第40話 ゴブリンクイーン

 メアに『回復』のスキルをかけてもらうと、ゴブリンに攻撃された肩の痛みは薄らいだ。完治したわけじゃないけど、この程度なら問題ないだろう。


「本当にスミマセンでした~(泣)」

「もう謝らなくてもいいって。気にされると、僕もやりにくいからさ」


 それにしても、さっき話していた懸念が早速現実のものになったな。複数の魔物に襲われた時、直接攻撃の手段を持たないメアはパーティーにとってウィークポイント(弱点)になる。それにメアがやられた場合、『回復』スキルも使えず、パーティー全体が一気に窮地に陥ることになる。うーん、これは困ったぞ……。


「メア。敵の群れに遭遇して、私とルクスがすぐにフォローに回れない場合、無理に戦おうとしないで、『隠密』スキルを使ってちょうだい」

「え……。で、でも、おふたりが戦っているのに、私ひとりが隠れてるなんて……」


 メアが青い顔をして応える。戦力外通告を受けたと思ったのかもしれない。


「勘違いしないで? メアは『幻惑』や『回復』みたいな便利なスキルを持つ、云わばパーティーの生命線よ。倒れられたら困るの。だから、少なくとも直接攻撃の手段が手に入るまでは、無理しないでほしいのよ」

「そうだね。今後、いくらでもメアのお世話になるからさ。今だけは、僕らにまかせてよ」

「は、はい……。ありがとうございます~」


 メアの顔に笑みが戻る。それを見て、僕は思った。

 守りたい、この笑顔。



 どうやら、この地下三階エリアはゴブリンたちの巣窟になっているらしい。出くわす敵が、ことごとくゴブリンの群れなのだ。だいたい三匹から五匹の規模が多かったが、最大七匹の群れもあった。


「そ、そろそろキツくなってきたね……」

「弱音を吐かない! 一匹一匹はそんなに強くないんだから。ちょっと数が多いだけでしょ!」

「その数が問題なんだよ……」


 僕とティアナで大勢の敵を相手にするとなると、一回の戦闘時間も長くなる。ただでさえ、これまでろくに運動してこなかった僕にとって、スタミナの問題は深刻だった。


「だ、大丈夫ですか、ルクス様。『回復』をかけますか?」


 メアがオドオドしながら訊いてくる。


「いや、ありがとう、でも大丈夫だよ。メアのMPも限界があるんだし、怪我した時だけお願いするよ」


 本当はお言葉に甘えたいところだけど、僕より率先して戦ってくれているティアナがろくに回復してもらっていないのに、僕だけというわけにはいかない。


「そうよ、メア。ルクスを甘やかしちゃダメよ? これは修練なんだから、苦しい思いをするのは当たり前よ」


 うーん、体育会系は云うことが違うなー。文科系の僕は『楽して強くなれるなら、ぜひそっちで』って思っちゃうけどなー。怒られそうだから言わないけど。


 それでも、だいぶ進んだ気がする。マッピングの感じからして、だいたいフロアの3/4以上は踏破しているはずだ。そろそろゴールが見えてきてもいい頃なんだけどな。

 そんなことを思いながら道を曲がると、


「あ、あったよ!」


 地下に通じる階段を発見した。その脇には『セーブポイント』の巨大な水晶もある。

 やれやれ、これで地下三階も攻略か。

 ほっと一息ついていた僕らは、慌てて岩陰に身を隠した。『異様なもの』を目撃したからである。


 


 階段の入り口よりも背丈が高いために、背中を丸めてノッソリ現れたのは、ゴブリンの上位種・ホブゴブリンだろう。巨大な金棒を持った、筋骨流離とした大鬼だ。それが二匹。

 そして、そのホブゴブリンたちよりもさらに巨大な魔物が一匹、身体を無理矢理、粘土のようにゆがめて現れた。なんだあれ? なんであれで、壁が壊れないんだ?


(あれはきっとゴブリンクイーンよ……。おかしいわ、あんな高レベルの魔物、もっと下の階にしかいないはずなのに……)


 最後に現れた、巨大な胸と丸々とした太鼓腹を持つ醜悪な顔のメスゴブリンを見て、ティアナが青い顔をしてつぶやいた。


 『魔物は階をまたいで行動しない』。アンナさんはそう言っていた。だから『ピンチになったら、上の階に撤退するのも手だ』とも。目の前の光景は、その言葉の信憑性を揺るがすものだった。

 下層の強力な魔物が、階をまたいで行動する。そんなことになったら、このダンジョンの生態系の均衡は破壊されてしまうだろう。いや、もうすでに破壊されているのだろうか?


