第749話

「ンゲェェェッ!」


 潰れた顔面でヒキガエルが叫ぶ。

 さすがに尾の一撃と〖次元爪〗を立て続けに受けては無事でいられないはずだ。


 どうせすぐ〖自己再生〗で帳消しにされるのはわかり切っている。

 だが、刹那の間とはいえ、あの厄介なヒキガエルの舌がなくなるのは大きい。

 あの舌は単純に速すぎる。

 加えてバアルが同時に展開できる手数が一つ減ったことの意味も大きい。

 

 行儀よくあれこれ考えている場合じゃねえ。

 順当にいけばステータスが勝敗に直結して負けるだけだ。

 今はどれだけリスキーだろうが、この有利状況の間にガンガン接近戦を仕掛けて、このままぶっ倒すつもりで一発でも多くの打点を取る!

 

 俺は〖ディーテ〗のスキルで、自身の頭上に黒い巨大な炎球を浮かべる。

 対してバアルは、炎球と闇球を浮かべる、

 〖フィアスフィア〗と〖ダークスフィア〗だ。


 バアルが距離を置きたいこの状況で〖アクアスフィア〗による水蒸気爆発を狙わなかったのは、恐らく水系のスキルはヒキガエル頭専用であり、奴が今細かい制御ができないと判断してのことだろう。


 互いの魔法球が衝突し、両者の間で爆炎が上がった。

 魔法球が威力はこちらが僅かに勝っていた。

 バアルは爆炎に圧され、後方へと跳ぶ。

 俺は炎を突っ切り、更に奴へと迫った。


 純粋な魔法力ではバアルの方が上だ。

 だが、あの三つの頭で手数が増える分、どうやら並行発動の際には一発一発の威力はむしろ下がっている。

 アポカリプス専用魔法らしい〖ディーテ〗の魔法スキルであれば、バアルの魔法球の二発程度であれば押し切れると見た。


『今でも自分が格上だってほざけるかよ蜘蛛お化け!』


『馬鹿め……吾輩が誘い込んだのだ!』


 負け惜しみ……しかし、それだけではないだろう。

 ヒキガエルがいなかった分、魔法の衝突でスキルの単発火力に長けた俺に軍配が上がった。

 だが、バアルがその先への対応を考えていなかったわけではないようだ。


 バアルの蜘蛛の脚の前側の四本が、俺へと向けて起き上がっている。


 続けてバアルの人間の頭が、俺へと向けて首を振った。

 空中に微かに光る十字の線が走る。

 これは奴のスキル……〖断糸〗だ。


 バアルは互いのスキルの爆風を利用して背後に逃れた隙に、飛び込んでくる俺を迎え撃つための準備を終えている。


 一度退くべきか、否か。

 その答えは既に出した後だ。


「グゥォオオオオオッ!」


 俺は地面を蹴って宙で身体を捻り、奴の放った〖断糸〗のスキルを回避して一気に距離を詰める。


 とにかく順当に戦いを進めさせるな。

 互いが十全な準備を一撃に込めれば込める程、この戦いはステータスの勝負になる。

 休みなく、絶え間なく畳み掛け続けろ。

 仮にその結果、一撃で返り討ちに遭おうが、この戦い方が最も分のある戦法であることに変わりはないはずだ。


『馬鹿めが! 屑肉にしてくれるわ!』


 バアルの前脚が、それぞれ別の方向へと動く。

 四連〖次元爪〗だ。

 速度の劣る〖断糸〗で一旦行動範囲を大まかに潰した後、確実に〖次元爪〗を当てに来やがった!


 俺は翼を畳み、身体に加えた捻りでそのまま側転してバアルへと突撃する。


 身体の端に爪撃が走る。

 体表が裂かれ、引き剥がされる。

 無数の激痛に刻まれることになった。


 だが、奇跡的に浅く済んでいた。

 指や骨を一部削られたが、こんなものは〖自己再生〗ですぐにでも誤魔化しが効く。

 先に受けたバアルの〖次元爪〗より威力自体もかなり低くなっているように思う。

 

 恐らく今の動きは、俺に脅しを掛けて、飛び込みを牽制するのが目的だったのだ。

 それ故、〖次元爪〗の初動が一瞬遅れて俺を捉えきれず、威力も中途半端なものになったのだろう。

 

