#13
「なぁ、駿」
「ん?」
「お前まだこれ弾ける?」
「たぶん…」
「ちょっと合わせてみようぜ」
「え?」
「さすがにまだこれぐらいなら少し練習すればできるだろ?」
「いや、そうじゃなくて。近所迷惑でしょ」
「少しなら大丈夫だって。お前そうやって逃げようとしてんだろ」
「まぁここ楽器可の物件だからいっか」
「ちょっと弾いてみろよ。俺が見てやるからさ」
さっきからやけに兄の態度が挑戦的だ。兄からヴァイオリンを受け取り、記憶を頼りに構えてみる。昔は丁度いい大きさだったはずなのに、構えてみると腕が少し窮屈だ。普段使わない筋肉を使うからなのか、右手首や二の腕が少し痛い。
弦を押さえる位置を確認しながら一音ずつ出していき、半音上げたり下げたりもしてみる。高校以来触っていなかったのに、ヴァイオリンを持つとすぐに感覚が戻ってきて、意外とすんなりできた。調子に乗ってテンポを速くしたり、ビブラートをかけてみる。
「お前案外覚えてたんだな。ビブラートも上手にできてる」
「そりゃどーも」
兄はどこまでも上から目線だ。だが駿佑は頓着しない。そんなことは今に始まったことでもないのだ。
思っていたよりも調子がいいので、そのまま楽譜を見ながら練習を始める。といっても、主旋律は兄の担当なので、駿佑はほとんど同じような音の組み合わせを三拍子で弾いていくだけだ。五分ぐらい経ったところで、兄が声をかけてきた。
「そろそろ大丈夫か?」
その言葉に小さく頷く。いつの間にか兄は自分のヴァイオリンも用意し、どこから出してきたのか譜面台まで用意していた。
「じゃぁ少しゆっくり目で、このぐらいで行こ」
目安として兄が数回手をたたく。
「譜面台一個しかないから、お前それ使え。俺はそこの机でいいから」
兄が部屋の角に置いてある机を指差す。
「え? 楽譜は?」
「それなら俺も同じの持ってる」
なんと兄の手にはさっき見つけたものと同じ楽譜があった。
「俺もずっとケースの中にその楽譜入れてたんだよ。まぁお守り代わりかな。さ、始めんぞ」
そう言って机の上に楽譜を開き、ゆったりとヴァイオリンを構えた。駿佑も譜面台の上に急いで楽譜を開き、ヴァイオリンを構える。兄の目が自分だけを見ている。大きく息を吸い、兄の手が動き出した。
シの♭が十五回。
駿佑は心の中で連打の回数を数える。
十六回目から入るという最初のところさえ間違えなければ、後はそれほど難しいものではない。
一小節の中には四分音符か四分休符が合わせて必ず三つ。
それもほとんど同じような音の組み合わせばかりだ。
出だしをピタリと合わせ、その後も三拍子のリズムを狂わせないように慎重に弾いていく。出だしが上手くいったので、少し気持ちに余裕ができている。
主旋律を弾く兄の音は相変わらず軽やかで、よどみなく流れる小川のよう…、いや、そんな上等なものじゃなく、春の野原を駆け回る気性の荒いウサギ、という方が適切かもしれない。力強くて躍動感があるのだが、加えて音に丸みというかふくらみのようなものがあって、弦楽器の音というより、フルートのような管楽器の音みたいだと駿佑は思う。
その後もゆっくりとした一定のリズムで進んでいき、全体のちょうど半分ぐらいのところで、揃って一小節休み。
ここから少し曲調が変わる。
出だしのタイミングを確認しようと兄の方を見ると、兄が満面の笑みでウインクをしてきた。何か悪いことを考えている時の顔だ。
兄のすることなどたかが知れているので、駿佑はすぐに何を企んでいるのかピンときた。
ほんの一瞬だけ止まっていた兄の弓が、またゆっくりと動き出す。が、その動きが段々と早くなっていく。
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