第688話 side:ミリア

「お終いだ! ああ、ああああ! 聖神様……なぜ私達にこのような試練を! 何が、どうなっているというのですか! 伝説の聖女であるヨルネス様がこの聖なる地で民を殺めたかと思えば……それから日も置かぬ間に、世界の終わりを告げるアポカリプスが現れるなど! 世界に何が起きようとしているのですか!」


 ラッダさんが地面に突っ伏してそう嘆く。

 他の聖神教の僧兵の二人も、両手で顔を覆い、その場に呆然と膝を突いていた。


「悪い夢だというのなら覚めてくれ!」

「我々が何をしたというのですか!」


 二人共、ラッダさん同様、アポカリプスを目にしてすっかり絶望してしまったようだった。


 メルティアさんも呆然とアポカリプスを見つめてこそいるが、彼らほど絶望している様子はない。

 アポカリプスの出現は、聖神教の人間にとっては余程衝撃的なことなのだろう。


 ただ、私には、彼らがアポカリプスだと呼ぶドラゴンが、イルシアさんに思えてならなかった。

 元より、高位のドラゴンなどそう何体もいるものではない。

 だからこそ私は、この聖都で聞いた、ハレナエを襲撃した勇者殺しの邪竜がイルシアさんだという話を否定できなかったのだから。


 そして先程の攻撃も、明らかに私達を助けるために放たれたものだった。

 それに……さっきの私を見ていたあのドラゴンの目に、私は懐かしいものを感じていた。


「き、きっとあのドラゴンは、私達を助けに来たんです」


「そんなわけがあるか!」


 嘆いていた僧兵の一人が、手にしていた槍を地面に投げつけてそう叫んだ。


「あのドラゴンの悍ましい姿を見よ! あの地の底の深淵から現れたような、禍々しいとしか形容できぬ……」


 頭上から何か、奇妙な鈍い音が聞こえてきた。

 私は顔を上げた。


 頭を吹き飛ばされた『ルミラの天使像』の首の先……ヨルネスが浮かんでいたはずのところに、何か、不気味な怪物が現れていた。

 その姿は、一言ではとても形容できそうにない。

 青白い岩塊のようなものが、まるで粘土のようにボコボコと変形して、巨大な人頭のような姿を象ろうとしている。

 

 その様子がとても不気味で……私にはなんだか、この世界にいてはならない化け物が誕生しようとしているような、そういうふうにしか感じられなかった。


「ヨルネス様……?」


 私と話をしていた僧兵が、蒼白とした顔で遥か頭上の怪物へとそう呼び掛ける。

 

 すぐに化け物の歪な凹凸が消え、綺麗な青白い彫像の姿になった。

 だが、その姿はとても、聖女様だとは思えないものだった。


 大きな不気味な人頭に、片翼の翼。

 悪魔が醜悪に笑う額縁の大きな鏡が付いていて、何かを象徴するかのような巨大な車輪を背負っていた。


 出鱈目な姿ではあるものの、妙な迫力と神々しさを伴っていて、ただの化け物が聖女ヨルネスの振りをしていたわけではなく、アレは聖女ヨルネスだったものの成れの果てなのだと、私は直感的にそう感じさせられた。


 だけれど、私はその恐ろしい姿に、納得するところがあった。

 ヨルネスが人の亡骸を用いて生み出していた、陶器のようなつるりとした体表の、人間のパーツを出鱈目に継ぎ足したような不気味な魔物。

 あれらの大元だと思えば、真っ当な外観をしていないのも当然だといえる。


 それに、ただの人間でさえ、亡骸からあんな不気味な化け物を造られてしまうのだ。

 聖女ヨルネスほどの伝説の人物が何者かによって魔物にされてしまったのならば、あのような悍ましい姿になってしまうこともあるのかもしれない。


「見てください! 聖女ヨルネスはもういないんです! 今あそこにいるのは、きっと、聖女ヨルネスだったものの残骸でしかないんです!」


「よ、余所者が、なんと不敬なことを……! 見よ、あの神聖で、荘厳なお姿を!」


「僧兵さん……?」


 目が正気ではなかった。


「そ、そうだ! ヨルネス様が、聖神様の御許で天使となって帰って来たのだ! 預言の黙示録の竜を打ち破るために! そう考えれば、全てのことに辻褄が合うのではないか……?」


