第752話

 俺の爪が、バアルの頭を完全に捉えた。

 奴の肉が裂け、どす黒い体液が辺りへ舞う。


「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」


 人間の頭が目を回しながら絶叫を上げる。

 バアルは真っ二つになり、脳や臓物のようなものが零れ落ちた。


 やがて残った肉体も、青白い光に包まれて消え始める。


 俺はその場に立ちながら、消えていくバアルの肉片を眺めていた。


 ついに、世界最強の魔物……バアルを打ち倒すことができた。

 そのはずだった。

 だが、得体の知れない感覚が、俺を支配していた。


 なんで……経験値取得が、いつまで経っても訪れねえんだ?


 〖スピリット・サーヴァント〗でも、経験値の取得は発生する。

 それは何回も確認済みである。


 有り得るとすれば、神の声が直前で〖スピリット・サーヴァント〗の回収を行ったか……或いは、バアルがまだ生きている、ということだ。


 そのとき、背後からバアルの気配を感じた。

 俺は素早く前脚を構えながら振り返る。


『なるほど……こうなったか。清々しい気分だ。今、吾輩は、全てを理解した』


 王冠を被った巨大な猫がいた。


 間違いなく、バアルの三頭の内の一つだった猫の頭部だ。

 だが、真っ赤な瞳は、先までとは違い、真っ直ぐに俺を睨みつけている。


 俺は尻目に、光に包まれて消えていく、バアルの亡骸を確認する。

 そこには猫の頭部がなかった。


 これは奴のスキル……〖戦神の尻尾切り〗だ。


【通常スキル〖戦神の尻尾切り〗】

【身体の不要な部位を囮にして切り捨てることで発動できる。】

【敵の目を欺いて窮地を脱し、同時にHPを大幅に回復する。】

【このスキルは一度使用すると消失する。】


『……テメェが本体だったのか?』


 戦っていて違和感はあった。

 本体であるはずの蜘蛛の手足よりも、獣の腕の攻撃の方が遥かに攻撃力が高かったのだ。


 それにバアルは、極力猫の腕を隠したがっているようだった。

 あちらが本体だったからだと考えれば、その理由も理解できる。

 神の声のバアルの説明文も、今思えばバアルが蜘蛛の魔物だとは一言も書いていない。 


 バアルは戦いを楽しみながらも切り札である〖猫の不在証明〗を隠すことで、いつでも俺を殺せるように準備していた。

 本体を誤魔化して、いざというときの致命傷を逃れようと目論んでいたとしても何らおかしくはない。

 どこまでも卑怯で姑息な野郎だ。


 俺はずっと、人頭が〖念話〗を発していると思い込んでいた。

 だが、バアルは三つ頭のときはアドバンテージを活かして視界を確保するためか、どの頭も黒目をせわしなく動かしていた。

 目線で本体の見当を付けるのも困難であったのだ。


 だが、こんなもの、ただの悪足搔きだ。

 一時の凌ぎでHPを回復してもMPは消耗したままのはず。

 おまけに攻撃手段だった頭の二つを失っている。


『感謝するぞ、竜よ。吾輩は永き時の中で……一度たりとも、恐怖を覚えたことはなかった。己と対等の者と対峙したこともまた初めてであった。故に、気が付けなかった。吾輩がまだ、成長途上の未熟な存在・・・・・・・・・・であったことを』


『何を言ってやがるんだ……?』


 悪寒が走った。


『吾輩は今、幾千年の時の流れを経て……生まれて初めて、狂おしい程に、貪欲に力を欲した。吾輩のスキルが未熟であったのは、吾輩がこれまで、魂を賭して乗り越えるべき壁にぶつかったことがなかったからであったのだ。不要な肉体を切り離した今の姿こそが、吾輩のあるべき姿だったのだ! 真理を得た。吾輩は今こそ、最強の魔物の概念そのものになったのだと! 全ての時間、全ての世界の中で、吾輩は決して敗れることなく、絶対的な存在として君臨し続ける!』


 正気じゃねえ……。

 こいつは一体、何を言っているんだ?


 さっきまでのバアルも真っ当ではなかったが、思想と本体をひっくるめて、全く別の何かに変わってしまったかのようであった。


『惜しむらくは……今後永劫に、この吾輩に比類する存在が生まれんであろうことか。見せてやろう、竜よ。吾輩の到達した、絶対的な力を!』


 バアルが大地を駆け、俺目掛けて飛び掛かってくる。


 速度が更に増している……!

 しかし、さすがに蜘蛛状態のときから、そこまで大きく変わったわけではない。

 決して対応不可能なわけではないはずだ。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

〖邪なる絶対君主〗

種族:バアル

状態:スピリット

Lv :180/180(Lock)(MAX)

HP :9807/20805

MP :1322/14609

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 そしてバアルが多少回復して、戦闘の何かを掴んだとしても、MPがほとんど尽き掛けていることには間違いない。

