第5話

 ──会釈を交わしあった後。人型プレデターは立ち上がると私の方へと向かってきた。


 なにかと思って身構えていると、どうやらリビングを出たかったらしく、私を横切りそのまま玄関へと行くと靴箱の戸を開けて、中から小型のガスボンベを取り出した。そして床や椅子、テーブルの上に散らばっていた本を邪魔にならない場所に一カ所に纏めたあと、事前に用意していたのか濡れた布巾でテーブルを拭き、ガスバーナーのボンベを交換。火を付けて水の入った鍋を載せると、その鍋の中に缶詰を入れた。


 あまりにも人間のように動き回る人型プレデターに、私は呆然と見ている事しかできなかった。そうやって立ち尽くしていると出入り口付近にいる私から一番近い椅子を引いた。


 その行動の意味を察した私が戸惑いながら座ると、人型プレデターは反対側の椅子に座った。


 数十年という短い時間で何十億人という人間を殺した人類の敵。そんな存在と沸騰する鍋を挟んで同じテーブルに着いているというのに、心は不思議と落ち着いていた。


 人とプレデターが音も立てずに鍋を見つめているという謎の時間。それに癒やされている私が居た。


 それから彼は沸騰し続けているお湯の中に直接手を入れて缶詰を取り出すと、濡れてふやふやになったパッケージを鋭い手で器用に剥がし、蓋を開け、テーブルの隅に置いてあった箱から取り出した箸と共に私に差し出してきた。


 ──『アルテミス女学園』は日本最大の都市、東京地区によって運営が行なわれているためか食事事情がとてもいい。


 東京地区に居た頃に食べていた給食とは比べものにならない合成食。毎日食べられる値段ではないが、それでも東京地区で買うよりも遙かに安い天然食品の数々。


 いつでも思い出せるのは入学した日の夕食のこと。毎年行われている新入生歓迎会でひとつ上の先輩が奢ってくれた生クリームケーキは『ペガサス』になって良かったと本気で思えるぐらい美味しかった。


 どんなに辛いことがあっても立ち直れて来たのは、美味しい食事があったのも無関係ではないのだろう。


 ──でも、そんな『アルテミス女学園』で食べたどの料理や菓子よりも、賞味期限がとっくの昔に過ぎているであろう、温めた鯖の缶詰が涙が出るほど美味しかった。


「うっ……ぐす……」


――――――――――


7533:識別番号01

賞味期限がいつきれたのか分からない温めただけの鯖味噌の缶詰をさ。泣きながら美味しい美味しいって食べてるよ。17か18歳ぐらいの、多分もう女性って言っていい子が。


7534:識別番号03

泣くという行為に関して識別番号01が教えてくれた知識では『ペガサス』の反応が理解出来ません。どうして『ペガサス』は食事をしたら泣いたのか教えてください。


7535:識別番号01

理由は俺にも分からない。

でも普通は美味しいものを食べたら笑うんだ。俺に人の時の記憶は無いけどさ。少なくとも俺の心がそうだって覚えてる。

だからゼロサン。人が美味しい物を喰って泣いた時はできるだけ優しくしてやってくれな。


7536:識別番号03

分かりました。



――――――――――



ちょっとずつ摘まんでは口に入れて噛みしめる。箸が止まらない。生きている味がする。


 ──ああ、そうだ私生きてるんだ。もう死ぬしかないと思っていたのに、あそこで私たちの全てが終わると思っていたのに……助かったんだ。


 味覚が刺激された事で、生の実感というものが生まれる。溶けた恐怖が涙に変わって外へと吐き出される。


「……食べていいの?」


 彼は続けざまに温まった焼き鳥の缶詰と缶ジュースを出してくれた。答えは分かりきっているのに彼に確認を取ると、先ほどの会釈と同じように頭を下げてくれた。


「……ありがとう」


 ──ふと頭をよぎる大事なことの数々。だけど今はただ、この優しさに甘えたくて焼き鳥を箸で挟んだ。



――――――――――



7542:識別番号01

いっぱいおたべ~。どんどん優勝せぇ~。まだまだお代わりあるからね~。やっぱり若いもんは毎日腹一杯になるまで食べたほうがええでよ~。 


7543:識別番号02

質問⇒ときおり見られる識別番号01の使うその奇妙な言葉使い及び内容についての詳細な説明を求める。


7544:識別番号01

適当に言っているだけのネタなので真面目に質問しないでツライから……。

……ていうかゼロツー、最近こういうことワザと聞いてない?


