第7話

病室の高窓から灯りが外に零れていたことで誰か居るかと思い、まずは遠目で中を確認することにした。私の〈魔眼〉──〈隙瞳げきどう〉によって見えた病室内。人工呼吸器の抑制限界値であることを表わす赤色のランプが灯っていた。


 考えるよりも先に手が動き、【ルピナス】の弦を引いて、矢を放っていた。時間が無いと焦るあまり、彼に壁を壊して中に入ってと頼んでしまったのは反省しなければならない。


 ──でも今は目の前の奇跡現実に浸りたい。信じてよかった。彼に抱き抱えられる月世を見て心の底から思った。


 ふと、これは全部あの雨の中死ぬ直前に見ている走馬灯の一種なのではないかと不安になる。だって本当にこんなことあっていいの?


 思えば彼との出会いも、やけに創作的だ。人ならざるモノの彼が雨の中で傘を差しだしてくるなんて、たまに見る旧時代のアニメそのものだ。


 彼はゆっくりと月世をベッドに降ろした。『ペガサス』は人に比べて回復力が遙かに高い。昏睡状態から目覚めた直後にもかかわらず、月世はもう体を起こせるまでに元気になっていた。


 ──ふいに月世と目があった。『ペガサス』になっても色素が狂わなかった日本人らしい黒く艶やかな髪が記憶よりも伸びている。逆に言えば月世はそれ以外変わっていなかった。


 ──おやすみなさい。愛奈。


「──おはようございます、愛奈」


 そう言って眠りについた、あの日とまったく同じ様子で月世は言った。


「っ! 月世!!」


 もう我慢が出来なかった。【ルピナス】を乱暴に落としてしまうが気にする余裕はなく、飛びかかるように抱きついた。


「おはよう! ……おはよう月世っ!」


 月世の温もりが伝わってくる。温かい。ああ、これは現実なんだ……!


「……月世! 月世っ!!」

「……どうやらここは天国ではないみたいですね……色々とあったようで……」


 そう言いながら月世は、彼に向かってニコリと笑いかけた……あ、もの凄く戸惑ってる。


 寝起きで思考が覚束おぼつかないだけかと思ったけど、どうやらきちんと彼が人ならざるモノだと理解していたようだ。それでも取り乱さずに冷静に状況を分析しようとしている所はさすが月世だ。


――――――――――


8017:識別番号01

おー、ツクヨさん。めっちゃ正統派大和撫子な和服美人だー。というか笑いかけてきてくれたけど俺のこと怖くないんかね? 

あと彼女、エナって言う名前なのか、ぷれでたーおぼえた。


8018:識別番号02

要求⇒現状の詳細な情報。


8019:識別番号01

ツクヨさんは無事。エナちゃんと感動のハグ。その傍でオレは後方怪物面。

そんなオレたちをじっと見てくる『ペガサス』六人……ヤバイ……どうしよう。


8020:識別番号02

疑問⇒ペガサスたちの様子はどうなっている。


8021:識別番号01

あー。なんかみんな棒立ちっていうか心ここにあらずって感じ?

……あれ? もしかしたらコッソリと動けばバレずに外に出られる?

いや、やっぱ動くの怖いわ。めっちゃガン見されとる。


8022:識別番号04

急加速による即時撤退を推奨する。


8023:識別番号01

そんなことしたら吹っ飛ばして怪我させちゃいそうで怖いし、とりあえず今は様子見するよ。エナちゃんとツクヨさんをこのままって言うわけにもいかないじゃん。

俺が関わった所為で彼女たちの立場が危うくなるなら、それはそれで考えないと行けないし。


――――――――――



「愛奈、ちゃんと話してくれますか?」

「うん。全部きちんと話すよ」

「──それはオレたちも聞いていいんだろうな?」

「もちろんだよ、真嘉」

「ならいい」


 私が即答すると高等部二年の土峰真嘉は、他の二年生4人にひと声掛けた。すると彼女たちは話を聞きやすいようにと椅子やソファを月世のベッド近くへと集めはじめてくれた。


 そしてもう一人、白がメインの中等部制服、白い肌に髪、その中で瞳だけは赤色である名前の通りにウサギのような子。今年入学してきた中等部一年の後輩、上代兎歌。


 兎歌は私の事をとても尊敬してくれていて、三年に上がって孤独だった私の癒やしとなってくれた後輩。月世が生きる支えになってくれたのならば、彼女は人であることの支えになってくれた。


