第748話
俺は距離を保ってバアルの周囲を飛び回りつつ、奴を観察する。
三つの頭の、六つの目。
どの瞳も焦点が定まっておらず、ぐるぐると真っ赤な眼球が動いている。
視界が広すぎる。
初撃を受けたのは余裕があったからだと言っていたのも、本当のことなのかもしれねぇ。
こいつの隙を突いて攻撃を叩き込むのは難しい。
持っているスキル自体は見知ったものが多い。
〖エクリプス〗はミーアの使っていたスキルだ。
自身を闇の魔力で覆い、全方位に高火力の魔力の塊を放射する。
危険なスキルだが、MPの消耗が激しい。
距離を置いて逃げれば、相手はただMPを垂れ流すことになる。
使ってこない可能性が高い上に、使われたとしても対応は可能なはずだ。
〖宵闇の糸〗や〖水神の絶舌〗のように初めて見るスキルもあるが、概ねスキル名から効果の方は見当が付く。
糸を攻撃に使うスキルや、舌を攻撃に使うスキルの上位版だろう。
……ただ、不穏なのは通常スキルの最後の段だ。
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〖戦神の尻尾切り:Lv--〗〖猫の不在証明:Lv--〗〖量子猫の選択:Lv--〗
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名前からして、あからさまに不穏な気配がプンプンしている。
蜘蛛の糸も、ヒキガエルの舌も危険だが、猫の頭にも注意を払っておいた方がよさそうだ。
『来ないのか、子竜? 吾輩が恐ろしいか』
バアルが俺を嘲るように笑う。
『……随分余裕ぶっかましてくれるじゃねぇか。〖スピリット・サーヴァント〗ってのは、使用者の使命を果たすのに全力を尽くすようにできてるんじゃねえのかよ』
〖スピリット・サーヴァント〗は使命に対して意図的に手を抜くような真似はできねぇし、もし人格が使命の邪魔になるのならば、破綻した言動を取るだけの人形へと変わり果てる。
これまで接触した〖スピリット・サーヴァント〗から、そういったものなのだと俺は認識していた。
しかし、どうにもこのバアルに限っては、この法則が当て嵌まっていないように感じる。
『当然のこと。貴様を捻り潰すのに吾輩が本気を出す必要はないと、この吾輩が、神の声が、ラプラスが、世界が、そう認識しておるのだ!』
バアルを中心に、黒い大きな魔法陣が展開される。
『来ないのならばこちらから仕掛けてやろうぞ!』
黒い光が広がり、俺の身体に強力な重力が圧し掛かる。
バアルの有していたスキル〖グラビティ〗だ!
【魔法力:10500】は伊達ではない。
俺がこれまで見た〖グラビティ〗の中でも、ずば抜けて広範囲かつ、高威力のものだった。
〖グラビティ〗には〖グラビティ〗を打って互いの動きを鈍化させて仕切り直すのが一つの手なのだが、バアル相手に同じ魔法で挑んだら明らかにこちらが出力負けする。
向こうの方が、重力を跳ね除ける膂力も強いのだ。
俺は地面へと引き摺り落とされるも、地面を蹴って〖グラビティ〗の範囲外へと逃れた。
俺を追って、バアルが突進してくる。
あの化け物みたいなステータスで突っ込んで来られるだけで脅威なのだが、猫とヒキガエルが、それぞれ別の魔法陣を展開していた。
『〖コキュートス〗!』
万物を凍てつかせる地獄の氷を呼び寄せるスキルだ。
俺はバアルとの間に魔法陣を展開し、氷の壁を展開した。
『む……』
バアルが速度を落とす。
安易に突っ込むのはさすがに危険だと判断したようだ。
〖コキュートス〗は優秀な防壁だ。
氷の展開に敵を巻き込めば動きを止められる上に、防壁としてもかなりの性能を誇る。
勇者アーレスの饕餮のパワーを以てしても、容易くは破壊できなかった程である。
攻防に長けた応用の利く魔法であり、優秀なスキルの多いアポカリプスの中でも、最も強力なものだといっても過言ではない。
バアルの浮かべた二つの魔法陣は、巨大な炎の球と、水の球へと変わった。
規模が大きすぎて一瞬何かわからなかったが、バアルの馬鹿みたいな魔法力で練り上げられた〖ファイアスフィア〗と〖アクアスフィア〗のようだった。
バアルは二つの球体を、〖コキュートス〗の氷壁へと放った。
氷壁に二つの球体が同時に着弾する。
二つが混ざったかと思いきや、合体した球体が急速に膨張する。
俺は息を呑む。
急速に熱されて気体と化した水は、体積を千倍以上へと膨張させ、その際に空気を押し広げて水蒸気爆発を引き起こす。
轟音と共に、辺りが爆風に包まれる。
俺は身体に強い衝撃を覚えた。
身体全体が振動するような感覚。
一瞬硬直した俺の身体に、鋭い鋭利なものが突き刺さった。
これは〖コキュートス〗の断片だ。
スキルの合わせ技で強烈な爆風を起こし、〖コキュートス〗の防壁を吹き飛ばしやがった!
