第753話

『見せてくれよう、今の吾輩の力を!』


 バアルが飛び掛かってくる。

 奴の爪撃に備えて、俺は前脚を構えつつ、〖カースナイト〗の魔法陣を展開する。


 だが、どうやって迎え討てばいいのか、皆目見当もつかない。

 何せ万全の状態で叩き伏せたとしても、〖量子猫の選択〗での回避からお見舞いしてくる連撃はほとんど不可避なのだ。

 ほぼ確実に大ダメージの反撃を受ける。

 それを考慮した上で戦わなければならない。

 どうしても動きに迷いが出る。


 そのとき、バアルの姿が揺らぎ、唐突に目前から消えた。

 〖猫の不在証明〗だ。

 MP消耗が大きいようだったのでもう使っては来ないのではないかと睨んでいたのだが、当然のように行使してきた。


 次の瞬間、後頭部に打撃を受けた。


「グゥウウッ!」


 意識が、明滅する。

 続けて背中に爪の連撃を受け、堪らず俺は〖カースナイト〗を出鱈目に放ち、地面を蹴って跳んで反転する。


 いつの間にか姿を現していたバアル目掛けて、四体の青白い騎士が飛来していく。

 だが、バアルは避ける素振りを見せない。

 青白い騎士に接触する瞬間、バアルの輪郭が揺らいで空間に溶け込み、騎士達を透かしてから素早くまた実体化した。


 〖猫の不在証明〗も蜘蛛の姿のとき以上に使いこなしている!

 どうやら最低限の使用に抑えてMP消耗を抑え込む自信があったからこそ、このスキルを使ってきたようだ。


 迫ってくる。

 どうしたらいい?

 下手にMP消耗の激しいスキルを撃てば、仮に上手く当てたとしても確実に〖量子猫の選択〗による世界の上書きで回避されることになる。


 あらゆるパターンを脳内でシミュレーションするが、今のバアル相手に優位性を取り得るスキルが存在しない。

 だが、接近してくるバアルはひとまず牽制せねばならない。

 このままでは〖自己再生〗による立て直しを計ることさえできない。


 俺はバアル目掛けて〖次元爪〗を放つ。

 だが、俺の爪撃が狙った座標に到達している頃には、既にバアルは高く跳び上がっていた。

 目線を上へ向けるが、そこにバアルの姿がいない。


 馬鹿な、そんなはずがない。

 慌ててバアルを捜そうとしたとき、バアルが俺の目前へと現れた。

 視界から逃れたと同時に存在を消して、こちらを攪乱してきたのだ。

 避けきれず、バアルの爪を胸部で受け止めることになった。


「ゴォッ……!」


 浮いたところへ、尾を振り乱して追撃をお見舞いしてきた。

 全身に衝撃が走り、一瞬遅れて、自身が地面へ叩きつけられたことを理解した。


 勝てない。

 こんなに一方的に攻撃をもらっていたら、あっという間にMPが空になる。

 絶対に避けなきゃならねえ状況だったのに。


 バアルの宣告通り、そもそもが奴のスキル〖量子猫の選択〗の発動を迫るところまで追い込めない。

 どう足掻いても〖量子猫の選択〗が控えているため攻め辛いこともそうだが、今の姿になって明らかに強化された身体能力と、オンオフの流動的な切り換えが可能となった〖猫の不在証明〗があまりに厄介過ぎる。


 もう少し、もう少しなんだ。

 あと一息で倒しきれるはずだったのに、なんで今になって突然大幅な強化なんてされやがるんだよ!


『もう少しは食い下がってくるものと思っておったがこれまでか』

 

 バアルが俺を見下す。


『〖グラビティ〗!』


 俺は起き上がりつつ、辺りに超重力を展開する。


 重力だけは〖猫の不在証明〗でも透過されない。

 動きの妨害ができるのもそうだが、展開した重力に違和感が生じるため、存在を消しているバアルの座標を見切りやすい。

 MPの消耗もそこまで激しくはない。


 とはいえ消耗がゼロではないため痛手には違いないが、この状況、〖グラビティ〗を補助に頼りつつ肉弾戦でどうにかするしかない。


『ふむ、考えたものだな。これなら吾輩のスキルに対抗できると考えたわけか』


 バアルはそう口にした後に、また姿が消えた。

 〖グラビティ〗の重力で感知する猶予もなく、背後からバアルの爪撃を受けて弾き飛ばされた。

 かと思えば、次は前方から顔面にアッパーを受ける。

 俺の牙が砕け、口内から血が溢れる。

 休みなく、右から、左からと攻撃を受ける。


 回復が、追い付かねえ……!

 俺は辛うじて、砕けた牙でバアルの前脚へと喰らいついた。


「グゥウウウウ……!」


 次の瞬間、バアルの姿が消える。

 透過させられたのだ。

 空振った牙を打ち合わせることになり、尾の一撃を横っ腹へと叩き込まれた。


 吹き飛ばされて俺は地面を転がる。

 身体が、重い。

 頭が回らない。


『どうした? もっと抗え、最期の輝きを吾輩へと示すがよい』


 使えるスキル……ないのか……なにか?

