#16 想造力学上、あり得ねえ
「そうか、てめえは。こいつらみたいに、なってみたかったのか」
声がする。べつに一無は驚かない。声の主を知っているから。誰よりも殺したくて、誰よりも、愛し合いたかった――大好きで、大好きで、心の底からそう思い続けたい少年。
「ポワロくん」
「まともに会話するのは久しぶりだな、一無。葉子たちを守ってくれたこと、礼を言うぜ」
「ただのきまぐれよ。それより、【オリエント】はどうしたの?」
「あいつは強烈なカフェインを摂取しないと、まともに起きていられないからな。その摂取したカフェインそのものをオレが喰らえば、あいつは眠るだけってわけだ」
「ずるい人ね」
「いいじゃねえか、今夜くらいは。一度、てめえと話をしておきたかったしな」
歩和郎は一無の目の前に立つ。そしてその顔を一瞥すると、口を開いた。
「なあ、一無。オレと一緒に今度こそ死んでくれねえか」
「何を言うかと思えば。無理よ」
「オレとてめえは死者だ。いつまでも生きているヤツに寄生するのは、どうかと思うぞ」
動揺する一無をよそに、歩和郎は一歩ずつ彼女へ向かって歩みを進めていく。
「それで、被害亡き通り魔事件は、この魔女ごっこは終わりだ」
「ごっこじゃ――ごっこ遊びじゃない! 私は魔女よ!」
「それは魔女であると思い込まないと、自分を保てないからだ」
「違う!」
「違わない。てめえは――普通の、女だ。魔女じゃねえ」
「私は、普通じゃない! いつも頭の中は殺戮でいっぱい! そんな女がどこにいるの!」
「でも同じだけの優しさを持っている。だから未だに一人も殺せていない」
「なら――なら、なんで! 私は愛されないの! お姉ちゃんにばかり、人が集まって! どうして! ねえ! なんで! 答えてよ、ポワロくん!」
「てめえは愛されていないわけじゃない。周りからの愛情も殺してしまうほどの強い殺意を持った不器用な女だ。アナムネーシス・ウイルスの使い方を間違えているだけだ」
「そんな、そんなわけ――んっ!」
一無の目の前には、歩和郎の顔があった。それはあまりにも近すぎて、遠く感じてしまうような距離であった。一無にとって、一番遠くにあるもの、愛。それをこんなにも近くで感じてしまっているような――歩和郎の唇から、それを感じ取って。
「あがっ! あぐっ!」
すぐに一無の全身を、激痛と拒絶感情が襲い掛かる。殺意を巡らせようとするが、想像ができるような状態ではなかった。身体に思うような力が入らない一無。
「少し我慢しやがれ。今、オレのナノマシンが、てめえのナノマシンにハッキングみてーなことをしている。要するに喰い散らかしているわけだ」
「な、んでこん、な」
「言ったはずだっての。魔女ごっこは終わりだと」
その言葉とともに、一無の意識が薄らいでいく。瞼が落ちてきて、頭の中がフワフワして、グラグラして、そして一無は意識を手放した。床に倒れこむ一無を歩和郎が抱きかかえる。
「さて、歩亜郎。てめえのオツムも借りるぞ。なぁに、全て夢として処理されるだけだ」
歩和郎の両眼が紫色に輝く。アイ・システムを使って、一無のウイルスやナノマシンを解析しつつ、余計な部分を
「被害亡き通り魔事件。何故それが起きているのか、一無の空想を探ればわかるはずだ。わかったら喰い尽くして、想像を調整する。それで、被害亡き通り魔事件は終わる」
歩和郎は歩和郎なりにこの事件を解決しようとしていた。事件の発端が、あのバレンタイン・デイの病院火災にあると、推察していたからだ。だから推察を確信に変えるために、彼女の想像に、自らの答えをぶつけているのだ。
「惚れた女が悪になっちまっているんだ。なら、それを上回る悪になって、こいつを、一無を元に戻す。オレみたいなヤツに笑顔を向けたあの頃の一無に戻す」
「そうですか。それがあなたの狙いだったのですね」
「何っ! 一無、何故起きていやがる! ハッキング中だぞ!」
歩和郎の腕の中で、意識を失い、眠っていたはずの一無が目を開いている。
「違え! こいつは一無じゃねえ! どういうことだ! まさか! もう一つの魂か!」
「そうだと言ったら? どうするつもりですか」
「悪いが、てめえに用は無え! しばらく静かにしてやがれ! オレは一無を魔女の役目から解放するんだ! 成仏の邪魔をするんじゃねえ!」
「それは無理な相談です――だって」
一無の目の色が変わる。黄色であった瞳が、蒼色に変わっている。不味い、既に人格は入れ替わっている。彼女は一無ではない。これでは一無の妄想に入っていけない。
「一無が死んだら、私も死んでしまいますから」
