第751話
「オオオオオオオオオオオ!」
「オオオオオオオオオオオ!」
周囲から人面蜘蛛共が迫ってくる。
だが、そちらに意識を割いている余裕はない。
気を抜けば、その瞬間に存在を消したバアルの〖次元爪〗が飛んでくる。
俺は飛び回りながら、必死に周囲の違和感を探る。
突然足許が抉れて、大きな亀裂が走った。
間違いなくバアルの〖次元爪〗である。
爪痕から方角を見定めて〖次元爪〗をお返しするも、まるで何かに当たった気配はない。
慌てるな……このスキル、〖猫の不在証明〗は万能ではない。
膨大なMPを消耗するとスキルの詳細にも記されていた。
バアル自身が漏らした弱点も存在する。
『空間に違和感が生じた……? 同じく時空系のスキルを有する魔物だからか? やはりこのスキルは、吾輩の力を以ても、完全に制御することができんのか?』
バアルの言葉だ。
俺の一つ前の進化形態……オネイロスは、元々空間を操る力を持つ。
オネイロスのスキル〖次元爪〗は奴を捉えることができたし、オネイロスを経由したことで〖猫の不在証明〗によって生じた違和感を知覚するための力が、俺に備わっていてもおかしくはない。
少なくとも〖猫の不在証明〗による存在隠匿は完璧なものではない。
そしてもう一つ、バアルは完全にはあのスキルを制御できていない。
バアルは『
先のバアルの座標を暴けたのが偶発的なものだったとしても、元々バアルはこのスキルに対して何かしらの不信感を抱いていたのだ。
絶対に、このスキルには隙がある!
考えろ……どんな仮説でもいい!
このままじゃ一方的に嬲り殺しにされるだけだ!
轟音と共に、俺のすぐ目前の地面が裂ける。
どうにか〖次元爪〗を避けられたらしい。
だが、安堵する間もなく、目の前で、突然二つの魔法球が衝突した。
〖ファイアスフィア〗と〖アクアスフィア〗だ。
『しまっ……!』
バアルの狙いは〖次元爪〗での足止めから、確実に水蒸気爆発で俺を吹き飛ばすことにあったのだ。
至近距離で炸裂した爆風に呑まれ、体表が焼き尽くされ、後方へ吹き飛ばされる。
バアルも〖猫の不在証明〗にはそれなりのMPを用いているはずだ。
このスキルに対して、絶対の信頼を置いているわけでもない様子であった。
長引いて欠点が暴かれる前に、確実にこの隙を突いて仕留めに来るはずだ。
どこだ、どこから来る?
俺がバアルであれば、確実に意表を突ける方法は……!
死角……いや、上か、下か?
ふと、咄嗟に閃いたことがあった。
〖次元爪〗が当たるのであれば、他にバアルへと当たるスキルもあるはずだ。
次元を超えて……かつ、広範囲を対象にできる、空間を操るオネイロスへと進化した際に得たスキル。
確証はなかったが、俺の手札で〖猫の不在証明〗に抵抗できるものがあるとすれば、恐らくこれしかない。
『〖グラビティ〗!』
俺を中心に、重力の黒い光が広がる。
重力は空間そのものを歪ませるため、別の次元にも干渉することができる。
恐らく、前世でちらりと耳にしたことがあったことなのだろう。
これが本当にバアルへと当たるのかどうかは賭けだった。
正面に違和感があった。
俺の発した重力場が、目に見えない何かを捉えた。
「グゥオオオオオオオッ!」
俺は人面蜘蛛共を押し退けて前方へと飛び、前脚を突き出して〖次元爪〗を放った。
空間が歪んだかと思えば、その空間はバアルの輪郭を模し、すぐに元の色を取り戻した。
『有り得ぬ……何故、この吾輩が……!』
続けて、鉤爪で直接人頭を殴り飛ばす。
『しぶといんだよ……いい加減くたばりやがれぇっ!』
逆の前脚を素早くバアルへ叩き込む。
人頭がどんどん変形していく。
『それはこちらの言葉である! スキルが暴かれようが……接近を許そうが、吾輩の方が圧倒的に地力で勝っておるのだ!』
バアルの両側についている獣の腕が、俺の頭部を殴り抜いた。
眼球が潰れ、顎が砕け、牙がへし折れた。
ぶっ飛ばされそうになったが、俺は展開していた〖グラビティ〗を自身に掛けて、自分の身体をその場に固定する。
即座に続けて鉤爪をぶち込んでやった。
「ゲェエエエエエエッ!」
ヒキガエルの舌が、俺の右前脚を掴む。
続いて首目掛けて至近距離より放たれた〖断糸〗を、俺は身体を竦めて回避する。
俺はヒキガエルの舌へと右前脚の爪を突き立てながら巻き取り、奴の身体を大きく引っ張る。
同時に〖コキュートス〗の魔法陣を展開して奴の身体を狙う。
『ぐううう……!』
バアルが強引に身体を動かし、舌越しに俺を引き摺って〖コキュートス〗から逃れようとした。
俺は地面を蹴って宙へと飛び、尾でバアルの本体を〖コキュートス〗の魔法陣へと叩き込んでやった。
ヒキガエルの頭部の一部と、脚の半分が、突然現れた氷山に捕えられ、氷漬けになった。
バアルの存在が消え、俺の右前脚がヒキガエルの舌から解放される。
