第699話 side:ミリア
避難のために宮殿に集まっていた人の多くは、〖ルイン〗の爆風によって開いた壁の大穴の周辺へと集まってきていた。
本当ならば安全のために、大穴から極力離れた、宮殿の奥にいた方がいいのだろう、とは思う。
この宮殿には地上階層より化け物の襲撃を受けにくそうな地下階層もあるのだ。
あちらであれば最悪〖ルイン〗の流れ弾が宮殿に対して飛んできても無事で済むかもしれないという見立てもあるのだし、実際避難民の内の数割は今もそちらに隠れている。
だが、何せ大空では、聖都の……いや、恐らくは世界の命運を決めるであろう、伝説の聖女と黙示録の竜の戦いが繰り広げられているのだ。
もしかしたらこの勝敗によっては世界が滅ぶのかもしれない。
そう考えれば、皆、宮殿奥地でただ時間が過ぎていくのを待っている気にはなれなかったのだ。
そして私もその一人だった。
しかし、皆、どちらを応援すればいいのかわからないようだった。
明らかに異形の化け物と化した伝説の聖女ヨルネス様と、一見私達を守ってくれたように見える黙示録の竜。
誰もがただただ不安そうな顔で、大空の戦いの行方を見つめている。
「グゥオオオオオオッ!」
ヨルネスは一時は追い込まれていたように見えたものの、今はアポカリプスを模したような竜の姿へと変化し、機動力を得てイルシアさんを圧倒していた。
ひたすら守りに徹しながら魔法攻撃を放っていたところから一転、今は逆にイルシアさんを追い掛ける側へと回っている。
イルシアさんはそんなヨルネス相手に防戦一方がせいいっぱいといった様子であった。
「おお、見よ、ヨルネス様が圧しておられるぞ!」
ドゴン司祭が空を見つめながらそう口にする。
「ドゴン司祭、あなたまだ、そんなことを……!」
私は思わずドゴン司祭へと杖を構えた。
ドゴン司祭は、先程トレントさんに命を救われ、考えを改めたところだったはずなのだ。
皆、状況が全く掴めず、どちらを応援すればいいのかさえわからないから、黙って見守っていたのだ。
私だって、手放しでイルシアさんを応援したかったけれど、そうした人に配慮して口には出さないようにしていた。
「わ、私は聖神教の教徒である! 聖女様を信じずに何を信じろというのだ! 私はそこの木偶の悪魔に対しても、心を許したわけではない! ただ、抗っても無駄だとわかったから刺激しないようにしているだけである!」
「ミリア、やはりこの御仁は地下牢に籠っていてもらっていた方がよさそうだな。元より暴動を企てていた奴を今野放しにしている状態がおかしいのだ」
メルティアさんも殺気立った様子でドゴン司祭を睨む。
アポカリプスの部下を自称しているトレントさんがこの場にいるのだ。
内心で勝手に信条に従ってヨルネスを応援するのは結構なことだが、声に出して彼の機嫌を損ねたらどうするつもりなのか。
今なお聖女ヨルネスを信じるために、彼女のこれまでの凶行にどう説明を付けたのか教えて欲しいところだ。
『私に気を遣ってくださっているのでしたら結構ですよ。皆さん、さぞ不安なことでしょう。そのようなことで、喧嘩をなさらずとも』
トレントさんは、主の戦いを見守りながら、ぽつりとそう口にした。
ドゴン司祭はバツが悪そうな顔を浮かべる。
「……あなたにとって、イルシアさんは大切な方なのですよね? トレントさんは悔しくないんですか? さっきも身体を張って助けてくださったのに……。命懸けで戦っているイルシアさんに対して、目の前であんな、馬鹿にするような言葉を吐かれて……」
『勿論私とて、思うところがないわけではありませんが、主殿ならきっとそう口になさるでしょうからな』
トレントさんは迷いなくそう言った。
ドゴン司祭は数秒の間、呆気にとられたようにトレントさんの背を見つめていた。
そのドゴン司祭の肩を、ラッダさんが叩く。
「ドゴン様、何を信じればいいのか何もわからなくなってしまった、というお気持ちはわかります。私もこれまで信じていたものを、一体ここ数日だけで何度打ち砕かれてきたことか……。何をして何を考えればいいのやら、もうさっぱりですよ。ですけれど、こんな状況だからこそ、目の前で起きていることを信じましょうよ」
「目の前で起きていることを……だと?」
ヨルネスがアポカリプスの姿を得てから、戦況はずっと一方的であった。
イルシアさんはヨルネスの攻撃をまともに受け、距離をおこうとしてもあっという間に追い詰められ、見たこともないような大規模な魔法で攻撃され……。
その様子は痛ましくさえあった。
だが、イルシアさんはそれでもまるで諦める様子を見せず、牙を喰いしばり、ヨルネスと対峙し続けている。
ただ世界に害をなそうと目論む邪竜が、あんな顔をするわけがない。
ドゴン司祭だって、フラットに見ればわかるはずだ。
聖地に結界を張って災禍を齎したヨルネスと、そのヨルネスに立ち向かっていくアポカリプス。
ただ、ドゴン司祭は、これまで信じてきたものが完全に瓦解するのが恐ろしいのだ。
だから最後の一線を、自分で掴んで強引に繋げてしまう。
大空では、イルシアさんがヨルネスより一方的な攻撃を受けて血塗れになりながらも、懸命に抗っているところだった。
ヨルネスの歪めた空間に囚われたイルシアさんが、禍々しい凶爪で身体の肉を抉られていく。
「がっ……頑張れ、アポカリプス!」
教徒の一人がそう口にした。
ドゴン司祭がムッとした表情で彼を振り返る。
「そ、そうだ! 聖地を滅茶苦茶にしたヨルネス様を止めてくれ!」
「負けないでくれ!」
「あいつはもう、きっとヨルネス様じゃないんだ!」
堰き止めていたものが崩れたかのように、教徒達が口々にそう叫んで空のドラゴンを応援する。
ドゴン司祭は黙って彼らを睨んでいたが、表情を和らげ、それから深く溜め息を吐いた。
それから空を見上げ、憑き物が落ちたかのような顔で、大空の戦いへと再び目を向ける。
それから決着がつくまでに、長い時間は掛からなかった。
一層激しくなる魔法の撃ち合いに、殴り合い。
両者共限界が近づいているのは、見ていて明らかであった。
やがてヨルネスはアポカリプスの姿から、異形の彫像へと姿を戻す。
背負う巨大な車輪が回り、不吉な予感が聖都内を包み込んだ。
何か仕掛けるつもりのようだった。
それもこれまでとは比べ物にはならない、大きな災いを。
最後の切り札でイルシアさんを仕留め切ろうとしているのだと、見ていてわかった。
イルシアさんは、ヨルネスを正面から睨む。
巨大な剣を手許に生み出して直進していき、ヨルネスを斬った。
ヨルネスの全身に罅が入った。
鏡が砕け、車輪がバラバラになり、最後には人頭が崩れ落ちる。
全てが粉々になって宙に舞い、まるであの不吉な化け物が夢であったかのように、さっと光の粒となって消えていった。
都市を覆っていたヨルネスの結界が消えていく。
「勝った……イルシアさんが!」
廃都と化していた聖都の隅で、大きな歓声が沸き起こった。
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