第159話 ヴェントンの回想2
穏やかな天気だった。
いつも吹雪いている雪は止み、雲の間から日が差していた。
大陸の北端――フォースダンジョン『水氷回廊(すいひょうかいろう)』があるここフィーアの町は雪と氷の街だった。
永久凍土のこの地では産業は育たず、住人もほとんどいない。
ダンジョン攻略に挑む【3つ星】冒険者たちと、それをサポートする最低限の人員だけがこの町の全住人だ。
『水氷回廊』に挑む冒険者の数は少ない。
数年間ゼロが続くこともある。
そのときは冒険者ギルドは閉鎖され、この町から人が消える。
フィーアはフォースダンジョン攻略のためだけに存在する街だった。
現在、この町に滞在する冒険者は俺たちのパーティ『最果てへ』だけだった。
残りの人間は俺たちのサポート要員。
彼らには感謝する気持ちよりも、俺たちの栄光に貢献できて光栄だろうと思っていた。
傲慢だったのだ。
若かった。
若すぎたのだ。
『水氷回廊』は過酷だった。
想像していた以上に過酷だった。
人間の限界を試す冷酷さだった。
『水氷回廊』は俺たちから笑顔を奪った。
日に日に会話は減っていき、ギスギスしていった。
恋人同士であるサージェントとリードリッヒですら、二人の間に険悪な空気が漂っている。
攻略が停滞していたのも原因のひとつだろう。
『水氷回廊』に挑み始めてから一年。
俺たちはまだ第3階層で足止めを喰っていた。
一年間で3階層。
このままでは最後までたどり着けないのでは……。
誰も口には出さないが、そんな不安を俺たちは共有していた。
『水氷回廊』に潜るたびに、俺たちの正気は失われていく。
それでも、「一歩でも進まなければならない」という強迫観念に取り憑かれて、俺たちは潜り続けた。
なぜ潜らなければならないのか、それすらも忘れて、義務のように潜り続けていた。
俺たちはすでに蝕まれていた。
あの場所は深淵だ。人間を引きずり込む深淵だ。
俺たちはとっくに飲み込まれていた。
アラヤさんの言葉を思い出していたら違った結果になったかもしれない。
だけど、当時の俺にはそんな余裕は一切なかった。
そして――。
運命の日は唐突に訪れた。
昨日までと同じように『水氷回廊』に潜る。
このダンジョンの壁や床、天井までもが磨き上げられた鏡面のような氷でできている。
真っ直ぐで等身大の像。
湾曲して歪んだ像
映しだされた無数のさまざまな形の自分に常に見られているようだ。
自分の中にいる自分に、絶え間なく監視されているようだ。
失敗したら、ミスを咎め立て。
上手くいったとしても、もっと上手くできたと責め立てる。
この環境こそが俺たちの心を蝕む一因となっていた。
ソイツはいきなり、俺達の前に姿を現した。
氷でできた人型モンスター。
背中には二対の翼。
氷の悪魔――としか形容できないモンスターだった。
宙に浮かんだ悪魔は俺たちに襲いかかるでもなく、ゆったりとした口調で話しかけてきた。
「試練を与えよう。仲間を信じる心が本物かどうか、それを確かめてやろう」
悪魔が言い終えるなり、俺たちは光に包まれた。
――仲間を信じる心。
悪魔の言葉が頭の中で何度も繰り返されるうち、やがて光が収まる。
そこは知らない場所だった。
「みんな、無事か」
「ええ、無事よ」
「ああ」
周囲を見回すと二人の仲間がいた。
だが、サージェントとリードリッヒの姿は――そこにはなかった。
「二人はッ?」
「わからんッ」
「いったい、どういうことだッ!」
俺たちの動揺が収まる前に、ドシンと重たい音が響いた。
音の方向を向くと、そこには一体のアイス・ゴーレムが立っていた。
「クソッ、三人でやるしかないッ」
「ああっ!」
「そうねッ!」
アイス・ゴーレムとの戦いは熾烈を極め、長時間に及んだ。
いつもなら、俺の直剣とサージェントの曲剣でダメージを与えていくが、俺一人だと攻撃力は半分以下しか出せなかった。
それに、回復職のリードリッヒがいないので、慎重に戦わざるを得なかった。
何時間かかったのか――。
俺たちは一人の犠牲者を出すこともなく、ゴーレムを倒すことができた。
三人とも膝から力が抜け、尻餅をつくように倒れ込む。
ホッと安堵する反面、戦闘中は棚上げしていた疑問がはっきりとしたかたちになる。
――どうして、俺たちは離れ離れになったんだ?
――仲間を信じられなかったからか?
――誰が誰を信じていなかったのか?
顔を見ると、他の二人も同じ疑問を抱えているようだった。
しかし、その問題は今、考えることではない。
サージェントとリードリッヒを探すのが先だ。
俺たちは疲労困憊の身体に鞭を打って立ち上がった――。
それから俺たちは死にもの狂いになって二人を探した。
だが、時間がたつにつれて、疑心が大きく膨れ上がっていった。
――お前たちの仲間を信じる心が本物かどうか、それを確かめてやろう。
悪魔の言葉が頭の中でこだまする。
それと同時に――。
――仲間を信じろ。なにがあっても絶対に信じ続けろ。
アラヤさんの忠告も――。
二人を疑う気持ちもあった。
同時に、自分を疑う気持ちもあった。
ぐちゃぐちゃに引き裂かれそうな心で、必死になって探索した。
足を止めたら、この思いに囚われ、深い底に取り込まれそうだったからだ。
身体はとっくに限界を超えている、それでも、俺たちは二人を探し続けた――。
◇◆◇◆◇◆◇
次回――『サージェントの回想1』
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