「兎歌、巻き込む形になっちゃったけど、あなたにも話を聞いて欲しいの」

「は、はい、それはもちろん……っ! よかった……愛奈先輩が生きていて本当によかったぁ~!」

「心配かけてごめん。みんなは無事?」

「はいぃ! 命に別状はないですぅ!」

「そう無事なのね……。私のお願いも聞いてくれたみたいで兎歌、本当にありがとう」

「愛奈せぇんぱい~!!」


 号泣する彼女を抱きしめてあやし始める。色々と気になっていることはあるだろうに、いまは私が生きている事を喜んでくれるこの子は、最高の後輩だ。


 それに、どうしても結果論にはなってしまうけど、この子が切っ掛けで彼に出会えた。一瞬だけしか見てないが窓から見えた様子から考えるに、私たちが間に合ったのは彼女があの場に居てくれたからなように思えてならない。


「あなたは私にとって幸運の兎ね。なんど感謝しても足りないよ」

「わたし幸運の兎でよかったですっ! なんなら部屋の隅にでもずっと置いてください!」

「……あー、素敵な提案だけど、置物になるよりも、このままの可愛い後輩で居てね」

「愛奈先輩~!」


 ……彼女がちょっと心配になる。



――――――――――



8027:識別番号01

俺は鎧……女の子が興味なさそうなただの鎧の置物……。


8028:識別番号03

識別番号01にステルス能力は無いと記憶しています。


8029:識別番号01

無いから必死に自分を単なる鎧だと思い込んで気配を消している。先に言っておくけど効果があるかどうかは聞かないでね。


8030:識別番号04

元より無いと判断している。


8031:識別番号01

ヒドイ……。



――――――――――



「準備できたぞ」


 椅子やソファを設置し終えたらしく真嘉が声を掛けてきた。どうやら椅子を集めてくれただけではなく、私たちが空けた壁の穴もシートで隠してくれたようだ。他の二年生たちは既に着席して、私を待っている。


「生徒会長に連絡は?」

「解決したとだけ……今はな」

「ありがとう……兎歌、先に座ってて」

「ひゃい……」


 まだ涙が止まらない兎歌を先に座らせて彼の様子を確認する。


 彼は壁際に背中を預けて座っており、とてもリラックスしているようだった。もし彼がそのまま出て行くなら、這いつくばってでも止めるつもりだったが、どうやらここに居てくれるみたいと安堵する。


 なんで留まってくれているかは分からない。いずれ理由を知れたらいいなと思いながら、私はベッドの隣に置かれた椅子に腰掛けた。


 全員が沈黙を保ったまま私に視線を集中させる。高等部二年組は喋る子が多く、時折見かける彼女たちは常に騒がしく、それをとても羨ましいと思っていた。そんな彼女たちが口を閉ざして私の話を待っている。


 複雑怪奇な心境を察して、これ以上待たせる理由はないのだが、そのまえに大事な前置きをしなければならない。


「まず、私の身に何が起きたのかを話す前に、これを見て」


 そう言いながら【ルピナス】の液晶画面をみんなに見せていく、そこに映っているのは『ペガサス』誰しもが恐れ戦き、最後には絶望現実を私たちに突き付ける数字。


 だけど、今の私にとっては奇跡現実を周知させるための決定的な証拠でしかない、P細胞の活性化率を表わす数値。


【48%】


 先ほど出力調整を疎かにして〈魔眼〉を全開で使ってしまったために最初見た時よりも1%上昇していたが、それでも半分を下回っていた。


 ──誰かが息を呑んだ。全員であっても不思議じゃない。


「……単なる故障でしょ」


 疑いの言葉が零れる。口にしたのは深い青色で確かウルフカットと呼ばれる髪型の『篠木ささき咲也さや』さん。言葉が冷たいところはあるけど、常に二年生をフォローする立場に居る印象を持つ子で、今回も硬直するみんなのためになんとか口を動かしたといった様子だ。