「はん! 魂のインストールのために、移植した身体の部位が使い物にならなくなるだけじゃねえか! せいぜい義肢になるくらいだ。でも、ここは想造力学の実験都市だぞ! すぐに代わりの腕や足なら手に入る。だから、オレたちを成仏させてくれ!」
「はあ、もう良いです。お馬鹿さんですね――だから、私が殺します」
殺気を感じた。今までの人生で一番の強烈な殺気を、歩和郎は感じた。
一無? いや、違う。これは、この殺気の発生源は――彼は珍しく驚愕する。
「オレの中、だと!」
「ええ。あなたがさっき一無にキスしたとき、こちらのナノマシンもあなたに侵入しています。あとは私の想像で殺意を形成して――つまり今、あなたの身体には私の殺意が充満しているわけです」
「殺意の矛先は、歩亜郎か!」
だが、彼女が歩亜郎を狙う理由がわからない。そもそも、彼女は何者なのか。一無と身体を共有し、虎視眈々とこの瞬間を狙っていた彼女の正体と、その目的は一体。
「なぁるほど! じゃあやっぱり一無が憑依していた相手は、てめえだったんだな! つまり、魔女は二人いたわけだ! てめえは、ただの器ではない。そうだな!」
「今更わかったのですか? もう、遅いです」
「ちっ! ハッキングは中止だ! 歩亜郎を人質にされちゃ、そうするしかねえ!」
歩和郎が一無の中にいる自身のナノマシンの稼働を停止させた直後、蒼い瞳の少女が飛び起き、歩和郎から距離を取る。そして、二人は対峙した。
「歩亜郎を殺そうとする理由は何だ? あの火災の原因がオレたちにあることか?」
「遠からず、ですね。あの火災で心臓に負担が掛かり、死に瀕した私は、一無の心臓を移植されました。目覚めたときには、父も母も、一無も死んでいて、私は一人。私を愛してくれる人はもういなくなっていた――だから殺すことにしたのです。あなたたちを」
「一無の魂がいなくなれば、心臓も機能しなくなる、ってわけか!」
「医学的な心臓移植ではないですからね。そうなるでしょう」
彼女は箒の
「皆さん、何か勘違いしていますよね。家族を失った私にそれっぽい言葉を投げかけて、自分たちが良かれと思ったことを押し付けてくる。迷惑なのです」
「ああ、いるよな。そういうヤツら」
「私には家族さえいれば、それで良かったのです。それ以外には何もいらなかったのに。でも、現実とやらは非常に残酷で、よりにもよってその家族を私から奪いました」
「ああ、あるよな。そういう現実」
「だから私はこの世界を殺すことにしました。家族への愛情が本物であると、証明するために。手始めにあなたたちを殺して、私は私を証明する。しなければなりません」
「ああ、そうかよ」
歩和郎は左手の手袋を外した。アイ・システムの出力は安定している。ならば、ここで
「オレ、頭悪いからよ。喰うか喰われるかの方が単純でわかりやすいから、好きだぜ」
この状況を楽しもうとしていた。
「何かおかしなことでも?」
「べつに? オレは一無のことが大好きだからな。てめえの行動は、一無なら絶対に悲しむ! だから、止める!」
「一無が助けを求めているとでも言いたいのですか?」
「知らねえ。オレは悪よりも悪い悪を目指しているからな。相手の事情なんざ、知らねえ」
歩和郎の右手に、ハンドガンが顕現した。グラトニィ・トリガーだ。その銃口を自身の左手に向け、引き金に指を掛ける。
「オレはただ、喰らうだけだ。喰らって壊して、どんな問題だろうと、噛み潰す!」
「そうですか」
「行くぜ! 暴引暴食、【グラトニィ・トリガー】!」
弾丸が、歩和郎の左手を撃ち抜く。瞬間、彼の中を喰想が支配する。
「
禍々しい気を纏った紫紺の探偵服を身に着ける歩和郎。至る所から、食欲が漏れ出している。目の前の獲物を、何が何でも喰らい尽くして滅ぼそうとする魔王が降臨した証だ。
「【
「どうだ! この溢れ出る
歩和郎は巨大な白縁の虫眼鏡を顕現すると、床を蹴り乱雑にそれを彼女へ振り下ろす。
「まあ、あなたを追い払えば関係のないことですけどね」
「はん! やれるもんなら!」
「はぁ。こんな男のどこを一無は好きになったのでしょうか。姉として心配です」
彼女が瞳を輝かせる。零解属性のウイルスを辺りに散布した彼女は――
「【
想造力の発動を宣言した。
「何! オレの魂が、ここではないどこかへ持っていかれて――馬鹿な! ここは今、オレの
「失せなさい」
「そうか! つまりてめえらの本来の力は、殺しだけではなく、生と死の境界線を――だから、オレの
それだけ口にすると、歩和郎の姿がこの場から消え去った。
「安心してください。意識を二、三日程度、この世界から追放しただけですから。さて」
彼女は倒れている葉子と鬼衣人に向かって、同じ
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