第185話 SS2 エルフリーナ:千年前の想い

 千年前、アヴァドンが魔王を封印してから数十年後のお話です。


   ◇◆◇◆◇◆◇


「母上、お加減はいかがですか?」


 ベッドに横たわる女性に若い男が声をかける。

 母が一週間ぶりに目を覚ましたと聞き、駆けつけたのだ。


「…………」


 返事がない。

 声をかけられた女性は、思い詰めた様子で天井を見つめる。


 世界樹で作られた天蓋付きのベッド。

 透き通るほど白い肌に、つややかな銀髪。

 そして、特徴的な尖った耳。

 エルフ王国初代女王エルフリーナだ。

 そして、息子の名はシグリット。


「母上……」


 シグリットが再度呼びかける。

 それからもしばらくの沈黙が流れ、ようやく、エルフリーナはシグリットの方を向く。

 柔和な笑みとともに口を開いた。


「何日寝ていたのかしら?」

「……一週間です」

「そう……」


 よわい八十。

 長命なエルフにとっては、まだまだ人生盛りの年齢だ。

 エルフ族の中でも飛び抜けた美貌の持ち主であったが、その顔はやつれ、生気に乏しい。

 これまでの無茶な生き方のせいで、エルフリーナの身体は病魔に蝕まれていた。


 だが、その瞳に灯る炎は力強い。

 消える直前の蝋燭ろうそくの力強さであった。


「大丈夫。今、起きるわ。支度して頂戴」

「しかし、母上……」


 上体を起こそうとして、エルフリーナがバランスを崩す。

 それをシグリットが慌てて支えた。


「世界樹に向かうわ。これが最後ね。シグリット――」


 母の決意に、シグリットは唇を噛み締める。

 エルフリーナの目尻がわずかに揺れた。だが、すぐに威厳ある顔つきにと変わる。


「女王として告げます。次期国王シグリットよ。誇り高きエルフとしての私の死に様、しっかりと目に焼き付けなさい」


 母として、女王として、最後にできるのはそれだけだ。


「…………承知致しました」


 なにがなんでも引き止めたい。

 母には一日でも長く生きて欲しい。

 だが、それができないと分かっているだけに、シグリットの胸が引き裂かれる思いだった。


   ◇◆◇◆◇◆◇


 シグリットに付き添われ、エルフリーナは世界樹を訪れる。

 風流洞最上階である第40階層――そこよりも高い場所だ。


「風の精霊王様――」


 エルフリーナが呼びかけると一陣の風が吹く。

 優しく包み込む風――それと同時に風の精霊王が姿を現す。

 緑色の髪に薄緑の透けそうな羽衣をまとう。


 その姿を認識できるのは【精霊知覚】のスキルを持つエルフリーナのみ。

 シグリットには、風が吹いただけにしか感じられない。


「エルフリーナ。ついに、このときが来てしまったわね」


 どこか寂しそうな風の精霊王。

 永遠の命をもつ精霊王にとって、命の儚さは無縁。

 いつも見送る立場で、そうする他なかった。

 また一人、友人を失うのだ。


 覚悟を決めたエルフリーナ。だが、その顔は穏やかだ。精霊王に深く頭を下げる。


「今まで助けていただき、ありがとうございました」

「あら、私は自分の好きにしただけよ」

「風は気まぐれ。決して、つかむことは出来ない――でしたね」

「そうよ。風の向くまま、気の向くままに」


 そう言いながらも、風の精霊王からはエルフリーナへの友愛の念が感じられる。

 彼女は精霊に愛された数少ない一人だった。


 ここ風流洞上部に築かれた隠しフロア。

 長い年月をかけて、エルフリーナが風の精霊王の力を借りて造り上げてきた場所だ。

 今日はその総仕上げだった。


「風の精霊王様。これを」


 羽衣。靴。腕輪。

 3つの装備を取り出す。


 どれも世界樹を素材として作られたもので、アヴァドンとパーティーを組み、一緒にダンジョン攻略した際に使用していたものだ。

 エルフリーナにとって、なによりも大切な宝物。


 アヴァドンが死んで数十年。

 薄れゆく記憶を繋ぎ止める大切な装備だった。

 最後にをギュッと抱きしめてから、風の精霊王に差し出す。


「ええ、預かりましょう。あなたの遺志を引き継ましょう」


 エルフリーナの遺志――自分に続く者に、自分と同じ無念を味わわせないこと。


 エルフリーナはアヴァドンとともに冒険し、途中で挫折した。

 【精霊統】の力を得て、どこまでも強くなるアヴァドン。

 それに対して、エルフリーナを含む四人のメンバーは、誰も彼の強さについていけなかった。

 やがて、彼の足を引っ張るようになり、パーティーは解散するしかなかった。


