第19話 冒険者シンシア

 準備が整った俺はリビングに戻る。

 案の定、シンシアはまだだった。

 彼女は俺と違って時間がかかる装備だから仕方がない。


 テーブルに向かって腰を下ろした俺は、マジック・バッグから魔時計を取り出して、時間を確認する。


 ――午前11時8分。


 手のひらサイズの丸い銀無垢の時計だ。本体と同じ素材のチェーンがついており、首から下げて使用することも可能になっている。

 ダンジョンの宝箱から得られる魔道具のひとつだ。


 魔時計はものによって性能が異なる。

 一番性能が低い魔時計は10分単位でしか時間が分からないが、それですら、あるとないとではダンジョン攻略が大違いになる。


 地上と異なる環境であるダンジョン内では、ただでさえ時間を把握しづらい。緊張状態であればなおさらだ。

 興奮していたり、攻略が好調だったりすると、時間経過を忘れてしまいがちだ。そして――無理をして痛い目を見る。

 たとえ最低ランクであっても、魔時計ひとつあれば、そうした事態を避けられるのだ。


 大抵のパーティーはファースト・ダンジョンの第10階層までには少なくとも最低ランクの魔時計を1つは手に入れている。

 それくらい、ダンジョン攻略に魔時計は欠かすことが出来ないのだ。


 ダンジョン生活に慣れ、魔時計があるのが当たり前になって、俺の中で「時間」の概念がガラッと変わった。

 村で暮らしていた頃は、朝昼晩となんとなくの時間区分しか気にしていなかった。たとえば、「朝の早い時間」とか、「日が暮れる前」とか。

 待ち合わせするのにも、「昼飯を食べたら」とか、大雑把なものだった。

 それが今では、誰かが待ち合わせに5分遅れただけで気になってしまう。

 たったひとつの魔道具の影響で、これだけ考え方が変わってしまうとは、自分でも驚きだ。


 ちなみに『無窮の翼』では、各自が一つずつ魔時計を所持していた。

それも秒単位で時間が把握できる高性能のもの。

 さらに高性能なものでは、100分の1秒単位で計れるものや、時間を設定してアラームを鳴らすものもあるが、そこまでいくと大商人や貴族向けだ。

 ダンジョン攻略には秒単位の時間が分かれば十分。


 秒単位の連携が取れれば、「前衛が突っ込んでから、30秒後に攻撃魔法を打つ」だとか、「魔法障壁を1分ごとに貼り直す」だとかが可能になる。

 時間で戦闘を管理できるようになるのだ。


 俺も『無窮の翼』にいた頃は、こまめに魔時計を確認しながら、みんなに秒単位で指示を出していた。

 そういうのがヤツらには鬱陶しかったようだが、能力任せの自分勝手で、連携を取ろうとしないヤツらを勝たせるためにはそうするしかなかったからな……。


 もっとも、半分くらいは無視されたし、「エラそうな口を利くな」と罵倒されたことも数知れず。

 それでも、致命的な事態を避けることが出来たのは、俺が諦めずに指示を出し続けたからだと自負している。


 確かに『無窮の翼』の各人は、ずば抜けた才能の持ち主だ。

 しかし、連携を取らずに好き勝手に行動するだけじゃ、その才能の半分も発揮することは出来ない。

 俺という指示役が抜けた今、ヤツらはちゃんと戦えているんだろうか。

 まあ、今さら俺の知ったこっちゃないがな……。


 そんなことを考えながら、俺はマジック・バッグ内の整理をする。

 忘れ物がないか最終確認をしたり、ダンジョン内で使用するアイテムを取り出しやすいようにしたり。

 このひと手間が意外にバカにならない。


 アイテムを取り出すにしても、整理してるかどうかでコンマ数秒の違いが出るのだ。

 そして、たったコンマ数秒でも、戦闘中ではとてつもない価値がある。

 コンマ数秒の差が明暗を分けることがあるのだ。


 だから、俺はマジック・バッグ内の整理を疎(おろそ)かにしないし、確認も入念に行うようにしている。

 メンバーたちには、マジック・バッグの整理をするように何度も注意したが、聞き入られることはなかった。

