第728話 side:トレント

「魔弾撃ツ音、聞コエタ。オレ達、様子見ニ来タ。オマエ達、何者?」


 朱厭殿はララグウルフより降りた後、そう話した。


 私は猿達の顔をちらりと確認した。

 どうやら彼らの目的は、魔獣王及び四つ目獣からこの森を守護することにあるようだ。

 つまり私達と一致している。


「魔獣王を止めに来たの」


 アロ殿が話す。


「魔獣王……アレカ。オマエ達如キデ、ドウニカナルト?」


 朱厭殿が顔を上げ、魔獣王の方を見る。


「オレノ部下、何体モ喰ワレタ。攻撃、全ク通ジナイ。傷一ツツカナイ。姉御ノ毒矢サエ、効カナカッタ」


『姉御の毒矢……?』


 私の問いに、朱厭殿が頷く。


「姉御ノ残シタ、毒壷。物凄イ毒。ダガ、口ニ矢ヲ討ッテモ効果ナカッタ。万策尽キタ」


『なるほど……?』


 よくはわからないが、『姉御』とやらが何か強力な毒を持っていたらしい。

 魔獣王は状態異常に強い耐性があり、防御力自体も恐ろしく高いようであった。


「数日経ったら、竜神さまが来てくれるはず。竜神さまなら、きっとあんな化け物には負けない。私はそれまで、魔獣王から故郷の人達を守りたい」


 アロ殿が朱厭殿へとそう言った。

 朱厭殿が頷く。


「ナルホド、アノ部族ノ……。アノ化ケ物倒セル奴、イルトハ思エナイ。ダガ、オマエ、オレヨリ遥カニ強イ。ソレニ、オレモ、竜ハ好キ。不思議ナ縁ヲ感ジル。信ジテヤル」


 朱厭殿は、手にしたバケツに刻まれた、竜の顔へと目を向ける。


『その竜の顔は……?』


「オレラノ、ボス。オレハ森ノ王、代理。ボス、ズット帰ッテコナイ。デモ、生キテル。オレ、信ジテル。ボス、色ンナコト教エテクレタ」


 朱厭殿は目を細め、手にしたバケツの竜を撫でる。


「オレ達、兜ニボスノ顔ヲ刻ンダ。被ルト、ボス思イ出シテ勇気出ル」


 朱厭殿の言葉に、配下の赤猿達もバケツを脱ぎ、懐かしそうに竜の顔を見つめていた。


「兜だったんだ……」


 アロ殿が小声で呟き、朱厭殿達から睨まれた。


「ご、ごめんなさい、つい……」


 アロ殿が朱厭殿らへ頭を下げる。

 私は声に出さなくてよかったと安堵した。

 なぜバケツを被っているのが疑問だったのだ。


「朱厭さんにお願いがあります。リトヴェアル族を、守ってください」


 アロ殿がそう頼んだ。

 だが、朱厭殿は頭を左右に振った。


「オレ達モ余裕ナイ。約束ハデキナイ。四ツ目、凄ク厄介。森ノ獣、喰ワレマクッテル」


「勿論、無条件ではありません。私達が四つ目獣の数をもっと減らします。ただ、討ち漏らした四つ目獣が、リトヴェアル族を襲撃するのを防いでほしいんです」


 リトヴェアル族を守るためには、四つ目獣を我々が喰いとめ続けなければならない。

 魔獣王の情報を集め、できれば奴の侵攻を妨げる方法も見つけたい。

 しかし、その間、リトヴェアル族を守護することはできない。

 アロ殿はその役目を彼らに任せたいのだ。


 これが通れば、かなり我々としても動きやすくなるはず……。

 リトヴェアル族の拠点に意識を割かれずに、四つ目獣と魔獣王の対策だけに専念できる。


「……ボス、ニンゲン、好キダッタ。オレ達、ボスノ意思、尊重シタイ。畏レ神、ニンゲンカラ信仰サレテル。ニンゲント手ヲ組ムノ、難シクハナイ」


「だったら……!」


 朱厭殿はまた頭を左右に振る。


「四ツ目殺ス、タダノオマエ達ノ目的。取リ引キ、ナラナイ。オレ、森ノ王。森、守ル。使命投ゲ出シテ、ニンゲンダケニ肩入レデキナイ。守護神モ同ジ考エ」


 朱厭殿がララグウルフへと顔を向ける。

