第429話 人生を捧げるオーケストラ
「それと……イエッタ、あれを」
「はい」
レインズの命令に、イエッタが皮ケースをテーブルの上に載せた。
「……これは?」
「ルディから預かっている、バイオリンでございます」
「こ、この中にバイオリンが……」
イエッタの返答にチェチュが興奮した。
800年前に技術が失われて名前だけが残った、伝説の楽器が目の前にある。
興奮を必死で抑えてチェチュが皮のケースを開ける。すると、中には木目の美しいバイオリンがあった。
「おおおぉ! こ、これがバイオリン……」
チェチュが感動に震えていると、イエッタの手が伸びてバイオリンを取り出した。
「これは、このように弾きます」
イエッタが首元でバイオリンを押さえて、弦に弓を当てる。そして、バッハの『G線上のアリア』を奏で始めた。
突然始まった演奏に驚いていたチェチュだが、バイオリンから哀愁漂音色音色に、瞼を閉じて静かに演奏を聴いていた。
「ブラボーー‼」
イエッタの演奏が終わると同時に、チェチュが立ち上がって拍手を鳴らす。それに応える形でイエッタは微笑み、お辞儀をした。
チェチュは、イエッタの気品と優雅な立ち振る舞いに、もし彼女が舞台に上がれば、歴史上に残る演奏家になると思った。
「どうやら気に入ったみたいだな」
「はい、はい。もちろんでございます! これほど美しい音色が出る楽器は今まで聞いた事もございません!」
話し掛けたレインズにチェチュが何度も頷いた。
「なら、それは約束通りに其方に差し上げよう」
「ありがとうございます‼」
チェチュはイエッタからバイオリンを受け取ると、大事そうにバイオリンを皮ケースにしまった。
「俺は詳しく知らないのだが、楽器を手に入れても武器と同じで、手入れが必要らしいな」
「それは、はい、当然でございます」
レインズが話題を変えて質問すると、チェチュはその通りだと頷いた。
「そこで、この街で楽器職人を育て始めている」
「なんと!?」
ルディ曰く、素晴らしい演奏者が居ても、楽器がなければ、ただの人。
音楽の文化を広めるためには、楽器職人も作るべし! と考えていた。
実際にレス・マルヤー楽団の楽器も長年使っていた楽器が多くあり、手入れは持ち主がやっていたが、何時壊れてもおかしくない状態だった。
「まあ、楽器なんて売れないから、本業の家具を作る合間に覚えてもらっているんだが、報告だと腕は良いらしいぞ」
「それは素晴らしい!」
至れり尽くせりの境遇にチェチュが喜んでいると、イエッタが話し掛けて来た。
「ところで、現在のレス・マルヤー楽団は何人在籍していますか?」
「8人ですが、多いですか?」
パトロンと言っても、頂ける金額は分からない。
困惑するチェチュに、イエッタが頭を左右に振った。
「いえ、逆です。できれば5年以内に最低でも10倍、80人まで増やしてください」
「は、は、は、80人!?」
人数を聞いたチェチュが、この日一番驚いた。
「80人です」
「い、一体……何のために?」
「最終目標はオーケストラの演奏です」
「オーケストラ?」
オーケストラとはなんぞ? チェチュが首を傾げる。
過去の歴史でも、中世時代にオーケストラは存在していない。
ルディは音楽の文化を広めるためにオーケストラを取り入れようと計画していた。
イエッタからオーケストラについて説明されて、チェチュが考える。
音楽学校を作って演奏者を増やす。
楽器職人を増やして楽器を作る。
全てはオーケストラのための布石なのだろう。
「なるほど……全て理解しました」
今は夢かもしれない。自分が生きている間に叶わないかも知れない。
だけど、やらなければ何も始まらない!
自分が選ばれたのは偶然かもしれないが、音楽家として生きるなら、この夢を叶えて見せる‼
「レインズ様‼」
決心したチェチュがレインズを正面から見る。
「決心したか?」
「はい。私の残りの人生、全てオーケストラのために捧げます」
「うむ。俺も協力は惜しまん。全力で取り掛かってくれ」
「はい‼」
レインズとチェチュが固い握手を結ぶ。
こうして、デッドフォレスト領では、音楽文化の種が撒かれた。
……同刻。
レス・マルヤー楽団が泊っている宿に、アンドロイドのヒエンが訪ねてきた。
「失礼します。こちらにイケルとトニアという名の子供はいらっしゃいますでしょうか?」
「居るけど、どちらさんで?」
丁度宿屋の入口近くに居た団員が対応すると、ヒエンは物静かに頭を下げた。
「私はルディの使いのヒエンと申します。二人をお迎えに参りました」
ルディの使いと聞いて、団員はとうとう来たかと唾を飲んだ。
「少し待ってくれ」
そう言って団員がイケルとトニアを呼びに部屋へ戻る。
暫くすると、イケルとトニアを連れてレス・マルヤー楽団の全員が現れた。
「アンタがイケルとトニアを迎えに来た女?」
「そうでございます」
アブリルが挑発的に声を掛け、ヒエンが頷く。
「ハッキリ言うわ! イケルとトニアを貴女に渡すつもりはないわよ」
「どういう事でしょうか?」
「そのままの意味よ。二人はもうレス・マルヤー楽団の一員なの。だから貴女に渡さず、私たちが育てる事にしたのよ。帰りなさい!」
アブリルはイケルとトニアを心から気に入っていた。
何時までも一緒に居たいと願い、迎えに来たヒエンを追い返そうと考えていた。
それは全団員が彼女と同じ気持ちだった。皆でイケルとトニアを守ろうと二人を囲んでいた。
もし、この場にチェチュが居たら、慌てて団員を止めに入っただろう。だが、彼は現在レインズと面会中、この場に居なかった。
「お断りします」
アブリルの要求を、ヒエンがバッサリと切り捨てた。
「ふふふっ。そう言うのは分かっていたわ」
ヒエンが断ると、アブリルは口角を尖らせてヒエンを見下ろすような
余裕を見せた。
「こちらもタダで二人を貰おうなどと、考えてないわ。さあ、トニアの医療費を言いなさい、言い値を支払いましょう‼」
アブリルはそう言うと、ヒエンに向かってビシッと指さした。
ヒエンはアブリルの挑発的に怯えるわけでもなく、怯む様子も見せない。全く動じない彼女の態度に、アブリルがやり辛いと顔をしかめた。
「トニア様に使用した薬は非売品でございますので、値段はございません」
「……非売品?」
ヒエンの返答に、アブリルが指をさしたままコテンと首を傾げた。
「薬はナオミ様以外に作れない薬でございます」
ヒエンの口から『ナオミ』という単語が出て、全員が奈落の魔女の存在を思い出した。
勿論、アブリルも同様。特に彼女はフラメンコの練習中、足に出来たマメをナオミの治療で無理やりタコにされた経緯がある。
魔法で人体を思いのまま弄れる行為は、魔法を使えない者からしてみれば、恐怖以外の何物でもなかった。
彼女は当時の恐怖を思い出して、指さしている指先がプルプル震えていた。
「……そ、そう。あの方が作った薬だったら仕方ないわね。カルロス、貴方が二人の身代わりに行きなさい!」
「はぁ!?」
突然、実の弟を売ろうとするアブリルを、カルロスが思わず二度見する。
「だって、カルロスよりも二人の方が可愛いんだもん」
言い訳するアブリルを、団員の全員が酷いと思った。
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