第427話 音楽と旅をする

 イケルとトニアは、初めて王都から外に出た。

 遠くまで広がる草原、大地を駆ける爽やかな風、遥か彼方に見える山脈、青い空に白い雲……どれもが美しく、全てが輝いて見えた。


 トニアは初めて見る物に興奮して、イケルに色々と質問するが、彼も初めての世界、質問に答えられずに困っていた。

 そして、イケルが困っている事がもう一つある。それは馬車の中が喧がしい事だった。


 フラメンコを踊るアブリルが有名なレス・マルヤー楽団だが、彼らは仮にも音楽旅団である。

 アブリルがフラメンコを踊る前は音楽で日銭を稼ぎ、楽器の演奏が苦手な彼女は場を盛り上げる普通の踊り子だった。

 それが今ではフラメンコがメインになり、楽器演奏は前座に落ちた。

 それでも団員の皆は音楽が好き。暇なら上達しようと腕を磨くことを欠かさない。

 そして、馬車の移動中は暇なので、練習するには丁度良い。誰かが楽器を鳴らし始めると、それに誰かが伴奏して、やがて全員が一緒になって演奏を始めた。


 別にイケルも音楽が嫌いというわけではない。

 ただ、街を出てから6時間。ずっと演奏が続いていると、さすがに聞いている方も疲れる。

 イケルとは逆に、トニアは楽団に入ってから好きだった音楽がもっと好きになって、今も曲に合わせてアブリルと一緒にハミングしていた。




 レス・マルヤー楽団は道中に村が見えると必ず立ち寄って、演奏会をするのが決まりだった。

 楽しい音楽を鳴らしながら馬車が村に入れば、村人は何事かと近づき、団長のチェチュが馬車の上から大声を出した。


「レディース、アンド、ジェントルマン! 我々はレス・マルヤー楽団です!  今宵は皆さま方を楽しい演奏会にご招待しましょう‼」


 それを聞いた村人たちは、滅多に来ない音楽旅団を大歓迎で迎えた。


 夕刻になると、宿屋か、宿屋が小さければ村の広場で演奏会が始まった。

 村人は楽しい音楽に踊り、吟遊詩人が語る悲哀の物語に涙を流す、アブリルがフラメンコを踊れば感銘していた。

 イケルとトニアの仕事は、村人が投げるおひねりにお礼を言って、拾う係だった。


 楽団が旅をするのは、ただ演奏するだけではない。

 インターネットもラジオも新聞もない世界、村人が情報を得るには旅をする者から聞くしかなかった。

 演奏の合間にチェチュが街で仕入れた情報を村人に伝える。それも大事な仕事の一つだった。

 

 イケルは趣味の音楽で演奏して金を稼ぐ楽団を、生産性のない人間だと考えていた。

 だが、村で活動する彼らを見て考えを改め、彼らも立派な仕事をしていると思った。


 この調子で村に立ち寄るから、当然彼らの移動は遅い。

 レス・マルヤー楽団はゆっくりした速度でデッドフォレスト領への旅路を進んだ。




 旅をしてから二カ月。レス・マルヤー楽団は特にトラブルもなく、無事にデッドフォレスト領の領都のすぐ近くまで来ていた。


「まちが見えたよーー!」


 馬車から外を見ていたトニアが、遥か遠くに見えてきた街壁を見て、嬉しそうに叫んだ。


「トニア、そんなに大声を出さなくても聞こえるよ」

「だってぇ……」


 イケルが窘めると、トニアがシュンと落ち込む。

 イケルがトニアの頭を優しく撫で、それで彼女も機嫌を直したのかイケルに向かって微笑んだ。

 その様子を見ていたアブリルが、羨ましそうにため息を吐く。


「……昔はカルロスの頭を撫で撫でして慰めたわ。ねえ、カルロス。久しぶりに慰めてあげようか?」


 アブリルの冗談に、カルロスはアブリルを一睨みしてそっぽを向いた。

 この意味は「俺はもう大人だ、冗談じゃない!」だった。


 アブリルがしょんぼりしていると、トニアが近寄って彼女をぎゅっと抱きしめた。


「カワイイッ!」


 感極まったアブリルが感激して、トニアをギュッと抱きしめた。


 旅の間にイケル兄妹とレス・マルヤー楽団の仲は良くなった。特にトニアはアブリルを本当の姉のように接し、同じくアブリルもトニアを妹のように可愛がった。

 だけど、それもあと僅か。領都に着いてレインズに面会した後、イケルとトニアはルディに引き渡されて、レス・マルヤー楽団と別れる予定だった。


 当然、イケルはその事をトニアに伝えている。トニアも自分の病気が治ったのはルディのおかげだと理解して寂しそうに頷いた。

 だからなのか、トニアは別れを惜しむかのように、デッドフォレスト領に入ってから、今まで以上にレス・マルヤー楽団の皆と接するようになっていた。




 イケルは楽しそうに笑うトニアの様子を眺めながら、2週間前の事を思い出していた。


 団長のチェチュからトニアをレス・マルヤー楽団に残さないかと密かに打診されていた。


 トニアには音楽とダンスの才能がある。

 今から楽団に入ってフラメンコを覚えれば、将来、一流のダンサーとして有名になれるかもしれない。

 ルディには自分が説得するから、トニアを預けてみないかと。


 イケルは今までトニアを自分なりに育ててきたという自負がある。

 その時は断ったが、それ以降、イケルは本当にそれが正しかったのか悩んでいた。

 自分の我儘でトニアの才能を潰して良いのか?

 自分には自分の人生があるように、トニアにはトニアが夢見る人生がある。

 片腕を失い、残された人生がルディの下で働くしかない自分と違って、トニアには楽しい人生を送って欲しい。


 イケルはアブリルと戯れているトニアを見て、一つの決断をした。




 昼過ぎにレス・マルヤー楽団を乗せた馬車が、デッドフォレスト領の領都に入った。


「なんか前に来た時よりも発展してない?」

「もしかしてじゃなく、確実に発展しているよ」


 アブリルが首を傾げる横で、カルロスがツッコミを入れる。

 初めて来たイケルとトニアは、ハルビニア国の領都と遜色のない街並みに凄いと驚いていた。


 以前、レス・マルヤー楽団がデッドフォレスト領に来たのは、レインズが就任した直後だった。

 その頃は都市発展の計画段階だったので、他の都市と同じような作りだった。

 それから一年。デッドフォレスト領の領都は、区画整理とインフラ整備がされた。

 中央の広場へ続く道は大きく広がっていた。

 区画整理で住宅区、商業区、工業区と分けた結果、犯罪率と交通の便が良くなった。

 煮沸は必要だけど清潔な飲み水が飲める。

 各家庭に下水があるので街は清潔だった。


 他にも様々な改良が施されており、この世界の人間からしてみれば、領都は未来都市に見えていた。


「こりゃ、驚いた……」


 団長のチェチュも領都の様子に驚いていた。

 ここに来るまでの間に、デッドフォレスト領が発展しているという噂は耳にしていた。

 だが、実際に聞くのと見るのでは違う。噂で聞いた以上に街は発展していた。それに、郊外でも家を作り始めている。

 予想するに、人口が増えて今のままでは土地が足りず、都市を拡張する予定なのだろう。

 この街はますます発展する。チェチュはそう確信した。

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