第9話 おめでとう! 無事赤ちゃん誕生

「破水したからもうすぐ生まれる。楓、お願いね」

「早紀、出産の様子をスマホで撮影してくれる?」

「いいよ」


「そこにミニ三脚があるでしょ。録画ボタンを押したら、あとは三脚に固定して置いておけばいいから」


 今どきのスマホの動画機能は、数年前のムービーカメラよりもずっと性能が良くて操作も簡単である。動画に撮っておけば後日何度でも見返して、参考にする事が出来るのだ。


 そして、陣痛が来ると小さなトイレのような椅子に座っていきむ。

「カトミナ、その座ってるの何?」

「分娩イスって言うの。これに座るといきみやすいよ」


 可愛らしいマタニティウェアをまくり上げ、下着を脱いで分娩イスに座る美波。私はその美波の出産の手伝いをしている。


 美波はウェアも脱いで生まれたままの姿になった。足に保温のためのルーズソックスのような物を履いている。


 美波の身体はとてもセクシーだった。豊満で柔らかな女体の美しさそのものだ。

 私は目のやり場に困ってしまう。


「美波さん、裸にならなくてもいいんじゃない。下だけ脱げば」

「この方が産みやすいよ。汗びっしょりになるしね」

 美波は大きなおなかをさすりながら赤ちゃんへ優しく声をかけている。すっかり母親の顔になっていた。


 また陣痛がきた。懸命にいきむ美波。

「うーーーーーん」

 陣痛が止むと、再び分娩イスから立ち上がる美波。そして……


 果てしない痛みと闘う美波。

「んんーーーッ!!!」

 分娩イスに座った彼女は歯をくいしばり、苦痛の表情でいきみ声を上げる。全身から大粒の汗が流れ出ている。


 その非日常の姿をしっかりと目に焼き付ける早紀。すると……

「早紀、もっと近くに来て。赤ちゃんの頭が見えかかってる」

 美波の身体の奥から黒々とした髪の毛がわずかに覗いているのが見えている。排臨だ。


「ほら……んっ」

「本当だ……すごい、もうすぐだね。がんばって」

「痛いッ──もうすぐ出るゥ……」美波がいきむと、その髪の毛が生えた胎児の後頭部の見え方が少しづつ大きくなる。


 陣痛の合間になると、出始めた黒いモノが引っ込む。それは今にも生まれようとする胎児の頭だ。新たな生命であった。


「今の時期を『排臨』って言うの。私は2人目だからすぐに赤ちゃんの頭が出てくるけど、あなたは初産だから1~2時間はこの状態が続くんだ」

「うんうん」早紀はヘロヘロになりながらも、痛みに耐えて専門的な解説を加えてくれる美波の言葉を一言も聞き漏らすまいと耳をそばだてた。 


 彼女の周りには録画中のスマホが3台セットされていた。3人分のスマホを異なるアングルで撮影しているのだ。


 陣痛のピークの時にはマクロ機能という、接写を可能とするモードで本体を美波の身体に近づける。そこに映る彼女の産道と、そこを押し広げる胎児の頭。何度も黒い髪の毛が見え隠れを繰り返していた。

「くぅっ……」


 排臨の時期は、胎児の頭が徐々に進む。陣痛がきていきむと、それにつれて児頭が覗いてくる。美波がいきむ声に合わせるように出始めた赤ちゃんの頭部。しかし、その後に陣痛が止んで力を抜くと再び戻ってしまう。進むと戻るを何度も繰り返す。それにつれて出口が少しづつ押し広げられていく。


 美波の息づかいがかなり荒くなってきた。

「ハーッハーッ」

 陣痛の合間はいまや一分足らずにまで短縮されている。

「楓、いつ生まれてもいいように準備して」


 美波に言われて楓は身の回りの準備にいそしむ。


「くうッ……っ」

 声も表情もかなり苦しそうだ。


 もどかしい児頭の一進一退は終り、経産婦の美波の排臨は、すぐに発露へと移行した。

「ほら……良く見て……赤ちゃんの頭が引っ込まなくなったでしょ。……ううっ……この時期を発露って言うの」

 自分が出産しながら、苦痛に耐えつつこうして解説してくれる美波に感心し、尊敬する早紀。

 

