第256話 ゴブリン一郎の体験学習
ゴブリン一郎とアイリンが見つけた鹿は、ヘラジカに似た雄鹿だった。
大きく広がった角を持ち、体は大きく3mぐらいある。恐らく体重は500kgを超えるだろう。
体毛は茶色で、長い尻尾が伸びている事から、この星の原生生物だと思われる。
鹿は単独で行動しており、低木の草を食べている最中だった。
ゴブリン一郎とアイリンがこっそり風下へ移動する。
グギャァ……(デケェ……)。鹿のサイズにゴブリン一郎がゴクリと息を飲む。
ゴブリン一郎はルディと暮らす前、あれよりも少しだけ小さい鹿を仲間のゴブリンと一緒に襲った事があった。
その時は、仲間の1匹が蹴られて、もう1匹が角に刺されて死んだ。鹿には逃げられて、結果は散々だった。
「一郎君。首筋を狙って弓を撃ってください」
アイリンが小声で指示にゴブリン一郎が頷く。そして、背中に背負った弓を取り出した。
ゴブリン一郎が手にした弓は、ルディと同じ物。
アイリンは時間があれば、ゴブリン一郎に弓の作り方を教えたかったが、今は時間がなく間に合わせに貸し出していた。
ゴブリン一郎が矢をつがえて弓を引き絞る。
今だ‼ 狙いを定めて弓を放った。
斜めにぴょーん。
「ぐぎゃ? (あれ?)」
残念ながらまだ習いたてのゴブリン一郎は、まともに矢を飛ばせなかった。
鹿が矢が地面に落ちた音に気づいて、逃げ出そうとする。
その時、ゴブリン一郎の背後から光線が放たれて、鹿の首筋に命中。鹿は首に大きな穴を開けて地面に倒れた。
ゴブリン一郎が慌てて振り返る。そこには、アイリンが右手首を拳銃に変形させて構えていた。
アイリンはガチャガチャ音を鳴らして右手首を戻してから、ゴブリン一郎に微笑んだ。
「残念でしたね。もっと練習して上手くなりましょう」
ゴブリン一郎のこめかみに一滴の汗が流れる。笑みを浮かべるアイリンを恐ろしいと思った。
「捕った獲物を美味しく食べるには、仕留めた後すぐに処理をする必要があります」
瀕死の鹿を前にしてアイリンがゴブリン一郎に、鹿の解体の講義を始めた。
「まずは血抜きをします。それをしないと、臭くてクセのある肉質になります」
ゴブリン一郎が瀕死の鹿を見ると首筋に穴が空いており、そこから血が流れていた。
「ぐぎゃあ、がぎゃぎゃぐぎゃあ……(やべえ、処理も考えて正確に狙ってやがる……)」
その事に気づいたゴブリン一郎の体が震えた。
「次は洗浄ですが……思っていたよりも獲物が大きいので、今回は私が運びましょう」
アイリンが体重500kg以上ありそうな鹿を、ひょいっと背負う。
本来ならマダニなどが毛の中にいるので、背負ったりするのは危険だが、アンドロイドの彼女には関係なかった。
「獲物を狙う時は、自分が持てる大きさの獲物を狙いましょうね♪」
アイリンがゴブリン一郎にウィンクする。
ゴブリン一郎は、この女に逆らう事だけはするまいと誓った。
ナオミの家に戻った2人は、外の水洗い場で鹿の体を洗っていた。
ルディと暮らす前のゴブリン一郎は、獲物を仕留めても石のナイフで解体するだけだった。
だけど、水を嫌がったマダニが死体から大量に出てくるのを見て、今までよく食べていたなと思う。
「夏場は一日中、水の中に沈めた方が良いでしょう。そうすれば、温度が冷えて内臓が腐りません」
「ぐぎゃ(分かった)」
ゴブリン一郎の返事に、アイリンが頬に手を当てた。
「うーん。紙が無いと言葉が通じなくて不便ですね。一郎君、手話を覚えましょう」
「ぐぎゃ? (手話?)」
「ボディーランゲージの延長みたいなものです」
アイリンが胸の前で左手を水平に置いて、右手で甲を叩いた。
「これは、ありがとうと言う意味です。こうやって、人間は耳が不自由な人と会話をする事が出来るんですよ。一郎君も手話を覚えれば、ルディ様と会話が出来る様になります」
なるほど、これは便利だな。ゴブリン一郎はそう思うと、アイリンに向かって、さっそく覚えたありがとうの手話を返した。
「ふふふ。どういたしまして」
こうして、技能実習だけでも大変だったゴブリン一郎の学習に、手話の勉強が追加された。朝から晩まで働いて、夜になると手話を学ぶ。
目まぐるしく忙しかったけど、ゴブリン一郎はアイリンの教えを全て学んだ。
これは児童育成用のアンドロイド「なんでもお任せ春子さん」が、ゴブリン一郎の能力を限界まで引き出した結果だった。
小春日和で暖かい今日は、疲れた様子のゴブリン一郎にアイリンが半日の休暇を与えた。
休暇と言っても、ゲームもなければ、漫画もない。
ゴブリン一郎は、ぐうたら寝るのは時間がもったいないと、気晴らしに釣り道具を持って、森の中の湖へ出かける事にした。
お目付け役のアイリンも居らず、のんびり森の中を歩いて小さな湖に到着する。
釣り糸を垂らして釣ろうとしたら、遠くの方からギャアギャアとした声が聞こえて来た。
「ぐぎゃ? (なんや?)」
ゴブリン一郎が声のする方へ振り向く。
すると、3匹のゴブリンがゴブリン一郎を指さしながら近づいて来た。
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