第13話 焼肉で癒せない傷を負ってはいけない
『今日は良いことがあったから、パンツ記念日!』
今朝あった自分の惨状を思い返すと頭が痛くなってきた。そしてパンツを被っていた理由は結局分からなかった。
習慣というか惰性というか、いつものように席に座り講義を受け、気が付くと周りの学生がぞろぞろと席を立ち始めていた。どうやら講義がいつの間にか終わっていたようだ。
……もう今日はダメだな。昨日の意味不明なゲリライベントのせいで心の平穏が保てていない。
ため息をついた。
……よしっ、そうだ。そんな日はアレだな。
自分には気持ちを切り替える最強の秘策がある。人生では思った以上に頻繁にくるダメダメな日。そういう日をなんとかするための特別な切り札。
さっそくポケットからスマホを出してメッセージを送る。
『今日、暇?』
『あいあい、どしたー?』
ほぼほぼタイムラグ無しに返事が返ってくる。
『焼肉行こう』
『おけおけ、"この肉"?』
『うん、17:30』
『おけおけ!』
これは1分以内のやりとり。周りから見たら何を言っているか分からないメッセージのやり取りだろう。これが彼女、夏ノ宮 向日葵(なつのみや ひまわり)とのいつもの会話である。
約束の17:30より10分前に店に着くと、夏ノ宮はすでに店の前にいて、ご主人が帰ってくるのを待つ犬のようだった。
「よっ、たつたつ!」
「悪い、待たせた」
「いやいや、私も今来たところだよ! 早く行こっ!」
もう我慢できないぞと強引に飼い主をを引っ張る飼い犬のように店へ連れていかれる。
ここはよく行く焼肉屋さん、『この金網に、お肉を広げて』。
学割を使うとかなりリーズナブルに焼肉食べ放題ができる食べ盛りの学生向けのお店だ。店長がこの大学の卒業生らしく、自分が学生の時に無かったリーズナブルでたくさん食べられる美味しい焼肉屋さんをという思いで建てたそうだ。
そしてその情熱が伝わったのか学生だけではなく、一般の人も多く足繁く通うお店である。
ただ、店名が長いのでみんな"この肉"と愛を込めて呼んでいる。
席に通されて、すでに目の前の鉄板は十分に熱せられていて、肉が乗るを今か今かと待っている。
「にーく、にーく」
夏ノ宮も待ち切れないのか、肉と連呼している。まるで小さい子どもみたいであるが、彼女の可愛い容姿と合わさるととても微笑ましい。
それからすぐに肉が運ばれてきて、焼肉がスタートした。
『肉にキープは無い』
これは夏ノ宮との焼肉における唯一無二の掟だ。どちらがどこの網で肉を育てていたとしても、どちらが食べるかは神のみぞ知る。……成人しているのであるから、譲り合う精神を持てばよいのだが、夏ノ宮はそれを認めない。
『ダメダメ! ここは、戦場! 食べるか死ぬかの瀬戸際にいるんだよ! 真剣に食べないと!』
これは前に夏ノ宮が残した名台詞だ。……彼女の前世は、焼肉を食べ逃して無念の死を遂げた歴戦の武士であったのだろうか。何が彼女をそこまでそうさせるのかはわからない。
ただ、こういうノリも含めて変に肩に力を入れずに自然体になれる夏ノ宮との時間はとても好きだ。
それから二人ともある程度お肉を腹に入れて落ち着いたときに夏ノ宮が尋ねてきた。
「それでそれで、たつたつ、どうしたの?」
夏ノ宮はこっちが話しやすいように深刻にならないような気軽さで話を振ってくれた。元気一杯で子どもみたいな所もあるけれども、気配りで優しく受け止めてくれる所もある。大学で夏ノ宮が人気でモテている理由が分かる。
ややショートカットでミルキーブロンドの可愛い髪型。柔らかそうな頬。少したれ目で笑った時のえくぼが可愛い。それに通り過ぎる人が二度見するぐらいの巨乳。
そんな容姿も相まってモテモテな夏ノ宮。ただ、彼氏はいたことが無いらしく、良い人いないかなというぼやきをよく聞かされる。こんな良い奴をほったらかす世の中の男は見る目がないな。
改めて相談というか愚痴を言うのに少し躊躇していた。だが、お腹が膨れて気持ちもリラックスしていたのも手伝って、昨日と一昨日の話をした。恐怖体験のようなただの勘違いのようなやっぱり恐怖体験だったような。そして最後に残った謎の不燃焼感。
夏ノ宮は何も言わずに全て聞いてくれた。
そして、こちらの話が終わった時にこちらのそばまで来た。そのまま流れるように夏ノ宮は腕をこちらに伸ばしてきたかと思うと、頭を優しく撫でてきた。
「なるほどなるほど。それは大変だったね」
夏ノ宮は優しく微笑んだ。
「そうかそうか、焼肉緊急招集の理由はそのせいだったんだ」
なぜだから分からないが、夏ノ宮のその声と手の温もりで荒れていた心が落ち着いていく。ただ、同学年のはずなのに、この子供と母親感は大変恥ずかしい。
色々思う所はあるし、大げさかもしれないが、焼肉と夏ノ宮が居る限り明日も明後日もこれからずっと頑張れる気がした。照れくさかったがそれを素直に言葉で伝えた。
それからしばらくされるがままに頭を撫でられていると、夏ノ宮が少し緊張しているような話し方で尋ねてきた。
「と、と、ところでところで、今日はどうするの?」
そのセリフで今自分が置かれている状況を気がついた。昨日あんなことがあったのだ、今日も家に帰ると同じことやよりややこしいことになるかもしれない。
こちらの表情からどんな状況かを悟った夏ノ宮は小さく深呼吸した。それからこちらを見て言った。
「も、もしももしも、たつたつが家に帰るのが嫌だったら、今日はうちに泊まる?」
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