 だからいつも、クウカの回復魔法が飛ぶよりも、本人がポーションを取り出すよりも、俺が投げ渡す方が早かった。

 バートンなんかはそれが当然であるように振舞っていた。

 思い出すと、やっぱり腹が立つな。


 ――ガチャリ。


 寝室の扉が開き、シンシアが姿を現した。


「お待たせ」


 柔らかく微笑む彼女の美しさに、俺は目を奪われる――。


 真っ白い戦闘用のドレス姿。

 初めて見る装備だ。


 以前の装備も白いドレス型だったが、新調されたこのドレスは彼女の魅力を最大限に引き出している。

 スラリと長く伸びる手足と豊満な胸の膨らみ――彼女のスタイルの良さが強調され、彫像のように美しい。


 スタイルだけではない。顔立ちもシンシアは完璧。

 神様が彼女を生み出すときに、他の人間の百倍は本気を出したんじゃないかと思えるほどの完成度だ。


 シャープな顎のライン。

 桜の花弁のように小さくふっくらした艷(つや)やかな朱唇(くちびる)。

 スラリと通った鼻筋に、どこまでも透き通った淡青色の瞳。

 二重で切れ長の瞳は作り物めいた印象を与えるが、内面からにじみ出る優しい性格が、彼女は血の通った人間であることを教えてくれる。


 そして、普段は下ろしている長い金髪は綺麗に編み上げられ、可憐な彼女に凛々しさを加えている。


 完成された彼女の美しさに、ただただ目を奪われた。

 まるで思春期の恋する少年のように。


 別に、彼女の冒険者姿を見るのは初めてではない。

 これまでに何度も目にしたことがあるのに、装備が変わっただけで、今日のシンシアは今までとは違って見える。

 とても魅力的で、目が釘付けになってしまった。


「変かしら?」

「いっ、いや……。とっても似合っているよ」


 まさか、彼女の美しさに見惚れていたとは言えない。

 俺は慌てて取り繕った。

 焦っていても、とっさに「似合っている」と付け加えることが出来た自分を褒めてやりたい。


 そんな俺の言葉で、シンシアの頬にさっと朱がさす。

 彼女も照れているんだろうか?

 彼女なら褒められ慣れていると思うのだが……。


「そう。ありがとうね……。ラーズも格好いいわよ」

「ああ、ありがとう」


 俺が言った「似合っている」は本心からの言葉だが、彼女の言葉はお世辞だろう。

 俺はクリストフのようにイケメンじゃないし、装備もくすんだ色合いの地味な格好だ。

 まあ、でも、お世辞だと分かっていても、嬉しいものだ。

 ここしばらくはパーティーメンバーから褒められることなんてなかったからな。


「それ、この前、言ってたやつだよね? 間に合ったんだ」

「ええ。ドライの街を出る三日前に仕上がったの。ギリギリ間に合って良かったわ」


 防具を新調することは、以前シンシアから聞いていた。

 もう注文済みで、後は出来上がるのを待つばかり、と嬉しそうに話してくれた。


 シンシアが身に纏っているのは戦乙女舞闘装(バトルドレス)と呼ばれる種類の防具だ。

 袖は二の腕が半分剥き出しになる短さで、スカート丈は膝上のワンピーススタイル。

 白を基調とし、所々に赤い刺繍が入っている。

 手足は肌にピッタリとフィットした薄手の黒いアームカバーとレギンスで覆われている。


 見た目は華やかなドレスと変わらない戦乙女舞闘装(バトルドレス)だけど、ダンジョン攻略に耐えうる立派な防具だ。

 俺のローブなんかと同じく、魔力を流すことによって強度を発揮する防具だが、ローブと違って近接戦闘中心の戦闘スタイルを前提としている。


 軽くて動きやすい上に、魔力を流すと下手な金属を上回る強度になる戦乙女舞闘装(バトルドレス)は、魔力が豊富な近接職には必須の装備だ。

 ちなみに戦乙女舞闘装(バトルドレス)という名は女性向けのもので、男性向けのものは戦漢舞闘装(バトルスーツ)と呼ばれ、戦乙女舞闘装(バトルドレス)より露出が少ない作りになっている。