7545:識別番号02

否定⇒詳細な説明を求めるのは識別番号01の言動に対する単なる知的好ふっ

訂正⇒単なる知的好奇心によるものだ。


7546:識別番号01

堪えきれず噴いてんじゃねぇか!? お前ってほんと段々と人間くさくなってきてるよね……。



――――――――――



私が食べている間、次々と彼が缶詰を鍋に入れていく。もしかしたら私が断わるまで出し続けてくれるのだろうか? 彼は人間が一度でどれくらいの量を食べるのかを知らないのかもしれない。


 でも、今はそれがとても有り難かった。いつもは小食だけど、今日はなんだか幾らでも食べられそうで鼻を啜りながらも箸を動かし続ける。


 熱い焼き鳥に絡んだ甘いタレがじんわりと口の中に広がる。それを甘いジュースで流し込む。そして次に鯖を食べてジュースを飲んで焼き鳥を食べるを繰り返す。箸が止まらない。


 食事をする速度は遅いため、そうこうしている内にまた新しい缶詰が出されて、それも口に頬張ると、また瞼が濡れる。そうやって無我夢中と言った感じに食べ続けていきそして――。


「……もうお腹いっぱいです……うっ……」


 調子にのって食べていたが六個目を完食した当たりでお腹がいっぱいになる。吐きそうとまで行かないが暫くは動けそうにない。とはいっても『ペガサス』の消化機能は人の数十倍であるため数分もすれば問題なく戦えるほどにまで落ち着くのだが。


 思わず膨らんだ気がするお腹を摩ってしまい小さなゲップを出してしまう……恥ずかしい……。


 ──こんなに食べたのはいつぶりだろうか? いや、なにも考えずに夢中になって食べられたのはいつぶりだろうか……。


 そうだ、あの日からだ。彼女に毒入りのお菓子を食べさせてから、その次の日から自分の食事にも毒が混ざっているのではないかと考えるようになってしまい。いつも食べていた量が喉を通らなくなっていって段々と食べる量を減らしていったんだ。


 それに三年生に進学してからはずっと一人で、食べることが苦痛でしかなくなって。死なないための単なる生存行為にまで食事の価値を下げていた気がする。 



――――――――――



7550:識別番号01

喰わせすぎた。それだけは分かった。


7551:識別番号04

なにをしている。


7552:識別番号01

あまりにも食べっぷりがいいから自分が食べようと思っていた分も全部あげちゃった。

でもまぁ、よかったよ本当に。お腹いっぱいになって沢山泣いて雰囲気がとても柔らかくなった。


7553:識別番号02

提案⇒そろそろ、その『ペガサス』に関してどう対応していくのかを議論したい。


7553:識別番号01

やばい忘れてた。元々はそれを皆に相談したかったんだ。

そんでだ……どうしよう……。


7555:識別番号04

無計画が過ぎるぞ識別番号01。



――――――――――



たくさん食べたおかげで心体共にかなり落ち着いて来た。だからこそ改めて自分がいま置かれている状況について、そして彼について考える。


 人型の『プレデター』と、もはや言ってもいいか疑わしいほど、あまりにも人間染みた行動をする人ではないモノ。


 椅子に座りながら腕を組み、光る瞳を左右に揺らしている仕草は人間のように何かを考えて悩んでいるようで、ただ人を殺すだけの『プレデター』とは違い、人間に近しい、或いはそれ以上の知性があることを思わせる。



――――――――――



7556:識別番号01

いや、缶詰を温めていた時に色々と考えていたんだけど何も思いつかなかったよね……。

というわけで何か良い案ない? こう平和的な方向で!


7557:識別番号03

自身の思考能力では平和的と思わしき解決策は思いつきません。

申し訳ありません。


7558:識別番号01

気にすんなよゼロサン。それにゼロヨンもな!


7559:識別番号04

まだ何も言っていないがと抗議する!


