第108話 二人の夜
「大丈夫かしら?」
「なんか、申し訳ない気持ちになるな」
ロッテさんのことを思うと、なんともいたたまれない気分だ。
そんな中、沈んだ空気を払拭するように、シンシアが明るい口調で問いかけてきた。
「ねえ、お酒でも飲まない?」
「ああ、そうだな」
気分を変えるには、いいアイディアだ。
「地下に酒蔵庫まであるのよ、この家」
「へえ、スゴいな」
「ちょっと選んでくるわね」
「じゃあ、俺はツマミの用意してるよ」
キッチンには多くの食材がストックされており、そのままツマミになりそうなナッツや干し肉まで揃っていた。
適当に見繕いリビングに戻る。
今日は気持ちが昂(たか)ぶっている。
死に瀕するような激戦の後はいつもこうだ。
こういう日は興奮が収まらず、寝付くのに苦労する。
普段だったら、潰れるまで呑んでしまうところだが、今日は逆にこの気分を利用する。
今まで言えずにいた想いを、シンシアに伝えるのだ――。
しばらくすると、シンシアがボトルを抱えて戻って来た。
「「乾杯!」」
飲みながら話していくうちに、先ほどの重苦しい空気は薄れていった。
当たり障りのない会話だ。
この街の思い出、オススメの店。
そんな軽い話題ばかり。
だが、会話を続けながらも、いつもとは違うことに――お互い気づいていた。
気づいていて、気づかないフリを続けた。
この先を予感し、手探りで、回り道をしていく。
きっと俺の緊張も伝わっているのだろう。
言葉の節々からシンシアの緊張が伝わってくる。
それでも、会話はそっと流れていく。
モンスター相手の戦闘と一緒だ。
様子を伺いながら少しずつ近づき、隙をついて一撃を入れる。
表面上は普通の会話を続けながらも、どんどんと気持ちが高まっていく。
それはシンシアも同じみたいだ。
頬が紅潮しているのも、アルコールのせいだけではないだろう。
そして、俺たちの会話も佳境を迎える――。
「シッ、シンシア」
「はっ、はい」
お互いカチコチなのが丸分かり。
他人が見たら笑うだろうが、俺たちは真剣だった。
「俺はシンシアのことが好きだ。仲間としてはもちろん、一人の女性として、シンシアが好きだ」
何度も繰り返し練習してきた言葉。
実際に口を開くと、思っていた以上にスラスラと言葉が出てきたことに、自分でも驚いた。
あれだけ緊張していたのが、嘘のようだった。
高級酒を舌で転がすように、シンシアは俺の言葉を噛みしめる。
こわばっていた表情が緩み、いつものシンシアに戻る。
俺が好きなシンシアに――。
「私もよ。私もラーズが好き」
俺もシンシアも心では分かっていた。
お互いにお互いの気持ちを知っていた。
それが分からないほど、俺たちは若くはない。
だが、それを伝えることを躊躇っていた。
伝えるには勇気が必要だった。
モンスターに立ち向かうのとは別の勇気が必要だった。
だが、ようやく言葉に出来た。
そして、言葉にして初めて形になるものがあると、俺もシンシアもこの瞬間――理解した。
吸い込まれるように顔が近づく。
俺はそっと目を閉じ――シンシアの柔らかい唇だけしか感じられなくなった。
優しいキスだった――。
初めての経験なのに、それが当たり前の行為に感じられた。
分かれていた二つが一つになる感覚。
自然で、暖かくて、落ち着く。
長いキスだった――。
シンシアと出会ってから数カ月。
ひとつひとつの思い出の欠片が浮かび上がり、ジグソーパズルのように繋がり――ひとつの絵が完成する。
唯一の接点である唇から、シンシアの全てが流れ込む。
俺からもシンシアへと流れ込んでいる。
こんなに自明なことが存在すると――俺は初めて知った。
自然だった。
あまりにも自然だった。
永久に続くと思われる時間だったが、その終わりは自然に訪れる。
唇が離れ、身体が離れる。
だが、心は今までにないほど近づいていく。
終わりじゃない。
これは始まりだ。
二人の、俺とシンシアの始まり。
唇が離れ、目と目が繋がる。
シンシアの瞳に俺が映る。
俺の瞳にシンシアが映る。
シンシアの瞳に吸い込まれ――。
今度は唇だけではなかった。
お互いに腕を背中に回す。
身体が密着する。
息が重なり、もどかしいばかりに互いを求め合う。
激しいキスだった――。
――やがて、どちらともなく身体が離れる。
これ以上は我慢しきれないとばかり。
二人の唇を結ぶキラリと透き通った架け橋が現れ、儚く消える。
「シンシア……」
「ラーズ……」
見つめ合う。
言葉は必要なかった。
立ち上がって、シンシアの手を取る。
気恥ずかしさのあまり、顔を見ることが出来ない。
結ばれた手からシンシアが伝わってくる。
俺たちは寝室のある二階へ向かった――。
◇◆◇◆◇◆◇
【後書き】
やっと結ばれました!
108話なのは、きっとたまたまです。
次回――『新しい朝』
◇◆◇◆◇◆◇
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