 無理もない。50%以下の数字なんて、中等部二年生後期時の平均ぐらいだ。そもそも前提として、P細胞の活性化率が下がるということ自体、現代の技術力では“絶対にありえない”事なのだ。


 世界中で研究者及び科学者一同が寝る間も惜しんで、湯水の様に金や素材を浪費して、なんとか活性化率を下げる手段を見つけようとしてくれているとは聞いたことがあるが、どんな手段でもたちまち食らい尽くして無力化してしまう無敵の捕食者であるP細胞の前に、なにも成果を得られていないのが現状だと言う。


 ──そんな無理だと不可能だと叫ばれた現象が目の前で起きた。特別でも何でもない雨の日にだ。すぐに信じろというほうが酷というものだろう。だけどいま私にできることは体験したことをちゃんと話すことだけだ。それからの判断は彼女たちに委ねるしかない……私の身の振り方もそれから決める。


「まず、今から話すことは到底信じられるものじゃないのは分かっている。だけど全部本当のことだと思って聞いてほしい」


 そして兎歌たちと別れてからの『街林』で自分の身に起きたことを話した。けっこうその場で整理しながらの割には、要点だけをなるべく分かりやすく説明できたと思う。みんな表情こそ動かすものの、けっきょく最後まで誰も喋ることなく、スムーズに話を終えることができた。


「──これが今日、私が経験した顛末」

「なんというか……本当に夢のような話です」


 月世は口調こそおっとりとしているが、長年の付き合いからとても驚いているのが分かる。


「でも現実よ」

「そのようで……正しく現実は小説よりも奇なりと言ったところでしょうか」


 月世はそう言って、彼に向かって手を振るった。すると彼は私の時と同じように会釈を返してくれる。


「……ふふっ、かわいい御方のようですね」



――――――――――


8045:識別番号01

やはり挨拶、挨拶は全てを解決してくれる。


8046:識別番号03

そうなのですか?


8047:識別番号01

……そうだったらいいんだけどね。

大事なのは間違いないけど現実は厳しいからね。無理なもんは無理よ。

それと話し合いだけど、今のところ穏やかに終わりそうかな。


8048:識別番号04

識別番号01に問いたい。『ペガサス』の中に髪と瞳が左右で違う色を持つ者は居ないか?


8049:識別番号01

左右で違う色な子は居ないね。どうして?

……もしかして、その子がゼロヨンを倒した例の『ペガサス』?


8050:識別番号04

──黙秘する。


8051:識別番号02

回答⇒正解


8052:識別番号04

なぜ識別番号02が答える!


8053:識別番号01

俺が話し広げちゃったのはあるけど、喧嘩は後でやってねー。


――――――――――



二年生たちの様子を見る、真嘉以外の四人全員が特に示し合わせたわけではないだろうに、足を組んで考え込んでいるリーダーである真嘉を見ていた。


 高等部二年はリーダーである真嘉に絶対的に付き従う。それが私たち三年とは違う高等部二年の絆のあり方。つまり二年生が私の話を聞いてどうするのか、それは真嘉の意向次第で全て決まるのだ


「……愛奈先輩。貴女を見るかぎり、言っていることに嘘はねぇってのは分かる。だが、はいそうですかって受け入れられるものでもねぇ……そいつは『プレデター』。オレたちの敵だ」

「ええ、そうね」

「それに、貴女だって自分の体験したこと以外はなにも分かっていないんだろ? ……信じすぎると痛い目見るかもしれないぜ?」


 真嘉は私が想定していたよりも冷静であろうとしてくれるようだ。負担を掛けているという申し訳なさを今は飲み込む。


「……真嘉が言うとおり私は彼がどんな理由で助けてくれたのか、月世を助けてくれたのかなにも分かっていない……。だから私たちがこれから歩む先にはもしかしたら“卒業”するよりも、とんでもない現実が待っているのかもしれない」


