桜の木

増田朋美

桜の木

その日も、寒かった。まだまだ春は遠いかななんて、街の人達はあるきながら言うのだが、でもどこかで花が咲いたりなど、春は確実に近づいている模様である。

その日も、製鉄所では、いつもどおり、利用者たちが、建物内で、勉強したり、仕事したりしているのであるが。

「こんにちは、お久しぶりです。杉ちゃん水穂さん元気ですか?」

そう言いながらやってきたのは、樹木医の立花公平さんだった。杉ちゃんたちは、ちょうど、水穂さんの口元を拭いているところだった。

「ああ、こっちは、相変わらず元気に過ごしているよ。もう、介護というのは、終わりがないからね。エンドレスだ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「その様子からすると、大変そうですけど、大丈夫ですかね。」

と、立花さんは、心配そうに言った。だいぶ元気になってきたようである。鬱を患っていたときは、縮こまってて、可哀想な感じもあったのに、そういうところは、だいぶなくなっていて、すごく、はつらつとしている。

「どうしたんですか。立花さん。なにか、用事でもあったんですか?」

水穂さんが、そう言うと、

「はい。ちょうど、文化センターで、樹医の会合がありまして、その帰りに、ああそういえば、水穂さんたちの製鉄所は近くにあったなと思いまして、それでこさせていただきました。あの、イタリアカサマツは、どうしていますか?元気に過ごせていますか?ちょっと拝見させていただきたいのですが?」

立花さんは、にこやかに言った。

「ああ、中庭の、イタリアカサマツね。多分元気だよ。それより、樹医とは、どういうものなの?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ、アポーリストの翻訳ですよ。樹木医という言い方をするのは、日本だけなんですよ。みんな、諸外国では、樹木の医者のことを、樹医と言っているんです。それでは、イタリアカサマツ、拝見させていただけないでしょうか?」

と、立花さんは明るく答える。

「すっかり、変わってしまったようですね。いい方に変わってくれることは、僕もあなたも嬉しいことです。随分、明るくなりましたねえ。」

水穂さんが、にこやかに笑って、立花さんに言った。

「投薬治療とか、そういうものが効果を現したんですか?」

「いえ、もちろん薬も借りましたけど、それではなくて、やっぱり、樹医の仕事をちゃんとやろうっていう気持ちが大事だと思います。まあ、やった事は唯一、樹木医会を脱退して、日本樹木保護協会に入り直しました。それだけです。」

立花さんは明るく答えるのだった。

「それは、前の学会とは、かなり違うんですか?」

水穂さんがそうきくと、

「ええ、前の樹木医会は、紙を提出するとか、そういうことばっかりで、何も、樹木の治療とか、そういう事を、することはできませでした。それが、日本樹木保護協会に変えたら、樹木の多くの治療に、携わることができるようになったので、毎日が楽しいです。」

と、立花さんはにこやかに笑った。

「そうですか。それはいいですね。やっぱり、鬱とか、そういうものは、生き方を帰るようにという誰かからのアドバイスなのかもしれない。それは、誰なのか、わからないですけど。もしかしたら、それはお釈迦様とか、そういう人だと、解釈される方もいるかも知れないですけど。」

水穂さんが言う通り、鬱になるとか、そういう事は、きっと、そうなのだと思う。だから、単に辛い病気になったとか、そういう事で片付けるわけにも言えない。

「それでは、中庭のイタリアカサマツを、診察させていただきます。」

と、立花さんは、中庭に行った。

「ああ、だいぶ元気になっていますね。葉が黄色にもなっていないし。いい傾向ですよ。嬉しいですね。」

松の木を見ながら、立花さんは言った。

「ええ。ありがとうございます。それでは、これをお収めください。」

と、水穂さんが、松の木の代わりに、診察料を払おうとすると、

「いいえ、もうこの子も、薬無しで大丈夫だと思いますから、もう診察料は、いりませんよ。」

と、立花さんは答える。

「そうですか。そこまで良くなっているなんて、よくわかりますね。それは大したものですね。」

水穂さんがそう言うと、

「水穂さんも、早く回復されて、薬なしでも生活できるようになるといいですね。」

と、立花さんは言った。水穂さんは、ありがとうございますと言おうとしたのと同時に咳き込み、また内容物を出した。杉ちゃんたちが急いで口元を拭いて、薬を飲ませた。

「こうなると、水穂さんが、薬無しでいられるのは、もうちょっと先だなあ。」

杉ちゃんは、カラカラと笑った。

「じゃあ、僕はこれで失礼いたします。それでは、もしまた松が具合が悪そうに見えたら、連絡をください。よろしくおねがいします。」

と、立花さんは、頭を軽く下げて、製鉄所を出ていった。

「ありがとなあ。またよろしく頼むよ。」

と、杉ちゃんは、彼に、そう言葉を返した。

立花さんは、製鉄所を出て、道路を歩いていった。ちょっと、コンビニで食べ物を買っていこうかなと思っていたそのとき。ある一軒家の前を通りかかった。それと同時に、スマートフォンがなったので、彼は立ち止まり、急いで電話に出た。

