第81話 さらばアインス
――午前4時半。
魔道具のアラーム音で目を覚ます。
今日はアインスを離れる日だ。
朝早く出発する馬車に合わせ、日も昇らぬうちから起き出したのだ。
荷造りは昨日のうちに済ませてある、といっても必要なものをマジック・バッグに突っ込むだけだが。
てきぱき旅支度を済ませ、洗面所に向かおうとしたら、シンシアの部屋のドアが開かれ、シンシアが飛び出してきた。
「ねえ、ラーズ、これ見てよっ」
「えっ、みっ、見てって言われても……」
シンシアは胸元を指差してアピールしてくるが、ゆったりとした寝間着姿で、いろいろと見えそうでヤバい……。
俺が視線をそらしていることで、シンシアは自分の状態に気づいたようだ。
「きゃあっ。ごっ、ごめんなさい……」
胸元を押さえ、シンシアは慌ててUターン。
自分の部屋に戻っていった。
――あんなに大っきかったんだ。
普段は装備に押さえつけられていて分からなかったが、無防備に開放されると、あんなに破壊力があるのか……。
もう一度ゆっくりと見てみたいと思うのは、男ならしょうがないよな。
そんな不埒なことを考えていると、ドアが開きシンシアが出てきた。
今度はちゃんとした旅装に着替えている。
「ねえ、見えた?」
さて、どう答えるべきか?
高速で思考を巡らせる。
導き出された答えは――。
「ごめん。すぐに視線はそらしたんだけど、ちょっとだけ見えちゃった」
いろいろ考えた末、正直に答えることしか俺には出来なかった。
「そう。そっ、そうね。私もゴメンナサイ。ちょっと興奮しちゃってたわ」
「興奮? なにかあったの?」
「そうよ、これを見てちょうだいっ!」
シンシアは突き出してきた。
もちろん、胸ではない。
首から下げられた冒険者タグだ。
もしかして!
「おおおおおっ、おめでとうっ!」
シンシアのジョブランクがアップして3になっていた。
しかも、聞いたことがないジョブだ。
ユニークジョブだろう。
火の精霊王様の言葉によれば、【精霊統】に匹敵するほどの強ジョブ。
シンシアが錯乱するのも当然だ。
「これって、精霊王様のおかげよねっ?」
「ああ、そうだろうな」
「こんなに早く上げてもらえるなんて思ってなかったから、興奮しちゃって。さっきは驚かせちゃってゴメンなさいね」
「いや、大丈夫だよ」
むしろ、良い物を見させてもらったとお礼を言いたいくらいだ。
「これでラーズと肩を並べて戦えるわね」
「ああ、俺も期待してるよ」
早くセカンド・ダンジョンでその強さを試してみたい。
シンシアも同じ気持ちだろう。
興奮を隠せない様子だ。
「これもすべてラーズのおかげよ。ありがとう」
「いや、シンシアがついて来てくれたからだよ」
「えへへ。これからもヨロシクね」
「ああ、こちらこそ」
このままずっと、シンシアと見つめ合っていたい。
時間が止まればいいのに。
だが、そうも言ってられない。
「そろそろ時間だ。出発の準備は?」
「ええ、上着を取ってくるだけよ。ラーズは?」
「こっちは万端だ。いつでも出れる」
「じゃあ、ちょっと待っててね」
上着を羽織ったシンシアとともに、玄関へ向かう。
――トントントン。
外に出ようとしたところで、ドアがノックされた。
「ロッテさんだ」
「おはようございます〜」
「おはようございますです〜」
ドアを開けると、予想通りのロッテさん。
その後ろには、ミルフィーユさん。
「あれ、ミルフィーユさんも?」
「はいです〜。お見送りです〜」
二人とも、昨晩の喰人鬼(グール)状態ではなく、元気そうだ。
目の下のクマとか凄いことになっているけど……。
「俺たちもちょうど出るところだったんですよ」
「ええ、ナイスタイミングね」
「ここの手続きはミルちゃんがやってくれるので〜」