「無茶苦茶なことを言わないでください!」


「はは、ははははは! 全てわかったぞ! 聖都を襲ったのではなく、黙示録の竜を討伐するための兵を募っていただけなんだ! だとすれば、この地を滅ぼさなかったことにも納得がいく! そうに違いない! これで全て説明が付くんだ!」


 彼も頭上に浮かぶアレが、恐ろしい化け物であることは理解できているはずだ。

 だが、きっと受け入れられないのだ。


 無理もない。

 神聖な地にずっと崇めていた伝説の聖女が現れたかと思えば、その聖女が聖地で虐殺を始めただけでも恐ろしい事件だ。

 この地の聖職者からしてみれば、私とは比にならないショックだったのだろう。

 そこに世界の終焉を招くと恐れられているドラゴンが現れたかと思えば、今度は聖女ヨルネスが更に悍ましい姿の化け物へと変化したのだ。


 そのとき、大聖堂の屋根に立っていたアポカリプスが動いた。

 風の如き速さで、異形の化け物と化したヨルネスへと迫っていく。


「そんな、速すぎる……。メーベル法で測らなくたってわかります。あの速さ、A級上位だとかそんな次元じゃない……。や、やっぱり、本物のアポカリプスなんです」


 ラッダさんの言葉に私は息を呑んだ。


 A級上位で、単体で王国一つの戦力に匹敵する化け物だとされている。

 それを遥かに超えるということは、本当に伝承通りに、世界を終わらせるだけの力を持っているのかもしれない。


 アポカリプスが『ルミラの天使像』へと近づいていったそのとき、アポカリプスの近くで七色の光の大爆発が起こった。

 ヨルネスが〖ルイン〗の魔法を使ったようだ。

 

 アポカリプスの巨体が虹色の爆風で吹き飛ばされ、『ルミラの天使像』の胴体部分へと叩きつけられた。

 像が砕け、パラパラと石片が私達の許へと落ちてくる。


 『ルミラの天使像』の頭部を吹き飛ばしたのと同じ〖ルイン〗ではあるが、あのときより遥かに規模が大きい。

 避難所にしているリドム宮殿が一瞬で破壊されてしまいそうだ。

 本当に今までヨルネスの関心が聖都に向いていなかっただけで、何かがほんの少し違っていたら皆殺しにされていたのだと痛感させられた。


「おお、さすがヨルネス様! 見よ、あのアポカリプスを圧倒している!」


 僧兵が、像に叩きつけられたアポカリプスを指で示す。


 私はじっと、アポカリプスを見つめていた。

 

