第2話 赤と黒

 俺は姫の姿を知らない。お目にかかったことはないし、声を聞いたこともない。

「いばらの生垣の向こうにはお城があって、びっくりするほど美しいお姫様が、百年この方ねむりつづけているのですじゃ」

 あるじいさんがそう言った。

「そうすると、そのびっくりするほど美しいお姫様っていうのも、今や百何歳のババアということになるんじゃないかい」

 俺は至極まっとうな意見を述べたつもりだったが、聞こえなかったのか聞きたくなかったのか、じいさんは勝手に話を続ける。

「お姫様といっしょに、王様もお妃さまも、家来たちも、残らずねむっているというのです」

「美しいババアお姫様。なかなかどうして興味あるな」

「…………」

「どうした?」

 お姫様の見た目は変わっていないという設定なのが、伝わらないかなぁ……とでも言いたげな顔をしていたが、結局じいさんはそこについて何も言わなかった。

「あのいばらの城に挑むのはやめておきなされ。今まで数々の王子が、たいそう美しいという噂の姫様を一目見ようと果敢に挑んだが、いばらはまるで動物のように侵入者をとらえると聞きます。王子たちはあのいばらの中でむごたらしい死を遂げたのですじゃ」

 低いもっともらしい声を作って、じいさんは言う。

「俺はこわくないね。いっちょ出かけて行って、その美しいお姫様を見てくるかな」

 俺はそのままいばらの生垣に突き進む。

「や、やめろぉおお! 死んじまうぞぉおおお!」

 キャラを忘れてハイテンションに引き留めようとするじいさんの声には耳を貸さず、俺は進む。

その時、いばらの生垣は俺を避けるようにして身をよじらせた。そして俺の進行をたたえるように、きれいな花すら咲かせる。

 お姫様にかけられた呪いは百年で解けることになっていた。俺がここに来た今日この日が、ちょうど百年目ということだったらしい。

 つまりは運だ。

 俺はラッキーで呪いの解けたいばらの城に一番乗りして、とくに何の苦労もせずにお姫様をゲットしたわけだ。


     ◇◇◇


 そんな前世の記憶を思い出して、俺は――伊原木ツムギは、いばら姫に出てくる王子様だったことを理解した。

 いばら姫、眠り姫、眠れる森の美女。

 たしかに、王子様にスポットを当ててこの物語について考えると、ずいぶん『いいとこどり』だなという感じがする。どんな物語でも王子様というのはそういうものかもしれない。というより、王子様だからこそ、その幸運が許されているのだ。「※ただしイケメンに限る」というやつだ。

 生半可なイケメン度合いであれば、百年の眠りから覚めたお姫様にいきなりキッスできないだろう。

 自慢じゃあないが、俺はイケメンだ。

『理学部の赤髪』伊原木ツムギ。この大学で俺の名を知らないやつはモグリだ。

中学でも高校でも、そしてこの五芒星大学に入ってからも、同級生に限らず先輩後輩からもモテまくりだった。しかしどこかで物足りなさを感じていた。その物足りなさの原因というか元凶が、今わかった。

 俺はどうしようもなく、熟女フェチなのだ。

 前世の俺、『美しいババアお姫様』とか、何言ってんの?

 サイコーじゃん。

 経験豊富で、多少年季が入っていた方が、興奮する。百年はさすがに多少ではないという説もあるが……。

「ねぇ、さっきから何をぶつぶつ言っているの?」

 理学部女子の同級生Aが俺に声をかける。そういえば俺は、植物細胞生理学の講義を受けているところだったのだ。

「どうやら、こうしちゃいられないようだ。いばらの城が俺を呼んでいる」

 俺はさっと荷物をまとめて、講義室を飛び出す。一瞬教授と目が合ったが、バチンとウィンクをかましてやった。

 前世の記憶とともに、俺は俺に与えられた能力とこれからなすべきことを瞬時に理解し、そして受け入れた。

 理学部棟の窓からキャンパスを見下ろす。五芒星大学はその名の通り、上から見ると五芒星を描いたような形をしている。理学部棟はそのうちの一つの角にあるわけだ。

 これから目指すべきは中央の時計塔。そこに、理想の姫が待っている。俺が100歳の超熟の姫を求めれば、それがそこにいるはずなのだ。理屈はともかくとして、そういう風になっている。