〖猫の不在証明〗で〖コキュートス〗から逃れやがった。
だが、こんな目の前で使われても痛くも痒くもねぇ。
テメェの移動先……〖グラビティ〗で見なくたって見当が付く。
俺は何もない空間目掛けて〖次元爪〗をお見舞いした。
体液を噴き出し、バアルの輪郭で空間が歪み、すぐに奴が姿を現した。
『何故、吾輩の移動先が……!』
『本気出したことねえってのは強がりじゃないらしいな。余裕がなくなるにつれて、どんどん動きが単調になってるぜ。虫けら踏み潰すのは得意でも、命懸けの駆け引きはできねぇらしい』
姿を晒したバアルの顔面へと、俺は握り拳を叩きつける。
真正面で捉えた。
バアルの身体が大きく飛んでいき、地面に身体を打ち付けて転がった。
俺の身体も限界が近いようだ。
魔力を絞り出しても、出力が安定しない。
〖自己再生〗もどんどん遅くなっている。
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〖イルシア〗
種族:アポカリプス
状態:通常
Lv :156/175
HP :5549/14018
MP :2942/11345
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
だが、それ以上に、バアルの奴も完全に底が見えている。
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〖邪なる絶対君主〗
種族:バアル
状態:スピリット
Lv :180/180(Lock)(MAX)
HP :3252/20805
MP :1573/14609
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
既にもう、ほとんど決着は着いたようなものだ。
バアルのMPは残り一割近くまで減少している。
『有り得ぬ……吾輩は、絶対の存在……こんなところで、敗れるはずが……!』
バアルのヒキガエルの頭部は、半分凍傷で潰れている。
蜘蛛の脚もヒキガエルの側は壊死しており、すぐにはまともに動けないだろう。
『玉座に胡坐を掻く、絶対王者でしかなかったのがテメェの最大の弱点だ! 背負ってるものが違うんだ。早々に神の声に屈して享楽のためだけに生きながらえてるテメェと、世界を懸けてアイツを倒すために格上に挑み続けた、俺の差を叩き込んでやるよ!』
俺は地面を蹴り、バアルへと迫った。
『背負っているものが、違うだと……?』
猫の頭が俺を見上げる。
焦点の定まらなかった奴の目が、俺の顔を睨んでいた。
しかし、その顔は、怒りや諦観ではなかった。
底知れない、バアルの邪悪さを感じさせるものだった。
『認めてやろう……竜よ。全力を以てして挑んでいるはずが、尽く打ち崩される。今から立て直そうとも、既に体力が、魔力が足りていないという現実……ああ、この感情が、今までこの吾輩が世界に与え続けてきたもの、恐怖だというのか! だとすれば、何という愉悦よ! だが、勝つのは吾輩だ!』
バアルが魔法陣を展開する。
奴の身体を、黒い光の障壁が包んでいく。
黒い光はやがて完全な球体となり、それはまるで月蝕の黒き月を連想させた。
俺はこのスキルに覚えがあった。
【通常スキル〖エクリプス〗】
【光の世界を蝕む、闇の魔法。】
【極限まで高められた魔力は、世界の法則さえ揺るがせる。】
【〖エクリプス〗の黒光を浴びた地は、永遠に死の呪いに侵される。】
光を喰らい尽くす、闇の光。
だが、このスキルは、俺は使ってこないだろうと考えていた。
何故ならば、今の状況で発動しても意味がないどころか、バアル自身を追い込むことになるからだ。
〖エクリプス〗の球体は簡単には破壊できない。
最強クラスの闇属性の攻撃魔法を周囲へ出鱈目に放射する、最強の矛と盾を掛けている。
だが、対象から距離を置かれれば、簡単に対応される。
ミーアに使われたときに脅威だったのは、逃げ場のない塔の中だったからだ。
バアルがこの状態で使っても意味がない……と、そこまで考えて、ようやく奴の狙いに気が付いた。
『背負っているものが違うというのならば、止められるものならば止めて見せよ!』
バアルは、この王都アルバンそのものを〖エクリプス〗でぶっ飛ばすつもりだ。
俺が本気で逃げれば、別に無傷でアルバンを脱せるだろう。
だが、バアルは、王都アルバンそのものを俺に対して人質に取り、俺が〖エクリプス〗の防御壁を突破せざるを得ない状況を作ったのだ。
アレが容易く突破できるものでないことは、ミーアを相手取った俺がよく知っている。
あのときはトレントのカウンタースキルで〖エクリプス〗の光自身をお返しして突破することに成功したが、今はトレントはこの場にいない。
