第172話 上司が休まな部下も休めん

 レインズたちはルネから早くソラリスに会いたいとせっつかれ、子供を王都から連れてきた乳母に預けると、彼女の居る行政執行室に向かった。

 レインズは長旅で疲れているだろうにと思うが、ルネはこれから暮す領地の運営に携わり、夫のレインズを支えてくれる女性に、好奇心から早く会いたいという気持ちを優先させた。


 彼らが廊下を歩いていると、正面からメイド服を着た銀髪の女性が歩いてきた。


「あら? ソラリスさん?」


 会おうとした本人と遭遇してルイジアナは声を掛けるが、相手は微笑んで頭を横に振った。


「いいえ、私はリンでございます」

「……?」


 その返答にルイジアナが首を傾げるが、直ぐに髪型が違うのと顔が若干異なる事、それに、あの・・ソラリスが微笑むなんてありえないと思い出して、彼女の言う事を信じた。


「そうか、ルイジアナは知らなかったな。言うのを忘れていたけど、今この領地にはソラリスと似た女性が、彼女を入れて8人居る」


 レインズの説明に、ルイジアナとルネが同時に首を傾げた。


「もしかしてソラリスの姉妹か何かですか?」

「血縁はないらしい」


 ルイジアナの質問にレインズが答え、当のリンも頷いて肯定する。


「だけど、彼女たちも行政に携わっている。というか、彼女たちが居なかったら現場が混乱して何もできなかっただろうな」


 レインズは彼女たちが現場に現れてから、改革の進捗が大幅に進んだと聞いて、さすがは奈落の魔女の関係者だと思いつつ、同時に彼女たちを襲った多くの男性が、原形を留めないほどやり返されたとも聞いており、頭を抱えていた。


「……はぁ」


 とりあえず今は納得するしかないとルイジアナが頷くと、話を聞いていたルネがリンに話し掛けてきた。


「まあ、今のは本当の話? こんなに美しいのに仕事も出来るなんて、一体どんな仕事をしているの?」

「私は物流業に携わっています。主な仕事は領地の端まで物品が行き届けられるように、道路設備、在庫管理、馬車管理などをしております」


 話し掛けられたリンが丁寧に質問に答える。

 デッドフォレスト領に限らず領地の端にある村では、時々塩などの必要物資が足りない場合がある。

 これは道路が整備されておらず移動に時間が掛かるのと、在庫管理が出来ておらず、必要な時に物が不足している事が問題なのだが、ソラリスは道路整備と物流管理でそれを解決しようとしていた。


「それは凄いわ」


 ルネはスラスラと説明するリンの様子に、彼女が本当に業務に携わっているのだと感心していた。


「そろそろ行くぞ」

「では私も用事があるので失礼します」


 リンは用事があったのか、レインズの声に頭を下げると早々と立ち去った。


「ソラリスと言う人もあんな感じなのかしら?」

「全然違う」

「全く違います」


 リンの後ろ姿を見送ってルネが呟くと、レインズとルイジアナが同時に手を左右に振り、2人の様子が可笑しくルネが笑った。




 行政執行室のドアをレインズがノックする。


「レインズだ。入るぞ」

「どうぞお入りください」


 中からソラリスの声がして、レインズが扉を開ける。

 ソラリスはいつもと変わらず、机に向かって高速で何かを書いていたが、レインズたちが部屋の中に入るとペンを止めて顔を上げた。


「いらっしゃいませ」


 ソラリスがレインズたちに声を掛けてから卓上のベルを鳴らすと、音を聞いて隣室から書記見習いの少年が現れた。


「私の分は結構ですので、彼らにお茶を用意して下さい」

「はい」


 ソラリスの抑揚のない命令に、書記見習いの少年が返事をして姿を消す。そして、全員がソファーに座るとソラリスが口を開いた。


「ルイジアナ様、おかえりなさいませ。それと、レインズ様の奥様でルネ様ですね。私はソラリスと申します。どうぞよろしくお願いします」


 ソラリスが無表情のまま丁寧に頭を下げると、ルイジアナが話し掛けてきた。


「ソラリスもご苦労さまでした。貴女の作った設計書は王太子殿下も褒めていましたよ」

「そうですか」


 普通であれば王太子から褒められれたと聞けば喜ぶが、ソラリスは表情を変えずただ頷くだけで、彼女を観察していたルネが大きく目を開いた。


(確かに先ほどのリンという女性と全く違うわ……)


 容姿、身長、体形、髪の色は同じだが性格がまるで違う。

 リンは喋り方も表現も感情豊かだったのに対して、目の前のソラリスは生まれた時に感情を母親の子宮に忘れてきたかの様に無感情の塊だった。


「王太子殿下があなたを女官として採用したいと言ってましたけど、興味はありますか?」


 一応、王太子の命令で、話だけはするように言われたルイジアナが質問すると、彼女は全く表情を変えず頭を横に振った。


「申し訳ないですが、その予定はございません」

「やはりそうですか。分かりました、一応話だけはするように命令されただけなので、興味がなければ忘れてください」

「はい」


 ルイジアナの話が終わると、今度はルネが話し掛けてきた。


「貴女がソラリスですね。改めて、私はレインズの妻のルネです。もし夫の事で困った事があったら私に言ってください」

「分かりました。ではさっそく」

「……はい?」


 ルネは冗談を言ったつもりだったが、ソラリスはそれを冗談と受け止めず、彼女に頼み事を言い始めた。




「丁度レインズ様本人も居るので言わせてもらいますが、休むよう言ってください」


 レインズが顔をしかめて、ルネが驚き、ルイジアナは彼の真面目な性格を知ってか頷いた。


「どういう事かしら?」

「仕事が沢山あるのは理解しています。特にここ最近は滞っていた進捗が大幅に進んで、定時で終わらない状況が続いていますが、レインズ様は全て自分でやろうと睡眠時間を削ってまで業務を行っています」

「…………」

「私の計算では、この状況が続けば後8日前後でレインズ様は過労で倒れるでしょう。その前に業務を部下に任せて、ベッドで眠る事を推奨します」

「……それは本当なの?」


 ルネが驚いて聞き返すと、ソラリスはコクンと頷く。


「事実でございます。そして、上司が休まなければ部下も休めず、このままだとレインズ様だけでなく、ナッシュ様やマイケル様、他の部下たちも休めず過労で倒れるでしょう。できればローテーションを組んで休ませたいので、ルネ様からレインズ様に物申して頂けると助かります」


 ルネはソラリスの話を聞いて、彼女は感情表現が出来ず話し方も合理的だけど、どうやら気配りの出来る女性なのだと理解した。

 そして、ルネのソラリスに対しての印象は、お喋り相手としては失格だけど、信頼できる女性だと分かった。




「ねえ、あなた」


 レインズは気まずそうに彼女たちから顔を背け、いつの間にか出されていたお茶を飲んでいたが、ルネから話し掛けられて恐る恐る顔を向けた。


「お話があるので、今日の仕事はお休みしてください」

「いや、まだサインしなければいけない書類が……」

「それは私がやります」


 最後まで言わせずソラリスが口を挟む。


「え、いや……」


 それでも口ごもるレインズだが、ルネに叱られて、2人は用が済んだと挨拶もそこそこに部屋を出て行った。

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