第725話 side:トレント
主殿と別れた後、私は木霊状態でアロ殿に抱えられて空を飛び、アロ殿の故郷であるリトヴェアル族の集落のある森へと向かっていた。
アロ殿の故郷が神の声の〖スピリット・サーヴァント〗に狙われている可能性が高い、という判断によるものだったのだが……。
「何、あの生き物……」
アロ殿は黒翼を羽搏かせて滞空しながら、呆然とそう口にした。
アロ殿が驚くのも無理はない……。
我々の目線の先には、巨大な口で森の木々を喰らう、あまりにも大きすぎる化け物の姿があった。
化け物は土に近い、くすんだ橙色の、見るからに分厚い表皮を持っていた。
ぎょろりと開いた四つの瞳に、顔の端から端までに裂けた大きな口。
醜い目立つ鼻に、広がった大きな耳。
太く短い六本の脚があった。
そして何より異常なのは、全長百メートルを優に超えるその巨体である。
動く山としか形容のしようがない化け物であった。
『最東の地で霧の奥に確かに大きな影を見ましたが……まさか、本当に生き物であったとは思いませんでしたぞ』
私はごくりと息を呑む。
化け物が進んで来たらしい部分は木々が根こそぎ喰われており、大地が露になっている。
まさか、この世界の全てを喰い尽くすつもりなのか。
加えて化け物の周囲には、魔獣の群れの姿があった。
無数の魔獣が、化け物の周囲を徘徊している。
魔獣は種類こそ熊に狼、蜘蛛とそれぞれであったが、全員四つの瞳を有しており、橙色のくすんだ色をしていたことから、恐らく化け物の配下のようなものらしいと検討がついた。
『恐らくはあれが魔獣王……という奴ですかな。どど、どういたしましょうか、アロ殿……。さすがにアレは、その……我々だけでは、どうしようもなさそうだといいますか……』
正直、まともに戦える気がしませんぞ……。
せめて聖女ヨルネスのように、基本人型であればまだ相手をできた気もするのですが。
あんな巨獣に挑もうものなら、次の瞬間には丸呑みにされているのがオチですぞ。
「……でも、トレントさんの言ったこと、当たってる」
アロ殿がぽつりと、そう口にした。
『私の言ったこと……ですか?』
アロ殿が頷く。
「〖スピリット・サーヴァント〗の目的は竜神さまを急かすこと……だから、竜神さまがいなければ本気を出すことはない。トレントさんの言っていたこと」
『そ、そそ、そうでしたな。……しかし、本物を目前にしますと、少々認識が甘かったのかな、という気も……』
「あの魔獣王が本気で暴れたら、ノアの森なんてとっくに吹き飛ばされちゃっていると思う。トレントさんの予想は当たっていた。わざわざ森を喰い尽くして進んでいるから、凄い時間が掛かっている。魔獣王は、わざととんでもなく時間の掛かる方法で森を滅ぼそうとしている。本分を全く発揮してない。魔獣王の侵攻を遅らせるのは、案外難しくないのかも……」
アロ殿は考えながら、ブツブツと話す。
ど、どうでしょうかな……。
魔獣王本体は悠長であっても、あの無数の獣の軍勢もいる。
これまでのパターンからいって、あの一体一体がそれなりのランクやステータスを有しているはず……。
『しかし、そうですな……。別に私達は、アレを倒しに来たわけではない。侵攻を少しでも遅らせて、主殿がこちらへ来てくださるのを待てばよいだけ。大丈夫……別に、あれと真っ向から戦う必要など皆無なのですから』
私は自身へとそう言い聞かせる。
『……ただ、どういたしますか、アロ殿?』
「魔獣王のことも知らないとだけど……それ以上に、森の皆の状態を知っておいた方がいいと思う。魔獣王の取り巻きの獣が、既に集落の方へ向かっているかも……」
『確かにそうですな。我々にとって大切なのは、リトヴェアル族を助けること。魔獣王はあくまでも、その障害に過ぎません。……ただ、その、よろしいのですかな? アロ殿は、その、森と別れるときに、死んだことにしたと聞きましたが』
アロ殿がリトヴェアル族の集落から別れるに至った経緯は、既にアロ殿本人から聞いていた。
進化の内に人の姿を取り戻したアロ殿であったが、アーデジア王国の貴族トールマンらとの戦いの内に身体を負傷し、アンデッドの身になったことが露呈してしまったのだ。
リトヴェアル族に受け入れられなかったアロ殿は、両親に別れの言葉を告げた後、自身の死を演出して集落から去ることを選んだ……と。
故郷に帰ろうと奮闘して、化け物扱いされて追われることになったのだ。
アロ殿は気丈に振る舞ってこそいるものの、傷ついていないわけがない。
また集落の方へ顔を出すなど、傷口を抉るようなものである。
「いいの。我が儘言ってる場合じゃないから」
アロ殿はそう口にした後、私の頭を撫でる。
「ありがとう、トレントさんは優しいね」
その後、私とアロ殿は、人の姿を捜しながら、リトヴェアル族の集落へと向かうことになった。
周囲を見回しながら、木の上くらいの高さをすぅっと飛んでいく。
「ア……ア、アアアアアッ!」
その内、威嚇するような大きな鳴き声が聞こえてきた。
ただごとでない鳴き殺気立った声に、私とアロ殿はすぐにそちらへ方向転換した。
向かった先では、例の四つ目の二メートル近い全長の化け物が暴れているところであった。
長い耳を有しており、どうやら兎のようであった。
ただ、その四つ目と巨躯のためか、まるで可愛らしい雰囲気は感じない。
「アアアアアアアッ!」
「ぐはぁっ!」
四つ目兎は体当たりでリトヴェアルの戦士を突き飛ばす。
リトヴェアルの戦士は、槍使いの男が三人、呪い師の女が一人いたのだが、槍使いの三人は既に負傷して地面の上に倒れていた。
『なんと……! この森ではC級上位の魔物もザラに出るため、リトヴェアルの戦士はかなり鍛えているという話でしたが、それがこうもあっさりと……』
おまけに、この四つ目の獣は一体や二体ではない。
魔獣王はこの化け物を、数十体、下手すれば数百体と抱えているのだ。
アロ殿は私から手を離すと、一気に速度を上げながら降下し、四つ目の兎の前へと飛び降りた。
「ここからは私が相手になる」
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