序章 後
ドサッ、と音が響いた。少年が倒れたのだ。そうだ、本来なら失血死してもおかしくない量の血液が流れ出ている。私はスクールバッグの中からタオルハンカチを出し、傷口に押し付けた。こんなもので止まるとは思えなかったが、何もせずには居られなかったのだ。
「お前、名前は?」
力が入らないのか、身を私に預けたまま、少年は小さくそう口を開いた。
少年の不遜な態度も気にならない。少年は自身を王族と言った。私も少年に自然と使い慣れない敬語が出ていくほどに、そういった風格のようなものを感じ取っていたのだろう。
「私は、中村真理恵といいます。真理恵が名前で、中村が苗字…ファミリーネーム。」
「そうか。マレ?マレェ?ううん、難しい名前をしているな。」
先程までの激闘が嘘のように、少年は「マリエ」の発音を繰り返す。少年にとって、というより少年の国の人達にとって、私の名前は難しいものだったらしい。
「好きに呼んでいいですよ。マリでも、マレでも。」
「では、マリーと。バルツベルングでは貴族が好んで付ける名だ。」
愛称らしくていいだろう、と笑う少年は年相応の顔で笑っていた。
「僕の名はアルブレヒト。マリー、覚えていてくれ。君の友人の名だ。」
え?と問い返す。
「剣を握ったことのない君が、剣を握り、ベルサヴォーグに立ち向かった。僕は君に敬意を表す。君こそが、僕の真の友人だ。」
背筋の伸びる気持ちだった。半ば衝動で剣を握り、とどめを刺した訳でもない。守られただけだ。そんな自分がこの美しい少年の友人などと。
「私は、結局なにもしてません。ただ貴方に、アルブレヒト様に怪我を負わせただけです。そんな私がアルブレヒト様の友人になれますか?」
「なれる。マリー、君が弱いことを恥と思うなら、これから強くなればいい。強くなり、僕の隣に並び立て。」
これから強く。なれるだろうか。いつかもう一度この少年に会った時、今度は彼を守れるほどに強く。
少年が緩く上げた手を、少し躊躇いがちに握った。
少年が気を失ってすぐ、少年が出てきた穴が広がり、大勢の人間が出てきた。その中から少年と同じ銀髪の男性が一人飛び出してきた。
「アルブレヒト!」
「王!いけません揺すっては!」
顔立ちもよく似た、王と呼ばれた人。この人が少年の親類であろう事は容易に推察できた。
少年の国の人に事情を説明している間に、日本の警察らしき人達も入ってきた。佐伯と名乗る警察官は「こういう事件」の担当らしく、事後処理にあたるらしい。
「アルブレヒトは君のおかげで助かったんだ。誇りなさい。そしてアルブレヒトもまた君を救った誇りを抱いて生きていくんだ。ありがとう。」
少年の父親と名乗った男性はそう言って、化け物、もといベルサヴォーグの遺骸から剣を引き抜くと鞘に仕舞い、それを私に預けると言った。受け取った剣は、先程よりずっと重たく感じた。
少年は担架のようなものに乗せられ、父親とその他大勢の人間と共に黒い穴の中へ消えていった。
この事は一切ニュースになることも無く、時間の闇の中に消えた。死んだ人が生き返ったわけでもないのに、何も騒がれず、ただ時折ひっそりと、遺族らしき人が花を手向けにくる。私自身、たった一度だけ警察署に呼ばれ、「このことは忘れるように。口外もするな。」と言われただけだ。
この後私は佐伯さんに紹介されたカウンセリングに通い、同時に剣道場に通い始めた。高校では剣道部があったので入部し、忙しい日々を送ることになる。
自分を友と呼んだ少年のために。いつかまた会えた時、今度は胸を張って彼の友人を名乗れるように。
今度こそ、隣に立って戦えるように。
この後私は十年間、朝から晩まで死に物狂いで自身を鍛える事となる。
序章 [完]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます