#41 あれは夢じゃない、よね

 少年、兎耳砂雄は、かつて読神書子と出会った、あの夏の日の出来事を思い出していた。


「学校へ行かなくて良いなんて、しょこちゃんはすごい子なんだね!」


 当時、砂雄は書子の現状を聞きながら、子ども染みた感想を抱いていた。当然である、彼らはまだ幼かったのだから。今からおよそ七年前の出来事なのだから。


 彼女、書子は普段この読神神社の境内から出てはいけなかった。ずっと、ずっと、この場所にいた。学校にも、通っていなかった。通わせてもらえなかった。


「そう、なのかな」

「そうだよ! きっと、学校に行かなくても良いくらい、頭が良いってことだよ!」

「そういうことでは、ないと思うけれど」


 砂雄は一時間程、彼女と話し続けた。


 こんなにも誰かと話し続けたのは初めてだったかもしれない――彼は素直な性格が災いして言いたいことをはっきり言ってしまい、当時学校ではあまり評判は良くなかったので、彼女と話すことがとても楽しかった。


「でね! タワーオブシーズンから見える景色がすごいんだ!」

「たわぁおぶしぃずん?」

「あそこにある建物だよ! 市長っていう偉い人がいるらしいよ」

「そうなんだ」

「うん――そうだ! 今度、しょこちゃんも一緒に市庁舎へ行こうよ!」

「え? わ、私は、ここから出られないから……」

「大丈夫だって、ちょっとくらい! バレないよ」


 砂雄がそう言った時であった。


「曲者!」


 背後に気配を感じた後、突然、砂雄は腕の関節を締め付けられた。


「痛っ! 痛いよ! 何をするのさ!」

「その子から離れるでござる」

「君が僕の腕を掴むから離れられないよ!」

「む、それもそうか」


 手を離してもらい、彼が後ろを振り向くと、大きなメロンのヘルメットを被った少年が立っていた。服装は忍者のようで腰にはクナイがぶら下がっている。


「め、メロン?」

「いかにも。拙者の名は、【デカメロン】」


 大きなメロン頭だから、デカメロンなのだろうか。少なくとも当時の砂雄の知識ではそのような発想しかできなかった。


「そういう貴様は何者だ? 神社の関係者ではないみたいだが?」

「僕は兎耳砂雄! しょこちゃんの友達さ!」

「しょこちゃん? 誰のことを言っている」

「その子の名前だよ!」

「この子は【禁書庫アーカイブ】。それ以外の名はない」


 デカメロンの言葉を聞いた砂雄は、思ったことをすぐに言った。


「何で? 名前がないなんておかしいよ!」

「おかしくない。拙者だって名前を捨てたからな」

「そんな――」


 デカメロンの言葉に凍り付く砂雄。名前という当たり前のように皆が持っているものを、持っていない人がいるという事実。当時の彼はショックを受けた。


「とにかく。お前は何も見なかったし、誰にも会わなかった。いいな?」

「え?」


 ショックを受けている間に、デカメロンが砂雄の口に何かを押し付けてきた。


「あ――」


 そして、彼の意識は途絶えた。



     †



 カラスの鳴き声が聞こえる。あれからどのくらいの時間が経ったのだろうか。


「あれ?」


 気が付くと砂雄は自分の部屋のベッドの上で寝ていた。


「何で僕、家に?」


 部屋の扉が開き、砂雄の母が入ってくる。


「砂雄! 大丈夫なの!」

「え? どういうことさ?」

「あなた、公園で気を失っているところを発見されたのよ! きっと熱中症ね」

「そう、なの?」

「もう! 心配したんだから! 宿題をやりたくないからって、長時間外にいたら倒れるに決まっているでしょう!」

「うん……」

「遊びに行くなとは言っていないのよ。ただ遊びも宿題もバランスよくしないと、夏休みを楽しめないわよ」

「うん、わかった」

「今日は無理に宿題をしなくていいから、しっかり休みなさい」


 そう言って砂雄の母が部屋から出て行く。


『私、名前はないの』


 不意に砂雄の脳裏に浮かぶ女の子。


「そうだ、しょこちゃんは⁉」


 この部屋は砂雄の家の、彼自身の部屋である。当然彼女がいないのはわかっていたが、それでも彼女のことが心配になったのだ。


「あれは夢じゃない、よね」


 本当は今すぐにでも彼女に会いに行きたかった砂雄だが、もう日も暮れており、これ以上両親に心配を掛けさせないためにも彼は家で一日を終えた。


 結局、宿題は進まなかった。

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