(どうしよう……、ひきかえす?)

(アイツらは下っ端のゴブリンたちより目ざといし、鼻も利くわ。動けばたぶん、すぐ気づかれる。戦うしかないわ……。メア、今すぐ『隠密』で隠れて。発見されてからじゃ効果が薄いんでしょ?)

(で、でも、私……)

(早く! 死ぬわよ!)


 有無を言わさぬ口調に、メアが涙目になってスキルを発動し、距離を空ける。ティアナはそれを確認すると、僕の耳元にそっと唇を寄せてきた。うわゾクゾクする……って、今は浮かれてる場合じゃない。


(確かにヤバい奴らだけど、勝ち目がまったくゼロってわけでもなさそうよ。見て、三匹とも傷だらけで血を流してるし、ホブゴブリンの片方は脚を引きずってるわ)

 

 言われてみると、三匹とも手負いのようだった。そしてしきりに今来た階段の方を気にしている。それはまるで、姿の見えない何かを警戒するかのようだった。追われている……?


(いずれにしろ、アイツらがこっちに向かって来たら交戦は避けられないわ。先手を打つわよ。あの脚を怪我したホブゴブリンを、ふたりで速攻で仕留める。あとは臨機応変に!)

(オッケー、やるしかないんだもんね……)

(シャキッとしなさい、行くわよ!)


 ふたりして一斉に岩陰から飛び出し、魔物の元へと駆け寄る。余計な叫び声など上げない。黙って最短距離をひた走る。それでも僕らの足音に気付いたのか、ゴブリンたちがこちらを振り返った。恐ろしい吠え声を上げる。怖じ気づいて止まりそうになる両足を叱咤して、なんとか片足を負傷したホブゴブリンの前までたどり着く。


「獣王撃っ!」


 速攻。ティアナが敵の無傷な方の脚に向けて、強力な打撃を繰り出した。敵はバランスを崩して倒れ込む。

 僕は、ちょうど目の前の地面に降ってきた

敵の頭部に向かって、夢中で魔剣の突きを放った。血潮が飛び散る。残酷だ。だけど仕方ない、やらなきゃやられる。僕らが生き残るためなんだ。


「グオォォォォ!」


 ホブゴブリンの片方が断末魔の叫びとともに消失する。

 やった! しかし油断してはいられない。すぐに残る二匹に向き直る。見るともう一匹のホブゴブリンが怒りの吠え声を上げながら、手にした巨大な金棒を高く振り上げていた。


「ガアァァァァァァァァ!」

「危ないっ! よけて!」


 恐怖に固まりかけていた脚が、ティアナの声に動きを取り戻す。死に物狂いで後ろに跳んだ。


 ドガァァァァァァァン!


 僕が直前まで立っていた場所には、けして浅くない穴が開いていた。あのまま動けなかったら、僕は今頃……、


「止まるな! 動き続けなさい!」


 そう言いながら、ティアナは敵の巨体の死角から次々に打撃と斬撃を加えていく。一撃入れては離れ、一撃入れては撹乱し、ヒット・アンド・アウェーを繰り返す。

 さすがティアナだ。でも、倒しきるには決定打が足りないようだ。その点、魔剣による刺突が効果的なことは、たった今証明済みだ。よし、僕もティアナに加戦してトドメを、


 ピシャァァァン!

「痛っ!」


 どこからか空気を斬る甲高い音が響いたかと思うと、次の瞬間、魔剣を持つ右手に鋭い痛みが走った。思わず獲物を取り落としてしまう。


「な、なんだ!?」


 慌てて二匹の敵と自身との距離を確認する。近付き過ぎてはいないはずだった。それなら、さっきの攻撃はいったいどこから?

 急いで視界を巡らせると、ゴブリンクイーンの手に『鞭』が握られていることに気がついた。あれで僕の手を正確に打ったのか。鈍そうな見た目に反して、恐るべき鞭さばき。ここは、「さすがは女王様」というべきところなのだろうか?


「ブギィィィィィィィィ!」

 

 ゴブリンクイーンは突如、耳をつんざくような叫びを上げた。ホブゴブリンたちの声量の比ではない。あまりの爆音に洞窟の壁が振動し、天井からパラパラと岩粒が落ちてくる。


「な、なんだ……?」


 クラクラする頭で周囲を見渡すと、あちこちの岩陰から、一斉に何かが顔を覗かせたのがわかった。あ、あれってもしかして……、


「ヤバい! アイツ、このフロアにいる仲間のゴブリンたちを呼び寄せたんだわ!」


 やっぱり? こ、これは本当にヤバいかも……。

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