第694話 side:ミリア

「悪魔の手先を神聖なるリドム宮殿に入れるなど、絶対にならん!」


 左右にぴょんと跳ねた印象的な口髭に、陰険そうな隈のある目許。

 リドム宮殿にて、ドゴン司祭が数名の僧兵達を率いて現れて私達の前に立ちはだかった。


 彼らにはこれまでの簡単な経緯を説明したのだが、取り付く島もなかった。

 アポカリプスは悪しき邪竜である、ヨルネス様を支持する、魔物は宮殿に入れないというのが彼らの主張である。


「……ドゴン司祭、そもそも貴方は地下牢に入れておいたはずだが。なぜ外へ?」


 メルティアさんが引き攣った顔で尋ねる。


 ドゴン司祭は『聖都の民ならば喜んでその魂と身体をヨルネス様に捧げるべき』という思想の許に宮殿内で暴動を起こそうとして、部下に密告されて地下牢に入れられていたはずなのだ。

 それが避難所の主要な人間がヨルネスへの攻撃に出向いていた間に、いつの間にやら外に出てしまっている。


「黙示録の竜が現れたから我々を導いて欲しいと、民らが私を頼って来たからである! 聖女様が無意味に民を虐殺しているわけではなかったと、皆がようやくわかってくれたのだ」


 私は額を押さえた。


「私も気が動転して、過ちを犯したのは認めよう! ヨルネス様は人類の救済のために天使へ転生させていたわけではない! 黙示録の竜を倒すための戦士を募っていたのだ!」


 ……似たようなことを口にしていた人が他にもいたが、もしかして聖神教の人達は皆同じことを考えているのだろうか。


 日が経つにつれて、異形の魔物達に殺され、戦える人が段々と減ってきていた。

 そしてヨルネスへの攻撃作戦のために、ここの拠点の避難民を誘導・指揮していた人達の大半が出払っていた。

 そんな中でアポカリプスが現れたものだから、不安になって、皆誰かに縋りたかったのだろう。

 その相手がドゴン司祭だったのは、私としては勘弁してほしいところなのだが。


「ヨルネス様に矢を突き立てた上に、悪魔の手下を連れてくるとは愚かしい! 妄言も程々にするのだな!」


 自分の顔が引き攣るのを感じていた。

 あなたに言われたくはないのですが、という言葉を私は必死に呑み込む。


 しかし、今となってはドゴン司祭の考えに共感している教徒が多いのも事実なのだろう。

 だからこそ、一度裏切られて投獄されたドゴン司祭が、わざわざ牢の中から出されるという事態になっているのだから。

 それだけ此度の一連の事件は、聖神教の教徒達にとって受け入れがたいことだったのだ。


「逆に問いたい! ミリア殿よ! なぜあなた方は、そのような悍ましい姿の魔物を何の疑いもなくここまで平然と連れて来られたのか!」


 ドゴン司祭がトレントさんを指差す。

 トレントさんは左右を見た後、そうっと後ろを確認する。

 それから遠慮がちに私へと顔を上げた。


『……私の姿って、そんなに悍ましいですかな?』


「えっと……」


 むしろ外見に迫力がなかったことがドゴン司祭が付け上がっている要因の一つなのではなかろうか。

 私はそう思ったが、敢えて口にはしないことにした。


 ドゴン司祭が思い込みの激しい人なのはわかっている。

 もしかしたら彼の目には、トレントさんが何か恐ろしい悪魔のようなものに見えているのかもしれない。


「皆さんも、同じ考えなんですか?」


 彼と話をしても埒が明かない。

 私はドゴン司祭の背後に並ぶ人達へと声を掛けた。


「ド、ドゴン司祭の考えには筋が通っています。逆にそれ以外に、現在の状況に説明のつく話がありますか?」


 答えた僧兵は、迷いのある、泣きそうな目をしていた。

 説明できるのならしてほしいと、そう懇願しているようでもあった。


 きっと彼らは、聖都リドムの大災禍を前に、自分を納得と安心させてくれるものを探しているのだ。

 その末に縋ったものが聖神教の教典だったとして、それはとても責めることはできない。


 ただ、その答えは私だって知りたい。

 不安と恐怖で押し潰されそうなのは、私やメルティアさんも同じなのだ。


「その魔物は、今より私達が成敗する! ミリア殿らよ、手を貸さぬというのならば、貴殿らも聖神教の敵であると見做すぞ!」


 ドゴン司祭一派がトレントさんへと武器を構える。

 トレントさんは、オロオロと周囲を見回していた。


『ア、アロ殿、どうしますかな? ……おっと、アロ殿はいないのでした』


 ……や、やっぱり、アロさんにも付いてきてもらった方がよかったかもしれない。


「邪悪な魔物め! 私の魔法の一撃を受けるがよい!」


 ドゴン司祭が大杖を構える。


『む、むぐっ……!』


 トレントさんがびくりと身体を震わせた。


「はぁぁ、〖ファイアスフィア〗……!」


「ま、待ってくださいドゴン司祭!」


 私が止めるべく前に出た、その瞬間だった。

 突然周囲の壁と天井を突き破り、宮殿内に巨大な大樹が現れた。

 ごく一部しか姿が見えないため、全長は計り知れない。

 その大樹に跳ね飛ばされたドゴン司祭が、壁に背を打ち付ける。


「おぶっ! ま、魔物め、真の姿を現したな!」


 直後、大きな爆音が鳴った。

 トレントさんの向こう側に、虹色の光が見える。

 光に呑まれた宮殿の壁が砕け散り、粉になって消滅していく。


 これはヨルネスの魔法……〖ルイン〗だ。

 外ではイルシアさんとヨルネスが相当派手に戦っているようだった。

 恐らく、その流れ弾が飛んできたのだ。


 トレントさんの奥に、地面が巨大な半球状に削り取られているのが見えた。

 巻き込まれていれば、ほぼ間違いなくこの宮殿も無事では済まなかったはずだ。


 トレントさんは、アロさんを捜してさっき周囲を見回したときに、窓の外に〖ルイン〗の光が見えたのだろう。


「わ、わざわざ私達の盾になるために、元の姿に戻ったというのか……? 私達は、お前を討伐しようとしていたというのに」


 ドゴン司祭が困惑したようにそう零す。

 

 大樹が光に包まれ、また元のトレントさんが現れた。

 背中の周囲が、真っ赤に焼け焦げている。

 トレントさんがその場に倒れた。


「トレントさん、その怪我……!」


『さすがに余波だけとはいえ、なかなかですな……。油断しておりました。しかし、この程度のダメージ、すぐに治癒できますのでご心配なく』


 さすがのドゴン司祭も、弱ったトレントさんを前に動けずにいるようだった。

 ただ呆然とその場に立ち尽くしている。

 やがて彼についていた僧兵が、一人一人、自分の持っている武器を床へと落とした。


「ドゴン様……やはり私には、その魔物が悪しき者だとは……。この聖都を攻撃しているのも、明らかにヨルネス様です」


 僧兵の言葉に、ドゴン司祭も力なく手にした大杖を下げる。


「だとしたら、私は……私は、何を信じればいいというのだ……?」


 ドゴン司祭が弱々しい、消え入るような声でそう口にした。


 そこからは、トレントさんが宮殿内にいることを咎める声は出なくなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る