7560:識別番号01

冗談だよ冗談。

ゼロヨンもなんだかんだで感情豊かになったなー。感嘆符も気がついたら使ってるし。

もちろん案があるなら遠慮無く言ってほしい。頼む。


7561:識別番号04

平和的な解決を望むならば識別番号01が行うべき行動は――――このままその『ペガサス』が何らかの要因で死ぬまで同居する。


7562:識別番号01

……めっちゃ頑張って考えてくれたみたいで本当にありがとね。でもそれ監禁って言って平和的なやつじゃないんだよね。

それに、彼女の友達や家族、仲間とか戦友とかが待っているだろうから縛る方向は無しで、できるなら最低限でも住んでいる所に返して上げたい。


7563:識別番号02

回答⇒事前に方向性を決定するよりも『ペガサス』が識別番号01に行うアプローチによって臨機応変に対処するべきである。


7564:識別番号01

あー、それもそっか。


7565:識別番号02

警告⇒『ペガサス』が識別番号01に何らかの危害を加える場合はそれに準じた対応を識別番号01に求める。


7566:識別番号01

分かってるよ。最悪この街とはおさらばして旅に出る覚悟はしてる。

そうなったら出会うプレデターぶっ倒しながらゼロツーたちに会いに行ってもいいかもなぁ。

みんな何処住みだっけ?


7567:識別番号02

回答⇒海中。


7568:識別番号03

森の中です。


7569:識別番号04

山中にある洞窟の中。


7570:識別番号01

なにひとつ特定できねぇ……。



――――――――――



彼は何者なのか、このリビングにある本を読んで何をしていたのか? そもそもこの『街林』に住んでいるのか。なんでそんなにも人間のようなのか? 知りたいことは沢山ある。


 ──だけど、いま何よりも知りたいこと。知らなければいけないこと。そして“するべき”ことは既に決まっていた。


「……あの、ご、ごちそうさまでした。美味しかったです」


 彼にどうコンタクトをとっていいのか分からず。とりあえずご馳走になったことを感謝すると彼は視線をこちらに向けた。



――――――――――



7579:識別番号01

くっそ。やっぱり派手なジェスチャーしようとするとバグったかのように何も出来なくなる。

できるのはやっぱり、首を左右上下に振るか指を動かすことぐらいか。といっても首を動かすのもちょっと制限掛かるっぽいんだよなぁ……。


7580:識別番号04

触手はどうだ?


7581:識別番号01

多分、触れようとするぐらいなら行ける。なにか伝えようとすると動かし方をその瞬間だけ忘れるって感じ。



――――――――――



「その……私の言葉が分かりますか?」


 ──彼は少し間を空けて首を縦に振るった。本当に首を下に傾けて戻すぐらいの動作であるが肯定という意味で間違いないだろう。


 言葉が分かる! つまり意思疎通ができる!


「い、幾つか質問したいことがあるんですが、答えてくれますか?」


 彼は即答気味に頷いてくれた。


 ──心臓の鼓動が速くなる。気持ちが先走りそうになるのをなんとか落ち着かせて、言葉を選んで、ゆっくりと、それでもやっぱり焦りを隠せずに声に出していく。


「……私は『ペガサス』と呼ばれる人間です。私たち『ペガサス』の体内にはプレデター細胞が存在しています。……それが完全な活性化状態となると『ゴルゴン』……貴方と同じ『プレデター』になります……私はついさっき『ゴルゴン』になる寸前でした」


 問い掛けを行う前に、自分たち『ペガサス』がどういった人間なのかを不器用ながら簡潔に伝える。これは私が心の整理をするために作った時間でもあった。


 ──時間が無いのは分かっていた。なのにあまりにも自分勝手に悠長に過ごしてしまったと今更になって後悔する。そうやって心が不安定になるのを深呼吸で落ち着かせた後、数秒ほど躊躇い。そして意を決して尋ねる。


「──私がまだ人でいられるのは、貴方のお陰……なの?」


 ──彼は躊躇いなくすぐに頷いた。



――――――――――



7590:識別番号01

やっぱり其処が気になるよな。真っ先に聞いてくれたのはめっちゃ良いことじゃないか?

勝ったな。彼女が入るための風呂湧かしてくるわ!


7591:識別番号02

質問⇒それが時折識別番号01が言うフラグというものか。


7592:識別番号01

こちらでの質問は現在受け付けておりませんね。

ってなにしてんだよ!?


7593:識別番号04

なにがあった?