 結果、アヴァドンは単独で五大ダンジョンを制覇し、たった一人で魔王に立ち向かい、魔王を封印した。


 彼の旅に最後までついていかなかった無念。

 四人が生涯抱える事になった無念。


 後続の者には、同じ思いをさせたくない。

 そのために、エルフリーナはここに隠しダンジョンを作ると決め、3つの装備を残すことにしたのだ。


 五大ダンジョンは精霊術使いを鍛えるために精霊王が創った場所だ。

 だが、この隠しダンジョンは、精霊術使いの仲間を鍛えるための場所。

 彼女の命を削って造り上げた場所だ。


「シグリット。よく見ておきなさい」

「はい……母上」


 エルフリーナは服をはだけ、胸元を露出させる。

 世界樹の枝が彼女に向かって伸びる。

 その枝は先端が尖っていた。


 彼女は枝を手に取ると、慣れた手つきで自らの胸に突き刺す。

 枝は心臓を避け、もう一つの臓器――験臓にたどり着く。

 プツリという音が験臓を覆う膜を破り、エルフリーナは験臓を通じて世界樹と結ばれる。


 験臓――冒険者としての経験を蓄える臓器。


 そこに蓄えられた力をエネルギーに変えて、エルフリーナは隠しフロアを造って来たのだ。


 験臓に蓄えられた経験が失われれば、強さを失う。

 その強さを取り戻すために、彼女はダンジョンに潜り、モンスターを倒し続けた。

 魔王が封印された後も。アヴァドンが死んだ後も。


 人の身体はそのように出来ていない。

 そのような無茶を繰り返してきたせいで、エルフリーナの身体はボロボロだった。


 自分の命が尽きかける寸前であることは本人が一番良く知っていた。

 今までは余剰分をエネルギーに変えただけだったが、今日は冒険者としてのすべてを、そして、自らの命を捧げるのだ。


 長年の悲願――その集大成の日だった。


「ああ、長かったわ。アヴァドン」


 エルフリーナが意識すると、験臓から経験が吸い取られ、枝を通って、世界樹にエネルギーとして溜め込まれる。


 それと同時に、エルフリーナから失われていく。

 冒険者としての強さ、スキル、そして、ジョブ――。


 エルフリーナはアヴァドンを思い出す。

 若かりし日のアヴァドン。

 自分を置いて先に逝った想い人。


 自分もともに逝きたかったが、彼女にはやるべきことがあった。

 彼の願いを叶えること。そして、自分の願いを叶えること。


「シグリット。後は任せたわよ」

「はい。母上。国王としての務め、必ずや果たしてみせます」


 息子の、アヴァドンの忘れ形見のシグリット。

 立派になった顔を見て、エルフリーナは安心する――これでアヴァドンの願いは叶ったわね。


 安心したエルフリーナは咳き込む。

 そして、口から少なくない血がこぼれた。


「母上っ!」

「大丈夫よ」


 そして、エルフリーナ本人の願いも――。


「もう、十分よ。ちゃんと完成したわ」


 精霊王の言葉がエルフリーナに届く。


「そう。間に合ったのね。良かったわ」


 役目を果たしたエルフリーナは目を閉じる。

 精霊王が彼女を優しく包み込む。

 全身を苦痛に襲われながらも、その顔は安らかだ。

 シグリットはこらえきれず、涙をこぼす。


 長い長い、苦しい日々だった。

 だが、今日でそれも終わり――。


「これでようやく貴方に会いに行けるわ」

「母上っ!」


 倒れたエルフリーナをシグリットが支える。

 意識を失ったまま、彼女は王城に運ばれた。


 ベッドに横たわるエルフリーナを診た医者は、首を横に振る。


「残念ですが、女王陛下は……」

「そう、ですか」


 シグリットは拳を強く握りしめ、身体を震わせる。

 固く目を閉じ、じっとこらえて、なんとかそれだけ答える。


 いつかこの日が来ることは分かっていたので、覚悟はしていた。

 それが母の望みだと分かっていたし、止めるべきでないことも理解していた。

 ただ、もう少し、後一日でも同じ時間を過ごしたかっただけだ。


 医者が部屋を出ると、シグリットは崩れ落ちる。

 横になった母の手を握ると、感情を抑えきれなかった――。


 ――それから数日後。


 エルフリーナは目を覚ますことなく、静かに息を引き取った。

 その顔は安らぎに満ち、穏やかに眠っているようだった。





   ◇◆◇◆◇◆◇


次回――『メンザとロザンナの若き日』

8月29日に更新します。

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