第53話 柔らかい悪夢

『ハァ、ハァ、ハァ!』


 僕は走る。全速力で走る。

 後ろから、恐ろしいものが迫ってきている。追い付かれるわけにはいかない。 


『テケリ・リ! テケリ・リ!』


 甲高い笑い声。

 アイツだ。あのスライム娘が、僕を追いかけてきたのだ。


『ハァ、ハァ、ハァ、ハァ!』

『ほらほら、どうしまシタ? 走るのが遅くなってきましたヨ? また串刺しにされたいんデスか? さっきは腹でしたから、今度は腕? 脚? 胸? それとも、頭デスかね? 』


 残忍な狩人が、僕の背中にあの奇妙な笑い声を浴びせてくる。


『ハァ、ハァ、ハァ! ——あっ!?』


 ドサッ!


 何かに足を取られて、盛大に転んでしまう。痛みに顔をしかめながら振り返ると、足首に半透明の触手が巻き付いていた。


『テケリ・リ! つ~かま~えタ~!!』


 プルプルプルプル!


『う、うわ!』

 

 足元からゼリー状の波が押し寄せてくる。それは膝を越え、股下を越え、胸元を越えて、ついには口もとにまで到達する。


 プルプルプルプルプルプルプルプル!


『う、うっぷ……っ!』

『テケリ・リ! テケリ・リ! そーれ、ムギュムギュ🖤』


 スライム娘の柔らかな身体が、僕の顔全体を包み込み、半透明の内側へ取り込もうと、さらに圧迫を強めてくる。


『うううう……っ!』

『テケリ・リ! テケリ・リ! プルプル、ムニュ~ン🖤』


 く、苦しい! 息ができない! こ、このままじゃ……。

 僕は、顔にかかったスライムの壁をなんとか押し返そうと、腕に力を込めた。



「あんっ——!」


 突如、女の子の艶っぽい声が耳に響いた。

 驚いて目を開く。——ん? 僕、眠ってたのか。

 眼前に何かがある。至近距離過ぎて、逆に正体がわからない。

 僕の右手がその何かをつかんでいる。フニフニ。なんだろう、温かくて柔らかい。不思議と幸せを感じる感触だ。

 ここにきて、ようやく目が覚めてきて、同時に頭が回りだす。状況確認。僕は横になった状態で、誰かに抱き抱えられている。それもなぜか、お互い裸のようだ。——裸!?

 肌に感じる身体の丸みや柔らかさから、相手が女性であることがうかがえる。……ということは、今右手がつかんでいるのは、まさか——、


「オッパイっ――!!」


 思わず叫び声を上げながら、弾かれたようにガバッと身体を起こす。

 それとともに、視界に飛び込んできたもの——それは、メアの悩ましげな裸体だった。


「メ、メメメメメメメメメメメメ……」

「う~ん……。なんですか~?」

 

 驚きのあまり言葉が出ない僕を尻目に、寝ぼけ眼のメアがゆっくりと起き上がる。口に手を当てて小さくあくびをしてから、ムニャムニャと目をこする。

 

「——メア!」

「あ、ルクス様~。よかった、気がつかれたんですね? お怪我はもう大丈夫ですか? って――、キャアッ!」

 

 メアは自分の格好に気がついて、慌てて布団を引き寄せる。


「み、見ましたか!?」

「見てない見てない、何も見てない! 白い肌とか、くびれた腰とか、柔らかなそうなお腹とか、僕の手でも収まりきらない程おっきなオッパイとか……」

「し、しっかり見てるじゃないですか~! もう、ルクス様のエッチ!!」


 そんなこと言われたって、これは偶然というか、事故というか、ラッキースケベというか……。


「ん……ラッキースケベ? ……『修練のダンジョン』……敵に襲われて……それから——ティアナ!」


 僕はメアの肩をつかんで揺さぶる。


「メア! あのあとどうなった? 僕らはなんでここにいる? ティアナはいったいどうしたの!?」

「い、痛いですっ……! 落ち着いてください、ルクス様……!」

「あ、ご、ごめん……!」


 はっとして手を離す。

 メアはほっと小さくため息をつくと、これまでの経緯を語り始めた。



 メアが言うことには、あのスライム娘——ショコラの攻撃によって腹に致命傷を受けた僕を救うため、ティアナが機転を利かせて、僕にこの『ルーム』を発動させたらしい。外部の干渉を受けず、時間の流れも外とは異なるこの空間で、メアに僕の治療をさせるためだ。しかし、ティアナ自身はこの空間に入れず、外でひとり敵と対峙しているらしい。


「そんな……無茶な……」

「無茶なのはティアナ様もご承知のはずです。それでも、あの時はそうするより他になかったんです――」


 「失礼します」と言いながら、メアは僕の服をめくる。


「よかった。傷はふさがっていますね。――このようなはしたない格好で、ルクス様のお隣に侍らせていただいたこと、お詫びいたします。ですが、私の『回復』は、お互いの肌が接していればいるだけ効果が大きいので、勝手ながら失礼させていただきました」


 失礼もなにもない。ティアナもメアも、僕の命を救うために全力を尽くしてくれている。そのことについては、ただただ感謝しかない。ただひとつ、のんきにぶっ倒れていた僕自身が許せない。


「ごめん、メア。僕——」

「謝らないでください。――『仲魔』ですから。『今後、いくらでもメアのお世話になるから、今はまかせろ』って、以前、ルクス様が言ってくださったじゃないですか」


 返す言葉もない。だから僕は「ありがとう」とだけ口にした。

 メアは、照れたような顔でうなづいた。



 『TV』の画面を見ると、『【ご宿泊】のお客様、ご退出まであと15ミーツ(分)』とあった。

 【ご宿泊】というと、12ターム(時間)。半日眠っていたということになる。それだけ『回復』に時間がかかるほど、深い傷だったということだ。

 しかし、これはあくまで『この部屋の中で経過した時間』だ。外の世界では12ミーツしか経っていないはず(メアが教えてくれたが、ドアのプレートに『この部屋での1ターム(時間)は、外では1ミーツ(分)に相当します』と、説明が追記されていたらしい。僕とティアナの推測は正しかったわけだ)。その間、ティアナが持ちこたえてくれていればいいのだが。


「とにかく、外に出たら全力で敵を叩く。メアも協力してほしい」

「はい、もちろんです」


 しかし、いくら僕自身が回復したと言え、敵の力は絶大だ。ティアナを救出して、無事逃れることができるだろうか。

 僕が不安になっていると、身支度を整えたメアが慌てた様子で叫んだ。


「ル、ルクス様、見てください! さっきは読めなかったんですが、ドアプレートの説明書きが増えてます!」

「これは――!?」



 ゴブリンクイーンとの戦いでピンチに陥った時、ティアナが口にしていた言葉。


『たぶん、あのスキルを使えば、私は『強く』なれる……と思う。こいつらの包囲網くらい突破できる……はず』


 前に一度だけ『ルーム』を体験して、その直後、僕をぶん殴ったことのあるティアナだから至った推測。どうやら、それは正しかったみたいだ。

 ——これはイケるか? いや、賭けるしかない!



 プレートの説明書き曰く――。


『この部屋から出た直後は、【大幅にバフがかかります】(なお、滞在中に行った行為の内容によって、その効果は増減します)』





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