 確かに恐ろしい、威圧的な姿ではある。

 しかし、やはり目の奥に暖かみのようなものを感じるのだ。

 ヨルネスとは違う。

 苦し気に目を細めるどこか人間らしい表情が、どうしても村近くの森で出会ったドラゴンと重なる。


「やっぱりあのドラゴン、イルシアさんなんじゃ……」


 アポカリプスはカッと目を見開き、身体を翻して空を舞い、『ルミラの天使像』の周囲を飛ぶ。


 次の瞬間、虹色の爆炎が頭上を覆い尽くし、アポカリプスの姿が見えなくなった。

 轟音が鳴り響く。

 どうやら『ルミラの天使像』の胴体部分が〖ルイン〗で吹き飛ばされたようだった。

 ヨルネスがアポカリプスを狙って放ったもののようだった。


 『ルミラの天使像』の残骸が、私達へと嵐の如く降り注ぐ。


 とてもじゃないが避けられない。

 何かの魔法で防げるような規模ではない。

 私達はただ、口を開けて頭上を見上げることしかできなかった。


 大きな岩塊が落ちて来るのを、私はゆっくりに感じていた。

 死が迫っていると脳が理解しているためだろうか。


 アレに押し潰されて、私は死ぬ。

 ここまで聖地の民を蔑ろにして戦う聖女様がいて堪るものかと、私は先程の僧兵へと心中で毒づいていた。


 恐怖に目を瞑る。

 岩塊が地面を殴りつけるような音が聞こえてきて、私はそれで死んだのだと思った。

 だが、身体に痛みはない。


 恐る恐ると目を開くと……私達の頭上には、奇妙な魔物が浮かんでいた。

 それは人の頭くらいの大きさをした、緑色の、丸っこい鳥のような姿をしていた。

 顔には木でできた仮面を付けている。


 全身から木の根のようなものを網状に展開させ、『ルミラの天使像』の残骸を受け止めている。

 この魔物が何なのかはさっぱりわからない。

 けれど、私達を守ってくれたことは明らかだった。


「えっ……」


 状況が理解できないでいると、目前に黒い羽の生えた女の人が現れた。

 私を軽々と抱えると、地面を蹴ってその場から飛んで逃れ、落石の合間を抜けて崩落から逃れた。


 そのまま女の人は、翼を用いて宙に滞空する。


 た、助けられた……?

 しかし、メルティアさんや僧兵達は無事だろうか。

 あの鳥の魔物が守ってくれたとはいえ、なにせあの落石の規模だ。

 完全には落石を受け止められていなかった。


 彼女達は……と姿を捜せば、あと二人、同じ顔をした黒羽の女の人が浮かんでいて、それぞれが二人ずつ、メルティアさんや僧兵達を抱えて救出していた。

 三つ子……なんだろうか?


「あ、ありがとうございます。あの、あなたは……?」


 女の人がぱちりと瞬きをする。

 赤と黄金の綺麗なオッドアイだった。


「覚えていないんですか? 王都アルバンの城で……」


 その言葉を聞いてハッとした。

 確かに、私はその顔に見覚えがあった。

 王都アルバンの偽王女騒動があった際に、私を助けてくれたアンデッドの女の子に似ている。


「あ、あれ、いえ、でも、年齢が……」


 ……記憶の中の彼女と、外見年齢に違いがある。

 魔物は進化によって容姿を大きく変えるものではあるけれども、アンデッドにとっては外見年齢の変化もよくあることなのだろうか?


「……それよりも! あなたがいるってことは、あのアポカリプスは、イルシアさん……!」


 やっぱりそうだったのだ。

 彼女の登場でようやく確証が持てた。


『アロ、トレント、よくやってくれた!』


 大きな思念が響いてくる。

 これは一部の魔物が用いるスキル、〖念話〗だ。

 アポカリプス……イルシアさんが、私達の方へと目を向けていた。

 イルシアさんの〖念話〗だったのだろうか?


『任せてくだされ主殿! この程度、なんともございませんぞ……! 彼らは私とアロ殿で安全なところまで運びますので、主殿はあの岩塊をぶっ飛ばしてやってくだされ!』


 木のお化けは、イルシアさんへと〖念話〗を返して胸を張っていた。


 きっと、外見から察するに彼が『トレント』なのだろう。

 だとすると、アンデッドの彼女の方が『アロ』だということになる。


「アロさん……でいいんですよね? あの、今、これって何がどうなっているんですか? それに……なぜ、三人……?」


「あっちの二人は私の分身」


 アロさんがそう答える。


「分身……」


 高位の魔物は大抵変わったスキルを身に付けている。

 見かけではわからないが、アロさんは高位のアンデッドなのだ。

 分身くらいできてもおかしくはない。


「とにかく、話は後で。ここから離れた方がいいです」


 確かにそれは間違いない。

 ヨルネスは私達を巻き込むのに一切躊躇していない。

 ここにいれば、魔法の余波で殺されかねない。


「放せ、放せぇ! アポカリプスの手先の魔女めっ! 私達をどうしようというのだ!」


 僧兵の一人が錯乱して大騒ぎしている。

 自身を抱えているアロさんの分身の腕を振り解こうともがいていた。


「落ち着いて、私の目を見てください」


 アロさんの分身はそう僧兵へと声を掛ける。


「何が落ち着けだ! アポカリプスの手先……!」


 アロさんの分身の瞳が妖しく輝く。

 僧兵の身体から力が抜け、だらんと両腕と足が垂れる。


「ア、アロさん!?」


「……今は時間がないです。起きたら、後でどうにか説得してください」


 アロさんが、そっと私から目を逸らした。


 アロさんに抱えられたまま、私達はヨルネスから距離を取るため移動をした。

 その間、この聖地で何が起こったのかを私はアロさんに説明していた。

 どうやら彼女も、今ここで何が起きているのかはほとんど知らないようであった。


「こうした経緯で……生き残っている人達は、リドム宮殿を拠点にして、化け物達からどうにか身を守っているんです。でも、それももうほとんど限界で……。私達は聖女ヨルネスを討伐できないかどうか、彼女の情報を持ち帰るために攻撃を仕掛けていたところだったんです」


