第430話 イケルの願いとトニアの夢

「待ってください。俺が話をします」


 皆に守られていたイケルが団員を掻き分けて前に出た。


「イケルは下がって!」


 アブリルが押しとどめようとする。だが、イケルは頭を左右に振ってそれ拒否した。


「下がりません。これは俺とルディが約束した事です」


 そう言われたら何も言えない。

 アブリルは悔しそうに奥歯を噛みしめて、イケルに場所を譲った。


「ヒエンさん。お願いがあります」

「何でございましょう?」


 イケルはそう言うと、突然ヒエンに向かって土下座をした。


「俺がトニアの分まで働きます。だからトニアは楽団に居させて下さい‼」

「お兄ちゃん‼」


 驚いたトニアが慌ててイケルに駆け寄り、イケルの体にしがみ付いた。


「ヤダヤダヤダヤダ‼」


 イケルは頭を上げると、泣いているトニアを抱きしめる。片腕で彼女の頭を撫でた。


「トニア……お前は自由に生きて幸せを掴め」

「ヤダ! トニア、お兄ちゃんとはなれたくない‼」

「トニアは昔から歌うのが好きだっただろ? アブリルさんと一緒に居るお前は、本当に楽しそうだった……俺と一緒に居たら、一生家畜の世話で終わるんだ。そんなのは片腕を失くした俺だけで十分だ。お前はここに残って幸せになれ。それが俺が求めるたった一つの望みだよ」


 イケルが最後の別れだと、トニアをぎゅっと抱きしめた。


「ちがう! トニアの夢は、お兄ちゃんといっしょに幸せになること‼ トニアだけ幸せになるのイヤ‼」

「トニア……その気持ちだけで十分だ。ありがとう」


 イケルとトニアの兄弟愛に、団員の全員が涙を流していた。

 アブリルも大泣きしてハンカチで涙を拭いていたが、彼女は先ほど弟のカルロスを売り渡そうとしていたのを忘れてはいけない。




「……もう宜しいでしょうか?」


 アンドロイドのヒエンは『なんでもお任せ春子さん』の中でも、感情表現が薄い。

 全員が感動で泣いている中、ただ一人だけ冷静なままイケルに声を掛けた。


「……はい。それでトニアは……」

「当然連れて行きます」

「……そうですか…分かりました」


 願いが叶わずイケルが落胆する。


「待ちなさい、貴女は今のを見ても何も思わないの?」


 この状況を黙っていられず、アブリルがヒエンに詰め寄った。


「仕様なので思いません」

「……仕様?」


 はて? 性格を例える時に、仕様という言葉を使うのだろうか?

 ヒエンの返答に全員が首を傾げた。


 一方、ヒエンは無言でイケルとトニアを見下ろしていたが、頭の中では混乱していた。

 どうも何かがおかしい。

 ルディからは既に説明しているから、引き取るだけだと聞いている。

 ところが目の前の二人の様子を見ていると、どうやら説明に語弊があるらしい。

 そこで彼女は確かめる事にした。


「イケル、質問があります」

「……なんでしょう?」

「貴方はトニアと離れたいのですか?」

「違う‼ だけど、トニアはまだ小さいんだ。それなのに奴隷になるなんて……」

「なるほど、理解しました」


 ルディが医療費の代わりに一生働けと言ったので、イケルは奴隷になると勘違いしていた。

 もし、この場にルディが居たら、ヒエンはちゃんと説明しろと詰め寄っただろう。

 彼女はアンドロイドにしては珍しくため息を吐くと、誤解を解くために説明を始めた。


「まず奴隷という考えが間違っています」

「……へ? 違うの?」


 奴隷じゃないと聞いて、イケルがキョトンと目をしばたたかせた。


「まず、青少年労働基準法に基づき、15歳以下は労働の義務はございません」

「青少年労働……えっと?」


 ルディが所属している銀河帝国の法律など、この場にいる誰もが知らない。何を言っているのか分からず、全員が首を傾げた。


「青少年労働基準法でございます。お二人は15歳になるまで、働く必要はございません。それと、奴隷法は国によって存在しますが、ハルビニア国では奴隷制度がございませんので、二人を奴隷の身分にする予定もございません」

「では、俺たちは何を?」

「15歳までの間は勉強でございます。基礎を学んだあと、畜産業について知識と実習を学んでもらいます」


 この惑星では、平民が学問を学べる機会は少ない。

 イケルはまだ7歳。8年も勉強ができるのは、好待遇に近かった。


「そして、15歳で成人になった暁には、独立してもらいます」

「独立? あれ? 俺、自分の牧場が持てるの!?」


 それを聞いた途端、イケルだけでなく全員が目を見張った。

 奴隷なんてとんでもない! 一生働いても自分の店を持てない者が多い中、たった15歳で自分の牧場を持てるなど、ありえなかった。


「当然でございます。何時までも面倒を見るつもりはありませんので、早く独立してもらわないと困ります」


 普通の牧場主なら従業員を多く雇って、牧場を大きくしようとするだろう。

 だが、ルディは金なんていらないし、他の方法でいくらでも稼げる手段を持っている。

 ムフロンの毛皮が生産できて、デッドフォレスト領の児童生存率が上がれば、誰が経営者になろうがどうでもよかった。




「トニアはまだ3歳。イケルが唯一の肉親で間違いないですか?」

「……はい」


 ヒエンが確認すると、イケルが頷いた。


「3歳の年齢で肉親から離れて暮らすと、成長過程において情緒不安定になる可能性がございます」

「……?」


 ヒエンが説明するけど、イケルには難しい話は分からない。

 だけど、何となくトニアが自分と離れて暮らすのは良くないという事だけは分かった。

 トニアも自分の話になったので、理解できなくても顔を上げてヒエンの話を聞いていた。


「トニアも貴方と同様に勉強させる予定でございます。多くの知識を得られれば、成人したときの職業の選択が多くなります。そのまま貴方と一緒に牧場で働くも良し、アブリル様のようにフラメンコを踊りたいと出て行くのも自由でございます」

「……トニア、お兄ちゃんといっしょでもいいの?」

アンドロイド本人人間の意思を尊重します。ご自由にどうぞ」


 ヒエンが答えると、トニアはイケルと一緒に居られると分かって、また泣き出した。




「あの……なんで僕たちの為に、そこまでしてくれるんですか?」


 イケルの質問はごもっとも。

 それは彼だけでなく、レス・マルヤー楽団の全員がその答えを知りたかった。


「これから始める畜産は、まだ誰も育てた事のないムフロンという動物を新しい方法で飼育します。そのためには多くの知識と経験が必要になります」

「……はい」

「ムフロンから毛糸を生産できれば、多くの子供の命が冬の寒さから救われるでしょう」


 多くの子供の命を救う。想像していたよりも重大な使命に、イケルが驚き目を見開いた。


「多くの命を救うためには、ムフロンを繁殖させる必要があります。おそらくルディは、片腕を失っても物乞いになっても妹を救おうとした貴方なら、家畜の世話も出来ると判断したと思います」


 スリをしても、片腕を失っても、妹を救おうとした俺は間違っていなかった。


「うっ、うっ、うっ、うわぁぁぁぁ‼」


 イケルは今までの辛い過去を思い出して泣き崩れた。


「良かったわね。おめでとう、イケル。幸せになりなさい」


 アブリルが泣きながらイケルに寄り添う。

 この場に居る全員が涙を流し、イケルの門出を祝福した。

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