第29話 期待を裏切ることを裏切らない彼女

 嘆く銀ノ宮を慰め、なんとか夏ノ宮も捕まえて事情を説明して正確な状況を分かってもらった。


 ただ、今度は別の責めを受けていた。


「ふーんふーん、それでたつたつは撫子ちゃんとファーストキスしちゃったんだー。へー。しかもしかも、撫子ちゃんのことを"撫子"って呼ぶことにしたんだー。へー」


 夏ノ宮の絶対零度の視線を受けながら、行ったことのない極寒の地であるシベリアを疑似体験している。


 それからなぜか銀ノ宮と夏ノ宮それぞれと二人で出かけるという約束も取り付けられてしまった。そうして満足したのか銀ノ宮と夏ノ宮は二人でどこかへ出かけることになって、必然的に部屋から追い出された。もう何がなんだか分からない。


 というかあの二人ももうだいぶ仲良くなっているな。




 時間はすでに夕方。夕飯の材料を買うために近くのスーパーへ向かおうとアパートの外に出ると、遠目からもわかるぐらいの高級なスーツを着た男性がアパート全体を眺めていた。


 軽くお辞儀をしながら横を通り過ぎようとしたところ声をかけられた。


「君はこのアパートの住人か?」


 決して厳しい言葉を言われたわけではない。しかし、その男性から感じた威圧のようなものに一瞬ですくんでしまい、すぐに返事ができなかった。


 その男性は再度問うた。


「君は、このアパートの住人か?」


「は、はい。そうですけど、何か……」


 返事を返すと、まるで何かを見極めるようにこっちを見た。自分の奥底の何かを見通されているような感覚を感じた。


「銀ノ宮 雫という人物を知っているか?」


 ……この人物は銀ノ宮の親族か関係者なのか? 質問に対しては当然『Yes』となるのだけれど、なぜか素直にそう言わない方が良いと直感的に感じた。


「すみません、知りません」


 そう言うと男性から目をそらした。


「……そうか」


 男性はそれだけ言うとまたアパート全体へ視線を向けた。もうこちらへの興味は一切ないようだ。軽くお辞儀をして横を通り過ぎた。


 一体、何なんだろうか。ただ、脳内にチクリと抜けないような棘が刺さったような気がした。




 無事買い物が終わり帰ってくる頃には、夕飯時になっていた。手早くサラダを用意して、生姜焼きを作り夕飯をテーブルに並べていると同タイミングでチャイムが鳴った。


 玄関に行き、扉を開けた。


 そこにはタッパーを持って立っている撫子がいた。


「お、おう。どうした?」


「あー、ちょっと恥ずかしいんだけど……」


 瞬時に察した。もしかしてあの撫子が自分のために夕飯のおかずのおそそわけをしてくれるのかと、手元のタッパーを見て思った。


 それと同時に自然と撫子の唇に視線がいってしまう。もしかして部屋に上がって一緒に夕飯をとか言われて、お昼のようなアプローチを受けるのだろうか。


 撫子の続く言葉を待った。そしてその魅力的な唇から言葉が紡がれる。








「料理作るのだるいから、おかず分けてくれない?」








 俺の純情返せ。


 撫子は普通に生姜焼きを幾分か入手してご機嫌で自分の部屋に戻った。


 やっぱり、俺の純情返せ。


 ……でも、これはこれでうちららしい気がする。なんだかこれからも上手くやっていけそうな気がした。


 少し減った生姜焼きはなんだかいつも以上に美味しく感じた。


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達也くんとわたしたちのアオハル事情! 森里ほたる @hotaru_morisato

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