第3話 金と灰

 はじまりは唄だった。

 聞くものをうっとりさせる、楽しい唄。しかし根底では寂しさがその歌声を支えている。

 とある森の中、塀で囲まれた魔女の庭の中央に、その塔はあった。塔のてっぺんから、その歌声は聞こえてくる。

 私はどうしてもその声の主を一目見たくて塔の入り口を探すが、見当たらない。どうやらこの塔は、少女を外界から隔離して幽閉するためだけに建てられたものらしかった。入口はもちろん階段もない。

「ラプンツェルや、ラプンツェル、おまえの髪の毛さげとくれ」

 そんなしわがれ声が聞こえた。この庭の主、魔女だ。

 呼びかけに応えて、塔のてっぺんから美しい金色の、長い長い三つ編みのおさげ髪がだらりと垂れた。魔女はその髪を梯子のようにして登っていく。

 歌声の主はラプンツェルという名らしい。

「ラプンツェルや、ラプンツェル、おまえの髪の毛さげとくれ」

 次の日、魔女のいない頃合いを見計らって、私はしわがれ声を真似て言った。

 少女は何の疑いもなく、昨日と同じようにその髪を垂らした。

 私は黄金色の梯子を軽やかに登る。

「だ、だれ?」

 少女は私の姿を見て困惑した。まるで、男というものを始めて見たのだとでもいうように。

 否、「まるで」でも「ように」でもない。本当に彼女はその時、はじめて男というものを知ったのだ。


     ◇◇◇


 そんな前世の記憶を思い出して、私は――荒野キキョウは、ラプンツェルに出てくる王子様だったことを理解した。

 そして己の能力を理解した瞬間に、目を閉じた。そしてそのまま開けなくてすむように、ふだんは自慢の金髪をかきあげているヘアバンドでもって目隠しをしてしまう。

 ここは文学部棟のラウンジスペース。昼間なのになぜか薄暗い。

 あえて視界を閉ざしてしまうことで、いつもより音やにおいに敏感になる。

「どぉしたの? キキョウくん?」

 となりにいた女が私に声をかける。文学部女子とはいえ、みんながみんな地味な文学少女ではない。私の苦手な……というより、はっきり言ってしまって嫌いなこういう女もいる。

 何かやましいものでも隠すように、香水のにおいがキツイ。

「すまないが、席を外してくれないかな。私にはいくべき場所ができたようだ」

「えぇ~、じゃあウチもいっしょに行く~」

 間延びした声に腹が立つ。

今までは我慢して無視してきたが、もう我慢ならない。

「消えろって言ってんだよ、このビッチがぁ!」

 プッツン切れてしまった。

「え……」

 理想の女性を確信してしまった今、こんなビッチに構っている場合ではないのだ。

「お前からは他の男のにおいがぷんぷんするんだよぉ!」

 大声を出して目の前のテーブルをひっくり返した。

「ひっ……」

 女が去っていく足音。

 うん、実にすがすがしい気分だ。よく晴れた正月の朝のよう。

「フフフ」

 私は容姿端麗に生まれてきたものだから、モテてモテて仕方がなかった。しかし言い寄ってくる女性――とくに同年代から年上はほとんど欲望の対象とならなかった。

 もしかしたら自分はロリコンなのではないかと気に病んだ時もあったが、前世の記憶を思い出した今、納得した。

 なんてことはない。私はただ、処女が好きだったのだ。

 ラプンツェルは生まれた時から魔女の塔の上で、魔女のばあさんしか知らずに成長した、まさに究極の処女アルティメット・ヴァージンだ。

 本当の本当に、私以外の男を知らない女。私はたまらなくそれを手に入れたい。

「さて」

 歩き始める。ともかく中央の時計塔に向かえばよいようだ。そうすれば私はアルティメット・ヴァージンを手に入れることができる。始祖の姫は私の理想とする姫になる。

 しかし、私としてはあまり競争のようなことはしたくない。速さを競っても仕方がない。

 他の王子どもは残らず殺してから向かおう。それがいい。姫は私だけのものだ。それ以外の可能性は根絶やしにしておくほうが良い。

「まずは同じ文系のよしみで、『あほう学部の美脚マニア』でも始末しに行くか」

 他の王子たちは、まっすぐ中央に向かうだろうか? 少なくとも『法学部の灰髪』落窪リオンはそうするだろう。それこそ阿呆だからだ。法学部は文学部よりも試験が多く、覚えることが多い。勉強ばかりして阿呆になる。それが蔑称のゆえんだ。

