第79話 勇者パーティー30:クウカ編終幕3
『聖女クウカに関する報告書:犯行動機(前編)』
両親を知りません。
顔も、名前も、なにもかも。
物心がついたとき、孤児院にいました。
劣悪な場所でした。
人間扱いされず、家畜のように扱われました。
そう。そこでは子どもたちは家畜でした。
売り物となるために、ただそれだけのために育てられる、家畜でした。
あそこが異常だと知ったのは、だいぶ後になってからでした。
あの頃は、それが普通だと思ってました。
孤児院の中が、世界のすべて。
外の世界も、外の人間も、知らなかったのです。
逃げ出すという発想は、そもそもありえませんでした。
孤児院の仕組みは、とても単純です。
子どもでも理解できる簡単なものでした。
命令に従えば、パンがもらえる。
逆らえば、鞭がもらえる。
それだけがルールでした。
カチカチに固くなり、カビの生えたパン。
それだけが、命をつなぐ唯一の手段。
普通のパンにはカビが生えていないことを知ったのも、だいぶ後になってからでした。
でも、理解できることと実行できることは別物です。
命令に従うことは、とても難しいことでした。
なにせ、人間というのは、本来、命令に従うように設計されていないのです。
魔道具とは違うのです。
魔力を流せば、いつも同じ仕事をする魔道具とは。
お腹が空いてるから、力が出ない。
疲れ果て、眠すぎて、身体が動かない。
けれど、孤児院では言い訳は通用しません。
命令に従えないのは、壊れているから。
故障を直すには、鞭が一番。
そうやって、毎日、痣をこしらえながら、壊れていない機械になるために、カビたパンをかじったのです。
売られていくその日まで。
高く売れる子どもは、良い子ども。
高く売れない子どもは、悪い子ども。
子どもたちは皆、高く売れるように努力してました。
そうすれば、ムチが減り、パンが増えるからです。
しかし、子どもたちは知りません。
高く売られたからといって、幸せにはなれないことを。
その後も奪われ続ける人生しか待っていないことを。
◇◆◇◆◇◆◇
痛みを知りません。
他人の痛みも、自分の痛みも、等しく知りません。
正確には、知らないのではなくて、忘れてしまったのですが。
痛みは日常でした。
痛みは恒常でした。
痛みはなによりも身近な感覚だったのです。
売られた先は、街の外。
森の中に居を構え、一人で暮らす老いた男でした。
男と二人で暮らす小さな家。
男の小屋が、新しい世界でした。
男と暮らした3年間。
小屋の周りを少し歩くくらい。
他の人間とは一切、会いませんでした。
男は骸骨のようにやせ細ってました。
男は回復術師でした。
男は狂っていました。
「おまえには素質がある」
それが男の第一声でした。
才能を見込まれ売られたその日から、修行が始まりました。
回復術の修行です。
拷問と言い換えた方が適切かもしれません。
その頃は無知だったので、修行だと思っていました。
最初の修行は今でも覚えています。
男はテーブルの上に手を広げて乗せるように命令しました。
あちこちと黒ずんでいる、年季の入ったテーブルです。
言われたように手を乗せました。
従わないと鞭が飛んでくることは孤児院で学習済みです。
りんごを切る時、人はなにも感じません。
同じように、男はテーブルにナイフをおろしました。
左手の人差し指が離(はな)れ離(ばな)れになりました。
男は言います。
「さあ、治せ」
意味がわかりません。
でも、従うしかないです。
飛んで来る鞭は痛いし、それ以上に人差し指があった場所が鞭よりも痛いのです。
だけど、どうしたらいいか、分かりませんでした。
不思議なことに男は鞭を振るいませんでした。
ただ、黙って見ていたのです。
長い間、沈黙が流れました。
「声を出していい」と言われていなかったからです。
一時間ほどでしょうか?
よく分かりませんが、それくらいたった頃です。
「ちっ、見込み違いか」
男の回復魔法で、人差し指がくっつきます。
元通りです。
自由に動かせる気がします。
許可がないので動かしたりしませんが。
そして、男がナイフを振るい、人差し指が離れます。
「もう一度だ――」
そんなことが何日も続き、私は自分で指をくっつけられるようになりました。
男はパンをくれました。
孤児院より美味しいパンです。
数日ぶりのパンは美味しかったです。
食べ終わると男が言いました。
「今度は二本だ」
男の指導が良かったのでしょう。
回復術はどんどん上達していきました。
そして、痛みはどこかに置き忘れました。
学んだからです。
痛がっていると、魔法が上手く組めない。
痛みは弱さ。弱さは不要。
そう学んだからです。
◇◆◇◆◇◆◇
悲しみを知りません。
他人の悲しみも、自分の悲しみも、等しく知りません。
正確には、知らないのではなくて、忘れてしまったのですが。
子犬を拾いました。
死にかけてボロボロの子犬です。
親近感を感じました。
だから、連れ帰ったのです。
男は言いました。
「おお、いい実験台だ。これでお前はさらに成長できるだろう」
男は子犬を奪い取り、テーブルに乗せます。
子犬の腹が縦に大きく切り裂かれます。
男は顔色も変えず、いつもの言葉をつぶやきます。
「さあ、治せ」
子犬はテーブルで血を流し、力ない鳴き声を発しています。
今まで感じたことがない思いが生まれました。
なぜか、いつもと同じように魔法が組めませんでした。
そのせいで、子犬は命を奪われました。
弱かったから、命を奪われました。
これも自然の摂理です。
その日、胸の奥に小さな穴が空きました。
ですが、これは弱さです。
この弱さが子犬の命を奪ったのです。
なので、力ずくでこの穴を握りつぶして、なかったことにしました。
どうやら、これは「悲しみ」という感情らしいですね。
その名前を知ったのは、それを失くしてからだいぶ後のことでした。
それからしばらくの間、男は野良犬や野良猫を捕まえてくるようになりました。
教育効果があると勘違いしたのでしょう。
弱さを乗り越えていたので、失敗せずに犬や猫を治癒しました。
男はなぜか喜んでいました。
今でも理由がわかりません。
◇◆◇◆◇◆◇
【後書き】
取り調べしたヴェントンさんもドン引き。
次回――『勇者パーティー31:クウカ編終幕4』
クウカ編完結!
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