7594:識別番号01

『ペガサス』の子が俺の前に近寄ってきたと思ったら……なんて言えばいいんだ。

そう……縋って来たんだ



――――――――



「──お願い……お願い! お願いします!! 私を救ってくれた貴方しかいないんです! ……私の……私の親友を助けて……っ!」


 衝動的に椅子を倒すほどの勢いで彼の傍で跪いた私は全身全霊を持って、私の親友であり唯一の同級生である月世を助けてほしいと懇願する。


 月世には時間が無い。活性化率が【94%】である彼女は現在『アルテミス女学園』にて昏睡状態となっており進行を遅らせているが、いつ抑制限界値である【95%】を超えてもおかしくない状態だ。


 それに私が行方不明になっている現状を、“生徒会長”が“卒業”していると判断してしまえば、月世はその時点で毒を用いて“卒業”させる事となっている。


 そんな月世の事を彼に掻い摘まんで話した。ちゃんと話せている自信は無い。それでもこちらを見て真剣に話を聞いてくれる彼のおかげで、最後まで伝えたいことは全部言えた。


 彼がどういうつもりで私を助けてくれたのかは分からない。それに対して私にどのような対価を求めてくるのかを考えると少しだけ怖い。


 でも何よりも救われたのだ。死ぬしかなかった現実を変えてくれた奇跡の体現者で、彼だけが私と同じように月世を救ってくれる唯一の存在なのだ。


「私のために最期まで生きることを選んでくれた親友なんです……このまま死なせたくないの……だから、私と一緒に『アルテミス女学園』へ来て……くださいっ!」


 自分がとんでもない事を頼み込んでいるのは重々承知だ。月世の時と同じように尊重という言葉がひどく欠けているという自覚はある。私が来て欲しいと言っている場所は、『プレデター』である彼にとって敵の根城そのものなのだ。


 人間で言えば『プレデター』の巣窟に来てくれと言っているようなものだ。狂ってるなんて言われてもそうだとしか答えられない。人と同等以上に賢い彼の事だ。私の願いを聞けば自身がどれだけ危険な目にあうのか分かるのだろう。現に彼は首を動かさない。


 昨日まで枯れていた筈の涙腺から、壊れたかのように涙がまた溢れてくる。ほんの一秒が月世の生死を分けるというのにどうして彼女の事を第一に考えられなかったという後悔と、彼に断わられるのではないだろうかという不安に押しつぶされそうになる。


 自分はこんなに弱い人間だったのだろうか。弱かったんだろう。今まで見ない振りをしてきた弱さが彼の前ではどうしても隠すことが出来ない。だから雨の中で泣いていた時のように心の底から願うことしかできない。


「……助けて、ください……っ!」



――――――――――



7619:識別番号01

……みんな……俺は『ペガサス』の学校に行くよ。そんでこの子の親友の中で暴れるくそったれな人工細胞を鎮める。


7620:識別番号04

強く反対する。その『ペガサス』は識別番号01に友好的であるようだが、『ペガサス』たちが多く存在する拠点に行くのはあまりにも危険過ぎる。


7621:識別番号03

識別番号04に賛成します。あまりにも危険すぎます。


7622:識別番号02

疑問⇒識別番号01は何故そこまで、その『ペガサス』に加担する?


7623:識別番号01

別に難しい事はなんもねぇよ。

この子はさっきまで幸せを感じて泣いていたはずなのに、今はまたその友達の事を思ってまた悲しい顔で泣いている。だけど奇跡的に、俺には親友を救えて、この子の笑顔を取り戻せるチートがあるんだ。

だったらもう行くしかないじゃんか。


7624:識別番号02

応答⇒ならば止めはしない。

要求⇒身の安全を最優先にした行動を取ること。


7625:識別番号04

どういうつもりだ識別番号02?


7626:識別番号02

応答⇒識別番号01の性格を考慮するにこちらが反対をしたところで無視して動くだろう。

結論⇒ならば識別番号01の決断を早急に受け入れて対応を行ったほうが識別番号01の安全に繋がると判断した。


7627:識別番号01

ほんとうに心配掛けてごめん。でも俺はこの子の親友を救えるなら救いたい。それはきっと彼女を助けた責任にも繋がると思うんだ。

……まぁ本当に難しいこととか置いておいて可愛い女の子に泣いて欲しくないだけなんだけどな!


