第16話 アインスの冒険者ギルド
ギルドに入って最初に感じたのは、懐かしい空気だった。
若々しい熱気が凝縮され、溢れんばかりのエネルギーに満ちている。
二年前のあの日が突然目の前に現れたかのような錯覚を感じた。
時刻は早目の夕方。
今日の探索を終えた冒険者たちでギルド内は賑わっていた。
それでも、今はまだマシな方だ。
ピークタイムは今から2時間後。
その頃は更に混み合い、怒号が飛び交う酷い有り様になる。
夕方という時間帯もあって、査定・買い取りのカウンターにはそこそこ長い列ができているが、俺たちが用のある登録カウンター前は人が少なかった。
三つあるカウンターのうちニつは、新規登録に訪れた初々しい若者たちで占拠されていたが、残りの一つは空いている。
俺とシンシアはその空いているカウンターへ向かった。
そこにいたのは見知った顔だった。
「あらっ、ラーズさん」
「ロッテさん、お久しぶりです」
受付嬢のロッテさんには、以前この街にいた頃に色々とお世話になった。
向こうも俺のことを覚えていてくれたようで嬉しくなる。
もっと驚かれるかと思ったけど、ロッテさんは受付嬢らしく、いつも通り淡々としていた。
長命種であるエルフの血を引くロッテさんは絹のような金髪を結い上げ、長く尖った耳には緑色の魔石をあしらった金色のピアスが輝いていた。
ニ年前と全く変わらず若々しいままだ。
出会った時は新人冒険者を優しく導く親切な年上のお姉さんだったけど、今では見た目だけなら俺の方が年上になってしまったな……。
「今回の件は聞き及んでおります。残念でしたね」
ロッテさんが同情するような視線を向けてくる。
さすがはギルドの情報網、伝達が早い。
だから、俺の顔を見てもそれほど驚かなかったのか。
「ああ、そんな顔をしないで下さい。俺はもう割りきってますから。それより、新しいパートナーと出会えたことに感謝しているくらいですよ」
隣のシンシアの存在をアピールする。
「そちらの方は?」
「はじめまして、【回復闘士】のシンシアと言います。ラーズさんと同じ【2つ星】で、一緒にパーティーを組むことになりました。これからよろしくお願いします」
シンシアが首から下げた小さな金属プレート――冒険者タグをロッテさんに提示する。
彼女の冒険者タグには、俺のタグと同じく2つの星が刻まれている。
【2つ星】はセカンド・ダンジョンまで踏破したことを表す。
新しくダンジョンを踏破する度に、冒険者タグに星の印がひとつ追加されるから、こういう言い方をするのだ。
冒険者は星がついて、ようやく一人前。
すなわち、この街にいる冒険者たちは、まだ星がない半人前ってことだ。
「そうなんですか。では、お二人でまたファースト・ダンジョンに挑むのですか?」
「ああ、初心に帰ってやり直そうと思いましてね。だから、パーティー登録と拠点登録を頼みます」
ロッテさんに情報が伝わっていることからも、俺はすでに公的に『無窮の翼』を抜けたことになっているだろう。
パーティーからのメンバー追放は本人の同意がなくても、メンバー過半数の同意があれば可能だ。
ヤツらのことだから、俺を追放した翌朝にさっさと手続きを済ませているだろう。
だから、俺がシンシアと新規でパーティーを組み直すことにはなんの問題もないはずだ。
「分かりました。本来なら、三人以上のパーティーを推奨するのですが、【2つ星】のお二人でしたら問題ないでしょう。それでは、お二人の冒険者タグをお預かり致します…………って。えっ!?!?」
俺の冒険者タグを登録用の魔道具に当てるなり、ロッテさんは目を丸くして驚愕の表情を浮かべた。
普段は冷静沈着なロッテさんがこんなに取り乱している姿は初めてだ。
「どうかしました?」
俺が問いかけると、、ロッテさんは周囲をキョロキョロと見回し、カウンターに「閉鎖中」の札を掲げる。
「話は別室でお伺いします」
「「はっ、はい」」
