第76話 勇者パーティー27:ウル編終幕2

 この一週間、ウルはベッドで身体を丸め、布団をかぶり、外の世界を遮断していた。

 胎児のように柔らかな殻の中で身悶えしていた。


 生まれて初めて味わった――死の恐怖。


 すべてを投げ出して、このままでいたい。

 ここから逃げ出したい。

 安全な場所に戻りたい。

 師匠のところへ帰りたい。


 でも――――――――。


 さっき見た夢を思い出す。


「……パパ…………ママ…………」


 ――ダメだっ!


 立ち上がらないとっ。私は――。


 ――パパとママに、もう一度、会うんだっ!


 ウルの心に火が灯った。


 布団を跳ね上げ、ガバッと立ち上がる。


 ウルは乗り越えた。

 壁をひとつ乗り越えた。

 多くの冒険者が見上げて、その高さに絶望し、諦める、その壁を乗り越えた。


 こうしてはいられない。

 こんな場所で立ち止まっていられない。

 歩き出さないと!


 一週間も足踏みしてたんだ。

 早足で歩き出さないと!


 『無窮の翼』はもうお終いだ。

 違うパーティーに移ろう。

 フォース・ダンジョンに行けるパーティーに。


 今度は失敗しない。

 ちゃんと見て。

 ちゃんと話して。

 ちゃんと分かる。


 人付き合いが苦手だなんて、言ってられない。

 今までサボってきたツケだ、しかたがない。

 本当は、逃げたくなるくらい怖い。

 でも、ちゃんと向き合わないと。


 よしッ!


 まずは身だしなみだ。

 あまり気にする方ではないけど、さすがにコレはヒドすぎる。


 髪はボサボサ。

 顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。

 ロクに洗っていない身体はきっと臭うだろう。


 ――よしっ、お風呂だ。


 決意とともに、服を脱ぎ、バスルームに駆け込む。

 カラス顔負けの速さで、頭を洗い、身体を洗い、泡を流し終える。

 水滴の付いたままバスルームから出て、歩きながら魔法で髪と身体で乾かす。

 そして、マジック・バッグから清潔なワンピースを取り出す。


 真っ白なワンピース。

 師匠から餞別に貰ったワンピース。


 ――あんたは魔法以外にまったく興味がないからね。今は意味が分からないかもしれないけど、大きくなって必要なときがきっと来るよ。そうなったときに慌てないようにこれを持ってお行き。


 師匠が若い頃に着ていたものをわざわざ仕立て直してくれたそうだ。

 あのときは意味が分からなかった。

 服なんて着れればいいと思ってた。


 人がいっぱいいる街に出て、いろんな男女を見た。

 人の機微に疎い私でも、その意味を理解した。


 師匠から離れて八年。

 師匠が言った意味で必要になるときはなかった。

 でも、ようやく出番がやって来た。

 師匠の意図とは違うけど、今日こそ必要なときだ。


 ――師匠。私に力を貸して下さい。


 純白に袖を通し――私は生まれ変わる。


 姿見に自分を映した。


「うん。まだ戦える」


 拳を握りしめて確認すると、机に向かう。

 魔道書を何冊も並べることが出来る大きな机。

 アインスの頃から使っている特注の机だ。

 机に向かい、紙にサラサラと書き付けていく。

 パーティーを抜けるという置き手紙だ。

 リビングのテーブルにでも置いておけばいいでしょう。


 さて、やり残したことはもうない。


 この部屋ともお別れだ。

 まずは特注の机と椅子をマジック・バッグに収納する。

 後は細々としたものだが、なにが必要かは後で分別すればいい。

 部屋の荷物を手当たり次第にしまい込むと、部屋はさっぱりとした。

 半年前にここに来たときを思い出す。

 そのとき思っていたよりも、だいぶ短い滞在だった。

 だけど、未練はない。


「バイバイ」


 別れを告げると、部屋を後にした――。


「あら、ウルさん。心配してました。もう大丈夫ですか?」

「…………」


 リビングにはクウカがいて、いつもの空っぽな笑顔を向けてくる。

 心配なんかちっともしていないくせに。


 苦手だ。

 なにか嘘くさい。


 できれば誰にも会いたくなかった。

 知らないうちに、こっそりと立ち去りたかった。

 なんて間が悪いんだ。


 でも、出会ってしまったからにはしょうがない。

 できるだけ簡潔に別れを伝えよう。


「私はパーティーを抜ける」

「えっ!?」


 クウカが驚いたフリをする。

 最後まで嘘つきだ。


「それじゃ」


 返事を待たずに背を向けたから、クウカのどんな表情をしているのか分からない。

 その背中に声をかけられた。


「さようなら、ウル。永遠に――」


 ――ドンッ!