 距離は再び詰めた。

 だが、バアルは接近戦が弱いわけではない。

 殴り合いに長けた身体ではないものの、強靭な身体能力と、三つの頭による魔法攻撃の援護射撃が飛んでくる。


 俺はバアルへと飛び込むと同時に、飛来中に準備していた魔法を発動する。

 俺の展開した魔法陣を中心に四つの光が浮かび上がり、それぞれが人外の騎士の輪郭を象った。

 〖カースナイト〗である。


【通常スキル〖カースナイト〗】

【魔力の塊より、強い呪いを帯びた騎士を生み出す。】

【騎士は衝撃を受けるか、対象の敵への攻撃に成功した際に爆ぜ、周囲に呪いを撒き散らす。】

【飢餓や狂乱状態を与える他、相手の魔法力が低い場合には死を、場合によっては対象の肉体を術者が操ることもできる。】


 四体の騎士は空中を駆けて、各々の方向からバアルへと突撃を試みる。


 単純に四体手数が増える上に、各々が自律行動で敵を追尾してくれる。

 おまけにその威力は決して低くはない。

 状態異常の付与はどうせ耐性ガチガチの上に格上のバアルに対しては機能しないだろうが、それでも充分に凶悪な性能を誇る。


 中距離で強力なのは勿論だが、今回のように肉弾戦との併用でこそ真価を発揮すると俺は考えている。

 ステータスに開きがあるとはいえ、四体の騎士を往なしつつ、俺の直接攻撃へと対応するのは、奴にとっても困難なはずだ。


『面倒なスキルを……!』


 バアルの放った〖断糸〗が一体目のカースナイトを切断し、二体目のカースナイトを足で押し退けて遠くへと突き飛ばす。

 だが、三体目と四体目のカースナイトがバアルの身体に着弾し、青白い爆炎を上げた。

 

 正面の人間の顔の唇が微かに動く。

 どうやらスキルの初動を見切られていると考えて動きを抑えているらしいが、アレは〖断糸〗の前動作である。

 三体目と四体目のカースナイトは敢えて己の身体で受け止め、接近してくる俺への迎撃に意識を割いているようだ。

 肉弾戦と〖断糸〗の併用で俺を返り討ちにする算段だろう。


 だが、今更そんな小細工で初動を隠させるとは甘く見られたもんだ!


 俺は奴の〖断糸〗を避けるため身体を左に傾け、左の前脚で奴の人間の頭部を引き裂こうとした。

 だが、振り上げた前脚が、指の狭間から足首の根の方まで、綺麗に切断されることになった。

 激痛が熱となって、俺の身体に響く。


 バアルが隠したかったのは、〖断糸〗の発動タイミングではなく軌道の方……!

 前動作に生じる違和感を、狙いを誤魔化すことで打ち消してきた。

 わざとらしいフェイントは意図が透けると考え、細部に罠を仕込んできた。


 一手後れを取った。

 だが、これは、俺を玩具と見ていたバアルが、遂に戦いに本気にならざるを得ないと判断した証左でもある。


 前脚が半分に裂かれたくらいなんだ!

 俺は気力で左前脚の筋肉を引き締めて肉を引き合わせつつ、〖自己再生〗での素早い修復を行いながら、そのまま奴の人間の頭部を引き裂いてやった。


 さすがに左前脚を下げて、右前脚での攻撃に出ると考えていたのだろう。

 真正面から堂々と迫ってきた爪撃に対して、バアルはあまりにも無防備で受け入れることとなった。


 奴の顔面に、鋭い三本線が走る。

 顎と頬の骨が抉れ、顔が崩れている。

 抉れた片方の眼球が、黒い体液と共に零れ落ちる。


「オオオオオオオオオオオオオオッ!」


 人間の頭部が吠える。

 

 さすがに今のは効いたはずだ。

 ダメージもそうだが、メンタルにも響いている。

 格下扱いしていた俺相手に散々出し抜かれてヒキガエルの頭部の機能を麻痺させられ、挙げ句に近接戦での本体の人間の頭部へ直接大ダメージを叩き込まれるに至ったのだ。


 続く俺の爪撃を、バアルは蜘蛛の多脚で防いでいく。

 このまま戦いの主導権を握りたかったが、速さと数で劣っているのが痛い。

 細かい脚の掠り傷が、俺の身体を傷付けていく。


 ただ、予期していた程の重いダメージはない。

 一度〖次元爪〗で受けた際と比べて爪が小さいように思う。


 先もそうだったが、多脚の手数を優先して戦っている際には体勢が崩れて威力が乗り切らないのか?

