#11

 それから五分は経っただろうか。

 まるでここだけ時間が止まってしまったかのように、駿佑の部屋は静まり返っていた。

 二人は依然として糸の切れた操り人形のように、呆然と部屋の真ん中辺りに座りこんでいた。ふと思い出したように、悠佑が口を開く。

 「なぁ、駿……、お前は今何がしたい? 今のお前の夢は?」

 いつもの穏やかな声だったが、どこかうわごとのような話し方だった。

 「……夢なんてもう忘れたよ」

 駿佑が吐き捨てるように言う。が、もう先ほどまでのような語調の強さはない。

 「俺はなぁ………、俺はもう会社辞めるわ。今年中に辞表を出す」

 「そう…」

 「これからは二人で好きなことしていこう」

 「うん…」

 あまりに突然のことが多すぎて、駿佑にはもはや何が何だか飲みこめなかった。ただ生返事を返すことぐらいしかできなかった。

 「最近働きながらよく考えるんだ。『自分は結局何がしたいんだろう』って。仕事がめちゃくちゃ辛いってわけじゃないんだけど、何となく毎日が退屈で、このまま一生をこんな風に過ごしていくのが正解なのか、と思うとそれも何か違う気がしてさ。社会に出て仕事をするってのはそういうことなのかもしれないけど、今の時代一つの仕事をやり遂げる働き方が全てじゃないしさ。一から新しいことをやってみたいと思ってた……」

 悠佑が大きなため息をつく。

 「けどさぁ、いざ踏み出そうとしても自分には何も武器がないわけよ。何もかもが中途半端でさ、何かやりたいことが決まってるわけじゃないし。それでどーしたらいいのか分かんなくなってくすぶってた……」

 「ヴァイオリンがあんじゃん。高校の時からスゲー上手くなってたし」

 「お前さぁ、あんな半端は演奏じゃせいぜい趣味の延長線だよ」

 「そんなことないと思うけど」

 「あんなんじゃ仕事にはならねぇよ」

 悠佑が自嘲気味に笑う。

 「まぁ、その時ふと頭に浮かんだのはお前のことだったんだよ」

 「オレのこと?」

 「急にお前と好き勝手バカやってた頃のことを思い出してさ。あの頃ってさ、何でも思うように、自分の好きなこと後先考えずにやってたじゃん? 何となく、あの頃みたいにやりたいことを好きなようにやりたいって思ったんだよ。けどそれは所詮空想でしかなくて、仕事だけじゃなくて私生活の方も最近上手くいかなくて、ここ最近は暗くなりがちだった……」

 「でも金あんじゃん」

 「は?」

 「くそ高い食事して、財布の中にもあんなに大金入ってて…」

 「あーあれかー」

 悠佑の笑い声が部屋に響く。

 「昨日の夜はマジで調子乗って贅沢し過ぎただけ。普段だったらぜってえ行かねぇよ。あの店は時々仕事の接待で使ってるぐらい。んで、財布に金がたくさん入ってたのは、昨日給料下したばっかだったから」

 「じゃぁ桜井さんは?」

 「何で今桜井さんの話が出てくるんだよ」

 悠佑の顔が少し曇る。

 「だってあの人にーちゃんに気があるみたいだったし」

 「はぁ? 何かの間違いだろ」

 「いや多分マジ。まさかにーちゃん気付いてなかったの?」

 「マジかー。全然気付かなかったわ」

 困った時に眉が少し動くところも、ちょっと口をすぼめるクセも、昔のままだった。駿佑はその顔に昔の兄の面影を見た。

 「そう、だったんだね……」

 「何がだよ?」

 「いや、何でもない」

 兄の顔を見ていると、今まで兄に抱いていた不信感など、駿佑にはどうでもよいもののように思えてきた。

 結局は自分が勝手に思い違いをして、何もかも悪い方向に捉えていただけだったのだ。

 そうと分かると何もかもがバカバカしく感じられて、いつの間にか心の底から笑っていた。

 笑っているのに、なぜかとめどなく涙が出た。

 「やっぱりお前はそういう風に朗らかに笑ってる方がいいよ」

 そう言いながら、悠佑が微笑んだ。悠佑の目も少し潤んでいるようだった。

 

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