「ああ、じゃあ、よろしくお願いします」
「お任せ下さいです〜」
拠点の鍵をミルフィーユさんに手渡す。
「じゃあ、行こう」
「ええ」
「はーい」
「はいです〜」
たった一週間だけど、世話になった拠点に別れを告げ、俺たちは南門へ向かう。
ツヴィーの街行きの馬車乗り場は南門近くにあるのだ。
歩き出すと、すぐに中央通りに出る。
日の出間近の薄暗い時間なのに、半分ほどの屋台はすでに商いを始めている。
シンシアの目当てであるオニギリ屋台も営業中だ。
屋台のオッチャンは仕込みをしながらも、シンシアに気づき声をかけてくる。
「おう、嬢ちゃん!」
「オッチャン、おはよう!」
「ほら、ちゃんと用意しといたよ」
出てきたのは鎧一式が収まりそうな大きな布袋だった。
食べ物を入れるようなサイズではない。
「わ〜い、ありがと〜。これでしばらくは困らないよ〜」
シンシアは受け取ったそれを嬉しそうに抱え、マジックバッグにしまい込む。
もちろん、中身は全部、甘味オニギリとヌガー。
昨日の朝、ダンジョンに潜る前に予約注文しておいたのだ。支払いはそのときに済ませてある。
「そうだ、嬢ちゃん。これからツヴィーだろ?」
「うん。そうだよ」
「俺の弟子がツヴィーで屋台出してるんだ」
「へえ〜〜〜。そうなんだ〜」
「ああ、是非寄ってってよ。嬢ちゃん好みの店だからさ」
オッチャンは地図が書かれた紙を手渡してくる。
「うん、ぜっったいに行くよ〜〜。ツヴィーで甘味オニギリ食べれないと思ってたから、嬉しいよ〜」
「じゃあ、達者でな。お兄さんも嬢ちゃんをよろしくな」
「ええ、お世話になりました」
「じゃあ、オッチャン、バイバ〜〜〜イ」
と別れを告げていると、ミルフィーユさんが真剣な表情で屋台に並んだオニギリを凝視している。
「ミルちゃん?」
「………………」
「ミルちゃん? ミルちゃん?」
「………………はっ」
よっぽど集中していたようで、ロッテさんに肩を揺すられてようやく気がついたようだ。
「どうしたの、ミルちゃん?」
「ご店主殿」
ミルフィーユさんはロッテさんを放ったらかしで、オッチャンに呼びかける。
やけに、かしこまった呼びかけだ。
育ちがいい子なのかな?
「ん、どうした、小さなお嬢ちゃん」
「この列に並んでいるのって?」
「ああ、それか。最近始めたんだ。ペコ家とのコラボでな」
「ペコ家って言ったら、この街一番の高級ケーキ店じゃないですかっ!」
ミルフィーユさんは目を輝かせて、まくし立てる。
シンシアは知っていたようで、落ち着き払っている。
この顔はすでに食べたことがある顔だ。
きっと、さっきの大袋の中にも、いっぱい入っているんだろう。
一方、ロッテさんはといえば、あまり関心がなさそうだ。甘いものにそれほど興味がないのかもしれない。
初めて聞く名前だったので、シンシアに尋ねる。
「そうなの、シンシア?」
「ええ。大きな街なら大抵はある、高級ケーキチェーン店よ。昔、アインスにいた頃は中々手が出せなかったけど、ドライではよく食べに行ってたわ。ラーズとも一回行ったはずだけど、覚えていない?」
「ああ、シンシアに連れて行ってもらった、あの店か」
「ええ、そうよ」
確かに美味しいケーキを出す店だった。
シンシアほど甘味好きでない俺でも、リピーターになってもいいと思えるほどだった。
「ああ、そうだ。そのペコ家だ。ペコ家のケーキは文句なしに美味いんだが、いかんせん、値段が高すぎるだろ?」
「はいっ。特別な日のご褒美でしか食べられないです〜」
ギルドの受付嬢はかなりの高給取りだ。
そのミルフィーユさんでも、特別な日にしか食べられないほどの高級なケーキか……。
いくらするんだろう?
疑問に思う俺を察したのか、シンシアが「ひと切れ300ゴルよ」と耳打ちしてきた。
300ゴル!