「はいもしもし。」

電話は、樹医に、庭の椿を診察してくれというお願いの電話であった。それでは、明日にでも行きましょうかと、立花さんが答えると、はい、お願いしますと相手は、嬉しそうに言った。そして、名前を加藤と言って、富士見台に住んでいるということを話して、電話を切った。

その日は、何もなく、自宅へ戻って、翌日立花さんは、その加藤さんという女性の家に行ってみた。その家は、ちょっと、複雑な道順の家で、カーナビではちゃんと判別できない程であった。とりあえず、指定された有料駐車場に車を置き、加藤さんという人のお宅へ向かって、歩いていった。その家は、かなりの大屋敷だ。庭に、大きな大木が、何本か植えられている。その中には、白い雪椿の木もあるし、大きな桜の木も植えられている。多分、患者というか、診察が必要なのは、雪椿の木であるとすぐに分かったが、その隣にある桜の木も、ちょっと治療が必要なのではないかと立花さんは思った。立花さんは、急いでインターフォンをおそうとしたが、それと同時に、玄関のドアがギイと開いた。出て来たのは、5、6歳位の小さな男の子だった。

「ああ、樹医の立花です。お家の方は、どなたかいらっしゃいませんか?」

と、立花さんが言うと、

「おばあちゃんいない。」

と、小さな男の子はそういう。

「はあでも、今日の10時に、こちらへ来るように、とお家の方が電話してきたんだけどな?」

と立花さんがそう言うと、

「でも、おばあちゃんいないよ。」

と、彼は答えた。

「それでは、お家の方の誰かにあわせてもらえませんかね。」

と、立花さんが言うと、

「嫌だ。」

と彼は答えた。なんだろうかと思って、立花さんは、玄関のドアを、ちょっと開けてみると、人が倒れているのが見えた。すぐにそこにかけよってみると、60代後半くらいの女性であった。立花さんは、急いで、スマートフォンを出して、警察に通報した。

その数分後、警察がやってきて、遺体を解剖に回すとか、そういう事を言いながら、周りの状況などを調べ始めた。立花さんのそばに、例の少年もいたのであるが、少年が、不気味な程落ち着いているのが、ちょっと気になるところだった、警察が、彼の名前を聞くと、彼は、加藤育美と名乗った。

「じゃあね、加藤育美くん。そこにいたのは、君のお祖母様かな?」

と、婦人警官が彼にそうきくと、

「はい。」

と少年は答えた。

「それなのになんで、おばあちゃんいないと答えたの?」

婦人警官がそうきくと、彼は、黙ってしまった。立花さんは、あまり質問攻めにするのは可哀想ですよと警官に言った。

「それではあなたはどういうわけで、こちらに、来たんですかね?」

と、警官に聞かれて、立花さんは、単に、樹木の診察に来ただけだと言った。それに、来訪したときは、もう女性は死亡していたと、しっかり答える。

「そうですか。それを証明できる人はおりますか?」

警官に聞かれて、

「そこにいる、加藤育美くんが、僕の入ってきたのを見ていると思います。」

とだけ答えておいた。育美くんに、警官が、おじさんが入ってきたのを見たのかと聞くと、うんと育美くんは、小さい声で言った。それで立花さんは、犯人ではないということになったが、なんだか、こんな事件に巻き込まれたのは、初めてなので、面食らったまま、帰ってしまうことになった。

「育美くん、お父さんかお母さんは?」

と婦人警官に聞かれて育美くんは、

「お母さんはいないんだ。」

と、答えた。

「お父さんも。」

他の警官が、育美くんの戸籍を調べてきますといって、飛び出していった。もしかしたら、おばあちゃんと二人暮らしだったのかもしれない。その間、育美くんを、ちょっと見ていて貰えないだろうか、と、警官に頼まれて、立花さんは困ってしまう。それでも、警察に協力しないわけには行かないから、仕方なく、育美くんを連れて行くことになった。

