第726話 side:トレント

「アアアアアアッ!」


 飛び出したアロ殿へと、四つ目の大兎が飛び掛かっていく。


『アロ殿、最低でもこの兎……B級下位はありますぞ!』


「大丈夫……そう速くはないみたい」


 アロ殿は宙に浮きながら、大兎の爪の大振りを躱す。


「典型的な身体能力タイプだと思う。それで私よりずっと遅いなら、そこまで強くはない」


 アロ殿は魔法陣を展開し、手の上に黒い光の球を浮かべる。

 魔法スキル〖ダークスフィア〗である。


「アアアアアアアアッ!」


 大兎はアロ殿が魔法を放つ前に仕留めようと再度襲い掛かるが、アロ殿はそれをもあっさりと避ける。

 そのまま死角へ回り込み、手に浮かべる〖ダークスフィア〗を至近距離から放った。

 避ける余地もなく、大兎の身体に直撃した。


「アオォオォッ!」


 大兎は血を噴き出して飛んでいき、地面を転がっていく。


「す、凄い、あの化け物を、一瞬で……」


 リトヴェアル族の呪い師らしき少女が、アロ殿を眺めながらそう口にする。


『もう心配いりませんぞ! 怪我人は、私が治療いたしましょう!』


 私はパタパタと翼を動かしながら、呪い師の少女へと声を掛けた。


「お、畏れ神様……ですか? 見慣れない形をしていますし、話ができるのも初めてですが……」


『畏れ神……?』


 私は首を傾げた。


 そういえば……この森には、ラランという、緑色にぼんやりと光る小人が暮らしている。

 今の木霊状態の私と、まあ姿が似ていないこともない。

 リトヴェアル族は彼らのことを畏れ神と呼んでいるのだと、アロ殿が口にしていたのを聞いたことがある。


『まぁ、そんなところですな』


 私はそう答えながら胸を張った。


「な、なるほど……。畏れ神様の中でも、力を持った御方なのですね。あの、あちらの女の人は、一体……」


 呪い師の少女はアロ殿を見た後、彼女の後ろへと目をやり、すぐにハッとしたように表情を変えた。


「い、いけません、あの大兎……まだ生きています!」


 大兎はガクガクと身体を震えさせながら上体を起こすと、「アアアアァアアアッ!」と金切り声を上げた。


「思ってたよりタフ……。速度より、体力型……」


 アロ殿はすぐに大兎へ接近して腕を振るう。

 手の先が大きな鉤爪へと変形し、大兎の身体を引き裂く。

 今度こそ大兎は絶命した。


 どうやらリトヴェアル族の連中は、アロ殿のことに気が付いていないようであった。

 アロ殿は進化を重ね、容姿も大きく変わっている。

 今の格好もリトヴェアル族のものではなく、ワルプルギスの力で出したドレスである。

 わからないのも無理はない。


「あの四つ目の奴ら……瀕死の重傷を負うと、仲間を呼ぶんです。今の声、周囲の四つ目に聞かれたはずです。旅の御方、私達の拠点まで逃げましょう!」


 呪い師が、アロ殿と私へそう声を掛けてくる。


「アアアアアアアアアアッ!」


 すぐにどたどたと足音と共に、叫び声が近づいてくる。


「ひっ! 急がないと……!」


「必要ない。〖暗闇万華鏡〗」


 アロ殿が黒い光に包まれて輪郭が朧気になり、三体の姿に分かれた。

 〖ワルプルギス〗に進化して得た、分身のスキルである。


「アアアアアアアッ!」

「アアアアアッ!」

「アアアアアアッ!」


 姿を現したのは、倒したのと同じ、四つ目の大兎であった。

 敵もまた三体いる。

 三人のアロ殿は、一斉に各々、別の相手へと指先を向ける。


「〖デス〗」


 黒い光が、綺麗に三体の大兎の胸部へ飛んでいく。

 どくんと大きく心臓が脈打つ音が聞こえたかと思えば、三体の大兎は声も上げずにその場に倒れ、動かなくなった。


『なるほど……そちらで倒した方がよさそうですな。仲間を呼ばれずに済みますし……。さすがアロ殿ですぞ!』


 私は感心して、大きく頷いた。

 すぐに二体の〖暗闇万華鏡〗のアロ殿の輪郭が崩れ、光の塊となり、元のアロ殿へと吸い込まれていく。


 この調子であれば、魔獣王の配下の四つ目を倒すこと自体はさほど難しくなさそうである。

 それにどうやら同種の仲間を呼ぶ力があるようである。

 今はリトヴェアル族の四人がいるため、アロ殿もこの場で戦闘を続けることは好ましくないと〖デス〗で途切れさせたようであるが、彼らを集落へと返した後は、この性質を利用して一網打尽にすることができるかもしれない。


