第685話
聖女ヨルネスの言葉が正しければ、ここはリーアルム聖国内にある聖堂のはずだ。
〖気配感知〗で探ったが、どうやら建物内に人はいないようだった。
俺はただでさえ邪竜の上に、アポカリプスは聖神教が人類の敵として定めている魔物である。
そのまま出ていくのはさすがにまずい。
〖人化の術〗で人の姿を取り、アロ、トレントと共に、周囲の様子を探るために窓を割って壁を跳び、聖堂の屋根の上へと移動した。
「なんだよ、ここ……」
屋根の上から見た景色は、地獄が広がっていた。
破壊され尽くした街に、人間に似た形の悍ましい化け物が闊歩していた。
化け物はまるで悪夢か、前衛芸術の絵画から抜け出してきたかのような外観をしている。
手足も目鼻の数も個体によって違うのだが、体表が硝子のようにつるりとしている、という共通点を有していた。
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〖リーナ・リベルト〗
種族:アークエンジェル
状態:呪い
Lv :25/30
HP :112/112
MP :153/153
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アークエンジェル……あのグロテスクな化け物が天使だってのか?
冗談にしても悪趣味すぎる。
「竜神さま……ここって、四大魔境とかではないんですよね?」
アロが恐る恐ると俺へ尋ねる。
「……リーアルム聖国内のはずだが」
ヨルネスの啓示石が正しいのであれば、俺が立っている場所はリーアルム聖国の聖堂だったはずだ。
信じたくないことではあるか、ここはリーアルム聖国の都市であるはずだ。
『リリクシーラは律儀に頑張ってくれたことだし、今となっては意味のないことだけれど、約束は果たされなければならない。ボクは心とか、結構そういうのを重視する方なんだ。彼女の覚悟を安っぽくするわけにはいかないからね。リリクシーラとボクはさ、約束をしていたんだ。彼女が神聖スキルの争奪戦に敗れた際には、リーアルム聖国にボクの〖スピリット・サーヴァント〗を嗾けて滅ぼすってね』
神の声は、リリクシーラとの約束に従って聖都に〖スピリット・サーヴァント〗を嗾けると口にしていた。
恐らく、その結果がこれなのだろう。
崩れた建物や人の亡骸も散見された。
遠くを見れば、巨大な青白い光の壁がこの廃都を包んでいるようだった。
あの光の壁の感じ……恐らくは何かしらのスキルだ。
都市をぶっ壊して、化け物をばら撒いて、おまけに結界のようなもので包み込んで逃げられなくしているのだ。
神の声が〖スピリット・サーヴァント〗をばら撒いたのは、俺に危機感を抱かせて、急かすのが目的である。
だとすれば、何もここまで無慈悲に都市を荒らす必要はなかったはずだ。
いや……それだけじゃねぇ。
【〖アークエンジェル〗:Dランクモンスター】
【特殊なスキルによって人間が天使へと転生した姿。階級は下から二番目に当たる。】
【主の使命を果たすためのみに活動し、主の下僕を増やすために人間へと襲い掛かる。】
【また、生前の記憶が仄かに残っており、主に仕える悦びを分かち合うため、元の知人を狙う傾向にある。】
化け物の説明文を見たとき、一気に怒りが込み上げてきた。
妙だとは思ったのだ。
先の魔物は、人間のような名前を有していた。
「ここまでやりやがるのかよ、あのクソ神はよぉっ!」
怒りで腸が煮えくり返りそうな思いだった。
奴の性根が腐っているのは、リリクシーラが散々利用されて捨てられたことからも、知っているつもりではあった。
ミーアに至っては、世界の平穏と故郷を天秤に掛けさせられて自分の手で故郷を滅ぼすように仕向けられた挙げ句、結局魔王として戦争の引き金となるように誘導されたのだ。
だが、目前で惨劇が起きて、初めて奴の本当の恐ろしさがわかった。
こんなことを躊躇いなくできる奴が、この世界にいていいわけがない。
そして神の声の悪意は今、この聖都にだけ向いているわけではないはずだ。
今こうしている間にも、俺がこれまで訪れた別の地が、他の〖スピリット・サーヴァント〗によって荒らされているかもしれねぇ。
アトラナートやヴォルク、黒蜥蜴やマギアタイト爺も無事かどうかはわからない。
何せ、四体の〖スピリット・サーヴァント〗が現れたところに取り残されていたのだ。
「ここまで酷いことになっているなんて……。お父さんと、お母さんは……」
アロが弱々しくそう零す。
俺が目を向けると、彼女はきゅっと口を結び、表情を繕う。
俺を不安にさせるような言葉は避けようと気遣ったのだろう。
……神の声は、俺にゆかりのある地を狙うようなことを示唆していた。
リトヴェアル族の集落が狙われる可能性は充分にある。
