世先輩は“卒業”しなければ成らなくなったということだ。


「だめ……いや……」


 月世先輩がいなくなってしまえば、愛奈先輩も二度と帰ってこなくなる。思い出すのは昨日のこと。わたしが脳天気にも愛奈先輩に教えて欲しいと話しかけた時の光景。あれから、あれから全てが狂ってしまった。狂わせたのは誰だ?


「わたしの……せい……」

「……外へ行くぞ」


 土峰先輩は項垂れるわたしを見ていられないと外へと連れ出そうとしてくれる。


 肩を掴まれて立ち上がるわたし。ふと人工呼吸器から空気が抜ける音のようなものが聞こえてきて、ぼんやりとする視線を向けると、人工呼吸器から一番太い管を通って透明の液体が遅くもなく速くもないスピードで月世先輩の口へと流れていくのが見えた。


 ──そして、パリンと何かが割れる音と共に毒を流していた管が何かによって千切られた。


「……え?」

「──矢……だと!? そんな……まさか!」


 月世先輩の体内に入るはずだった毒は、届く前に床にまき散らされた。管が千切られた時、よほどの威力が伝わったのか、人工呼吸器は勢いよく倒れるも未だに月世先輩と繋がっているのか、しっかりと脈を測っている。


 壁を見れば管を千切ったであろう物の正体。金属製と思われる矢が深々と突き刺さっていた。


 反対側の高窓を見れば、窓ガラスが1枚粉々に割れていた。つまりは誰かが外から狙撃して、毒の管だけを正確に射貫いたんだ。


 ──そんな神業ができる人を、わたしは一人しか知らない。


「愛奈……先輩……! きゃっ!?」


 ──ドン! ドンドン!! と騒音と衝撃が聞こえてきたと思ったら割れた高窓の真下の壁に罅が入りはじめて、それが音と共に徐々に広がり、そして最後には粉砕されてしまった。



――――――――――



7974:識別番号01

ツクヨさまー! 毒をお届けに参りましたー! 

決して怪しいものじゃありませーん! どこですかツクヨさまー!!


7975:識別番号03

わかりません。


7976:識別番号01

うおっ! 人、多分『ペガサス』の可愛い女の子が三人居る!? だ、誰がツクヨさまなんだ!?


7977:識別番号03

わかりません。


7978:識別番号02

応答⇒事前の情報から考えるに昏睡状態でベッドに寝ているものだと思われる。


7979:識別番号01

そうだったわ! ならあれがツクヨさまか!?


7980:識別番号03

わかりません。



――――――――――



「プレデター!? それに人型!?」


 壁に穴を空けて入ってきたのは、ファンタジー小説で騎士が装着していそうな甲冑の姿をしたプレデターだった。現在確認された人型のプレデターは『ゴルゴン』だけだ。そして先ほどの矢は愛奈先輩が愛用する『ALIS』の弓から放たれたもので間違いないだろう。


 つまり、この人型プレデターは……。


「まさか……愛奈……先輩なんですか?」

「──間に合った!」

「え、愛奈先輩っ!!?」


 プレデターが愛奈先輩と思って問い掛けたら。そのプレデターの後ろから五体満足の愛奈先輩が顔を出した。その手には先輩のためにオーダーメイドで作られた『ALIS』である起動状態の【ルピナス】があり、先ほど狙撃したのは間違いなく愛奈先輩だということが分かる。


 いや、それにしても、あの人型プレデターはなんですか!? 愛奈先輩は生きてて嬉しいけどいったいなにがどうなっているの!?


「なにが……起きてるんだ!?」

「お願い! 月世を助けて!!」



――――――――――



7985:識別番号01

よしきたっ! 

ってまたギリギリじゃねぇか! ああもう、やるしかないんじゃいっ!


7986:識別番号02

質問⇒室内に居るペガサス二名の様子はどうだ?


7987:識別番号01

めっちゃ大混乱ですね! そりゃそうだごめんね!! でも今は大人しくしていてくれよ!