「うーーーーんっ」最後の力を振り絞っていきむと、赤ちゃんの頭の一番大きな部分が体外に出た。


 ここからはいきむと会陰裂傷を起こしてしまう。病院出産のように会陰切開はしないから、ゆっくりと娩出しなければ大事な所が裂けてしまうのだ。


「はっはっはっはっはっはっ……」

 短息呼吸と呼ばれる呼吸法でいきみを逃す美波。

 頭が完全に出ると、すぐに肩も見え徐々に体も出て来た、あと一息だ。

「あ~っ!」


 ひときわ大きくうめく美波。その後はズルッという感じで赤ちゃんの下半身が出て来た。私は赤ちゃんを受け止めた。

「ハアッ、はぁ、ハア……はぁ」


 美波は体内を胎児が一気に抜けていく摩擦感と爽快感を味わい、恍惚の表情を見せる。

「美波さん、良くがんばったね。生まれたよ。女の子です。おめでとうございます」私は早速美波に声をかけた。

 まるでフルマラソンを走り終えたような激しい呼吸であえぐ美波。


 美波の股の間で、へその緒がついたままの赤ちゃんが産声を上げていた。

「ふぎゃあああああっ」

 美波は、自ら新しい命を産み出した幸福感に深く陶酔していた。

「ハアッ……すっごい疲れたあ……でもやっぱりスッキリした~。一人目よりもっとよかった。何人でも産みたいよ」


「おめでとうカトミナ。とてもキレイだったよ。私絶対あなたに取り上げてもらいたい。これからもよろしくね」早紀は笑顔で美波に声掛けした。


「ありがとう。嬉しいよ」

 早紀は、美波のプロ意識と、出産に対する真摯な姿勢に賭けてみたいと思った。


 もうこの人しかいない。確かな確信であった。


「でもね、早紀。ちょっと厳しい事を言うかもしれないけど、今のあなたの体力じゃまだまだ自然分娩は難しいかもしれない。いつ緊急帝王切開に移行するか分からないの」


「そっか。そしたら私はアクティブバースは無理ね」

「そうね、それはちょっと無理。やっぱり鷺沼先生の所で産んだほうがいいよ」

「残念だな~してみたい」早紀もやはりこの出産法を試してみたいだろう。


「もう! だから私がいない間も必ずマタニティビクスは続けて。出来ればジョギングなんかもするといいよ。がんばって」

「ありがとう」


 どれくらい経っただろうか。美波はようやく体の緊張が解けベッドへドサッと横たわった。今度は深い脱力感が襲ってきた。すっかり放心し何も考えられない状態のようだ。


 へその緒が繋がったままの赤ちゃんを見て、無事生まれた嬉しさに笑顔を見せる美波。次いで、再び下腹部に軽い陣痛を感じた。分娩第三期、胎盤が出てくる時期である。


 私は赤ちゃんのへその緒を切った。これで母親である美波との連絡が断たれ、赤ちゃんは一人の独立した人間としてこの世に存在する事になった。


 この後は胎盤が出てくる。


 子宮内から剥がれ落ちた胎盤が美波の体内から出る。赤ちゃんよりもずっと小さく、かるいいきみですぐに見えた。


 彼女にようやく誕生の実感が込み上げ、嬉しさのあまりわずかに涙を浮かべていた。


 その後、無事胎盤も排出された。

「赤ちゃんは沐浴させないの?」

「うん、実は沐浴させない方がいいの」


 赤ちゃんには胎脂と呼ばれる白いモノがたくさん皮膚についている。でも、これをすぐにとったりせず、そのままにしておいた方が赤ちゃんの皮膚の保護になるのだそうだ。


「楓、早紀、記念撮影しよっ!」と無邪気に言う美波。なんかいい感じだった。


◇◇◇◇◇◇


 読んでいただきありがとうございました。


 次の第10話は、智也という夫がいながら美波といい感じになってしまった楓。大丈夫なのでしょうか? お楽しみに!

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