それだけあれば、お腹いっぱいご飯が食べれて、エールもついて来る。
新人冒険者だったら、一週間は食いつなげる値段だ。
「だから、オニギリの具にしたんだ。ひと切れは手が届かなくても、具のサイズにすれば買える値段になる。いい考えだろ? まあ、少し割高になるがな」
オッチャンが自慢気に語る。
確かに発想としては悪くない。
甘味好きにとっては、ペコ家のケーキは憧れの存在なんだろう。
だけど、気軽に手を伸ばせる価格ではない。
そういう人たち向けのお試し版というのは、それなりの需要があるだろう。
オッチャンの店のオニギリは1個10ゴルだ。
ペコ家とのコラボオニギリは1個15ゴルと5割増しだが、ケーキの値段を考えると高すぎるということはない。
「ご店主殿っ! コラボオニギリ、全部ひとつずつ下さいっ!」
「はいよっ! 毎度あり〜。150ゴルだよ」
「はいですっ!」
オッチャンがオニギリを包む間、ミルフィーユさんとシンシアは「ショートケーキがオススメよ」、「ザッハトルテも楽しみです〜」などと仲良く甘味談義をしている。
「ねえ、ラーズさん」
「ん?」
盛り上がる二人を見ていると、ロッテさんが小声で話しかけてきた。
「オニギリに甘い物って合うんですか?」
「う〜ん……。人それぞれじゃないかな」
俺としては絶対にナシな組み合わせだ。
だけど、あの二人とオッチャンの手前、あからさまに否定するのも気が引ける。
無難な返事をするしかなかった。
「そうですか。ちなみにラーズさんは?」
「俺は……ちょっと苦手かな」
「良かった」
とロッテさんは安心している。
「あの子たちを見ていると、私の味覚が異常なんじゃないかって、不安になってたんです」
「あはは。ロッテさんは甘いものは好きじゃないんですか?」
「ええ、甘味よりも辛いもの、お酒に合うものが良いですね」
「へえ〜。お酒好きなんですか?」
「ええ、大好きですっ!」
甘味に目を輝かせていたミルフィーユと同じような表情をロッテさんは浮かべる。
「これからは一緒に飲めますね」
「ええ、楽しみです!」
コラボオニギリを手にして、ホクホク顔のミルフィーユさんとともに、俺たちは大通りを南下して行く。
やはり、ミルフィーユさんとシンシアは甘味の話で盛り上がっている。
そうこうしている内に、南門の馬車乗り場に到着したと思ったら、見覚えのある姿が仁王立ちしていた。
「支部長!」
「どうしたんですか?」
立っていたのは冒険者ギルド・アインス支部の支部長、ケリー・ハンネマンその人だった。
「いや、昨日のままだと、カッコ悪いからな。ハッハッハ」
「ははは」
往来に一人立つその姿は貫禄があったが、昨日のあの姿を知っている身としては、今さら威厳を見せられても、乾いた笑いしか出てこない。
「ともあれ、ラーズとシンシアよ、ロッテのことを任せたぞ」
支部長は真剣な口調で伝えてくる。
うん。ちゃんとしてれば、カッコいいんだよな。
「ロッテは娘も同然。しっかりと面倒を見てやってくれ。なんだったら、手を出してくれても構わん」
「なっ、なに言ってんるんですかっ!」
ロッテさんが慌てた素振りを見せる。
「理想が高すぎるのか、なかなか見合う相手がおらんみたいでのう。その点、ラーズであれば文句なしじゃ。どうか、考えてもらえんかのう」
ロッテさんは支部長をポコポコ叩いているが、支部長にはノーダメージ。
ロッテさんのこの態度、俺にはそれなりの好意を持ってくれているようだ。
どれだけ本気かは分からないけど。
ロッテさんみたいに綺麗で優しい人に好意を抱かれるのは、嬉しいことだ。
でも、俺はシンシア一筋だ。
毅然とした態度で、ちゃんと伝えないと。
そう思って、口を開こうとしたら――。
「だっ、ダメですっ! ラーズは私の――ハッ」
シンシアが大声を出し、俺の腕にしがみついてきた――のだが、みんなの視線が集まると、顔を赤くしてパッと離れた。
「いっ、いえ、なんでもないです……」
羞恥のあまり、うつむいてしまった。
「ほっほっほ。どうやら、ロッテが入る隙間はないようじゃの」
「先輩、ガンバです!」
「むううう」
どきり。胸が高鳴る。
今のシンシアの反応。
さすがに、これは……。
いくら鈍感な俺でも分かるぞ。
今すぐにでも確かめたいが、支部長たちがいるこの場では、さすがに出来ない。
シンシアの方を見ると、一瞬、目が合い――すぐにそらされる。
嫌がっているのではなく、照れているのだろう。
そんなシンシアがとてつもなく、愛しかった。
「ツヴィー行き快速便、5分後に発車でーす」
そんな空気を破ったのは馬丁の声だった。
「ほっほ。それ、時間じゃ」
「支部長、お世話になりました」
「お世話になりました」
俺とシンシアは頭を下げる。
「支部長、書類仕事サボらないで下さいね。ミルちゃん、支部長は甘やかしちゃダメだからね。アホなこと言い出したら、水かけていいからね」
「はい、先輩もお体に気をつけて」
「ミルちゃんも、元気でね」
「はいっ!」
別れを済ませ、俺たち三人は馬車へ乗り込む。
さあ、次はツヴィーの街、セカンド・ダンジョン『風流洞』だッ!
◇◆◇◆◇◆◇
【後書き】
シンシアの新ジョブとは??
次回――『飛び立つ雛』
第1章、残り2話。
次回、ウル編完結!
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