 ララグウルフは静かに頷いた。


 彼らの目的は、あくまで森を守ること。

 リトヴェアル族を守ることもその範疇ではあるが、四つ目獣の脅威に晒されている魔物達が他にいくらでもいる現状、リトヴェアル族だけを優先することはできない、ということらしい。


 アロ殿が唇を噛んで黙った。

 悔しそうな表情である。


 無理もない。

 願ってもない助けだと思いきや、朱厭殿らと我々では目的が僅かにすれ違っていたのだ。


「アオオオゥ……」


 部下の赤猿の一体が、朱厭殿の肩を叩く。

 引き受けてあげてもいいじゃないかと、そうボスを説得しているようであった。

 たが、朱厭殿は首を縦には振らなかった。


「取り引きになればいいんですね?」


 アロ殿が念を押すようにそう口にした。


「考慮ハスル。タダ、オレ達モ余裕ナイ。オレ達ニ従ウ、獣達……森ノ運命、背負ッテル。軽々シク引キ受ケラレナイ」


「リトヴェアル族を守ってもらえるのなら……私が魔獣王を引き付けて、この森を出ます。私が引き付けている間は森は食べられなくなるし、森に蔓延る四つ目獣が増えることもなくなる」


「ナンダト……?」


 朱厭殿が目を丸くする。


 確かに、あの四つ目獣は魔獣王が生み出しているはずである。

 魔獣王本体が森を去れば、その間は森の四つ目獣が増えることもなくなる。

 森を守る朱厭殿としてもありがたいに決まっている。


 だが……だが、あまりに危険すぎる。

 伝説級の魔物相手に逃げ回るなど。

 確かにあの巨体、速度があるようにはとても見えないが、しかし……。


「私がこの手段を取れるのは、そうすればリトヴェアル族を守れるという確証があるときだけ。あなた達にリトヴェアル族を守ってもらえないなら、私は彼らの大移動の護衛につくしかない。取り引きにはなっているはず」


 そう……現在のペースであれば、いずれ魔獣王がリトヴェアル族の拠点に辿り着く。

 リトヴェアル族を守るためには、四つ目獣だらけの森を部族全体で拠点ごと移動するか、魔獣王の方をどうにかするしかない。


 拠点移動の案を行えば、我々が護衛してもかなりの死者が出ることは避けられない。

 だが、魔獣王の気を引く囮になるというのは、上手く行きさえすれば大幅に被害は抑えられるものの、とてもではないが無事に済むとは思えない。


 そもそも現状では魔獣王の情報が少なすぎる。

 対峙した相手の情報を全て確認できる、主殿とは違うのだ。

 気を引いて逃げて、時間を稼げる相手なのかどうかさえ定かではない。


『アロ殿……』


 少し冷静になった方が……と声を掛けようとしたのが、言葉は続かなかった。

 拠点移動では壊滅的な被害が出ることは避けられない。

 それにこのままでは朱厭殿との協力関係も結べない。


 危険ではあるが、確かに魔獣王の気を引いて森から逃走することが、一番被害を抑えられるはずの道ではあるのだ。

 何より拠点移動の案を採用した場合、犠牲になるのは身を守る術を持たないリトヴェアル族の非戦闘員である。

 時間を置いたとしても、アロ殿が故郷のか弱き者達の犠牲の上に成り立つ妥協案を呑めるとは思えない。


 私の立場としては言える。

 その案は無謀過ぎる、止めた方がいい。

 無理に森から追い出さなくても、どうせ数日さえ凌げば、主殿が来てくれるのだから……と。


 私もアロ殿の故郷の地は守りたいが、アロ殿の方が遥かに大切だからである。

 しかし、私がアロ殿の立場であれば、絶対にその犠牲は許容できない。

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