「オオオオオオオオオオッ!」
爆風を突っ切り、目前にバアルが現れた。
その全体重で俺へとぶちかましを放つ。
咄嗟に前脚でガードしたものの、胸部の骨が折れる感覚を覚え、後方へと容易く突き飛ばされた。
意識が、明滅する。
一発の威力があまりに重すぎる。
俺は牙を食いしばって意識を保ち、追撃を警戒してとにかく〖次元爪〗を前方へ放つことにした。
だが、前脚を振り切れない。
「ゲォオオオオオッ!」
前脚には、ヒキガエルの舌が絡み付いていた。
やってくれやがったな、あのクソガエル……!
俺の腹部に、十字の斬撃が走った。
〖断糸〗の追撃を放ったらしい。
腹部が、熱い。どんどん血が零れていくのがわかる。
逆の前脚の爪で舌を引き裂いてやろうとすれば、素早く舌が縮んで俺から逃れていく。
まるで舌を捉えられる気がしない。
しかし、拘束からは逃れられた。
俺は素早く体を丸めて地面の上を高速で転がった。
俺のすぐ背後の地面が、バアルの〖次元爪〗の爪撃で抉られる。
少しでも判断を誤れば、これで殺されていた。
俺は〖自己再生〗で回復しつつ、尾で地面を叩いて宙へと跳んで、飛行状態へと移行した。
こいつ、マジで強すぎる。
速く、手数があり、おまけに一発一発が即死級の火力を誇っている。
史上最強の魔物というだけのことはある。
様子を見つつ、スキルを暴きつつ……なんて悠長なことを言っていられる余裕がねえ。
これまでの戦闘で、アポカリプスはとんでもなくステータスもスキルも優秀で、恐ろしく戦いやすい種族であることを実感していた。
饕餮相手でもそれは感じていた。
だが、バアル相手に限っては、レベルの高低もあるのだろうが、圧倒的な種族パワーの差を感じる。
ステータスもスキルも、まるで付け入る隙がない。
『おや、頑丈だな……この玩具は。なかなか遊び応えがあるというもの』
『神の声の手先に甘んじてる害虫が!』
『それの何が悪い? 吾輩は神の声の〖スピリット・サーヴァント〗となることで、時間や空間の制約から解放され、この世界の絶対強者として君臨し続ける権利を得たのだ。吾輩の敗北が有り得ん以上、吾輩という存在は、未来永劫に滅びはせん!』
バアルが三つの魔法陣を展開する。
赤、黒、青。
それぞれは炎、闇、水の球体へと化した。
魔法の三重発動……また俺を試すように仕掛けてきやがるつもりだ。
俺は息を整える。
後手に回るな。
守りに入っていれば、このまま順当に負けるだけだ。
どれだけ危険でも、奴に喰らい続けるしかない。
確かにステータス差はあるが、それでも同じ伝説級上位の攻撃が痛くないわけがない。
アポカリプスの攻撃性能は充分高い。
一気に攻められさえすれば、バアルのような化け物相手でも殺しきれるはずだ。
『最強に拘ってるみたいだけど、忘れるなよ人面蜘蛛』
『何をだ?』
『テメェはそれ以上強くなれる見込みがねえから、六つの神聖スキルの器となるのを諦められて、永遠に変化の訪れねえ〖スピリット・サーヴァント〗行きにされたんだろうがよ』
どれだけ強かろうが、バアル自身が取り繕って納得した振りをしていようが、俺の当て馬として神の声に差し出された駒でしかないことに変わりはない。
『どんな者にも一芸はあるものだな。戦いの方は覚束ないが、他者を苛立たせるのは上手ではないか』
赤い六つの瞳が俺を睨む。
『過去の亡者は引っ込んでやがれ。負け犬のお前と違って、俺は神の声をぶっ倒すって決めてんだよ!』