――――――――――



愛奈先輩が助けてと叫ぶと、人型プレデターは八本の触手のようなものを月世先輩に伸ばした。そして触手の先端が蛇の口のように開き、月世先輩の全身至る所を噛み始めた。


「何してんだ!? やめろっ!」

「動かないで!」

「なっ!?」


 おそらく、月世先輩に噛みつく触手を剥がすために近づこうとした土峰先輩を愛奈先輩が制止する。


 それだけでは収まらず、【ルピナス】の側面装甲が開き、そこからやじりが付いた細棒と矢羽が付いた細棒の二本が現われて、自分の人差し指ほどしかない小さなサブアームたちがそれらを一本の矢に組み立てる。


 矢が弓本体へとセットされるまでに掛かった時間は三秒にも満たず、わたしが気がつく頃には愛奈先輩は土峰先輩に向かって引いた矢を向けていた。


「……狂っちまったのかよっ!」

「……そうかもね。でもこれこそが私たちに与えられた現実……」

 


――――――――――


7990:識別番号01

やめて! 俺のために争わないで!

って冗談言っている場合じゃねぇ! この険悪な雰囲気をどうにかしないと流石に不味いぜ!


7991:識別番号02

提案⇒識別番号01はこのまま人工細胞の沈静化を行なうべきである。

訂正⇒人工細胞を今後は『ペガサス』の呼び方に会わせてP細胞と呼称する。


7992:識別番号01

マジか!? 分かったぜ、ゼロツー。

なるはやで終わらせる! といっても、じゃあ一気に投与しちゃおうっていうのは出来ないから速度かわんねぇんだよなぁ!



――――――――――



生きていた愛奈先輩が、人型の『プレデター』を連れてきて親友の月世先輩を襲わせる。その上、そんな『プレデター』を守るように、私たちに『ALIS』を向けてきた。


 人類を裏切って、『ゴルゴン』でも良いから月世先輩を生かすことを選んだ。なんて考えても仕方のない状況だろう。──でも、愛奈先輩の謎の行動の答えを、わたしは見つけた。


「つ、土峰先輩……あれって」

「なんだ……よ……え?」


 土峰先輩も、わたしと同じものを見て呆然とする。


 ──だって、それは現代の技術ではあり得ない光景とまで断言されたものだった。


「──真嘉! さっきの音はなに!?」

「も、もしかして月世先輩が『ゴルゴン』に……!? とりあえず真嘉の『ALIS』持ってきたよ。重いからはやく受け取ってってなにあれ!?」

「まってまって!? えなりんが居るよ!?」

「……あらまぁ」



――――――――――



7998:識別番号01

ぎゃー! たくさん『ペガサス』が来たああ!

あ、みんな可愛い……だけど今はちょっと会いたくなかったなー!!


7999:識別番号04

囲まれる前に撤退しろ。


8000:識別番号01

あとちょっとだから無理! 本当にヤバイなら彼女連れて行かないとならないしって……うん?



――――――――――



「真嘉っ! しっかりしてっ! どうしたの!?」

「…………下がってる」

「え? 何言ってるの?」

「下がってるんだ……活性化率の……数字が下がってる……」


 音を聞きつけて病室へと来た高等部二年生組も、わたしたちが見ているものに気がついて同じように凝視する。


 ──倒れた人工呼吸器に表示されている活性化率の数字が下がっている。倒れたことによる故障とか動作不良とかが頭を過る。そんなわたしたちの思考を読み取ったのか、涙を流す愛奈先輩はたったひと言だけ告げた。


「いま貴女たちが自分の目で見たものは私の身に起きた──れっきとした“奇跡現実”よ」

「──んっ」


 人型プレデターが出す触手たちが噛むのを止めて離れると、月世先輩の目が、ゆっくりと見開いた。『ゴルゴン』になる兆候は一切見られない。


「…………ここは…………天国?」


 『ペガサス』だからか薬物による昏睡状態から目覚めた割にはとてもはっきりと呂律が回っていた。だけど意識はまだ朦朧としているのか、彼女は人型プレデターにそう尋ねた。



――――――――――



8012:識別番号01

地獄かもしれないね。でも君のために涙を流してくれる友達がいる場所だ。

というわけで……おはようございます。眠り姫。


……さーて、こっからどうすっかなぁ……。


8013:識別番号04

格好が付かないというのはこういうことか


8014:識別番号01

なんか最近もうワザとじゃないんだよね、変な癖ついちゃった。

でも、間に合ってマジでよかった。

……本当によかった。


――――――――――



──月世先輩を抱きかかえる人型プレデター。その光景はまるで空想の物語のようなお姫様を助けに来た騎士に見えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る