接近して破壊を試みた俺を、〖エクリプス〗の黒光で返り討ちにする狙いらしい。
『貴様が吾輩の〖エクリプス〗を壊そうとするのならば、我が闇によって滅ぼしてくれる! もし背負っているものとやらを捨てて逃げ出すのであれば、それでも構わぬ! 信念の折れた貴様を屠ってやるまでよ! さあ、どうする!』
『それが自称絶対王者様のやることかよ!』
『当然! 己のためだけに、一切の手段を選ばんからこそ、吾輩は絶対的な個なのだ! 目障りな貴様という光を、我が〖エクリプス〗を以てこの世界諸共喰らい尽くしてくれるわ!』
最悪の、最後の悪足搔きに出てきやがった。
ミーアの〖エクリプス〗は〖次元爪〗でもまるで歯が立たなかった。
直接手で触れれば、闇の魔力の呪いで俺の身体が滅ぼされるという確信があった。
無理だ……。
ここで犬死にするわけにはいかねぇ。
ここで王都アルバンを見捨てれば、俺はバアルの奴を確実に仕留められるはずだ。
信念の折れた俺なら仕留められるとバアルは豪語していたが、既に奴はHPもMPもほとんど底を尽きている。
燃費の悪い〖エクリプス〗を無駄撃ちすれば、確実にまともな余力は残らない。
そのことはバアルもわかっている。
俺が逃げれば無駄な真似は止めて、元の一騎打ちへと戻るはずだ。
そもそもが、この王都アルバンは既に壊滅状態だ。
人面蜘蛛に喰い荒らされ、戦いの余波で周辺の建物も吹っ飛んでいる。
今更〖エクリプス〗をぶっ放されたって、被害の規模でいえばそこまでは変わらない。
『……そんな言い訳じゃ、俺自身を納得させられねえよな』
俺は地面を蹴り、垂直に飛び上がった。
遥か下の地上に〖エクリプス〗の球体が見える。
俺は〖竜の鏡〗で前脚の形を、手へと変えた。
『〖アイディアルウェポン〗』
俺の手へと光が宿る。
【通常スキル〖アイディアルウェポン〗】
【自身の理想の武器を夢の世界より持ち出すことができる魔法スキル。】
【性能は魔法力とスキルレベルの高さに大きく依存する。】
【使用中は持続的に魔力を消耗する。】
【術者の手元から離れたとき、この武器は消滅する。】
俺の手へと宿った光は、すぐに赤黒い無骨な大剣へと形を変える。
【〖黙示録の大剣〗:価値L+(伝説級上位)】
【〖攻撃力:+666〗】
【世界を終わらせる竜の体表と牙を用いて作られた大剣。】
【その悪しき魂が封じられており、斬られた者は地獄の炎に包まれる。】
俺の最大火力で〖エクリプス〗の光の殻をぶち破る。
できるのかどうかなんて、知ったこっちゃねえ。
ただ、ここでやらなきゃ、俺が俺じゃなくなる。
それはバアルの奴に言われなくたって、俺が一番よく知っている。
大量の人間を見殺しにして、街を見捨てて敵の攻撃を凌いだなんて、その後まともに戦える状態じゃなくなるだろうことは、容易に想像が付く。
ここでやらなきゃ、俺はどの道バアルを倒せねえ。
俺はバアル目掛けて、一直線に降下する。
途中で〖グラビティ〗を三度発動し、黒い光を円状に展開して、自身に掛かる重力を引き上げて落下速度を上昇させる。
〖エクリプス〗の球体から、幾つもの闇の光が放たれる。
俺はそれを、身体を逸らして紙一重で躱していく。
『馬鹿め! まさか本当に来るとはな! 世界を背負っている? くだらぬ! そんな戯言をほざいておるから吾輩に負けるのだ! 吾輩は、己のためだけに戦っておる! だからこそ強いのだ! 貴様では我に勝てぬ……!』
『〖闇払う一閃〗!』
【通常スキル〖闇払う一閃〗】
【剣に聖なる光を込め、敵を斬る。】
【この一閃の前では、あらゆるまやかしは意味をなさない。】
【耐性スキル・特性スキル・通常スキル・特殊状態によるダメージ軽減・無効を無視した大ダメージを与える。】
刃に眩い光が宿り、〖エクリプス〗の闇を照らし、掻き消していく。
俺はそのまま大剣を振り切り、闇の球体を叩き斬った。
確かに球体の表面上に斬撃が走ったのが見えた。
だが、次の瞬間、俺は全身に反動を感じて吹き飛ばされた。
大剣が手から離れる。
その直後、大きな爆発が起きた。
意識が、眩む。
俺は辛うじて、その場に立っていた。
翼や身体の肉は削げ落ち、全身を激痛が支配している。
目の前には、バアルが地面へと伏せていた。
八つの脚がバラバラになって焼け焦げている。
『……何が、起きたのだ? 吾輩が……吾輩が全てを、あらゆる手を尽くして……目前の竜如きに、敵わんかったというのか?』
やった……俺は、バアルの〖エクリプス〗を、正面から破壊することに成功したのだ。
俺はバアルへと駆けながら、呼吸を整える。
「グゥオオオオオオオオオッ!」
地面を蹴ってバアルへと飛び掛かり、奴の人頭の額へと爪を突き立てた。
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