「後で、育美くんにも事情徴収させてもらいますからね。彼の機嫌を損なわないようにしてくださいよ。」

と、警官に言われて、立花さんは、自分にできるかわからないまま、とりあえず育美くんを車に乗せた。自宅に連れて帰っても何も子供用のものは無いので、育美くんをとりあえず、製鉄所に連れて行くことにした。育美くんは車の中でも黙っていた。なんで何も言わず、なこうとも喚こうともしなかった。

立花さんは、製鉄所の駐車場に車を止めた。そして、製鉄所の引き戸を開けて、すみませんと言った。製鉄所の中からピアノの音が聞こえてくる。多分、水穂さんが、弾いているんだなと思われる。それは、ベートーベンのテンペストであった。育美くんは、これテンペストだと小さい声で呟いた。

「あれ、どうしたの?立花さん、もうイタリアカサマツの治療は終わったのではないの?」

と杉ちゃんが応答した。立花さんは、事情を話して、事件のことを話し、警察から連絡があるまでここで見てもらえないかと、話した。

「ああいいよ。入れ。」

と、杉ちゃんが言ったので、二人は製鉄所に入った。やっぱり、テンペストを弾いていたのは、水穂さんだった。育美くんは水穂さんのところへ行って、いつまでも水穂さんの演奏を聞いていた。

演奏が終わると、育美くんは立花さんと一緒に拍手した。

「ありがとうございます。」

と、水穂さんが答えると、

「おじさん、プロコのピアノ協奏曲は弾ける?」

と、育美くんは言うのである。水穂さんが、プロコフィエフのピアノ協奏曲第一番の第1楽章を弾き始めると、育美くんはにこやかにそれを聞いている。

「しかし、どうして、こんなマイナーな協奏曲を知っているんでしょうか。そんな曲名を、知っているなんて、小さな男の子が?」

と、立花さんは、首を捻った。

「誰かが、ピアノをやっていたんですか?」

「たまたま、聞いただけだよ。」

と、育美くんは答える。水穂さんは、第1楽章を弾き終えて、

「第2楽章を弾きましょうか?」

と、育美くんに聞いた。

「いや、一楽章が好きなんだ。」

と育美くんは答える。随分変わった子だと立花さんは思った。

「そうなんですか。それでは、他の曲もひきましょうか?」

水穂さんがそう言うと、

「いえ、おじさん、もういいです。」

と彼は言った。

「だっておじさん、体が大変なんでしょ。それでは、無理をさせない様に、しなきゃ。」

なんだか随分、おかしな子どもだなと思った。

「随分変わった子どもさんですね。プロコフィエフの協奏曲を聞きたがるなんて。」

水穂さんがまた言うと、

「でも、当たり前のようにこの曲が流れてたよ。」

育美くんはそう答えた。それはどこか、間違った事を、言っているとは思われない雰囲気があった。

「当たり前って、誰かが弾いていたの?」

立花さんがそう言うと、育美くんは表情を変えた。いいたくないのだろうか。

「まさか自分が弾いていたわけでもないし、誰かが弾いていたんでしょう?それともレコードか何かで流れていたのを、聞いていたのでしょうか?」

水穂さんがそうきくと、育美くんは黙りこくってしまった。それ以上、何も言わなかった。

「一体何があったんでしょう。多分、重大ななにかがあったのだと思いますが、それにしても、なんで何も喋らないんでしょうかね。」

立花さんがそう言うと、

「話すのが怖いのかもしれませんよ。話したら誰かが不利になってしまうから、言わないのかもしれません。それはもしかしたら彼にとって、大事な人なのかもしれない。」

水穂さんは、そうかえした。

「だから、あまり聞き出すような姿勢はしないほうがいいと思います。もしかしたら、僕達の事も、信じられないのかもしれないので。」

「そうですね。」

立花さんは、それでは困るなあと思いながらも、そうするしか無いと考えながら言った。それと同時に、玄関の引き戸がガラッと開いて、

「よーし、今回の事件は、稀に見るスピード解決だ。容疑者の裏を取ることができれば、すぐに逮捕することができる!よし、子どもから、話を聞かせてもらおう!」

と、華岡が自信満々なかおをして入ってきた。先程までそっとしてやろうとと言っていた水穂さんたちは、なんでこういうときに限って、こうなってしまうんだろうと、がっかりしてしまった。

