第431話 新しい生活
デッドフォレスト領の東にある草原地帯。人里離れた場所に広い牧場があった。
現在飼育しているのは、羊の原種ムフロンが17頭と、牧羊犬のコーギーが4匹。
今まで世話をしていたのはアンドロイドのヒエンだけだったが、一週間前からイケルとトニアが加わった。
……二週間前。
ルディの説明不足で発生した誤解が解消した後、イケルとトニアは三カ月以上お世話になったレス・マルヤー楽団の皆に、最後のお別れをしていた。
「今日までありがとうございました」
「ありがとうございました」
イケルの後に続いてトニアが一緒にお辞儀をすると、アブリルが近寄って二人をぎゅっと抱きしめた。
「辛かったら何時でも戻って来なさい。レス・マルヤー楽団は何時でも歓迎するわ」
「アブリルおねえちゃん!」
「何?」
トニアに話し掛けられて、アブリルが微笑みながら首を傾げる。
「トニア、たくさんべんきょうするね」
「うんうん」
「そうしたらまたおねえちゃんに会いに行くから、フラメンコを教えて!」
「もちろん。約束よ!」
アブリルが少しだけ涙を流し、トニアとイケルの頬にキスをした。
「行ってらっしゃい」
「「行ってきます」」
「さようなら」ではなく「行ってきます」。
レス・マルヤー楽団の皆は、イケルとトニアが見えなくなるまで、手を振っていた。
なお、この後、レス・マルヤー楽団に所属する吟遊詩人の手で、イケルとトニアの物語が作られた。
貧しい少年が妹を助けるためにスリに転じて片腕を失い、それでも妹を救おうとする物語。
序盤から中盤は涙を誘い最後は幸せに終わる物語は、多くの人から絶賛されて未来永劫語り継がれた。
朝霧が立ち込める早朝。
イケルとトニアは、コーギーを連れて牧場を散歩していた。
ワンワン‼
「皆、もっとゆっくり歩け‼」
「ワンちゃん。まってーー!」
……訂正しよう。
二人は朝から元気爆発なコーギーに連れ回されていた。
……領都を出て一週間後。
馬車に乗ってイケルとトニアは牧場に到着した。
二人を待っていたのは、ヒエンが大好きな四匹のコーギー。一週間ぶりの再会に大はしゃぎして突撃してきた。
コーギーの弾丸を受け止めたヒエンが頭を撫でると、コーギーはさらに興奮して、もっと撫でてと腹を出した従順のポーズをした。
「ヒエンさん。これがコーギーですか?」
「そうです」
ヒエンがコーギーのお腹を撫でながら、イケルの質問に答える。
ルディの考察だと、この惑星で生存している犬は1200年前に墜落した宇宙船ビアンカ・フレアの生き残りだった。
それ故、生存数が少なく、イケルとトニアは犬を見るのが初めて。移動中にヒエンから話を聞いていたけど、到着して早々の襲撃に驚いていた。
ヒエンの愛情でお腹いっぱいになったコーギーは、イケルとトニアに近寄ってきた。
イケルは「何か凄げえ動物だな」と思いながらも、おっかなびっくりコーギーに向かって手を伸ばした。
コーギーは見た事のない人間は警戒しなきゃいけない、だけど頭を撫で撫でして欲しい。二つの葛藤で近寄ったり離れたりしていたが、欲望に負けて、イケルの手に頭を擦りつけ始めた。
「あはははははっ‼ やめて、やめて‼」
イケルがコーギーの頭を撫でている横では、残り三匹のコーギーがトニアを地面に倒して、ペロペロ舐め回していた。
「どうやら犬アレルギーはなさそうですね」
様子を見ていたヒエンが指笛を吹く。その音に、じゃれていたコーギーが二人から離れて彼女の前で整列した。
それを見て、イケルとトニアが凄いと驚いた。
「ワクチン注射をしてから、牧場を案内します。付いて来て下さい」
ヒエンが歩く後をコーギーが追い駆ける。
イケルはトニアを立たせると、その後を追った。
散歩が終わると、ヒエンが朝食を作って待っていた。
メニューはふわふわのパンにハムエッグ。レタスのサラダはマッシュポテトが乗っていた。飲み物は子供らしく牛乳。
ヒエンが見守る中、二人はそれを残さず食べた。
「では厩舎の掃除に行きましょう」
「はい」
「はーい」
朝食を食べた後は、厩舎のムフロンを牧草地に放しに行く。
ムフロンが居なくなった厩舎の掃除を、三人で始めるのが日課だった。
イケルがムフロンの糞を箒で集めて、トニアがちり取りで回収する。
もし、イケルに右腕があれば全部一人でできるが、片腕の彼には掃除すら満足にできない。
イケルは何も出来なくてヒエンに叱られると思っていたが、彼女は何も言わず、仕事をやり終えた後は「お疲れ様でした」と褒めてくれた。
掃除を終えた後は宿舎に戻って、ヒエンを教師に二時間ほどの勉強。
ヒエンは育児介護アンドロイド「なんでもお任せ春子さん」だけあって、物を教えるのが上手だった。
今まで誰からも勉強を教わった事のない二人は、文字も書けず、計算もできなかった。
イケルはトニアと同じ内容を学んでいたが、彼にも兄というプライドがある。彼はトニアに兄の威厳を見せようと必死だった。
午前の勉強が終わって、ヒエンが昼食を作るまでの1時間は、自由時間だった。
二人が外に出ると、遊び相手を待っていたコーギーが大はしゃぎ。
イケルが投げる棒を奪い合い、トニアと追い駆けっこをする。
トニアもコーギーと遊ぶのは大好きだったので、走りながらキャッキャと笑っていた。
今日の昼食は、オムライスとマカロニサラダ。
最初、オムライスを食べた時、イケルはあまりの美味しさに無我夢中で食べて味が分からなかった。
トニアもイケルと同様、一口食べただけでオムライスが好きになり、毎日食べたいと時々イケルに話していた。
午後は二時間のお昼寝をしてから、勉強の時間が始まった。
午後の勉強は、午前とは違って好きな勉強の時間。
絵を描きたいと言えば絵の描き方を教えてくれて、歌いたいなら歌い方について教えてくれる。
イケルは片腕でもできる絵の授業を受ける事が多く、トニアは歌とフラメンコをヒエンから習っていた。
この授業は最低二時間。もっとやりたければ、ムフロンを厩舎へ追いやる時刻まで勉強しても良かった。
日が暮れ始めると、ヒエンがコーギーたちを操って、放牧していたムフロンを厩舎へ追い込む。
コーギーたちもここへ来て数カ月。今では立派な牧羊犬として活躍していた。
イケルとトニアは見学だが、ムフロンを追いやるコーギーを見て興奮していた。
今日の夕食はエビフライ。ご飯、海藻の入ったサラダ、味噌汁付き。
二人はエビフライを食べる以前にエビすら知らなかったが、外側はサクサク中身はプリッとしたエビフライを、美味しそうに完食した。
夕食後、風呂に入ってから歯を磨く。
この時間になると、まだ子供のイケルとトニアはうとうとして、ベッドに入ると直ぐに眠りに就いた。
二人が眠ったのを確認した後、ヒエンが部屋の電気を消す。
彼女の顔は、仕様により慈愛に満ちていた。
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