 そう口にしたが、あまり不安に思っていなかった。あの家で本を読んでいる姿を見ているからか、彼は人ならざるモノであっても、人の事を分かってくれている気がする。でもそれを伝えたところで彼女は納得しないだろう。だから多少わざとらしくもはっきりと断言する。


「それでも救ってくれたのは確かだから……私は信じたいの」

「……そうか…………時間をくれ。とりあえずオレたち二年生だけで話がしたい」


 それだけ言って返事を待たずに真嘉は立ち上がり背中を向けた。


「──なるべく早く、会長に会いに行けよ」

「うん、分かってる」

「……ならいい……行くぞお前等」


 真嘉は振り返ることなく歩き出し。他の二年生も続く。咲也さんは何か言いたそうに私や彼を見ていたが、けっきょくそのまま全員が病室を出て行った。


 今から高等部二年は彼に関して話し合うのだろう。それによって真嘉が導き出した結論次第では彼を巡って──敵対する可能性も充分にある。そうなっては欲しくないけど……その時は私も覚悟を決めなければ成らない。


「兎歌、あなたは私の言うこと信じられる?」

「もちろんです!」

「……嬉しいけど、そう即答されると逆に不安だよ……」


 この子は前からそうだったけど、私の言うことならどんな嘘でも信じてしまいそうで心配になる。今は都合がいいのかもしれないのが、罪悪感が増していく。


「だって、彼のおかげなんですよね! こうやって……こうやって愛奈先輩とっ! また会えたのってぇ……っ!」

「もう……貴女ってそんなに泣き虫だったの?」

「あら? 人のことが言えるんです? さっき愛奈だって泣いていたじゃないですか」

「……アレは仕方ないじゃない…………ぐずっ」

「やっぱり、貴女も充分泣き虫ですよ」


 こうやって昔のように話せるなんて二度とないと考えていただけに、今はまだ月世の声を聞くだけで涙がでそうになる。


「そ、それで兎歌……頼み事があるの。彼について、そして私が帰ってきたことを誰にも言わないで欲しいの」

「え? 彼のことは分かりますけど愛奈先輩のこともですか!?」

「ええ。私が生きていること自体が『ペガサス』の常識からかけ離れた異常事態なの。大人たちに知られれば理由を調べはじめる、そうなれば彼のことを隠しきれる自信がない。だからお願い」


 まだ何も決まっていない現状で、彼の存在が公になるのだけは避けたかった。中等部は人数が多い分、話がどこへ飛んでいくか分からない。場合によってはのうのうと安全な所で私たちを管理している気になっている大人たちが動き出したら、心底めんどうな事になるのは確実だ。


「はい……あの、せめて勉強会のみんなにだけでも愛奈先輩が無事なのを伝えることはできないでしょうか?」

「ごめんなさい。せめて私たち高等部が今後どうするかを決めるまでは待って欲しいの」

「そうですか……分かりました」


 兎歌にお願いされて色んなことを教えているうちに集ってくれた中等部一年と二年の子たち。彼女たちも私のことを怖れずに接してくれてるいい人たちだ。本当ならば無事であることを伝えたいが今日、明日で知らせるのは時期尚早だろう。


 分かりやすく落ち込む兎歌。いきなり恩を仇で返しているのかもしれないが、今は我慢して欲しいと頼み込むしかできなかった。ほんとうに駄目な先輩ね……。


「月世」

「愛奈の好きなようにしてください」

「……いいの?」

「寝起きでまだ頭が回りませんし、愛奈があの方と一緒に駆け落ちするというのなら私も付いていくだけです」

「……ほんとう、月世には敵わないって駆け落ちってなに!?」


 一瞬スルーしちゃったけど、もう月世ったら! ……でも、駆け落ちという言い方はともかく、想定している未来のひとつにはある。


 ──“私は生きたい”だからもう“目に見えて迫りくる死”に耐えられない。


 彼が居なくなってしまえば、また活性化率に脅える日々が戻って来る。それを考えるだけで気が狂いそうになる。


 だからさっきから目を離した隙に彼がどこかへ行ってしまうんじゃないかと、怖くて何度も何度も確認している。


 それに活性化率のことだけじゃない。月世の事だってあるが、それ以前に私の心は確かに彼に救われたのだ。あの本だらけの部屋で彼に食べさせて貰った缶詰は一生忘れることはないと断言できる。


