第62話 勇者パーティー19:バートン編終幕2
「あらあら、私になにか用かしら」
奥の部屋から、渦中の人であるキャンディス本人が現れた。
夜の装いを整えたキャンディスは、長煙管(ながぎせる)と扇子を手に、男なら誰でも見惚れる足取りで二人のもとへ歩み寄る。
「キャンディス、下がっておれ」
支配人が注意するが、キャンディスは意に介せず、ゆるゆると長煙管をくゆらすばかり。
バートンとキャンディスの目が合った。
「キャンディス。見ての通りだ。立て替えてくれ」
その言葉にキャンディスはすぐには答えない。
その代わり、長い長い煙を吐き出す。
キャンディスが長煙管を口から離すと、従業員の男が細長い灰筒を差し出した。
その縁に長煙管をコツンと当てて吸い殻を落とすと、男に長煙管を渡し、広げた扇子でゆったりと仰ぐ。
キャンディスが口を開いたのは、その後だった――。
「なんで、私が?」
「おいおい、俺とお前の仲だろ?」
「へえ、どんな仲なの?」
「どんな仲って……」
「嬢と客。それだけよ」
「なっ!?」
まるで他人のような態度にバートンは激高し、勢いよく立ち上がる。
「お前、言ってただろッ! 愛しているのは俺だけだって! 俺のためならなんでもするってッ!」
「私の仕事は殿方を喜ばすこと。そのためなら、なんでも言うし、なんでもするわ。お金を払ってもらえる限りはね」
バートンにとって、キャンディスは特別な存在だ。
彼女のことは「俺のオンナ」だと思っており、他の嬢たちにするように手を上げたりはせず、バートンなりに大切に扱ってきた。
そして、自分がそうであるように、キャンディスにとっても自分は特別な存在だと、そう信じ込んでいたのだ。
それゆえに、キャンディスの今の発言は信じがたいもの。
裏切られた怒りにバートンは激高する。
「なッ!! テメエ、俺を騙しやがったなッ!」
「男と女、騙し騙され、夢を見る」
「なにを、ワケの分からんこと言ってるんだッ」
「ここはそれを分かったうえで、それでも泡沫(うたかた)を手に取らんと、一夜の夢を楽しむところ。そんな事も分からない野暮な男は嫌われて当然。金の切れ目が縁の切れ目よ」
バートンを見上げながらも、キャンディスは言葉を選ばない。
「私はあンたを助けるために来たんじゃないわ。あンたが落ちぶれる様を特等席で見物しに来たのよ」
キャンディスは高らかに笑う。
今までの鬱憤を晴らすように。
「もういいわよ」
キャンディスが告げると、奥から十数人の女性が出て来た。
色とりどりに着飾った嬢たちだが、その瞳にいつもの色はない。
恨みがましい目つきでバートンを睨む者。
バートンの堕ちゆく様に期待している者。
皆、バートンに思うところがある者たちだ。
「さあ、あれだけ我が物顔で威張り散らし、金貨で頭を下げさせてきた男の哀れな末路。皆でしっかりと見届けようじゃない」
キャンディスは言葉の端々から覗く棘を隠しもしない。
その言葉を前に、バートンは力なく膝をついた。
「嘘だろっ…………」
現実を受け入れられず、呆然とする。
普通の神経の持ち主には信じられないと思うが、バートンは本気でキャンディスが立て替えてくれるものだと信じていたのだ。
枕を並べ、交わされた睦言(むつごと)。
キャンディスが耳元でささやく甘い言葉。
バートンはそれが本気の言葉だと信じこんでいたのだ。
遊女が客に言う言葉のほとんどが嘘だということは知っていた。
だが、『無窮の翼』の一員で、【剣聖】である自分の場合は話が別。
キャンディスは自分に惚れきっていて、自分が困ったときには、なにをおいても助けてくれる。
と、本気で思っていたのだ。
「嘘だっ。キャンディス、嘘だと言ってくれ……」
惨めにすがりつこうとするバートンの手を、キャンディスは扇子で払いのける。
「あぅ」
バートンが上げた情けない声は、嬢たちの蔑みと嗜虐心に満ちた笑い声にかき消された。
今までバートンが下に見てきた者たち。
金で言うことを聞き、股を開く。
しょせんは、下賤な商売女。
いくら着飾ろうと、いくら言い繕おうと、男にとって都合の良い道具。
見下してきた相手に、今度は自分が見下されている。
それだけではない。
無関係の客や嬢たちまで、この場のゆく末を娯楽として楽しんでいる。
太ったスケベオヤジにいたっては、立ち上がって席を離れ、よく見える場所に移動し、グラス片手に観劇気分だ。下卑た笑い方が、バートンの癇に障る。
バートンにとっては悲劇だが、聴衆にとっては喜劇だ。
――クソッタレ。
突き刺さる視線は、耐えがたい屈辱。
聞こえ来る嘲笑は、我慢ならぬ侮辱。
興味本位な観客は、堪えきれぬ恥辱。
――見世物じゃねえんだよッ!