 私は神経を研ぎ澄ませ、阿呆の足音を探る。

「おいおい……」

 あきれてしまう。神経を研ぎ澄ませる必要なんてなかった。やつはド派手に登場するつもりだ。

 足音はしなかったが、文学部と法学部の交差点に位置する食堂から、異音が発生していた。

「どけどけぃ! オレ様のお通りだぁ!」

 食堂の扉を蹴破って出てきたのは、巨大なネズミの引くカボチャの馬車。

その様はあまりに荒々しく、シンデレラが乗る馬車というよりは、古代の戦闘馬車チャリオットのようだ。すなわち――

「リオン様のカボチャリオットのお通りだぁ!」

「ダサい……」

「あぁ? なんか言ったか、そこの『あそぶん学部の処女厨』」

 向こうはすでに私のことを認識しているらしかった。

「ダサいと言ったのだよ、ネーミングがね!」

 私は襲い来る巨大ネズミの出っ歯から身をかわし、中央にクスノキの鎮座する広場に出た。

「お前のその目隠しもダサいぜ!」

 カボチャリオットはクスノキの周りを猛スピードで周回し始める。したがって、彼のセリフもドップラー効果の見本みたいに響く。

 私は自らの金髪ブロンドを3本抜き取り、宙へ投げる。

 私の『魔女の異能ウィッチクラフト』。

 金の糸は空中で染色体のように分裂し、見る間に網を作る。

「チュ……」

 次の瞬間、突撃してきたネズミが断末魔を上げる間もなくひき肉と化す。金のワイヤーがレーザーのようにそれを切断したのだ。

「うぉ、あぶねぇ」

 落窪リオンはギリギリ網にかかる前に回避していた。彼の足が離れたとたん、カボチャもネズミも粒子となって消えた。

「てめぇ、何の罪もないネズミちゃんを……」

「何の罪もないネズミさんを戦いに引き込んだのは君の方でしょう」

 私の金髪も硬度を失って地面へ。

「やはりお前と決着をつけないと、先には進めそうもないな」

 リオンはグレーのコートについた砂埃を払いながら立ち上がる。

「心配しなくても、君は先に進めないよ。ここで死ぬのだから」

 髪をさらに三本引き抜き、ナイフのように投擲する。

「――ッ」

 2本は彼の背後へ。1本が彼の左手を貫通する。

 遠ざかる足音。さすがに距離を取ろうとしているか。

「金髪っていうとさぁ、お前はアレかぁ……ラプンツェルってやつか」

「雑談で時間稼ぎか? そういう君も、シンデレラでしょう。バレバレだよ」

 私の認識だと、シンデレラはあまりに有名。ラプンツェルは最近知名度が上がってしまったものの、まだまだマイナーなお話だ。

 我々の『魔女の異能ウィッチクラフト』はそれぞれの物語に根差している。つまりその物語を知っていれば、相手の能力の予想もできるというわけだ。したがって、初手からあからさまな――それこそカボチャの馬車のような能力を繰り出すのは阿呆のすることだ。

「べつに、オレ様は隠してないもんね」

「これだから阿呆だと言うのだ。必殺技は、勝利を確信したときに使うものだよ」

 私はヘアバンドを持ち上げる。

「目隠しキャラってのは、魔眼を持ってるってのが相場だよなァ」

 リオンがわかったようなことを言う。わかっていたとして、もう遅い。

「魔眼は見なきゃいいのさ! 少年漫画で習った!」

 灰髪はそう言って私から目を背ける。だがそれも無駄な抵抗だ。

「さっきも言っただろう。必殺技は、勝利を確信したときに使うものだ……と」

 はじめに網を作った3本、次に投げつけて外れた2本。合計5本の金色の髪が私の声に呼応して光を放つ。

「な……ッ」

 その5本は、わざと彼の足元にバラまいておいたのだ。

 5本の金色は蛇のように彼の身体を締め付けながら這い上がる。

「こっちを見ろぉ」

「い、いやだぁあああ」

 黄金の蛇が無理やり対象の瞼をこじ開ける。


「魔眼開放――『魔女の庭ラプンツェル』!」


     ◇◇◇


 ラプンツェルと王子様の密会は、やがて魔女の知るところとなった。

 魔女は怒り狂い、少女の長い長い金髪をバッサリと切ってしまい、彼女を荒野へ追放した。

「ラプンツェルや、ラプンツェル、おまえの髪の毛さげとくれ」

 何も知らない、王子の声。魔女は切り取った髪を下げて、彼を塔の上へ招き入れる。

「おやおや! 処女好きの王子様。お前の大好きな小鳥ちゃんはもういないよ。獰猛な猫がさらっていったのさ。猫はお前さんの目玉もほじくるかもしれないよ。ラプンツェルはお前のものではなくなった。二度とふたたびあの子の顔を見ることはできないよ」

 王子は絶望のあまり塔から飛び降りた。

 命は助かったものの、いばらの棘が目に刺さって、盲目となった。


     ◇◇◇


 お話では、その後荒野をさまよっている間にラプンツェルと私は再開するのだ。彼女の涙が触れた時、私は光を取り戻す。

 しかし今この時空で、私のラプンツェルはまだ時計塔にいる。私の目には『魔女の異能』が宿っている。魔女の手を借りてでも、究極の処女を手に入れたいのだ。

「しかし実のところ、かの魔女と私なら、趣味が合うかもしれないと思うのだ」

「ひどい趣味だ」

「生まれた時から塔の上に閉じ込めて、男を知らぬ処女のサラブレッドをつくる。天才の発想だよ、まったく」

「どうりで『魔女の異能』をずいぶんと使いこなすわけだ。空間に干渉する能力者がいるなんて聞いてないぜ」

 私の『魔女の庭』の中で、落窪リオンがわめく。

 私の魔眼は完全に彼をとらえ、異次元にこしらえた『魔女の庭』に閉じ込めた。

そこには麻薬のように中毒性のあるノヂシャ(ラプンツェル)が咲いていて、囚われの者を虜にする。

「なんだこれ、うめぇ!」

 本当に阿呆だ、コイツは。私の話も聞かず、もうすでに食っている。

「せいぜい、魔女に見つからないようにな」

 一度魔眼を発動し、標的を捕えてしまったら、もう私にやることはない。

「こんな栄養満点で美容に良さそうな草を食っちまったら、オレ様も本気を出さなくっちゃあいけないな」

「はぁ? 今更どうあがいたって……」

 私は目を疑った。否、魔眼を疑った。

 落窪リオンは『魔女の庭』という異空間の中で、突然スキニーパンツを脱ぎ去って下半身はボクサーパンツ一枚となり、グレーのコートからぬっとその美脚――男子大学生にしては美しすぎるそれをのぞかせ、こう唱えるのだった。


「これがオレ様のウィッチクラフト『硝子の靴サンドリヨン』!」

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