 そう……一生忘れられない恩を受けたんだ。だから私も一生を懸けて彼に恩を返したいと思っている自分がいる。それが生きていける道でもあるのならば。みんなの反応次第で私は彼に付いていって学園を出て行くつもりだ。


 学園の管理下を離れた『ペガサス』は、脱走者として生死問わずの重犯罪者として全国指名手配される。それだけじゃない、プレデターである彼の傍に居る生活だ。『外流者』のような生活もできないだろう。だけどそれでも、生きたいから、離れたくないから彼の傍に居続けたい。


 そんな私の考えを見越して月世も付いてくれると言ってくれた。こんなに嬉しいことはない。むしろ彼と月世の三人旅はなんて楽しそうだと思ってしまっている自分もいるぐらいだ。


 ……もっとも、彼がどう思っているかの確認は今からなんだけど。



――――――――――



8072:識別番号01

凄いなエナちゃん。まさに頼れる先輩って感じ。

……こんな子が、雨の中で泣いていたのか……。


8073:識別番号04

どうした識別番号01?


8074:識別番号01

なんでもないよ。ちょっと感傷的になっただけ。


8075:識別番号02

疑問⇒識別番号01の身の振り方について。


8076:識別番号01

できれば一緒に居たいよね……最初はちょっと大袈裟だなぁって何処かで思っていた気がする。鎮静剤みたいなのが、どっかにはあって、たまたまエナちゃんたちが在庫を切らしていて……みたいな風に考えていたんだ。

でもエナちゃんから話を聞いて、『ペガサス』のみんなの反応を見て、本当に彼女たちをプレデターにさせないようにできるのは俺しかいないんだなって……。

自惚れで済んだらよかったのに。


8077:識別番号02

応答⇒今まで得た情報から判断するにP細胞を沈静させることができるのは現時点で識別番号01のみである可能性が極めて高い。

進言⇒だからこそ識別番号01は、己の身の安全を最優先にした行動を取るべきである。


8078:識別番号01

分かってるよ……分かってるけどマジで自信無いわぁ……。

エナちゃんに、一緒に居てってお願いされたら断われないわぁ……

ハニトラって、分かってても引っかかる時ってあると思うんだよね?


8079:識別番号03

分かりません。


8080:識別番号01

ゼロサンが冷たくなった気がするけど、自業自得なんだろうなぁ!



――――――――――



「あの、お待たせしてしまってごめんなさい」


 首を下げており、もしかして眠っているかと不安になったが、杞憂だったようで呼びかけると顔を上げてくれた。彼を見下ろして話をするのは礼に欠けている気がして、私も床に座る。


 彼は壁にもたれ掛かって片膝座り、対して私はアヒル座りと元の身長差もあって、今度は私が彼の顔を見上げるようになる。


「えっと……改めてって言ったらおかしいとは思いますけど、月世の事を本当に助けてくれてありがとう」


 感謝を伝えると彼は少し考えたような間を置いた後、親指を立てた拳を作った。サムズアップと呼ばれるGood良いを意味するものであるが、聞いた話によれば国によっては文句や侮蔑を表わすジェスチャー。


 でも彼は“問題無い”、もっと簡単に“よかった”と言う意味で使ってくれていると理由もなく、そうであると考えてしまう私は盲目が過ぎるだろうか?