「えっ!?」


 背中に体当たりされた衝撃。

 そして、焼けるような激痛。

 足の力が抜け、前のめりに倒れる。


 味わったことがない痛みの中で、背中を刺されたことを理解する。

 だが、その動機が理解できない。


「なん……で……」


 返事はない。

 ただ、背中に生えたなにかが引き抜かれ、足でぞんざいに身体をひっくり返される。

 熱いっ。火傷しそうなほど背中が熱いっ。


 仰向けになり、クウカと目が合う。

 冷えきった目だ。感情がぬるりと抜け落ちた目だ。


「残念だったわね。ウルちゃん。出会わなければ見逃してあげるつもりだったのに」

「…………ッ」


 人間味がまったく感じられない目だが、今まで見た中で一番クウカのありのままが感じられる目だった。


「この泥棒猫ッ」


 その言葉でクウカの動機を理解した。


 まだ駆け出し一年目の頃の話だ。

 娼館通いをするほどお金に余裕がない頃、クリストフは若い欲望を満たす相手としてウルを選んだ。

 クウカを相手にすると後々面倒くさいし、ウルならきっと黙っているはずだという目論見で。


 最初は半ば無理矢理だった。

 クリストフは力ずくで強引にウルに迫ったのだ。

 幼児体型で性的魅力に乏しいと思っていたから、自分がその対象にされるとはまったく思ってもいなかった。

 だから、油断しきっていた。

 油断していたところをクリストフに付け込まれた


 だからといって、強姦されたというつもりはない。

 自分の貞操そんなことはどうでもいいと思っていたウルは、パーティーに波風を立てるよりはと、黙ってクリストフを受け入れたのだ。


 その後も何度か関係を持ったが、お金にゆとりができると、クリストフはウルのことは見向きもしなくなった。

 だから、悟ることができた。

 クリストフが私を求めたのは、愛情などではなく、情欲を満たすためだけだと。

 薄々と感づいてはいたが、はっきりと悟ることができた。


 でも、そんなこと、私にはどうでもよかった。

 ダンジョン攻略のための戦力でさえあれば、クリストフがどう振る舞おうと、私には関係なかった。


 それから私も、クリストフも、何事もなかったように振る舞った。

 ただのパーティーメンバーで、それ以上の関係ではないと。

 クリストフは公言しなかったし、誰にもバレてはいないと思っていた。

 私にとっても、どうでもいい過去で、私自身、今の今まで、すっかり忘れていた。


 けれど、知っている人間がいた。

 いまだ、忘れていない人間がいた。

 よりによって、一番知られてはならない人間だった。


「私より先に、私より先に、私より先に――」


 何度も何度もナイフが振り下ろされる。

 いつの間にか、痛みは感じなくなった。

 それよりも、こぼれてくる血液のぬるさに戸惑う。


 ――あ〜あ、せっかく頑張ろうと思ったのに。

 ――恐怖に打ち勝つぞ、って勇気を振り絞ったのに。

 ――今度こそ、他人と上手くやろうって決めたのに。





 どうやら、ここで終わりみたい。


 ごめんね。パパ、ママ。


 頑張ったけど、ダメだったみたい。


 私、失敗しちゃったみたい。





 でも、しんだら、パパとママにあえるよね。


 じゃあ、これでいいのかもね。


 もうすぐ、あいにいくからね。


 まっててね。







 ああ、あたたかい


 ぱぱと、ままと、ぎゅって、してもらった


 あの、はれたひの、おひさま




 しあわせな、あのひ――――――――――――――――。








   ◇◆◇◆◇◆◇


【後書き】

 あっ…………。


 次回――『勇者パーティー28:クウカ編終幕』


 ※ウル編はまだ終わってません。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る