怒りが膨れ上がっていく。
この一週間、溜めに溜めた鬱憤が、これを契機に燃え上がる。
「ナメやがって。俺サマをナメやがってッ!!」
立ち上がり、怒りに拳を震わせる。
「ぶっ殺してやるッ!!!!!」
その瞬間、よく見える場所で見物していたスケベオヤジの手からグラスが離れ――。
それを合図に、誰もいなかったはずのソファーの陰から、二つの黒い人影が飛び出し――。
スケベオヤジの投げたグラスがバートンの顔にぶつかって砕け。
黒い人影の一人がバートンの喉元にナイフを突きつけ。
もう一人が後ろ手にバートンを拘束する。
「なっ!?」
バートンは一瞬の間に起きた出来事に理解が追いつかないうちに、両手を拘束されていた。
その拘束具は「魔封環」と呼ばれる魔道具で、動きだけでなく、魔力の流れも遮断するものだ。
これではバートンは身体強化を使えず、拘束具を振りほどくことも不可能。
まさに、刹那のうちに完全に無力化されたのだった。
大きな拍手と歓声があがる。
なにが起こったのか正確に理解している者はいなかったが、居合わせた客たち、嬢たち、従業員たちまでが見事な捕縛劇に拍手と喝采を送る。
観客にとっては、舞台を盛り上げる見事なワンシーンだった。
「いやあ、すごかったな」
「【剣聖】を一瞬で無力化したな」
「ざまあみなさい!」
特に、バートンに恨みがある嬢たちは飛び上がって喜んでいる。
静かなのは捕縛を行った三人と支配人、そして、バートンだけだった。
バートンは考える。
酔っぱらった上に激昂し、視野が狭くなっていたのは間違いない。
それでも、トップクラス冒険者であるバートンが、三人がかかりとはいえ、反応する間もなく、捕縛されてしまったのだ。
いったい彼らは何者なのか?
「我々は冒険者ギルド・ドライ支部、冒険者対策本部(ボウタイ)の者だ」
「ボウタイ!」
冒険者ギルドの一部門、冒険者対策本部、通称ボウタイ。
冒険者の犯罪を未然に防ぎ、民間人と冒険者の両方を守るための機関。
グラスを投げつけたスケベオヤジは、自分がその一員であると淡々と告げる。
醜く肥え太った鈍重な身体からは想像も出来ない鋭い眼光。
周りを静かにさせる研ぎ澄まされた殺気。
手首のひねりだけで砕け散るほどの威力でグラスを投げつけた力量。
見た目とは真逆、戦場に身を置いてきた者の気配だ。
ひと睨みされただけでバートンは縮み上がる。
「我が名はヴェントン。ボウタイの本部長をしている。君を拘束している黒ローブの二人もボウタイの人間だ」
ボウタイは名前こそ広く知れ渡っているが、その内情は秘密のヴェールに覆われている。
引退した高位冒険者で人間的にも問題ない人物がスカウトされるらしいが、構成員の私的情報は秘匿されている。
構成人数も、誰がメンバーであるかも、知られていないのだ。
本部長と名乗ったヴェントン。
今見せている肥満体型は、姿を変える魔道具による変装であり、バートンを油断させるための仮初(かりそめ)の姿だ。
加えて、姿だけでなく、ヴェントンという名前ももちろん偽名。
本当の名前はごく一部の者しか知らないトップシークレットだ。
仕事に応じて、姿も名前も切り替える。
本当の彼を知っているものは、ほんのひと握り。
正しいのは、ボウタイ本部長という肩書だけだった。
この場にいるボウタイのメンバーはヴェントンだけではない。
ソファーの陰から飛び出した黒ローブ姿の二人。
現在はバートンを拘束し、警戒している二人もボウタイのメンバーだ。
その素顔はローブの陰に隠れ、うかがうことができない。
彼らは娼館支配人から依頼を受け、バートンの暴走を未然に防ぐため、ロビーに潜んでいたのだ。
ヴェントンは好色な富豪に変装し、残りの黒ローブ二人は隠蔽魔法でソファーの陰に姿を隠して。
バートンは娼館のロビーに足を踏み入れた瞬間、違和感を覚えた。
違和感の正体は、隠蔽の気配だったのだ。
しかし、バートンはそれを気のせいと切り捨てた。
これこそが、バートンと一流冒険者の違いだ。
一流冒険者は、なによりも自分の直感を大事にする。
それこそが、生き残るために一番大切なことだと知っているから。
「『無窮の翼』のバートン殿。民間人への暴行の恐れがあったから、拘束させてもらった。今は乙種拘束だが、不審な動きを見せれば甲種拘束へと移らせてもらう。下手な考えは捨てるのが、お互いのためだ。ご協力願えるかな?」
「あっ、ああ……」
格上の気配に飲まれ、バートンは抗う意志を失っていた。
「よしッ、別室へ連行しろ」
黒ローブの二人に命ずると、ヴェントンは支配人に向かって話しかける。
「では、予定通り、別室でお話しましょう」
「ええ。しかし、相変わらず、見事なお手並みですな。勇者パーティーの一員が子ども扱いでしたな」
「そういう仕事ですので」
バートンは失意のまま、別室へと引き連れられて行った――。
◇◆◇◆◇◆◇
【後書き】
キャンディスのターンからの、スケベオヤジのターン!
次回――『勇者パーティー20:バートン編終幕3』
感動のご対面!
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