「出来上がってなかったら、俺のこと追いかけて来なかったかな?」

「もう。そんなわけないでしょ。確かにこの戦乙女舞闘装(バトルドレス)はとっても良い物だけど、あなたとは比べられないわよ」

「そっ、そうか……」


 意地の悪い俺の質問に、シンシアはほっぺたを膨らませる。

 でも、本気で怒っているわけではないようだ。

 俺のことをそこまで大事に思ってくれるなんて、嬉しくて涙が出そうだ。

 こんなに思ってくれる人なんて、村を出てから初めてだ。

 気恥ずかしさを誤魔化すように、俺は質問する。


「素材はスパイダーシルク?」

「ええ、そうよ。ようやくサード・ダンジョン用の防具が手に入ったところだったのに……。人生って分からないものね。でも、こうなって良かったってのは本心よ」


 スパイダーシルク――サード・ダンジョン浅層に出現する巨大蜘蛛型モンスターであるシルキースパイダー、そいつのドロップアイテムだ。

 スパイダーシルクで織られた布は絹よりも透き通った白い光沢を帯び、丈夫で魔力伝導率も高い。

 アームカバー・レギンスもスパイダーシルク製だろう。黒いのは染料で染め上げたからだ。


 スパイダーシルクは『ドライ』の街で散々見てきた。

 だから、一目見れば直ぐに分かるのだ。


 スパイダーシルクは俺のローブに用いられているバロメッツ・ウールと並び、サード・ダンジョン攻略用の繊維系素材として最高級に位置づけられる。

 サード・ダンジョンに挑む魔法職はこのどちらかで防具を作ることを目指しており、早めに入手すればそれだけ攻略が安定する。

 中層以降に挑む魔法職であれば、ほぼ全員どちらかを持っている。それくらい定番の素材なのだ。


 俺は計画的に貯金していたので、サード・ダンジョンがあるドライの街を訪れて真っ先に『バロメッツの黒ローブ』を注文したし、シンシアは第10階層に到達した最近になって戦乙女舞闘装(バトルドレス)を誂(あつら)えることが出来たのだ。


「ちゃんと強化紋も入ってるんだね」

「ええ、奮発したわ」


 シンシアの純白の戦乙女舞闘装(バトルドレス)は赤い刺繍で彩られている。

 これは強化紋と呼ばれるもので、ただの飾りではない。

 強化紋には魔力を流すことによって戦乙女舞闘装(バトルドレス)の性能を高める機能があるのだ。

 刺繍なしに比べて、その効果は1.5倍。


 刺繍に用いられている赤い糸は魔糸(まし)と呼ばれる特殊な糸だ。

 魔糸の原料となる糸はスパイダーシルクなどの魔力伝導率の高い糸。

 モンスターを倒して得られる魔石をすり潰し、マナ・ウォーターと呼ばれる溶液に溶かし込む。

 それに糸を漬け込むことによって魔糸は完成する。

 魔糸の作成は高度な錬金術の技能が必要で、非常に高価だ。

 価格で言えば、魔糸は加工前の糸の10倍。


 その高級な糸を紋章術のエキスパートがひと針ひと針縫いこんでいくので、強化紋入りの防具は布地の面積にもよるが、元の5倍から10倍くらいの値段になる。


「いいなあ。俺も早く入れたいよ」

「ふふふ。早くサードまで行って、二人で稼ぎましょう」

「ああ、頼りにしてる」

「こちらこそ」


 俺のローブには強化紋が入っていない。

 俺も早く入れたいところだが、戦乙女舞闘装(バトルドレス)に比べ布面積の大きいローブに刺繡を入れるとなるとバカ高い費用がかかる。


 そのためのお金を必死で貯めていたのだが……、予定額の半分ほど集まったところで、今回の追放だ。

 そのせいで、強化紋を入れるのはしばらく先伸ばしになってしまった。


 ここファースト・ダンジョンやセカンド・ダンジョンでは、大した稼ぎは期待できない。

 シンシアが言うように、早くサード・ダンジョンに戻り、二人でガンガン稼げるようにならないとな。


「じゃあ、出発だ。忘れ物はない?」

「もちろん。全部、この中に入ってるわよ」


 シンシアは背負ったリュック型のマジック・バッグを指し示す。

 彼女も初心者じゃない。忘れ物なんかしないだろう。


 ちなみに、俺のマジック・バッグは肩掛け型だ。

 今まではこれで良かったけど、これからは俺も近接戦闘をこなすようになる。

 近いうちに、ウエストバッグ型かリュック型に加工してもらわないとな……。


 そんなことを考えながら、俺はシンシアと共に拠点を後にした――。






   ◇◆◇◆◇◆◇


【後書き】

 便利なものは全部魔道具って言っておけば良い説。

 てゆうか、装備見せるだけでイチャつき過ぎ。


 次回――『アインスの屋台』


 お昼なに食べよ?

 シンシアの好物が明らかに!

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