真剣な表情で告げられ、俺たちは頷く。
「ミルちゃん、ちょっと席外すね。混んできたら、カウンター対応お願いね」
「はいですぅ〜」
ミルちゃんと呼ばれた後輩らしき職員に指示を出したロッテさんは、俺たちを引き連れ二階の談話室へ向かった。
冒険者ギルドの二階には大小さまざまな個室――談話室や会議室などが並んでいる。
このフロアはギルド職員の許可がなければ、立ち入り禁止だ。
俺も数えるほどしか利用したことはない。
複数パーティー合同の作戦会議や、公に出来ない秘密裏の依頼の相談、そして、公開すべきではない冒険者のプライバシーに関する話し合い。
そのような種々の用途に使われるのだが、今回はその理由に心当たりがあった。
「すぐに戻りますので、そのままお待ち下さいね」
ローテーブルを挟んで二人がけのソファーが二つ向き合っている狭い談話室。
猥雑な一階とは異なり、上品な調度品に囲まれた落ち着いた部屋だった。
ソファーに腰を下ろした俺とシンシアの前に、お茶を二つ用意すると、ロッテさんは部屋を出て行く。
俺もシンシアも冒険者歴が長いので、今回のように談話室に呼ばれることは何度も経験済みだ。
二人ともリラックスして、ロッテさんが淹れてくれたお茶を口に運ぶ。
鎮静作用のあるラベミールの葉だろう。身体が楽になり、気分が落ち着いてくる。
「やっぱり、ラーズのジョブかしら?」
「ああ、そうだろな」
受付でロッテさんは俺の冒険者タグを見て、俺たちをここに連れ込んだ。
となると、俺のジョブ【精霊統】が原因だろう。
「大事(おおごと)にならないといいわね」
「だな。祈っておこう」
しばらくして、談話室のドアが静かに開いた。
「やあ、待たせてすまんな」
「えっ!?」
俺は半ば予想していたが、シンシアは予想外だったようで登場した人物に驚きの声を上げる。
戻って来たのはロッテさんだけではなく、正装姿の老齢男性も一緒であった。
頭部こそ禿げ上がっているが、老いを感じさせない若々しい身体は、限界まで鍛え上げられていることが服の上からでも明らかだ。
幾多の修羅場を乗り越えてきた貫禄と余人を圧倒するような覇気を兼ね揃えた男は、元冒険者らしいしっかりとした足取りでソファーに向かうと、音もなく腰を下ろした。
垣間見えた体重移動や身体操作だけでも、男が只者ではないことが分かる。
「久しいな、ラーズよ」
「ええ、お久しぶりです。ハンネマン支部長」
そう。俺と向き合う男性は、この街の冒険者ギルドのトップ――冒険者ギルド・アインス支部長であるケリー・ハンネマンだ。
ギルドの一般職員は養成学校を卒業した者が大部分だ(一部、引退した元冒険者もいるが)。
しかし、各支部の支部長と本部のお偉いさん方は、【3つ星】以上の元冒険者でなければならないと明確に規定されている。
ハンネマン支部長も例に漏れず【3つ星】冒険者――サード・ダンジョンを制覇した強者なのだ。
ハンネマンは十年以上アインス支部の支部長を務めているベテランだ。
普段は良い人なのだが、怒ると烈火のごとく恐ろしい。
この街の冒険者たちが一番恐れる相手だ。
その支部長が俺に右手を差し出し、俺はそれを握り返す。
巌(いわお)のような手は、還暦間近とは思えないほどの強い力で握りしめてくる。
戦闘職でない俺では、とても太刀打ち出来ない。
以前コレをやられたときは、痛みを顔に出さないようにするだけで精一杯だった。
しかし、今回もやられっぱなしという訳にはいかない。
俺は意趣返しを思いついた。
小さな声で火の精霊に語りかけ、右腕の筋力を増大させる。
今度はこっちの番だ!
右手に力を入れると、支部長の右手がミシミシと音を上げる。
かなり痛いはずなのだが、さすがは支部長。それを全く顔に出さない。
「ほう。それがお主の新しい力か……」
「ええ」
支部長が力を抜いたので、俺も手を放し、精霊を解除する。
支部長の右手が真っ赤になっている。ちょっとやり過ぎたか?