「その……」


 ふと、言葉につまる。親友の命まで助けて貰ってくれた彼にまたお願い事をするという申し訳なさもあるが、単純になんて言えばいいのか分からなかった。


 話ができるならば彼の言い分を聞いてから色々と決められるのになと、会話ができない不便さを今になって感じる。上手い言葉が見つからない。でもこれ以上歯切れが悪い様子を見せたくない。


「……あなたは危険を顧みず、私のお願いを叶えてくれて月世を助けてくれました……。これ以上望むのは不躾なことだって分かっています、だけど、それでもお願いしたいことがあります」


 望むことは決まっている。ならストレートに伝えたほうがいいだろう。


「──これからも私の傍に居てくれますか?」

「あら……愛奈ったら大胆です」


 ……ちょっと間違えた気がする。月世が後ろで何か言っているような気がしたが気のせいだろう。きゃーっと兎歌の声で黄色い悲鳴のようなものも聞こえたが幻聴だ。


 ま、まぁ、言いたい事は伝わったようで、彼は改めてサムズアップしてくれた……ううっ、恥ずかしい。



――――――――――



8087:識別番号01

上目遣いからの告白染みた台詞を言われちゃあ。こんなの断れないに決まってるじゃんか!


8088:識別番号02

判定⇒チョロい


8089:識別番号01

チョロデターとは俺の事です……。

でも、傍に居てってあっちから言ってくれたのは正直ありがたい。俺の扱いについては、これからちゃんと決めるんだろうけど、ここに居座る理由はできた。



――――――――――



「そ、それじゃ。私は一度生徒会長に会いに行こうと思うの。だからしばらくの間、ここで待っていてほしいんだけど、いい?」


 離れることに酷く不安を感じるが、生徒会長とは彼についてや今日のこと、それとは別に個人的なことで話したいことが沢山ある。だから一旦、彼にはここで待っていて欲しいとお願いするとすぐにうなずいてくれた。


「愛奈が生徒会長に会いに行くなら、わたくしも付いていきます。そのほうが話が早く済むと思いますし」

「それは……そうだけど、大丈夫?」

「ええ、病み上がりの身でも歩いて話をすることぐらいはできますので」


 ──月世は私だけに聞かせたい話……いや、私が月世だけの時にしか話せないものを聞いてくれるために一緒に付いていくと言ってくれたみたいだ。本当に敵わないな。


 それに生徒会長の状態次第では私ひとりじゃ最悪まともに話ができない可能性がある。その時には月世が言うように起きている彼女を交えて話をしたほうがいいだろう。


「……わかったわ月世。一緒に来て」

「承りました」


 ──途端に生徒会長に会うのが怖くなる。じわじわと心を嬲るような恐怖心を振り払うように、私は立ち上がって月世に手を差し出した。


「ありがとうございます」


 月世は私の手を支えとして立ち上がった。『ペガサス』と言えど数ヶ月の昏睡状態だったから立てるかと心配だったが、立ち上がった後は私の手から離れて問題無く体を動かしている。


 『ペガサス』……と言うよりも月世だからという気がしてきた。彼女は色々な面で強い人だから。


「それでは生徒会室に行く前に着替えないとですね。わたくしの制服は部屋のクローゼットに?」

「ええ……そういうわけで、兎歌、申し訳ないけど私たちが戻るまで彼と一緒に居てね」

「はい! ……え?」



――――――――――



8092:識別番号01

え?


8093:識別番号04

今度はなんだ?


8094:識別番号01

白ウサギみたいに可愛い後輩、トカちゃんとお留守番……とりあえず会釈。



――――――――――



驚く兎歌が彼を見る。すると彼も同じように兎歌を見ていたらしく二人の目と目があった。硬直する兎歌に、彼はもはや定番の会釈を行なった。


「あ、ど、どうも……」


 それに兎歌は会釈で返す。あの時の私を客観的に見たらこうだったのかと想像するとなんだか面白くなって笑いそうになる。兎歌は今でこそちょっと脅えているようだが、彼とは上手くやってくれるだろう。なにせ私と同じ反応をしたのだから。


「それじゃあ。すぐ戻ってくるから」

「では、ごゆっくり」


 私は月世の歩く速度に会わせて、ゆっくりとした足取りで生徒会長室に向かう。


 ──これから先はまだなにも決まっていない。だけどまずは“目先の罪”に目を向けなければならない。それが生きるということならば。

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