 エレベーターを待つのももどかしく、階段を飛ばし飛ばし降りていく。キャンパスは無駄に広大で、学生たちは基本的に自転車で移動する。俺も例にもれず自転車移動だ。イケメンにふさわしいロードバイクにまたがり――

「くそっ」

 悪態をつく。こんなときに、パンクだ。

「ゲコッ」

 中庭の池でカエルがあざ笑うかのように鳴く。

 これは「こんなときに」じゃないな。「こんなときだから」だ。

「戦いはすでに始まっているということか」

 始祖の姫の眠りを覚ますことができるのは、一人だけ。そのたった一人になるために、すでに王子様連中は動き出しているということか。

 俺が知る学内のイケメンは3人。

『あそぶん学部の処女厨』荒野キキョウ

『あほう学部の美脚マニア』落窪リオン

『へんたい学部のネクロマンサー』不二ホクト

 この異名は、もちろん平凡で嫉妬深い男子たちが付けた蔑称だ。それぞれ女子たちの言う『文学部の金髪』『法学部の灰髪』『医学部の黒髪』に対応している。

 他にも誰かいるかもしれないが、この俺に知られていない時点で予選敗退だ。気にかける価値もない。

「さてと、イケメンはクールに走るとするか」

 五芒星を描くと、正五角形を中央にして、正三角形が五つできるはずだ。その正三角形の一つが理学部棟になっている。両隣の正三角形は工学部と医学部の陣地になるわけだが、理学部から中央の時計塔へ行くには、医学部側を通るのが建物の配置上いちばんの近道になる。

「もしかしてそこにいるのは、『れんあいむり学部の熟女フェチ』こと伊原木ツムギさんですか?」

 急がば回れという先人の教えに従わなかった自分を恥じた。医学部に近づいたせいで、会いたくないやつに遭遇してしまう。

「その呼び方はやめろ。せめて『理学部の赤髪』と呼べ」

 これ見よがしに後ろで結んだ赤い長髪を振って見せる。

しかし奴は姿を見せない。

 ここは理学部生物学科の建物の裏。医学部のなんだかわからん建物に挟まれて薄暗い通路。人気はない。

「隠れてないで姿を見せろ『へんたい学部のネクロマンサー』」

「いやですよ。ボクはこれからあなたを暗殺するんですから。姿を見せたら闇討ちにならない」

「声をかけても闇討ちにならないぜ」

 声は左右から反響して聞こえる。敵の居場所を特定できない。

「念のため、確認しておこうと思いまして。あなたが姫のところに向かう王子様なのかどうか」

「確認するまでもない。一目瞭然だろ。こんなにイケメンなんだぜ?」

 言いながら、俺は一つ目の異能を発動させる。

 理学部生物学科の建物の壁を一気に駆け上がる。俺が足を踏み出した場所から、瞬時にいばらのツタが生えては消える。即席の足場だ。

「ほう、よくこっちだとわかりましたね」

 はたして、そちらの建物の屋上には黒い根暗っぽい男が立っていた。大学生のはずだが、どこかまだ少年っぽい。女子からすると、可愛い系なのだろう。

「イケメンの勘だぜ」

 俺は不二ホクトと正対する。

 『魔女の異能ウィッチクラフト

 俺たち王子様には、それぞれの物語に即した能力が与えられているらしい。その能力と発動条件、効果については、先ほど習得した。生まれた時から知っていたかのように、いつのまにか自分のものとなっていた。

 ちなみに俺の能力の発動条件は、近くに動物なり植物なり生物が存在していること。だから理学部生物学科の建物を選んで飛び上がってきたわけだが、たまたま正解だったということになる。

 さらにちなみに、俺の異能は一度の戦闘で13までしか発動できないっぽい。そのうちの1をかっちょよく壁を登るためだけに使ってしまったことは後悔していない。格好をつけることもイケメンの務めだからだ。