ンガイの森でも、急いで外に行かなきゃならねぇ状況だというのはわかっていた。
少なくともわかっていたつもりだった。
だが、それでもまだ、認識が甘かったのかもしれねぇ。
もっと急げば、半日なり速く外の世界へと戻れていたはずだ。
その間に何百人が、いや何千人が殺されたのか、わかったものではない。
俺の想像を遥かに超える最悪がここにはあった。
こんな惨状が世界各地で繰り広げられているというのか。
都市を蹂躙する化け物達を前に、俺は呆然と眺めていることしかできなかった。
取り返しのつかない大惨事が目の前で起こっているのはわかる。
だが、規模が大きすぎて、もはやどこから手を付ければいいのかさえわからない。
『主殿! あ、あの巨像の近くに、巨大な化け物がいますぞ!』
トレントの言葉で、俺は我に返った。
今は無力感を噛み締めてる暇なんざねぇんだ。
トレントの翼が示す方へと目を向ける。
三十メートルはあろうかという、翼を有する頭の無い女の大きな像。
過去の聖女か、はたまた聖国に関係のある偉人なのだろうか。
巨像の足許には生きている人間が五人ほど集まっており、彼らと対峙する巨大な異形の怪物の姿があった。
他のアークエンジェルの倍以上の背丈を持ち、腹部に二つ目の顔がある。
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〖ロイス・ローレイ〗
種族:エクスシア
状態:呪い
Lv :79/85
HP :596/624
MP :416/422
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どうやらこの化け物の上位種のようだった。
そして同様に、この化け物もまた、元は人間であったらしい。
先程のアークエンジェルがD級モンスターだったが、こちらはB+級モンスターだった。
かなり強さにバラツキがあるようだ。
D級までならこの世界の冒険者でも対応できる範疇だが、B+級となると、リリクシーラの聖騎士団のようなこの世界の最強格の武装集団でようやく相手になるレベルだと俺は認識している。
ただの人間五人なんざ、数秒持てばいい方だ。
俺は〖人化の術〗を解除した。
俺の身体が赤黒く変色し、一気に膨れ上がった。
元のアポカリプスの姿へと戻る。
聖神教が敵に定める、世界の終わりを告げる黙示録の竜。
だが、そんなことを気にしていられる場合じゃねぇ。
『〖次元爪〗!』
俺は爪を振るい、間合いなき爪撃を放つ。
大きな異形の天使……エクスシアの腹部の顔が潰れ、身体が大きく折れ曲がった。
その衝撃で地面から足が離れる。
追加でもう一発、縦に〖次元爪〗をお見舞いする。
エクスシアの身体が左右に裂け、化け物の身体越しに地面に亀裂が走った。
【経験値を3094得ました。】
【称号スキル〖歩く卵:Lv--〗により、更に経験値を3094得ました。】
【〖アポカリプス〗のLvが104から105へと上がりました。】
エクスシアに襲われていた人間達が、驚愕の面持ちでエクスシアの亡骸を見つめていた。
自分達がどう足掻いてもまともにダメージを与えられなかった化け物が突然正体不明の攻撃に倒れたため、安堵よりも恐怖が勝っているようだった。
『……すまねぇ。生かしておけば人間に戻せる手もあるのかもしれねぇが、今の俺にはそんな余裕はねぇんだ。だが、きっと、お前の大事だった奴らは守ってやるからよ』
続けて俺は〖次元爪〗を放ち、エクスシアの近くにいた三体のアークエンジェルを葬った。
D級程度なら、掠めただけでも倒しきることができる。
【ランク差が開きすぎているため、経験値を得ることができませんでした。】
ひとまず、連中の周囲にいた化け物達はこれで片づけることができた。
人間達は周囲を見回して俺を発見し……顔を真っ蒼にしていた。
エクスシアを目前にしたときより、絶望に満ちた顔をしている。
「ヨルネス様が現れて聖都を破壊したかと思えば、アポカリプスが現れるなんて……! もう、滅茶苦茶です! 聖都だけじゃない! この世界はもうお終いだ!」
一人の男が悲壮な声を上げる。
格好から察するに、どうやら聖国の僧兵のようだ。
やはり、聖国ではアポカリプスは、伝承の中で最悪の魔物とされているらしい。
ふと彼に目を向けたとき、そのすぐ傍に立つ、ローブ姿の少女と目が合った。
向こうも驚いたような表情で、じっと俺の瞳を覗き込んでいる。
その顔立ちには見覚えがあった。
アーデジア王国の王都アルバンで再会したきりだった、ミリアであった。
「もしかして、イルシアさん……なの?」
彼女が小さな声で、俺の名前を呼んだような気がした。
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