 或いは、バアルが何か、手札を隠して戦っているのか……。


 スキルは一通り確認しているため考え過ぎだとは思うのだが、仮に名称と説明文からは予期できない応用方法があったり、他のスキルとの組み合わせがあれば、見落としている可能性はゼロではない。

 もっともバアルにとっても、そこまで武器を隠すだけの理由があるとは思えないのだが……。


「ゲエエエエエエエエエッ!」


 そして遂に、〖次元爪〗でぐちゃぐちゃにしてやったヒキガエルの顔面が〖自己再生〗によって完全復活した。

 せっかく人間の頭部へダメージを叩き込んでやったのに、これで状況が一歩後退した。


 待っていましたといわんばかりに、ヒキガエルの口から高速の舌が飛来してくる。

 俺の右前脚を拘束して、大きく外側へと引いて体勢を崩しに来た。

 やっぱりこいつの舌が厄介すぎる。

 何回見ても、速い上に動きが的確で避けられる気がしない。


 合わせてバアルの多脚が、俺の肉体を引き裂こうと迫ってくる。

 俺は辛うじて左の前脚の爪で弾き、肩で受け止めることでダメージを抑える。


『〖グラビティ〗!』


 バアルを中心に黒い魔法陣が展開される。

 重力で押し潰す魔法……!

 舌で拘束した上で、重力で俺の動きを鈍くして、確実に近接戦で優位に立ちに来た。


 ただでさえステータス振りを背負った状況で奴の重力魔法下でまともに戦えば、まず勝ち目はない。


 かといって距離を置けば、安全に奴の頭部の損傷の回復を許すことになる。

 どころか奴の重力から脱する際に、相手に追撃の好機を与えることになる。


 どちらに転んでも俺の不利に働く。

 こちらも〖グラビティ〗を展開しても、魔法力の差がある分、俺の不利は覆らない。


 だが、既にこの対策は考えている。

 〖グラビティ〗を撃たれる度に状況リセットと不利を背負わされていたら、堪ったもんじゃねえ。

 多少博打な手であっても、相手に有利カードを握らせ続けるわけにはいかない。


『〖ヘルゲート〗!』


 黒い魔法陣が広がり、俺を中心に周囲一帯へと黒炎が広がり、そこにバアルも巻き込まれることになった。

 黒い炎は、黒い巨大な人骨の剣士達を模していき、彼らの虚ろな眼窩はバアルへと向けられていた。


【通常スキル〖ヘルゲート〗】

【空間魔法の一種。今は亡き魔界の一部を呼び出し、悪魔の業火で敵を焼き払う。】

【悪魔の業火は術者には届かない。】

【最大規模はスキルLvに大きく依存する。】

【威力は高いが、相応の対価を要する。】


 消耗は激しく、HPにも響くスキルだ。

 発動時に下手に攻撃を受ければ、そのままあっさりと殺されかねない。

 強力だが、それ以上にリスキーなスキルでもある。


 だが、〖グラビティ〗以上に広範囲へと、自身にとって有利なフィールドを展開できる魔法である。

 バアルとしても自身が〖グラビティ〗を展開したとしても、この場所でそのまま戦うことは許容できないはずだ。


『チイッ!』


 ヒキガエルの頭が後方を向き、俺の腕を拘束していた舌を解除した。

 そのまま遠くの建物目掛けて舌を射出して絡み付け、素早く縮めることでその場から逃れようとする。

 バアルの巨躯が、地獄の炎の中を飛ぶ。


『逃がすかっ!』


 俺は地面を蹴り、バアルへと追撃を試みる。


 振るった右前脚が、蜘蛛の多脚に防がれる。

 だが、爪を立ててそのまま掴んでやった。

 バアルが俺の身体を引き摺る構図になった。


 〖ヘルゲート〗からは脱されたが、しかしそれでも、〖自己再生〗が不完全な内に捕えることができた。


『捕まえたぞ蜘蛛野郎!』


『しぶとい奴め……!』


 バアルが他の前脚を持ち上げ、俺への攻撃を試みる。

 それよりも先に、俺の左前脚が、人頭の顔面を捉えていた。

 顔の下半分を殴り潰した感触があった。


 さすがに手痛いダメージが入ったはずだ。

 続けざまに連撃をぶちかましてやろうと考えていたのだが、左前脚が上手く動かない。

 目線を落とせば、黒い糸が纏わりついているのが見えた。


 人頭の顔面を殴ったときに、糸を擦り付けられたのだ。


『こんなもん……!』


 振り解こうとしたが、想像以上に頑丈なようだ。

 びくともしない。


『残念であったな。吾輩の糸は、そう容易く振り解けはせんぞ』


 蜘蛛の脚が、人頭の頭を支え、砕けた顎の口を動かす。

 射出された糸が、俺の胸部と右前脚、後ろ足へとこびり付いた。

 身体の自由が効かなくなった俺は、そのままバアルに引き摺られることになった。


「グゥッ……!」


 尾を持ち上げて即座に攻撃に出ようとしたが、そちらへも素早く糸を吹き掛けられる。

 俺が完全に身動きが取れなくなったところで、バアルはヒキガエルの舌の伸縮を利用した移動を止めた。

 地面に投げ出された俺の身体が転がり、地面に叩きつけられる形になった。


『貴様の戦い方と性格は読んでおった。あそこで〖グラビティ〗を撃てば、むしろ深追いしてくるとな。超重力下で動きを制限して、前脚で誘導して……敢えて吾輩の人頭を殴らせたのだ。少しばかり状況は変わったが、まあ結果は想定通りであったな』