「仕方がないので、暗殺は諦めます」

「お、諦めて俺が本物の王子様だということを認め、時計塔へ向かう手伝いをしてくれるということか。ありがとう。では、手始めに他の王子様候補を暗殺してきてもらおうか――」

「暗殺は諦めて、直接ぶっ殺します」

 ホクトは足元に置いた無骨な黒い棺に手をかける。

「やっぱそっちか。動くんじゃねぇ。俺の異能がお前を拘束するぜ」

 瞬間、床を割って飛び出したいばらがホクトを絡めとる。

 白い肌に、赤い血が垂れて流れる。しかし――

「ちょっと遅かったですね。拘束するなら、ボク自身じゃなくて、こっちを拘束するべきでした」

 いばらの棘をものともせず、不二ホクトは微笑する。ちょっとMなのかもしれない。

「は? 何を――」

 黒い棺が勢いよく開き、七つの小さな黒い影が飛び出す。

『はらへった』

『あらやだいいおとこ』

『もっとくれ』

『おいこらなにみてんだ』

『めんどくさいなぁ』

『おまえいいふくきてんな』

『おれがいちばんつよい』

 黒い影は各々好き勝手なことを言って、その手に各々好き勝手な鈍器を握っている。斧、釘バット、バール、バールのようなもの、エトセトラ。とにかく殴られたら痛そうなありとあらゆるものを選んできたらしい。

「殺せ」

 ホクトの一声に、七人のこびとが『ヒャッハー』と叫んで俺に向かってくる。

「やれやれ、やはり俺はイケメンだ」

「最期の言葉はそれでいいのか?」

「いいや、最期にはならないね。俺は俺の、イケメンにだけ許された幸運に感謝しているんだぜ」


     ◇◇◇


 いばら姫は、最初からねむりの呪いをかけられたわけではない。

 その王国には13人の魔法使いがいた。姫の誕生を祝う食事会に招かれたのは12人。宴席には黄金の食器が12しかなかったからだ。

 11人の魔法使いが姫に11の美徳を与えたとき、招かれざる13人目の魔女が登場し、自分が招かれなかった妬ましさ故、姫に死の呪いをかけて立ち去った。

 悲しみに暮れる王と王妃に、まだ姫に美徳を与えていなかった12人目の魔法使いが声をかける。

「死の呪いを完全に消し去ることはできません。しかし、和らげることならできます」

 こうして姫は、死ぬ代わりに百年の間眠り続けることになるのだった。


     ◇◇◇


 だから、俺に与えられた魔女の異能ウィッチクラフトは13。11の祝いと1の呪い、そして1の祈り。正直、戦闘において役に立ちそうなのは13番目の呪いくらいで、他は飾りだと思っていたが、今この瞬間、使い方がわかった。

「消えろ」

 7つの異能を発動。そのそれぞれが七人の凶暴なこびとを消滅させる。

「な……に……?」

 動揺する不二ホクト。

 奴の異能――七人のこびとは、『七つの大罪』に対応していることが、それぞれのセリフからわかった。

 暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢。

 イケメンの一般教養パンキョーだ。

 俺はそのそれぞれを打ち消す美徳をぶつけたのだ。

 暴食には節制を、色欲には純潔を、強欲には寛容を、憤怒には忍耐を、怠惰には勤勉を、嫉妬には感謝を、傲慢には謙虚を。

 かつて魔法使いが姫に与えた美徳。それが俺を守ってくれた。

 幸運は常に俺の味方だ。いばらの道は俺を避け、俺が通れば呪いは解ける。なぜなら俺がイケメンの王子様だから。

「まぁいいけどさ、かっこつけで1、拘束に1、小人退治に7。13のうち9まで使っちまったぜ」

 俺は勝利を確信して、相手に話しかける。

「ほう」

 ホクトはこちらをにらみ返す。

「強がったって無駄だぜ。俺はイケメンだから、別のイケメンには容赦しない。引き算すると、異能はあと4あるわけだが、出し惜しみせず13番目の死の呪いをかける――」


「さよならだ――『百年の孤独スリーピングビューティー』」


 その魔女の異能、真名を唱える。

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