第255話 ニートの終わり

 ルディとソラリスが、アブリルたちにフラメンコを教えている頃。

 ナオミの家がある魔の森では、ゴブリン一郎が獲物を探していた。


 本来、一年中を半裸で生活しているゴブリンたちは、冬になると半冬眠状態になる。

 何故なら、彼らは冬の間、体内のマナを消費して体温を維持する必要があった。その代償に体力強化が出来なくなり、外敵から身を守れなくなる。

 冬の野生ゴブリンは洞窟で身を隠しながら、秋の間に貯めた薪と僅かな食料で飢えをしのぎ、春を待つのが普通だった。


 人類の文明の初期段階に農業の発明がある。

 農業が発達するまで、人類の栄養素はタンパク質とビタミンが主流で、炭水化物はドングリなどの木の実ぐらいからしか取れなかった。

 だが、小麦や米などの炭水化物の発見と、農業の文化が発達した結果、食料が乏しくなる冬の食料問題が解決して、死亡率を大きく減らし、人口増加に繋がった。


 ゴブリン一郎も去年までは、野生のゴブリンたちと同じ生活を送っていた。だけど今年は違う。

 寒い洞窟の代わりに、空調設備の付いている暖かい家がある。食料も腐りやすい肉だけでなく穀物があった。ニート最高。

 では何故、ゴブリン一郎が狩に出かけているのか?

 それは、ルディが教育係に派遣した「なんでもお任せ春子さん」の1人、アイリンの教育方針だった。




 話はルディたちが家を出た後まで戻る。

 ルディが旅立って直ぐ後に、ナオミの家にアイリンが来た。


「ぐぎゃがぎゃ、ぎゃぐぎゃ? (ソラリス姉ーちゃん、帰って来たのか?)」

「お久しぶりです、一郎君。私はアイリンですが、覚えていますか?」

「ぎゃぎゃ? ……ぐぎゃあぎゃ(アイリン? ……ああ、姉ちゃんの姉ちゃんか)」


 アンドロイドを知らないゴブリン一郎は、ソラリス以外の「なんでもお任せ春子さん」たちを、ソラリスの姉妹と勘違いしていた。

 ゴブリン一郎が頷いて覚えている事を伝えると、アイリンが微笑んだ。


「どうやら聞いていた通り、言葉は伝わるみたいですね。今日から一郎君の教育と生活をサポートしに来ました。しばらくの間、よろしくお願いします」


 アイリンが綺麗なカーテシーを披露して頭を下げた。


「ぐぎゃががぎゃ?(それ、なんの意味だ?)」


 ゴブリン一郎はカーテシーの意味を知らなかった。




 それから、ゴブリン一郎は絵と文字で、彼女から人間の言葉と基本教育を教わった。まだ教育が始まって数日だけど、事前にルイジアナが言葉を教えていたおかげで、教育はスムーズに進んだ。

 そして、アイリンはゴブリン一郎から、今までどのような生活を送っていたのかを聞いた。


「なるほど。今まで大変だったんですね」

『それがあたりめーの生かつだったです』


 アイリンの話に、ゴブリン一郎が画用紙に文字を書いて応える。


「ところで、今は秋ですけど、狩をしないんですか?」

『今はなんでもあるからなー。ひつようねーです』

 もう一度言うが、ニート最高。

「いえ、その考えはいけません。もし、この家が無くなったらどうするんですか?」


 なんか話の流れが変わった気がして、ゴブリン一郎が「あれ?」と首を傾げる。

 アイリンの顔を見れば、顔は笑っているけど目が笑っていなかった。


「今はこの家があるから安全です。ですが、この森は危険な場所なのをお忘れですか? 常に危機感を持っていなければ、生きていけませんよ」


 ゴブリン一郎も、その通りだと頷く。


「今はルディ様とナオミ様がいらっしゃるから安全でしょう。ですが、何時までもあの方たちが居ると思っているのなら、それは大きな間違いです。何時か一郎君も独り立ちする時が来るでしょう。その時、一郎君は一人でどうするつもりですか?」


 ゴブリン一郎は今までそんな事を考えた事がなく、アイリンの話に顔を青ざめた。だけど、元々肌が緑だからあまり変化はない。


「と言う事で、これから一郎君には1人でも生きていけるように、自給自足の教育を加えましょう」


 自給自足の教育が何か分からないけど、ゴブリン一郎は必要だと思って頷いた。


 こうして、ゴブリン一郎のニート生活は終わりを迎えた。




 その翌日から、ゴブリン一郎の生活が変わった。

 まず、朝から鍬を持って農業の授業が始まった。農業の授業が終わると、獲物を効率よく狩るために弓術を教わった。

 別の日はアイリンと一緒に森へ出かけて、食べられる野草や獣を調べた。

 そして今日は、肉の保存方法を学ぶために、アイリンと一緒に獣を狩に出かけていた。


 獲物を探しに森を歩きながらゴブリン一郎が考える。


「ぐぎゃ? ぐが、ぎゃぎゃ? (あれ? 俺、働いてね?)」


 アイリンは技能実習という形で教えているのだが、それを理解していないゴブリン一郎は普通に働いていると勘違いした。


「ぎゃ、ぎゃあ(まあ、いっか)」


 勉強するのも面白いけど、実習も面白い。

 ゴブリン一郎は、いつの間にか学ぶことに貪欲になっていた。


「一郎君。この先に中型生物が居ます。弓で仕留めましょう」

「ぐぎゃぎゃぎゃ(普通に鹿と言え)」


 やはり画用紙が無いと、ゴブリン一郎の言葉は通じない。

 それでも、2人は鹿を仕留めに風下へ移動した。

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