第433話 俺の新しい腕

 上半身裸になったイケルがナオミに右腕を見せた。

 右腕は上腕の半分から切れており、切断部分はろくな治療をせず、止血だけしていたので完全に壊死していた。


「……ふむ。このまま義手をつけてもダメとは言わないが、義手が完全に動かない気がする。ヒエン、お前はどう判断する?」

「……ナオミ様のおっしゃる通りかと。一度切断する必要がございます」


 ヒエンもイケルの断面を見て、ナオミの質問に同意した。

 義手をつけるためとはいえ、また腕を切られて痛い思いをするの? と、イケルが泣きそうになった。


「まあ、私が何とかしよう」


 ナオミはそう言うと、魔法を詠唱して指先でイケルの腕を突いた。


「……今、なにを?」

「少しだけ痛覚を麻痺させた。所謂、部分麻酔というやつだ」


 イケルの質問にナオミが答える。

 暫くすると、イケルの残った右腕を中心に感覚が鈍くなった。


「何か変な感じです」

「それじゃ風の刃」


 ナオミが素っ気なく魔法を詠唱して、イケルの腕を中指で弾く。

 それだけで、イケルの壊死した部分を切り落とした。


「ヒッ!」

「動くな!」


 痛みは感じないけど、切れた部分から血が噴射する。

 条件反射で逃げようとするイケルを、ナオミが腕を掴んで抑えた。

 ヒエンが直ぐに義手をイケルの切れた腕に押し付ける。すると、イケルの出血がピタリと止まった。


「……ほう? これは義手が血を吸っているのかな?」

「現在、義手と体が融合している最中でございます。このまま二、三日繋げていれば神経と接続して、痛覚を感じるでしょう」


 そう答えながらヒエンはイケルの右腕を包帯を巻き、三角巾で支えた。


「なら成功だな」


 ナオミは満足そうに頷くが、やられた本人はたまったもんじゃない。

 イケルが自分の血を見て気絶して、慌ててトニアが駆け寄った。


「お兄ちゃん‼」

「トニア、安心しろ。人間はこの程度で死にはしない」


 ナオミは笑っているが、人間は血液の20%を失ったら出血性ショックで普通に死ぬ。


「貧血でございます。いきなり片腕分の血液が必要になったため、全体の血液が不足したようです」


 ヒエンは泣いているトニアをあやしながら、イケルの状態を正確に分析していた。




 ……数時間後。

 イケルはベッドの上で目を覚ました。

 眩暈が酷くて、体もだるい。微睡む中、自分の左腕を見れば針が刺さっていてギョッとした。


 その針には紐が伸びていて、薄桃色の液体が入った袋が吊り下げられていた。

 イケルは知らなかったが、この薄桃色の液体は、どの血液型にも対応する人工血液だった。

 当然、イケルは自分が何をされているのか知らない。無意識に左腕に刺さった針を抜こうと右腕を伸ばした。


「……あっ‼」


 その時、自分に右腕がある事に気付いた。

 イケルが自分の右腕をジッと見つめる。そのまま一分近く見てから、手首を動かすと、義手はイケルの意思通りに動いた。

 それに驚きながら指を動かす。すると、五指が全て動いた。


「…………」


 イケルの目から自然と涙が零れて、視界がぼやけた。

 この手があれば、ムフロンの毛刈りが出来る! 掃除も一人で出来る! 重たい物だって持てる!


「……ありがとう……ありがとうございます‼」


 ルディ様との出会いは偶然かもしれない。だけど、この出会いを神に感謝します。

 イケルは右腕を胸に置き、泣きながらルディに何度も何度もお礼を言った。




 イケルが寝ている部屋のドアが開いて、ヒエンとトニアが入ってきた。


「お兄ちゃんのうでが生えてる‼」


 トニアがイケルの新しい右腕を見て、慌てて近寄ってきた。

 トニアも先ほどの現場に居たが、幼い彼女はイケルが大量の血を流して倒れたショックが大きく、腕の事をすっかり忘れていた。


「トニア、今まで迷惑をかけたな」


 イケルがトニアの頭を義手の右腕で撫でる。

 まだ繋げたばかりなので感覚はない。だけど、今までなかった右手でトニアに触れられる事がなによりも嬉しかった。


「うわぁぁぁぁん‼」


 頭を撫でられたトニアが、イケルに抱きついて大声で泣きだした。

 トニアは自分の為にイケルが右腕を失くした事が辛かった。ずっと一緒に居て、彼女の心に重くのしかかった。

 領都でイケルがトニアをレス・マイヤー楽団に預けると言った時も、自分のせいで右腕を失くした兄を守りたかった。


 だけど、今、イケルには新しい腕がある。誰よりも嬉しかったのはトニアだった。

 トニアの気持ちが分かっていたイケルは、自分も涙を流して彼女の頭を撫でながら慈愛の笑みを浮かべた。


「イケル、良かったですね」


 二人の様子をジッと見ていたヒエンが声を掛ける。


「はい。ヒエン先生、ありがとうございます。それでナオミ様は?」

「ナオミ様は湿っぽいのは嫌いと言って、帰りました」

「……ナオミ様にもお礼を言いたかったです」

「ナオミ様はコーギーと遊ぶのが好きなので、たまに来ます。その時にお礼を言いなさい」

「はい」


 あの奈落の魔女がコーギーと戯れる? ちょっと予想ができない。

 イケルは返事をしながら、複雑な表情を浮かべた。


「今日はイケルの右腕が出来たお祝いです。何か食べたい物はありますか?」

「オ゛ム゛ラ゛イ゛ス゛ーー‼」


 ヒエンが質問すると、泣きながらトニアが好物を頼んだ。

 それにヒエンがクスリと笑う。今の笑いは仕様ではなく、バグ。


「それでは、オムライスを入れた、豪華なお子様ランチにしましょう」


 お子様ランチが何か分からないけど、オムライスが食べれると分かってトニアが嬉しそうに泣きながら笑った。




 それからのイケルは、一生懸命学んで働いた。

 今まで一人ではできなかった厩舎の掃除も、新しい右手で楽に出来るようになった。

 そして、心配だったムフロンの毛刈りも無事に終わらせた。


 トニアは笑うようになった。

 今までも笑っていたけど、どこか陰があった。

 その陰が消えて、本心から笑うようになった。


 時々、イケルは新しい右腕を見ながら考える。

 苦しくても、辛くても、たとえ右腕を失っても、大事な人を守り続けよう。

 その気持ちがあれば、人生を諦めないでいられる。

 それが、自分を守る事に繋がるから……。


「お兄ちゃーん!」


 イケルの視線の先には、コーギーと遊ぶトニアが自分に向かって手を振っていた。


 幸せな生活を手に入れたイケルの心の中には、人生に感謝する声が常にあった。




※ 三日休みます。

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