第158話 ヴェントンの回想1
――今から十年以上も前の話だ。
仮初の名を持たず、偽りの仮面を被っていなかった頃の話だ。
俺の人生で最高潮だったときの話で、そのときから俺の時間は止まっている。
その頃の俺はルーカスと名乗っていた。
両親から授かった本物の名前だ。
あの日を限りに、俺は名を捨てた。
俺もサージェントも、あの日に囚われたまま、十年以上が経過した。
忌まわしき、あの日。
俺たちの運命を変えた、あの日――。
この話はどこから始めるのがいいだろうか。
きっと、俺が最初の間違いを起こした日から始めるべきだろう。
あそこで間違っていなければ、あの日は避けられたかもしれない――。
◇◆◇◆◇◆◇
サード・ダンジョン『巨石塔』を制覇し、ドライの街を離れる前夜のことだった。
壮行会というほどのものではなかったが、ギルド酒場で仲がよかった冒険者たちと最後の晩を過ごしていた。
そろそろお開きにしようかという頃、ひとりの男が声をかけてきた。
「よう、ルーカス」
「アラヤさん」
俺がもっとも尊敬する男だ。
【3つ星】パーティー『五帝獅子』のリーダー、正確に言えば、元リーダーだ。
『五帝獅子』はとっくの昔に解散している。
もういい年なのにツンツンと黒い短髪を逆立て、悪ガキのような笑みを浮かべていた。
アラヤさんとはそれまであまり深く話し込んだことがなかった。
多くの冒険者は自分の手柄を大げさに語りたがるものだ。
だが、フォース・ダンジョン27階層到達という偉業を成し遂げたにも関わらず、アラヤさんはほとんど過去を語らなかった。
他の『五帝獅子』メンバーと同じく、尋ねられてもはぐらかすだけだった。
この街を去る前に彼と話す機会を持てて、俺は嬉しかった。
「とりあえず、おめでとう。よくやったな」
「ありがとうございます」
憧れの人から褒められて、俺は舞い上がった。
ようやく、彼と同じステージに立つことができたんだ。
だが、俺とは対照的にアラヤさんは笑みを引っ込め、沈んだ顔つきになる。
「どうしても、伝えておきたいことがあってな」
「なんですか?」
アラヤさんからのアドバイスなら大歓迎だ。
彼も【3つ星】。『水氷回廊』を知る数少ない人物だ。
そして、俺たち以前に最後に『水氷回廊』に挑んだ人だ。
俺たちが現れるまで、彼ら以降『水氷回廊』に挑める者はいなかった。
「あそこは厳しいぞ。並の精神じゃあもたない」
「どういうことですか?」
「サードまでも厳しいとは言え、戦闘力さえあればなんとかなる。だが――」
アラヤさんは俺の意志を確かめるように、まっすぐに内面まで覗き込んでくる。
一瞬で酔いが醒めた。
「――あそこで試されるのは心だ。どんな極限でも折れない心だ」
実感のこもった言葉が突き刺さる。
「狂気だよ。あそこの敵は狂気だ。自分の中にある狂気と向き合い、それに打ち勝つ強さが必要だ」
狂気……。
アラヤさんの言葉の意味はよくわからなかった。
だが、それこそが彼らの引退に関わっているのだろう。
もっと知りたくなった俺は、今まで訊けずにいた問いを投げかける。
「『五帝獅子』はどうしてリタイアしたんですか?」
彼らの最高到達回想は27階層。
そこで彼らは攻略を止めた。
一時中断ではなく、攻略自体を諦め、解散したのだ。
誰かが欠けたわけでもない。
深刻な怪我を負ったわけでもない。
絶対に勝てないような強敵に直面したという話も聞いていない。
彼らがなぜリタイアしたのか、ずっと疑問だったのだ。
「限界を感じたからだ。個々の力は最高峰、コンビネーションも完璧。そんな俺達でも
なにか?
俺はますます、わからなくなった。
「あれ以上続けていれば、誰かが壊れるか、死ぬか。それがわかった。わからされた。そうであった以上、俺はリーダーとしては諦める決断を下すしかなかった。俺たちは五人揃って『五帝獅子』だ。誰かひとりが欠けても、『五帝獅子』足り得ない」
「後悔していないんですか?」
「ああ、おかげでたまに集まって昔話に花を咲かせることもできるし、孫を抱くこともできる。それに、こうやって後輩に教訓めいた話もできるからな」
俺は今までアラヤさんのことを誰よりも尊敬した。
それだけに、今の話は残念だった。
どれだけ強くても、結局、最後は臆病風に吹かれたんだ。
それを正当化するためにもっともな御託を並べているだけだ。
彼への尊敬は失望へと変わった。
結局、彼も他の年寄りと一緒だ。
俺は違う。
彼らが『水氷回廊』に挑んだのは三十過ぎ。
俺たちはまだ、二十代半ばだ。
俺たちは若い。
若さは強さだ。
彼らの記録なんか、簡単に塗り替えてやる。
若さにあふれていた俺は決意した。
そう。若かったんだ。
若すぎたんだ。
若さは強さと同時に脆(もろ)さでもある。
それを理解したときには、すべてが手遅れだった――。
「最後にひとつ忠告だ。仲間を信じろ。なにがあっても絶対に信じ続けろ。俺が言えるのはこれだけだ。頑張れよ」
その言葉は若かった俺の心には響かなかった――。
◇◆◇◆◇◆◇
次回――『ヴェントンの回想2』
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