第12話 そしてなによりも速さが足りない(涙)
大学にかかる費用とはとても多い。入学金、授業料、教科書代、一人暮らしならそこにアパート代等々。
我が家は有難いことに両親が入学金と授業料を出してくれているのでなんとか生活していける。本当に感謝している。
だからこそきちんと学ぼう(元を取ろう)と決めた。そしてそれなりにはきちんと色々なものを大学で学んできた気がする。
しかし、今日は違った。
今までの人生で一番集中せずに講義を聞いている。ノートも一切取らずにただ教授が黒板をチョークで白く埋めては消し、またさらに白く埋めるという行為を何も考えず眺めている。
それはそうだろう。昨日あんなことがあったのだから、集中できるはずもない。
講義室の窓に映るアンニュイというには締まりがない表情をする人物が映る。自分だ。そんな気の抜けた顔を見ていると、ゆっくりと昨日の出来事が脳裏に蘇る。
『これからぜひ結婚を前提にお付き合いお願いします。達也さん』
そう、彼女、銀ノ宮 雫は真摯にその願いを口にした。
そして、どんな雪でも溶かしてしまいそうなとても温かく優しそうな笑顔をこちらに向けてきた。そんな表情にこちらはつい言葉を無くして、その蕩けるような笑顔に反応するように、ゆっくりと手を伸ばした。
携帯に。
「もしもし、警察ですか。不審者です。」
そうして、一目散に部屋から逃げ出そうとする。やはり自分の直感は間違っていなかったと今、確信した。
これはそんじょそこらの悪霊よりたちが悪い。
いくら悪霊が怖かろうが、勝手に人の名前まで把握し、婚姻届を突きつけてくることはない。それも丁寧に付箋による記入箇所の説明付きで。
それにマンガの世界ならいざしらず、ここはまともな現実世界だ。明らかに銀ノ宮は常軌を逸している。
だからさっきよりも速く部屋を出て逃げ出そうとする。今こそ真の緊急事態だ。
一歩を踏み出し、さらにもう一歩というところで銀ノ宮に足を掴まれる。あまりにも強い握力にその手を振り払うことができず、バランスを崩して前のめりに倒れてしまった。
逃亡が失敗。
続けてその握力ゴリラ型女子は無情にもこちらの携帯を奪い取った。
「あっ、すみません。酔っ払いの戯言ですのでお気になさらず」
そうして通話を切る。
絶対絶命だ。
藁にもすがる思いで、桜ノ宮を見る。こちらの目線を受け取り、一瞬きょとんと普段はしないような可愛い仕草で首を傾げた。そして、すぐに何かに気がついたような表情をしてベッドのそばから玄関の方へ向かった。
やはり桜ノ宮は頼れる。心からのありがとうの気持ちを胸に、"誰か助けを呼んで来てくれ"という願いが奇跡的に伝わったことを喜んだ。
その思っている間に春ノ宮は玄関の方まで進み、途中で90度方向転換した。そうして彼女の目的地まで到着した。……冷蔵庫の前まで。
ガチャッ
「えー、どれどれ。おー、ちゃんと料理してんのな。すご」
そう言いながら冷蔵庫から作り置きしてあるおかずを取り出し、彼女が先ほど部屋から持参してきた飲み物を出してきた。
そして、こっちにウインクした。
「分かってるって! まずはみんなで交流を深めよう!」
もう意味が分からない。というかこの野生児に期待したのがダメだった気がした。桜ノ宮はみんなにグラスを渡して飲み物を注いだ。それから、高らかに宣言した。
「かんぱーい!!」
桜ノ宮はグラスの中身を一気に美味しそうに飲み干す。そしてその三倍は水を飲む。横を見ると、銀ノ宮も負けじと、ちびちびとであるが飲み干そうとしている。
意味が分からない。本当に意味が分からないけれど、負けじと飲み物を一気に飲み干すことにした。
自分のグラスをじっと見たあと、一気に飲んだ。……ん? なんだか変な味の飲み物だ。まるで喉が焼けるような……。
しかし、不思議なことにテンションが上がってきた。なんだか楽しくなってきた。それは他の二人もそうだったようだ。
そこからはあまり覚えていない。
みんなで自己紹介したような、同い年だけど学年的には一個下の後輩のような、今度誰かがこのアパートへ引っ越してくるような、そんなふわっとした記憶。
直後、視界は真っ暗へ。
そして、外から入り込む光で目が覚めた。
なぜか頭にズボンを被って、一人っきりで部屋で寝ていた。
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