7628:識別番号03

識別番号01の行動理由について理解出来ません。ですが識別番号02の意見に賛同します。


7629:識別番号04

────目的地はどこだ?


7630:識別番号01

来てくれるつもりなのはめっちゃ嬉しいけど、それこそ『ペガサス』がたくさん居るところなら、最悪逃げるにしても俺だけのほうが良いと思う。


7631:識別番号04

────了解した。


7632:識別番号01

みんなありがとな。これが終わって会えたら酒でも一杯奢らせてくれよな! 飲めるか分からないけど!


7633:識別番号02

抗議⇒フラグを立てるな。


7634:識別番号01

フラグの意味ちゃんと理解してんじゃねぇか!



――――――――――



呼吸を忘れるほどの長く感じた沈黙の後――彼はおもむろに立ち上がると、リビングを出て行ってしまう。駄目だったのかと勝手に絶望しかけた時。彼はすぐに戻ってきた。


「あ……私の制服……」


 その手には私の制服と大切なリボンがあった。


「あ、あの!」


 どういう事かと聞く暇もなく、制服たちを渡してくると玄関の方へと指を伸ばし、そして今度は家の外へと出て行ってしまう。


「──っ! ありがとう……ありがとう!!」


 彼の一連の行動の意味を理解した私は、泣きそうなのを堪え、涙を拭いヘアゴムで髪を結ぶ。髪は切りたくない、だけど戦う時に邪魔にならないようにとし始めたポニーテール。


「待ってて月世……!」


 ──月世を助けるために、そして彼を待たせないために私は急いで制服に着替え始めた。


+++


 雨に濡れきった制服であるが吸水速乾性が高い特殊繊維が使用されているため殆ど乾いていた。正確に言えばまだ半乾きであるが、今更気にするほどの事でもない。


 玄関には自分の『ALIS』である【ルピナス】が立て掛けられており、どうやら彼が下ろしてくれたようだ。


 玄関の扉はすでに開かれており、雨が止んだ外で彼が腕を組み静かに待っていてくれているのが見える。


 蛇の頭を持つ八本の触手を左右対称に広げている姿を見て、彼が人外であることを改めて自覚する。


「──綺麗」


 だからこそと言えばいいのか偶然でしかないのは分かっているけど、雲の隙間から差し込む光芒によって照らされる様は、あまりにも神秘的で一瞬見惚れてしまった。


 彼が振り向き目があった事で正気を取り戻した私は小走りに近寄る。


「あ……と、ご、ごめんなさい」


 そのさい。どうやらまだ体のほうは本調子ではなかったらしく、足を引っかけてしまい転びそうになったが、彼がとっさに受け止めてくれた。


 周囲を見て地形を把握する……よかった見覚えがある場所だ。方角も分かる。たぶん一時間もすれば学園に到着するだろう。


「学園はあちらのほうです。案内するので付いてきてください……えっと、どうしま――え? きゃっ!?」


 少し考え込んだ素振りを見せたあと、彼は【ルピナス】を触手で持ち上げると、そのまま私を抱き上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。


「あのっ!? いったいなにを……っ!?」


 顔が一気に熱くなるほど戸惑っている間に、私を抱き上げながら彼は走り出した。


「はっ、速いっ!?」


 急加速、速力ともに尋常ではなく風圧が一気に押し寄せてくる。速い、とにかく走る速度が速い。〈魔眼〉を使ったとしても彼に追いつける『ペガサス』がいるのだろうかというほどだ。


 彼は自分が指し示した学園がある方角へと、とにかく真っ直ぐ向かう。その道中に建物があれば壁を登ったり、走ったり、飛んだりと『ペガサス』とはいえ、あまり経験したことのない高速立体機動に悲鳴をあげそうになる。


「でもっ! これならっ!」


 自分が先導して歩けば一時間はかかると思われた道のりが、彼のおかげで十分も掛からず学園へ到着できるだろう。


 自分が卒業したと判断されてもおかしくない時間が経過している。残されている時間は少ない。あるいはもう手遅れなのかもしれないと不安が積み重なる。だから願う。


 ──お願いします神様。私を救ってくれた現実奇跡をどうか、親友にも与えてください。


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