 バアルの三つの頭部が俺を見下ろす。

 人頭がどんどん再生していき、潰れた顔面が元通りになり、邪悪な笑みへと変わっていった。


『強引な突撃を繰り返すのは吾輩のような格上を相手取る上で、勝ち目を絶やさないためには必要な戦略といえる。それを徹底できるとは、大した勇気の持ち主と認めてやろう。だが、当然吾輩は、それを踏まえた上で罠を張ればいい。これが王者の優位性というものだ』


 俺の身体が、一人でに持ち上がる。

 奴のスキル……〖マリオネット〗だ。

 アトラナートも持っていた。

 糸で拘束した相手を、自在に操ることができる。


 こいつ……単純にステータスやスキルで強いだけじゃねえ。

 今まで俺がぶつかって来た中でも、トップレベルで戦術に長けていて、狡猾な野郎だ。


 慢心は見えるが、それ以上の実力を持ち、ばかりかこの状況においても、手札や優位性を隠し、どこか常に保険を掛けて戦っている。


『いや、少しばかり本気にさせられたぞ。吾輩が小細工を弄して戦うことになるとは。そこそこ・・・・だったとは認めてやろう。まあ、せいぜい、今まで吾輩に挑んで散った者の中で、三番目程度といったところか?』


 バアルの三つの頭部が、それぞれの魔法球を浮かべる。

 〖ダークスフィア〗、〖ファイアスフィア〗、〖アクアスフィア〗だ。


 対して俺も〖ディーテ〗で地獄の炎球を浮かべる。

 バアルの三つの頭が口を開けて哄笑を始めた。


『それでどうするというのだ? 吾輩の魔法球を相殺するか? 本体を狙ってみるか? どちらであっても、身体の自由を失った貴様が放つ魔法など、怖くもなんともないが……』


 バアルの言う通り……そんなことをしても〖ディーテ〗を往なされて、直接攻撃でその後に引き裂かれるのは目に見えている。


『おおっと、それとも、自分に当てて強引に糸を解除してみるかな? んん? 自爆発動など、意表を付けなければ愚の骨頂……敗者の悪足搔き! 自身のHPとMPを投げ捨てて、大きな隙を晒す。当然吾輩は、その後にズタボロの貴様を八つ脚で引き裂く準備はできているがな』


 バアルが三つの魔法球を俺へと放つ。

 

 やはりバアルは頭が回り、そしてそれ以上に傲慢で、底意地の悪い野郎だった。

 相手の行動の裏の意図を読み、希望を見せた上で、直前になってそれを取り上げる。

 それを完全に熟せるだけの知性を有している。


 もしバアルにもまだ〖ステータス閲覧〗があったり……〖スピリット・サーヴァント〗に自我を奪われて完全な戦闘マシーンになっていれば、俺に付け入る隙はなかっただろう。


 俺は〖龍の鏡〗で、自身の姿を小さな、小さな……ベビードラゴンへと変えた。

 俺の全身を覆っていた蜘蛛の糸の拘束が解ける。


【特性スキル〖竜の鏡〗】

【周囲の光、空間を歪め、姿を変えることができる。】

【敵を引き付けたり、気配を小さくすることもできる。】

【また、他の身体を変形させるスキルと併用することで、MP消耗を大幅に抑えることができる。】


 俺は掌の先に〖ディーテ〗の地獄の炎球を浮かべたまま、三つの魔法球の合間を潜り抜けて、バアルへと一気に距離を詰める。


『貴様ァ……!』


『残念だったな! 俺に糸の拘束は効かねえんだよ!』


 もしバアルが、俺にこんな特殊な糸への強力なメタとして機能するスキルがあると知っていれば、糸で罠を掛けようとすることも、拘束したからといってこんな隙を晒してくれることもなかっただろう。

 目の前で〖ディーテ〗の発動を許し、自分の三つ頭をフルに使ってスキルの無駄撃ちをすることもなかったはずだ。

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