 このままだと、本当にバアルの奴にまともに抗うことさえできねえ。


 一旦蘇生スキル〖胡蝶の夢〗を発動するしかないかもしれねぇ。

 いや、あのスキルは、文字化けの前科がある。

 神の声に何か時限爆弾を仕掛けられている可能性が高い。


 それにこのまま〖胡蝶の夢〗で復活してスキルを潤沢に連打できるようになったとしても、本当に今のバアルの奴を詰められるのかは怪しい。

 このままじゃ駄目だ。

 何か、奴に抗うための作戦を立てる必要がある。


 〖転がる〗で逃げ回っての時間稼ぎ……。

 意味がねぇ、バアルのMPが回復して〖量子猫の選択〗を撃てる回数が増えちまうだけだ。


 〖ヘルゲート〗での範囲攻撃……。

 こちらの消耗が激しい上に発動が遅いため、今のバアルの身体能力だと普通に逃げられちまう。

 おまけに〖猫の不在証明〗で透過してあっさり回避される可能性も高い。

 

 〖ディーテ〗や〖コキュートス〗……。

 必要ならば使うつもりだが、こちらも〖猫の不在証明〗で対応されちまう。

 MPの消耗も激しい。


 何かないのか……?

 どれだけ記憶を探っても、これまで使った覚えのあるスキルは、バアルのとんでもねえ対応力を誇るスキルの前にはほとんど無力だ。

 だったら、たとえば、俺の使ったことのないようなスキル……。


【通常スキル〖終末の音色〗】

【自身の生命力・魔力を溶かして膂力・速さへと変換する。】

【ただし、理性も溶かすため、狂乱状態へと陥る。】

【その激情は、視界に入るもの全てを無に帰すまで収まらない。】

【収まった後も、精神が変異する危険性が高い。】

【発動時には、身体から漏れ出た魔力の勢いで、奇妙な音が遠くまで響き渡る。】

【聖神教では、神の使いが楽器を用いて世界の終わりを告げるといわれており、この音はそれと同一視されている。】


 あった……。

 俺が使ったことがなくて、もしかしたら今のバアルにも対応し得るスキル。


 ここは王都の中心だ。

 こんなどうなるかわかったもんじゃないスキルを行使して本当にいいのか?


 様々な考えが脳裏を過ぎる。


 他の選択肢があるんじゃないのか?

 今の俺は瀕死の状態、バアルを倒したとして、その後に暴れるだけの余力は残らないはずだ。

 そもそもこんなスキルで勝てるのか?

 身体能力を上げるだけのスキルだ。

 細かい駆け引きや、スキルの応用はできなくなる。

 いや、今のバアル相手に、細かい駆け引きは通用しない。

 必要なのは奴を吹き飛ばせる圧倒的なステータスだ。

 俺が負ければ、この王都はバアルに蹂躙される。

 ノアの森の魔獣王だって野放しのままだ。

 ここで俺がバアルを倒さなければ、誰も奴を従える神の声を倒して、この世界を救うミーアの悲願も達成できなくなるんじゃないのか?

 ……そんなのは、ただの言い訳じゃねえのか?


 ふと、アロと、トレントが頭に浮かんだ。


 あの二人は、俺が助けに来ることを信じて、魔獣王相手に時間を稼いでいるはずだ。

 こんなところで敗れるわけにはいかねえんだ。


『終わらせてやろう!』


 バアルが駆けてくる。


 俺は、〖終末の音色〗を使用した。


 急速の奥から、急激に力が溢れてくるのを感じる。

 脳が、心地よい。

 何も考えられない。

 視界がどんどん赤く染まっていき、思考能力が溶け出していく。


 自身の身体から、黒い光が漏れ出ていく。

 身体から溢れる魔力が空気を、大地を揺るがし、奇妙な音を鳴らす。

 その音色は出鱈目に吹かれたラッパのようでもあった。


 これまでまともに追えなかった、バアルの動きが細かく見える。


『まだ手札を隠しておったか。異様なスキルだが……これまで使わんかったということは、この戦いに役立つものではなかったということ。悪足搔きであるな! そんなもので、対応できるものならば、やってみせるがよい!』


 バアルが地面を蹴り、飛び込んでくる。

 奴の姿が消え、次の瞬間には俺の横へと現れていた。


 俺は手の甲を振り乱し、バアルの奴を殴り飛ばした。

 バアルは全身を地面に打ち付けながら吹き飛んでいったが、その先で身軽に身体を跳ねさせて地面に爪を突き立てて、体勢を立て直す。


『なるほど、代償を支払い、身体能力を引き上げる、最後の手段……か。まだ足掻いてみせるとは、ほとほと面白い奴よ。どうせ数千年まともな戦いはできんようになる。今の身体を、もう少し試したいと思っておったところだ!』

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