 俺の方が余裕がある。


 頭の二つを減らした以上、バアルは単調な戦術しか取ることができない。

 多頭の魔物は、頭を失った時点で、各頭の担当しているスキルが使用不可能に陥るはずだ。

 少なくとも俺がウロボロスのときはそうだった。


 バアルはもう魔法の並行発動みたいなインチキ臭い戦い方もできない。

 単純な殴り合いなら、MPを多く確保しており、〖自己再生〗を多く打てるこちらの方が優位である。

 何せ俺は相打ちでいいのだ。

 攻撃を受けても、殴り返せるなら〖自己再生〗の差で着実に俺の勝利へ傾いていく。


 俺は〖カースナイト〗を発動すべく、魔法陣を展開する。

 このスキルは単純に四つの追尾効果を持つ魔弾として、近接戦において大きなアドバンテージとなる。


 バアルは俺の魔法陣を見ても、怯まず直進して迫ってくる。


 俺はバアルへと飛び込むと同時に、飛来中に準備していた魔法を発動する。


 〖カースナイト〗を発動する。

 俺の展開した魔法陣を中心に四つの光が浮かび上がり、それぞれが人外の騎士の輪郭を象った。


 四体の騎士は空中を駆けて、各々の方向からバアルへと突撃を試みる。


『必要もないが、貴様への手向けだ。見せてやろう……吾輩の到達した真理を!』


 バアルは〖カースナイト〗を避けなかった。

 四体の騎士の突撃を全身で受け止めた。

 青白い爆炎が、バアルの身体を包み込む。


「ブルワァァアアアッ!」


 バアルが激痛に耐えかねて咆哮を上げる。

 毛皮が削げ落ち、肉体から黒い体液が舞う。


 何をやってやがるんだ……?

 バアルの身体能力ならば、無防備に全弾を受けるようなことは有り得ないはずだ。

 〖猫の不在証明〗で存在を消して、透かす手もあった。

 なぜ俺の目前で、無防備に攻撃を受ける意味があったんだ?


 いや、考えたって仕方がない!

 これは最大の好機だ!

 俺は違和感を覚えつつも、爪を振りかぶり、体勢の崩れたバアルへと叩きつけた。


 確かに俺の爪は、バアルの首を掻き切った。

 バアルの頭部が地面へと落ち、投げ出された胴体が地面を転がった。


 勝った……のか?


 その瞬間、バアルの頭部と胴体が空間ごとぐわんと揺らぎ、その場から姿を消した。


 何かの幻影スキル……?

 有り得ない。

 夢幻竜オネイロスを経由した俺は、幻影への完全耐性を有している。


 直後、背中に重い爪撃を受けた。


「グゥオオオオッ!」


 地面へと叩き落とされた。

 全身の骨が軋む。

 何が起きたのか理解が追い付かないが、このままでは不味い。


 体勢を整える余裕はない。

 素早く地面を転がってその場から離脱し、地面を蹴ってバアルの方を振り返った。


 バアルは俺を追うわけでもなく、神殿のような建物の屋根に立っていた。

 〖カースナイト〗の負傷も、俺が叩き斬ったはずの首も、何事もなかったかのように元通りに再生している。


『ああ、身体が軽い……。今、ようやく理解した。あの蜘蛛の肉体は、吾輩に課せられた試練……枷でしかなかったのだと! なんと動きやすい、心地よき肉体よ! あの醜き二頭を切り離した今の姿こそが、吾輩の真の姿……! 幾千年、吾輩が制御できんかった二つのスキルを、ついに完全に我が物にできたのがその証拠よ! 称えるがいい、竜よ。これから永劫にこの世界の頂点に君臨する、戦神の誕生に!』


 バアルの制御できなかった、二つのスキル……。

 恐らくその片割れは〖猫の不在証明〗だ。

 バアルはどうにもあのスキルに違和感を覚えているようだった。


 そしてもう一つは、恐らく〖量子猫の選択〗だ。


【通常スキル〖量子猫の選択〗】

【分岐世界として存在し得る自己の状態をこの世界に上書きする。】

【ただし、発動には膨大なMPを消耗する。】


 これまで使ってこなかった謎のスキルだ。


 バアルの言葉を信じるのならば、どうやらこれまでまともに扱うこともできなかったものだったようだ。

 この土壇場で、初めての敗北を予期したバアルが、不要な肉体を切り離したことでようやく使用可能になったものらしい。


 説明が抽象的過ぎるが、今の動きを見るに……あらゆる受けた攻撃を帳消しにして、即時に好きな座標へと転移できるもののようだ。

 馬鹿みたいに発動時間が掛かる上に射程が短く、挙げ句に転移先を敵に提示することになる俺の〖ワームホール〗さんが泣いている。


 今、バアルは、明らかにわざと俺の攻撃を受けていた。

 よほど新スキルを自慢したかったのか、本当に自分が使えるのか試してみたかったのか。

 だが、次は易々とは受けてくれないだろう。


 こちらは一方的にスキルを使わさせられてMPを消耗し、やっとの思いで攻撃を通せば〖量子猫の選択〗で無効化された挙句、不可避の反撃を受けることになる。

 最後の最後で、とんでもねぇクソゲーを強いてきやがった。


 だが、勝ちの目がないわけじゃないはずだ。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

〖邪なる絶対君主〗

種族:バアル

状態:スピリット

Lv :180/180(Lock)(MAX)

HP :9921/20805

MP :1014/14609

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 MPが大きく減っている。

 バアルが〖量子猫の選択〗を発動できるのは、せいぜいがあと三回程度だ。


 バアルが最初から猫状態でなくてよかった。

 万全の状態からこんなクソスキルを有していたら、確実に今の俺でもまるで歯が立たなかったはずだ。

 確かに今俺がバアルを仕留め損なった場合、金輪際二度とこいつを倒せる神聖スキル持ちは現れないかもしれない。


 ただ、問題は二つある。

 一つ目はただでさえ〖量子猫の選択〗が厄介な上に、バアル自身が現在の肉体を手にして身体能力が引き上げられていることだ。


『……覚醒するのがちょっとばかり遅かったみてえだな、クソ猫』


『強がりであるな。瀕死の貴様を屠るのに、もうこのスキルは使いはせん』


 二つ目は、今の肉体を有してから、バアルが明らかに自身の敗北を考えなくなっていることだ。

 相当な自信があるらしい。

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