「お、お前、人間じゃないな……何者だ?」


 血塗れで倒れていた男の一人が立ち上がり、アロ殿へと槍を構えた。


「恩人ですよ、この方は! 敵意は……」


「人に長時間化けられる、高位の魔物だぞ! おまけに獣でさえない、妖の類……信用できるものか! そうだ、あの馬鹿でかい化け物を森に嗾けた犯人かもしれない!」


 アロ殿の処遇を巡って、何やらリトヴェアル族の連中で揉めているようであった。

 畏れ神に似ている私はともかく、妙な術を操るアロ殿は信用できないと、そう考えているようである。


『し、失敬な! それが恩人であるアロ殿に対する態度ですかな! それ以上言うのであれば、この畏れ神トレント、決して貴方を許しませんぞ! ひとまず回復した後、私の翼で叩きのめしてやります!』


 私は翼を左右に動かし、シュッ、シュッと宙を打ってみせる。


「歳が合わないから違うはずだと思っていたが……もしかして、アロ、なのか……?」


 一番重傷を負っていた男が、槍を杖代わりにゆらりと立ち上がった。


「タタルクさん、その怪我で下手に動かないでください!」


 呪い師が慌てて彼の身体を支える。

 タタルクという名前に、アロがぴくりと反応した。


 男がふらつき、呪い師の手から離れて前に倒れる。

 アロ殿は咄嗟に、彼の身体を受け止めて支えた。


「あ、ああ……間違いない! や、やはり、本当にアロなんだな! あのとき消えてしまったものだとばかり思っていた……!」


 アロ殿の父親であるタタルク殿は、そのままアロ殿の前へと出た。


「お父さん……」


 だが、別のリトヴェアル族がアロ殿へと槍を放った。


「タタルクから離れよ、妖め!」


 アロ殿は身体の一部を黒い光へと戻して自身の身体に空洞を作って槍の一撃を躱し、そのままタタルク殿からも距離を取る。


「な、何をするんだ! 私の娘……アロだ! 間違いない!」


「アンタの娘は死んだんだ! アンタの娘を騙る悪しき妖か、死者の国から戻って来たアンデッド、どちらか二つに一つだ! どっちだったとしてもロクなもんじゃない! 目を覚ませ、タタルク!」


「しかし……!」


『アロ殿の気持ちも知らず、勝手なことばかり! もう絶対に許しませんぞ!』


 私は男へと詰め寄ろうとしたが、アロ殿が腕を伸ばしてそれを制止した。


「……確かに、私はもう人間じゃない。だから会わない方がいいのはわかってた。お父さんとお母さんにも、私はちゃんと天に帰ったんだって……そう思ってもらっておいた方がいいって思ってた。だから、またこの場でお父さんに会って、お父さんを混乱させてしまって……よくないことになってしまったって」


『アロ殿……』


「でも、それでも……やっぱり、もう一度お父さんに会えてよかった」


 アロ殿は目から零れた涙を拭い、タタルク殿へとそう口にした。

 槍で攻撃しようとした男も、アロ殿の顔を見て、槍を構えている手が震えていた。


「アロ……!」


 タタルク殿が、アロ殿へと腕を伸ばす。

 アロ殿の身体は、タタルク殿の腕を透過する。

 そのままアロ殿の身体は光の靄になって移動し、離れた場所で元の姿に戻った。


「ごめん、お父さん。今は時間がないの」


 アロ殿はそう口にした。

 静かで穏やかな声色だったか、微かに振るえていた。

 平静さを取り繕っているのだ。


 状況も状況だが、アロ殿は既に人ではない身である。

 リトヴェアル族の文化もある。

 あまり父親であるタタルクに、自身への未練を煽るような真似をしてはいけないと考えてのことであろう。 


「……トレントさん、みんなを回復してあげて」


『は、はいですぞ』


 アロ殿は私へとそう口にした後、リトヴェアル族達へと顔を向けた。


「皆は集落に戻って。大丈夫……四つ目の獣は、私達が倒す。あの獣の親玉……魔獣王も、絶対にこの森から追い払って見せる。どんなに姿が変わって、どんな扱いを受けたって、リトヴェアル族は、森は、私が守る。私の故郷で、お父さんとお母さんの居場所だから」


 アロ殿は一切の迷いなく、そう言い切った。

 先の男はこの期に及んでアロ殿に槍先を向けていたが、彼女の言葉を聞き、ついに槍を手から落とした。

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