まあ、仕掛けてきたのはアッチだし、俺の知ったこっちゃない。
支部長はこんなことで根に持つような小さな器じゃないし。
案の定、これっぽっちも気にしていないようで、支部長はシンシアに笑顔を向ける。
「そちらのお嬢さんは?」
「はっ、はい。ラーズと一緒にパーティーを組むことになった【回復闘士】のシンシア、【2つ星】です」
「【2つ星】か、以前会ったかと思うが、改めてよろしくな」
「はっ、はい」
支部長とシンシアが握手を交わす。
俺の場合と違い、意地の張り合いナシの普通の握手だった。
男女差別だ。納得いかん。
ちなみに、支部長はファースト・ダンジョンを踏破した者と必ず面会することになっている。
だから、星持ちは最低一度は支部長と顔を合わせたことになる。
「ラーズよ。お主のことで話がしたい。この後ちょっと野暮用があってこんな格好をしてるが、堅苦しい話はナシだ」
「はい。分かってます」
「まず、もう一度お主の冒険者タグを確認させてもらえんか」
「ええ、どうぞ」
ローテーブルの上に置かれた平たい魔道具。
受付に置かれているのと同じ魔道具で、冒険者タグに内蔵されている情報を読み書きするためのものだ。
10センチほどのプレート状。
中央に浅い窪みがある。
俺が自分の冒険者タグをその窪みにピタリと嵌め込むと、魔道具がチカチカチカと三回点滅する。
「ほう。これはこれは。ロッテの言っていたことは本当であったか」
表示された情報を読んだ支部長は、腕組みをして目を閉じ、考え込む。
「どうかしました?」
「『どうかしました?』じゃないですよっ! なんですかこのジョブ!! 【精霊統】なんて初めて見ましたよっ!」
「ああ」
俺が尋ねてみると、黙考中の支部長ではなく、ロッテさんが長いエルフ耳をピクピクさせながら、興奮した様子で食ってかかってきた。
その耳が揺れる度にピアスの緑色魔石がキラキラと輝き、俺はそれに目を奪われる。
「なに他人事みたいに、落ち着き払ってるんですかっ! 精霊術使いのランク3なんて、聞いたことがありませんよっ! 前代未聞ですっ!!!」
「らしいね」
「――ロッテが興奮するのも、当然じゃろう。ワシも未だ信じ切れずにおるわ」
「そうですそうですっ!」
目を見開いた支部長は、俺の瞳をじっと見つめる。
「ラーズよ。この二年間で立派に成長したな」
「ええ、おかげさまで。支部長の教えは、今でも忘れておりません」
「そうかそうか」
『無窮の翼』はハイスピードで攻略を進めていたこともあり、何度か支部長直々にアドバイスを頂いた。
中でも、印象深かったのが、ダンジョン踏破後の打ち上げパーティーの時のことだ。
街の要職の方々、冒険者たち、ギルド職員らが入り乱れての大宴会だった。
俺以外のメンバーは他の冒険者らと陽気に杯を交わしていたが、なぜか、俺だけ支部長に捕まってしまったのだ。
俺を捕まえた支部長は、酒に酔った様子もなく懇々と諭してきた。
その言葉はどれも、今後の冒険者人生に役立つものばかりだった。
一人の凄腕冒険者が半生をかけて実体験から学んだ、貴重な教訓だった。
俺は一言一句逃すものかと、心に深く刻み込もうとしたことを覚えている――。
二年前と変わらぬ支部長が、なにかを噛みしめるように語り始めた。
「ワシは『無窮の翼』の中で、お主が一番有望だと思っていた。お主が率いる『無窮の翼』であれば、我々の長年の悲願も成就させてくれるかもしれんと、期待しておったのじゃ」
「ご期待に沿えず、申し訳ございません」
頭を下げる俺を、支部長が留める。
「いやいや、お主に責はなかろう。強いて言えば、ワシの手落ちじゃ。あのヒヨっ子どもに、強者の格というものを、キチンと教え込んでおくべきじゃった」
支部長の目に悔恨の色が浮かぶ。
「まあ、今さらな話じゃな。それに、お主の目はまだ死んでおらん。これからも老いぼれを楽しませてくれるんじゃろ?」
「はいっ。もう一度この街からやり直し、今度こそ、五大ダンジョンを制覇してみせます」
胸を張って宣言した。
支部長が頬を緩める。
「ほう。あの頃はまだ青臭かったが、今は一皮向けて一人前の男の目をしておる。…………一体お主になにがあったのじゃ?」
支部長が尋ねているのは、脱退劇についてじゃないだろう。
そうではなくて、俺の心境の変化を問うているのだろう。
お世話になった支部長に隠し事はしたくない。
それに、支部長は軽々しく他人の秘密を話したりはしない人だ。
「安心せよ。この部屋の防諜対策は万全じゃ。それとも――」
支部長が横に座るロッテさんに視線を向ける。
「いえ、大丈夫です。ロッテさんもいて下さい」
「そうか。では、聞かせてもらおうか」
「十日ほど前、精霊王様にお会いしました」