「ここに加藤育美という子どもを連れてきたよな。すぐ出してくれ。急いで彼から話を聞きたい。実は、あの事件、あの加藤重美さんが殺害された事件ね。娘の、加藤聡美が、母親を殺害したとして、すぐに自首してきたんだ。加藤聡美は、息子の加藤育美が、事件の一部始終を見ていたから、自分の犯行であると、言ってるんだよ。だから、それを、加藤育美から裏を取りたいと思ってね。」

と、華岡は、興奮した顔で、製鉄所に入ってきた。まあ確かに、すぐに被疑者が現れてくれる事は、警察にとって、嬉しい事かもしれないが、ほかの人たちにとっては、嬉しいことでも無いのだった。

「華岡さん、彼は小さな子どもなんです。そんな子に、大人並みの、事情聴取を指せるのは、無理と言うものですよ。もうちょっといい方を変えないと。」

と、水穂さんは、華岡に注意したが、

「すまん。でもそうかも知れないが、加藤重美さんが殺害されているのを見たのは、彼しかいないのでねえ。」

と、華岡は頭をかじった。

「動機はなんですか?なぜ、加藤重美さんが、殺害されなければならなかったのでしょうか?」

水穂さんがそうきくと、

「ああ、加藤聡美の供述によれば、加藤重美と、加藤聡美は、加藤育美くんの育児方針について、対立していたそうで。加藤重美さんが、加藤聡美に、育美くんをよく叱って厳しすぎると叱っていたそうだ。加藤聡美さんは、ピアノ教師で、レッスンをするために、育美くんを、重美さんに何日も預けたままにしておくこともあったらしい。それを、加藤重美さんに責められて、逆上したついでに、加藤重美さんをつきとばして、殺害したそうだ。それを、息子の加藤育美くんが見ていると、加藤聡美は言っているんだが?」

華岡は、刑事らしく事件の概要を言った。

「育美くん。加藤聡美さん、つまり、お母さんが、おばあちゃんを突き飛ばしたのを見ているよね?」

と、華岡は単刀直入に聞くと、

「僕、見てないよ。おばあちゃんは、いなかったんだよ。」

育美くんは、涙をこぼしていった。それは、まるで無理をして言っているようなそんな感じだった。

「育美くん、ありのままを語ることも、大人にとって、一番大事なことでもあるんだよね。」

と、水穂さんが優しく言った。

「それとも誰かに、お母さんがやったと言われないようにと言われたの?」

育美くんは小さくうなずいた。

「おばあちゃんが、お母さんのことは誰にも言っちゃだめって言ったの。」

「なるほど。それはつまり、瀕死の祖母が、母親に対する罪滅ぼしでそういったのかもしれないな。それで、加藤重美さんは、事切れたと言うわけか。それを、育美くんは、始めから終わりまで見ていたんだね。」

華岡は、手帳にメモを取りながら言った。育美くんは、涙をこぼして、初めて小さな子どもらしく泣き始めた。水穂さんが、わかったよと言って、優しく彼の体を擦ってやりながら、ちょっと部屋から出ようと言って、育美くんと一緒に部屋を出ていった。

「それにしても、なんで僕のところに、依頼が来たんでしょう。僕は、木の治療のため、あの家を訪れたんですよ。」

と、立花さんは、腑に落ちないような言い方をしてそういった。

「ああ、何でも、庭に生えている桜の木を、治療してくれと、加藤重美さんが依頼をしたそうだ。加藤聡美さんは、それも切り倒すつもりでいたようであるが。それも対立の一つの要因だったようだな。」

と、華岡は言った。立花さんは、

「できれば、その木を治療させてもらえませんかね?」

と、提案した。

「はあ、でも、木なんか何になるんですか?どうせ庭に生えているだけでしょう?」

華岡が驚いてそう言うと、

「いえ、とんでもない。植物だって生きているんです。庭に植えてある桜の木だって、立派な家族の一員ですよ。例えば、加藤聡美さんが、刑期を終えて帰ってくるとき、庭の木が、迎えてくれるのとくれないのとでは偉い違いだと思いますよ。」

と、立花さんは、樹医らしく言った。

「きっと加藤重美さんだって、そうしてあげたほうが、喜んでいるんじゃないかなと思いますよ。」

「そうですか、、、。」

と、華岡は、少し考えている仕草をしたが、

「わかりました。じゃあ、木の治療をお願いします。」

と、立花さんに言った。

「きっと、その桜の木は、育美くんのことも見守ってくれていると思いますよ。」

立花さんは、にこやかに笑って、その場から立ち上がった。なんだか、桜の木が待っていてくれているような気がした。







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桜の木 増田朋美 @masubuchi4996

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