 口にしていて、あまりに無謀な計画だったと再確認させられた。

 ヨルネスが連発している〖ルイン〗の魔法は、その気になれば一撃でリドム宮殿を吹き飛ばすことができる。

 ヨルネスの気紛れ一つで、私達は一秒と持たずに殺されていただろう。


 アロさんが地面へと降りる。

 リドム宮殿へと到着したのだ。


 アロさんの分身二人も、私達に続いて着地した。

 メルティアさんがよろけて倒れそうになり、宮殿の壁へと手をついていた。


「助けられた……のだろうが、何がなんなのか、さっぱりわからない……。すまない、混乱しているようだ。ミリアを知っているのか? その、君達は、仲間だと思っていいんだよな?」


 メルティアさんが不安げにアロさんへと尋ねる。

 アロさんはこくりと頷いた。


 イルシアさんのことはまだまともに聞けていないけれど、とにかくアロさん達は、私達の力になってくれるようだ。

 しかし、リドム宮殿の人達にアロさんやトレントさんをどう説明したものだろうか。

 いや、アロさんはかなり理知的な人のようであるし、私がしっかり他の人達に呼び掛ければ大丈夫なはずだ。


 ただ、余計な混乱を招くべきではないだろう。

 ひとまずアポカリプスのことと……アロさんが人間でないことは伏せておいた方がいいのかもしれない。


 私はイルシアさんとヨルネスの様子を窺おうと視線を移したのだが、そのとき、遠くから二体の魔物がこちらへ駆けてくるのが見えた。

 ヨルネスの〖ニルヴァーナ〗によって生み出された、人間を雑に模したような不気味な化け物だ。


 ヨルネスの生み出した化け物には、個体によって大きな能力の差異がある。

 あの二体の化け物は、かなり体格のいい方だ。

 あの大きさの化け物の危険度は恐らくC級上位はあるはずだと、ラッダさんが前にそう口にしていた。


 C級上位の魔物の強さは、一流の冒険者に匹敵するとされている。

 もしもあんな魔物が複数体もリドム宮殿に押し入ってきたら大変なことになる。


「あの、アロさん! 協力してあの二体の化け物を……!」


「〖ゲール〗」


 アロさんが向かってくる化け物へと手を翳す。

 まだ遠くにいる化け物の許に巨大な竜巻が現れる。

 二体とも暴風によって身体が捻じれ、引き千切られた。

化け物の残骸が周囲に舞う。


「今、何か……」


「い、いえ、何も」


 私が手出しする必要は一切なかった。

 王城で出会ったとき既に私よりも遥かに強かったのは間違いないが、あのときよりも数段は強くなっている。

 

 アロさんがいてくれて、本当に心強い。

 リドム宮殿に魔物を引き込むとなるとパニックを起こす人達が現れるのではないかとも思っていたのだが、アロさんは姿形も人間と変わりがないし、彼女がいてくれれば宮殿の中の人達を説得することも容易そうだ。


「……まだまだ数が多そう。トレントさん、私、この都市を回って魔物の数を減らしてくる。ここの人達をお願い」


『了解しましたぞ!』


 トレントさんがびしっと翼を折って額に当てる。


 トレントさんの顔を見たとき、彼と目が合った。

 自信満々だといわんばかりに胸を張っている。


「え、えっと、その……」


 仮面から表情は窺えないが、任せて欲しいという強い意志を感じた。

 だ、大丈夫……なのだろうか?


「よろしくお願いします……」


『任せてくだされ! 主殿の御友人ともあれば、私にとっても他人ではありませんぞ!』


 パタパタと小さい翼を動かす。


「あの、アロさん。その、中の人達の説得に少しだけ同伴してもらえたら……」


 アロさんは地面を蹴り、黒い翼を伸ばして飛んでいった。

 分身二人もその後に続く。

 私はその背を、ただただ見つめることしかできなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る