『馬鹿めが! この世界のシステムそのものに勝てるわけがないであろうが!』
バアルが吠える。
精神が残っているが故に、挑発が通っている。
だが、これ程までに傲慢な史上最強の魔王も、神の声は『戦える相手』としては一切認識していなかったことが不穏であった。
バアルが三つの魔弾を放つ。
俺は縦に回転しつつ、魔弾の合間を縫ってバアルへと接近する。
途中で〖次元爪〗を放ったが、両者の中間地点で爪撃が衝突した。
互いの〖次元爪〗が相殺したらしい。
玉砕覚悟で、至近距離でぶつかり合うしかない。
そうでなければバアルにダメージは通せない。
それに俺には
【特性スキル〖胡蝶の夢〗】
【夢と現実を入れ替える究極の蘇生スキル。】
【このスキルの所有者のHPがゼロになった際に、夢と現実の境界が曖昧になる。】
【その際に自身の死を夢へと追いやり、完全な状態で復活する。】
【このスキルは一度使用すると消失する。】
〖スピリット・サーヴァント〗相手に使いたくはなかったが、白兵戦の削り合いであれば、バアル相手であっても〖胡蝶の夢〗のある俺がかなり優位に立てるはずだ。
何せ、実質HPとMPが倍になるようなものである。
……ただ、このスキルは取得時に、妙な文字化けを起こしていた。
神の声の奴が何かを仕掛けている可能性もある。
頼らずに済むならばそれに越したことはないが、どうやらこの戦い、そんな甘いことを言っていられるような状態でもない。
『〖ディーテ〗!』
バアル目掛けて地獄の炎を放つ。
バアルは容易くそれを避けつつ、俺へと接近してくる。
地面に落ちた黒い炎が火柱を上げる。
避けられたものの、〖ディーテ〗の炎は奴にとっても脅威なはずだ。
バアルが下手に背後へ逃れれば、あの黒炎に包まれる。
奴の移動できる座標を一つ潰した。
この事実は多少優位に働くはずだ。
俺は前脚の爪を伸ばし、バアルの身体を引き裂くための構えを取る。
そのとき、右の前脚が強く引かれるのを感じた。
いつの間にかヒキガエルの舌が絡み付いている。
もう三度目だが、全く舌の動きが見えなかった。
いくらなんでも速すぎる。
『どうだ、逃れられんだろう? あまり甚振るのも可哀想というもの……これで仕留めきってやろう』
バアルがまた、三つの頭部に各々魔法陣を浮かべる。
舌を振り解くのに苦戦している間に、三重の属性魔法攻撃での大打点を狙っているらしい。
『なんで俺が逃げると思ったんだ?』
俺は右の前脚を強く握り、思いっきり力強く引いた。
俺の身体が前方への推進力を得ると同時に、引き寄せられたバアルの身体が前へと浮いた。
チマチマ逃げ回るのは止めにしたんだよ。
せいぜい至近距離の掴み合いを楽しもうじゃねえか!
俺は引き寄せたヒキガエルの顔面目掛けて、一直線に前脚を突き出す。
『ちぃっ……! 馬鹿は動きが読みにくいのが面倒だ! 読み勝ったつもりか知らんが、そんな大味な作戦が長く通用するとは思わんことだ!』
ヒキガエルが舌を離し、頭部を後方へと逸らして、俺の前脚を躱した。
俺は前脚が空振った勢いで身体を半回転させて、ヒキガエルの側頭部へと、勢いを付けて尾の一撃を叩きつけてやった。
『長くやるつもりはねぇよ! たった今、テメェを出し抜ければそれでいい!』
ヒキガエルの顔面に、縦の爪撃が走る。
〖次元爪〗の追撃をぶち込んでやった。
ヒキガエルの眼球がぐるりと回った。
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