第25話 勢いで言っちゃうよね。わかる。
『楽しんでるかい、相棒?』
焦っている心にすっと入ってきた言葉。もうすぐ始まるお点前の緊張が弾ける炭酸のようにはじけ消えていく。
「おーい、相棒? 聞いてんの?」
「……聞いてるよ」
「そかそか、じゃあそろそろ準備開始だ。楽しんで!」
「おお」
すぐに桜ノ宮は別の準備や作業に戻った。
まだ緊張はあるけど落ち着いた。でも悔しいから聞こえないように言った。
「ありがと」
聞こえていないはずなのに、桜ノ宮はこちらに背を向けたまま左手をあげて答えてくれた。
お点前の準備。
茶巾を洗って整えて茶碗に置く。茶筅と茶器を定位置に準備しておく。水指の水が少なくなっていないか周りに水滴がついていないか確認する。代茶碗も用意する。
身だしなみもチェックする。シャツが出ていたり、ネクタイが曲がっていないか。袱紗をきちんと腰につけているか。
あとは一通りのお点前の流れをイメージした。
……大丈夫だ。行ける。
そんな時に他の先輩が水屋に来て告げた。
「みんな聞いて聞いて! 次の席にうちの流派の有名な先生がいらっしゃるそうです!」
どうも流派のお偉いさんが自分の席に入ることになった。事前の予定では次の席に入ってもらうように準備していたが、急遽、先生の予定で一席分早めになってしまったようだ。
その先生は厳しめの評価をすると噂の人物。そんな席を自分が持っていいのかという思いが浮かぶ。
何人かの部員は凛子さんの顔を見た。もしかするとお点前の順番を変えるかもしれない。
一瞬思案顔をした凛子さん。そして良い笑顔でこっちを見た。
「いい舞台が整ったじゃねーか、ルーキー! お前の本気を見せてこい!」
まさかの続行指示。
「……凛子さん、良いんですか? 俺じゃなくてベテランの人がやった方がいいんじゃ?」
つい、そう言ってしまった。そしたら、凛子さんは睨むようにこっちを見た。
「ああん? お前さんはお客さんによってお点前を変えんのか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど、上手い人の方が……」
その返事に凛子さんはハンッと鼻息を出した。
「私がアンタにお点前を託したのは程よくお点前を覚えたからじゃねえ! アンタが本気でお点前をしてぇって私が認めたからだ! それはどんなお客さんにだろうと出していいと判断したんだ!」
揺るぎない視線でこっちを見る。
「お客さんは誰だろうと関係ない。自分の出せる精一杯を出してきな、ルーキー。あとは私がなんとかしてやるからさ」
……かっこいいな、凛子さん。
「押忍! ありがとうございます! 頑張ってきます!」
お礼を言い、準備を続けた。
そして席が、自分の出番がやってきた。
まずは水指を床に正座状態で置き襖を開けて挨拶するという流れ。しかし、緊張で手が僅かに震える。
襖を一つ隔てた先にはすでにお客さんが席に着いていて、席が始まるのを今か今かと待っている。早く襖を開けて始めなければと思いながらも、手が動かない。
緊張と失敗の想像。さっきからこれの繰り返しだ。今まで練習してきた内容が飛んでしまいそうだ。どれだけ収めようとも悪いイメージは自分の中で加速していく。
突然、ふわりと良い匂いがした。
彼女が優しくこちらの肩を抱きしめてくれた。
「大丈夫だ、相棒。Take it easy. すべて上手くいくさ、なんでか分かるか?」
いつも変わらない彼女。だからだろう、こんなに心を落ち着かせてくれるのは。
その目には絶対の自信があり、こっちの心を満たしてくれる。
ああ、彼女の相棒で良かった。
そんな彼女は最高の笑顔と確信を持って告げた。
「私たちが最高で相思相愛の最高パートナーだからだよ!」
「……って、なんで相思相愛なんだよ!」
いつものハンマー代わりに手でツッコミを入れた。
「え? 違うの?」
桜ノ宮はニヤニヤ顔でこっちを見る。
いつもであれば『違う』の一言でバッサリ斬り捨てているところだろう。まぁ、今日は、リラックスさせてくれたことに免じて乗っかってやろう。
「いや、違わない。愛してるよ、撫子」
そして、席が始まった。
結果から言うと、お点前は無事上手くいった。むしろこの短期間でよくそこまでできたねと辛口の先生からも好評価を頂けたくらいだ。
むしろ何かあったのは茶道部のスーパーエース、桜ノ宮の方だった。
花の名前は忘れたり、道具の名前を間違えたりと他の部員からすると桜ノ宮としては今まで一度も見たことのない失敗をしたとのことだった。
自分も一緒の席でお点前をしていたが、お点前に集中し過ぎで気がつかなかった。
その席が終わり、桜ノ宮は周り全員から心配されていたけど、凛子さんと二人で何かをコソコソと話をしたら次の席から完全復活していた。
そうして何順かのローテーションをして、最後の席が終わり、後片付けも終わった。凛子さんからみんなへ締めの挨拶をしてもらっている。
「やい、おめぇら! さいぃっこうだったな! いいお茶席だったじゃねえか! 亭主もお点前もみんな成長していたぜ!」
なかなか褒めないあの凛子さんが手放しで褒めてくれた。そして総括まで短くまとめた凛子さんが思い出したかのように言った。
「……よかったぞ、みんな! あっ、そうだ、ルーキー!」
「お、押忍! なんですか、凛子さん?」
「いや、大したことじゃないんだけど、ルーキーにご褒美だ!」
「え、ご褒美、ですか……? なぜ?」
「あー、まー、ルーキーは本当に短期間で本当に頑張ったからな!」
なんだろう、返事にいつものようなキレが無い。正直他の人はもらっていないのに自分だけもらうのは気が引ける。しかし、ここで貰わないのも変に空気を壊してしまうような気がする。
「……あ、ありがとうございます。それでは、ありがたく頂きます」
「うむ、いい返事だ!」
凛子さんが満足そうに頷いた。そしてご褒美の内容を告げる。
「じゃ、今度の休みに撫子とデートな!」
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