「ほう。お主がファースト・ダンジョン踏破後に出会ったという精霊王様か」
「はい」
俺は以前にも一度、精霊王様に出会っていた。
ファースト・ダンジョンを踏破したときだ。
その後で、支部長にはそのことを伝えておいたのだが、ちゃんと覚えてくれていたようだ。
現在生きている精霊術の使い手は俺だけなので、精霊王の存在について真偽を確かめる方法はない。
俺の話を信じるか否か。
そして、支部長は信じてくれた。
「『無窮の翼』を追放された晩のことです。夢の中で精霊王様と出会い、新たな力と【精霊統】のジョブを授かりました」
「…………なるほどな。その力とは?」
「今、お見せしましょう――」
『水の精霊よ、凍てつく塊となれ――【氷塊(アイス・ブロック)】』
俺が唱えると、ローテーブルの上にカランと氷塊が落ちる。
「ほう」
「ええええ」
僅かに頬を動かした支部長と、驚きの声を上げるロッテさん。
「属性魔法特有の魔力のゆらぎがまったくありませんでしたよ」
「ああ、ワシも感じなかったな」
「ええ。属性魔法ではありません。これが【精霊統】の精霊術です。他にも――」
指先に小さな炎を灯し。
石の塊を出現させ。
そよ風を起こし、書類を舞い上がらせる。
ロッテさんは驚きのあまり声も上げられずに固まっている。支部長も黙りこんだままだ。
「この通りです」
「最大出力はどうなんだ? その顔を見ると自信がありそうだが」
「ええ、アインスに来る途中の馬車でゴブリンと遭遇したのですが――」
「ゴブリン?」
「ええ、その話はまた後ほど報告いたします」
「ふむ。続けてくれ」
「石礫を飛ばしてゴブリンを穴だらけにしましたし、他の精霊も申し分ない働きをしました。ファースト・ダンジョンならソロでも余裕でしょう」
俺の話を聞いた支部長は、再度目を閉じる。
しばらくそうしてから、目を開くと――。
「カッカッカッカッカッカッ」
破顔して大笑する。
部屋中が揺れるような大笑いだ。
「長生きはするもんじゃのう。面白いものが見れたわい」
「お気に召したようで、なによりです」
「お主が嘘をつくとは思えん。今後の働き期待しておるぞ」
「ご期待に沿えるよう、尽力いたします」
「そうかそうか」
一通り笑い終えると、支部長の顔が真剣なものになる。
「それで、お主は【精霊統】についてどこまで知っておるのじゃ」
「俺が調べたところ、過去に一人だけいたそうですよ」
「ホントですか!?」
ロッテさんが横から食いついてきた。
精霊術使いはジョブランク2の【精霊術士】までで、ジョブランク3は存在しない。
だから、大成するのは不可能――冒険者登録した際に、俺はギルドの担当職員から告げられた。
その後、他の職人に尋ねても、返ってきた答えは似たようなものばかり。
精霊術使いは不遇。それがギルド内の共通認識なのだろう。
ロッテさんが驚くのも当然だ。
しかし、支部長はそれほど驚いた様子ではない。
支部長はなんらかの情報を持っているのかもしれない。
「まあ、落ち着きなさい、ロッテ」
「はっ、はい。失礼致しました」
「過去に一人だけいた【精霊統】。ワシも聞いたことがないわけではない」
やはり、そうか!
「実はのう。お主のことが気になって、ワシの方でも少し調べたんじゃよ。じゃが、まずはワシの話より、お主の話を先にしよう。どこで仕入れた情報だ?」
「はい。王都の王立図書館にあった一冊の本に書いてあったんです。他の本に書かれているのは見たことがないので、本当かどうかは分からないですけどね」
「なるほど。王立図書館か。その本の題名を教えてもらえるかね?」
「ええ、もちろん構わないです。歴史書のコーナーの奥の奥にあった、『精霊との対話』っていう本です」
俺は『精霊との対話』との出会いとあらましを語り始めた――。
◇◆◇◆◇◆◇
【後書き】
ロッテさんの年齢は支部長のみが知るアインス支部のトップシークレット。
ケリー・ハンネマン。元冒険者。58歳。
【3つ星】パーティー『五帝獅子』の元メンバー。
ジョブはランク3の【魔闘拳士】。
魔法を両腕に纏わせ、ガチンコで殴り合うアタマオカシイ、もとい、レアなジョブ。
引退時の最終到達階層はフォース・ダンジョン第27階層。
妻は元冒険者ギルド受付嬢。恐妻家。
子どもは三人。孫一人。
孫娘のハルちゃんにはデレデレ。
好物は馬刺し。
趣味は知恵の輪。だけど、解けないとイラッとして物理で解くことも。
最近は、雨の日に右膝の古傷が傷むのが悩み。
『五帝獅子』の他のメンバーは今後登場するかどうか……現在悩み中。
次回――『精霊との対話』
面白い本と出会ったよ!
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